水無瀬離宮庭園跡への開発 | 歴史ニュース総合案内

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 大阪府島本町の越谷遺跡が、住宅開発の前の考古調査前に開発業者に荒らされたことが7月までに判明した。島本駅の西側に広がる同遺跡は後鳥羽上皇ゆかりの水無瀬離宮の庭園跡とみられている。

 島本町が6月末に調査しようとしたところ、排水管が州浜の地形を壊していたことが判明。桜井駅の辺りの遺跡ということもあり、盛り土などの保護措置が採られていたが、排水管に荒らされていた。

 

 水無瀬離宮の跡は、島本駅から少し離れた水無瀬神宮の辺りに存在した。淀川が桂川、宇治川、木津川に分かれる場所に建てられた離宮は、後鳥羽帝の時代だと1216年に洪水で流され、翌年再建されている。再建された際の庭園遺構が2014年に小野薬品の新社屋工事で出土し、西浦門前遺跡と命名され、歴史文化資料館内に移築されている。

 離宮の広大な庭園になっていたとみられる今回の開発地では、2020年9月に尾山遺跡から青石を敷き詰めた池泉の遺構が出土。2021年3月には7世紀末の瓦窯跡が出土した。前者は水無瀬離宮に直結している。

 日本庭園学会はこれを受け、越谷遺跡の御所池南側開発地区を水無瀬離宮の庭園跡であり、源実朝が関わった鎌倉の伝大慈寺池跡と相似しているとして特別な配慮を要請した。それでも、保存措置がとられぬと、文化財保存全国協議会が3月に水無瀬離宮を中心にして遺産保護に乗り出すよう町や大阪府に求めていた

 

 島本駅の辺りは楠木親子の永別の故事をまつる歴史地区であり、西側に資料館がある。