今クールにて、周知の通り
2つの連ドラが早期打ち切りと相成った。
実は、
TV連ドラの打ち切りに直面したのは初めてだったので、
本当に打ち切りという判断はあるのだ、
と、少しばかり感心してしまった。
その一方で、
同時期に2番組ものドラマが打ち切られた事は、
素人創作家ながら危機感を禁じえない、という気持ちもある。
何故なら、
打ち切られたドラマは相応の大御所脚本家による作品であり、
それでも、その時々の様々なニーズにそぐわなければ、
あっさり切られてしまう現実を見せつけられたからだ。
「 その時々のニーズ 」とは、
一言で言えば、視聴率の事である。
今季、それが顕著に表れたのが『家族のうた』で、
全8話の平均視聴率3.9%は、
連ドラの過去の最低平均である4.4%という記録を
↑ 『メッセージ~言葉が裏切っていく』 日テレ
更新する結果となった。
一方の『クレオパトラな女たち』は、
打ち切りの要因は視聴率の低迷ではない、としながらも、
実際に公表されている数字は初回9.9%の後、6.7~7.9%と
最終話までに初回を上回る事が出来なかった点で、
視聴者側の期待感を煽れなかった結果を表している。
ちなみに、打ち切りの要因について局広報は、
準備段階からの遅れにより、放送回数を明確に定めずにオンエアし、
番組編成上の兼ね合いから全8回となった旨を理由としたが、
これはやや苦しい言い訳に聞こえる。
この " 視聴率 " については、
個人的におおいに疑問を感じており、
数字をそのまま信頼するのは危ういと思えるのだが、
局とスポンサーとの関わりや、俳優を起用する上での期待値等を
推し量る上での、所謂、一つの指標としては認めざるを得ない
というのも現状だ。
なので、視聴率低迷を理由に番組を打ち切る局の姿勢を
責めるつもりは、この場では、無い。
その上で、
今回の打ち切りについて、少しばかり考えてみたい。
『 家族のうた 』
何故、視聴率が伸びなかったのか。
フジテレビの豊田社長は会見で、
主人公の態度や口調が、一般視聴者の共感を
得られなかったのではないか、との見解を示したが、
イチ視聴者として、確かに原因の一端は
そこにあると感じた。
子供を「クソガキ」、高齢者を「クソジジイ」と
平然と言い放つあの言葉遣いや出で立ちは、
ロック・ミュージックの好き嫌いに関わらず、
確かに受け入れ難いものがあった。
ROCKだから粗野粗暴も許される
というものでは断じてない。
主人公の傍若無人は彼の人間性であって、
ROCKのせいではないのだ。
なので、設定上でコメディ的使い回しをしていた
「ロックに免じて許してよ」
という主人公のキメ台詞が、逆にROCK好きにとって
不快を感じさせるワードとなっていた、とも感じられる。
要するに、明らかに視聴者層としてROCKファンを
ターゲットとしていた節が見受けられるも、
実は、逆にその層に反感を覚えさせる危うさを
はらんでいたという事だ。
更には、個人単位でも生きて行くのが大変な時代なのに、
彼のあまりに他人任せなライフスタイルも共感し難く、
それら要素が時代に全くマッチしていなかった。
そして極めつけは、不運にも
演じるオダギリジョーさんが、そのキャラクターに
あまりにもハマりすぎてしまった事だ。
例えばあの役を、CM等でよく70年代のROCKを
自らのイメージにも絡ませて使う木村拓哉さんがやったとしたら、
仮に老人や子供を虐待してスラングを連発したとしても、
視聴率はあそこまで落ちなかっただろうと思えてしまう。
(というか個人的にはむしろ観たい気もする)
こう書いてしまうと、
戦犯は主演俳優だったと言っている様にもみえるが、
そうではないので誤解しないでいただきたい。
上記内容で言うところの戦犯とは " 設定 " なのだ。
私はむしろ、オダギリジョーさんの演技には
ブレが無いと感じたものだ。
無責任で卑怯な人間性も、最終回までそうあるのなら、
それはそれで魅力に思えたし、
無知無学故の純真無垢なスピリットが
周囲の歪んだ価値観に対抗し、それを正していく
といったドラマ性はある意味で王道であり、
それが根底にある本作は、テーマ性だけで言えば、
視聴率の数字が示すほど粗悪な内容ではなかったのである。
視聴率低迷を原因に番組を打ち切るのは、裏をかえせば
、
録画メディアやオンデマンド・サービスの充実、ワンセグ放送、
更には、TV自体がタイムシフト再生を可能にしている今の時代に、
未だに視聴率という全盛期の遺物に縋りつく制作サイドの脆弱さと
クリエイティブな精神に逆行する傲慢な姿勢を
露呈させたに変わりない、と思えてしまう。
そして、
打ち切りに際し、局に1000通を超える
クレームが寄せられたという。
……ただ、
1000程度でしかなかったところが
どこか物悲しさを漂わせる。
『クレオパトラな女たち』
一方で、こちらは表向きには視聴率のせいにしていないので、
犯人探しは難しい。
しかし、最終回のオンエアを観る限りでは、
自然な終わり方だとは到底思えず、この展開の急転直下な加減は、
想定外の圧力がかかった感がどうしても否めない。
このドラマは、第5話が放送されたその3日後に、
原作者で脚本担当である大石静氏の、5/19のご自身のブログで
残り3回で打ち切られる事が露見した。
そこから鑑みて、少なくとも4話あたりまでは、
原作者の思惑通りの展開が描かれていたと見てよい。
そもそも、この話のキャッチコピーは
「女は美を追いもとめ、男は美に翻弄される。」
とされ、美容整形そのものをテーマとしていた。
それは一話ごとのサブタイトルを見ても明らかである。
第1話 顔は命!美容外科は幸福への近道!?
第2話 理想のおっぱい
第3話 姉よりも美しく
第4話 魔法の植毛手術
初期設定として、主人公の男性医師は、個人の事情により
形成外科の分野から美容整形(整形外科)分野へ
携わる事となるが、生まれ持った健康な体に病気・怪我の
治療以外の目的でメスを入れる事を良しとしない、
というシナリオ上の枷が与えられていた。
それを基本軸として、美とは、そしてそれに従事する医師の心得とは、
という部分に葛藤を見出した割と骨太なドラマ性で展開した。
ところが、
5話目から、ストーリーの方向性が一変する。
第5話 私と結婚しろ!
にて、主人公の同僚である女性医師の錯乱を、
第6話 全身サイボーグ
にて、院内の看護師の失恋と自殺未遂を
それぞれ描き、内容的に明らかな方向転換が図られ、
あとは最終話まで、主人公を取り巻く同性愛と不倫という
やや強引な恋愛沙汰へ一気に傾倒して最終話に繋がっていった。
このターニングポイントにて、
同性愛相手の役どころ(主人公の同棲相手の男性)が
必要以上にクローズアップされた事が、巧い具合に
ストーリー転換を滑らかにしたプラスの誤算はあったものの、
後半は、主人公医師と来院患者とのやりとりは、
殆ど見られなくなってしまった。
この事から、イチ視聴者の下世話な勘繰りとして
このドラマの打ち切りの原因は
ドラマ設定が美容整形業界のアンタッチャブルに触れてしまった事で
クレームを受けて自粛した、という事ではなかったのかと思える訳だ。
健康な状態で産まれ育った健全な身体にメスを入れる事の是非。
主人公はそれを、するべきではない、と言った。
この部分は、ビジネスとしても広く一般に浸透した
美容整形の業界からすれば、営業妨害にもなりかねない設定である。
原作者である大石氏はブログにて、
作り手の志や視聴者の期待よりも、局の立場として大切なものがある
という旨の意味深な言葉を記している。
圧力がかかった、という事が容易に想像できる内容だ。
実際、このドラマ枠のメインスポンサーである大手化粧品会社は
本作の提供クレジットを自粛し、放送中はCMを
カウキャッチャー(本編放送前)とヒッチハイク(本編放送後)に
ひっそりと流していたという事実があったようだ。
以上の事から、結論として、
このドラマの打ち切りは、局側の大人の事情、という事なのだろう。
ただ、もしも本当にそうであったなら、
局側の視聴者に対する姿勢が問われてくるというものだ。
更に、
今回の打ち切り騒動について、ちょとした気がかりがある。
それは、前例が出来てしまった事で、
今後、様々な理由で容易に打ち切られるドラマが増えて来るのではないか
という懸念だ。
今回、『家族のうた』の "打ち切り" をフジが打ち出す事が無かったら、
日テレの『クレオパトラ~』には "打ち切り" というワードは使われずに、
視聴者にさとられない様に、目立たず粛々と切り捨てられた事だろう。
局側にしても、 "打ち切り" というレッテルは避けたいはずだから。
また、この2社は現在、視聴率を競い合っていると言われている。
今回、一般にドラマ打ち切りを先に打ち出したのは
フジが先だと認識してるが、
同時期に視聴率以外の理由で問題を抱えていた日テレが、
マイナスの要素を話題作りの一環として転換し、
体よくフジに便乗した、とうい風にも見えてならないのである。
TVドラマの質が下がってきたと言われる昨今、
今回の悪しき前例によって、些細な理由で無碍に打ち切られるドラマが
今後も出て来る事が懸念される。
一旦ドラマが放送を開始すれば、例え視聴率は低くとも、
その放送を楽しみとする視聴者が必ず生まれる。
局側は、そうした期待感を常に意識して、プライドを持って
ドラマを制作していってほしいものである。