京都府を揺るがす椿井文書偽書説 | 歴史ニュース総合案内

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 地方史などで正史として引用されてきた江戸時代の椿井(つばい)文書は空想と主張する説が中公新書で唱えられた。京都府京田辺市など山城国では、特に椿井文書の影響力が大きいようだ。

 大阪大谷大学の馬部隆弘准教授が2003年からの自説を纏め、3月に『椿井文書――日本最大級の偽文書』を刊行。椿井文書とは、現在の木津川市にいた豪農・椿井政隆(1770~1837)がつくった様々な文書だが、架空の暦など真正でないことがよく見れば明示されているにも関わらず、信頼できる資料として今日まで引用されてしまっていると唱える。准教授は大阪府枚方市で市史を纏めた頃に津田城の研究で違和感を覚え、研究を始めた。成果はこれまでも学術書などで紹介されている。

 

 引用の多い文書には、奈良の興福寺の末寺を纏めた「興福寺官務牒疏」や吉野南朝の記録という「南山雲錦拾要」など。鎌倉末期の合戦を描いた「笠置山之城元弘戦全図」など中世関連が多い。枚方でも百済から渡来したという王仁の墓伝承で史跡指定の根拠(他文献の裏付けもあるが)とされた。

 寺社の縁起を絵図つきで装飾するだけでなく、庶民のために由緒高き家系図を創作したり、村落同士の縄張り争いを治めるために歴史的地図をつくったりもした。史実をある程度反映しつつ創作した文書に関連性を持たせ、筆跡を変えながら真実に見せかけた椿井文書は、数百点近くある。