今日のドラマは #無能の鷹 定型発達の者たちの中で起こる様々な理不尽。ここにも平等を訴える作者の眼差しが愛に溢れている。@muno_no_taka_ex 

『「私たちは定型発達という障害を抱えている」』
#Ameba20周年
#ありのままがここにある
行ったはいいがほとんど理解できない。薄っすらと今の時点では企業に生成AIを普及させようという感じ。

◯◯に特化したChatGPT(例えば心理学、例えばカウンセリング、例えば心理療法)があるかもと期待したが、完成形ではなく「情報を蓄積してデータベース化して」なら可能だと。最新の情報を自動で集めるのは「?」だった。

でもあと何年かしたら今まで人がやってたことが生成AIに取って代わられるだろうね。カウンセリング業界なんかChatGPTに聞いたほうが情報はたくさんある最新の情報はある。危ういぞ。
人にしかできないことをやっておこうね。









Google先生にはいつもお世話になっているが、今回登場したGeminiには驚く。ChatGPT同様の生成AIだ。


試しに行動〜認知行動療法、マインドフルネスの効果を尋ねてみる。一般的な話題ではないので回答もぼんやりしてるのかと思ったらとんでもない、ピンポイントで答えてくれる。
しかも情報が新しい。ただし文末には「専門家の指導が必要」と。

全部を信用する訳ではないが説得力はあるし、まず今までのように検索ボックスにキーワードを入力して結果を見ていくという手間がなくなる。

お世話になっているSUNO AI さんをはじめDTMにもあのVOCALOIDの世界にも生成AIは増えている。

人の作業を肩代わりしてくれるのは便利だ。



最近の行動を振り返る。
大本山護国寺に如意輪観音さまに会いに行く。
田中一村展に絵を観に行く。
Inter BEE 2024に音響機材を見に、スピーカーの音を聴きに行く。
元クライアントが薦めてくれた「ルックバック」を読む。

駅までの行程、電車に乗る、騒音を聞き風景を眺める。目的の対象を観る、感じる。

一連の感情体験を行動療法と捉え直すと、いつもの何気ない無意識の行動の全てが、セラピーとして活用できるようだ。
行動〜認知行動療法と関連づけると、この全てがセラピーなのだと納得する。そしてこの感情体験を眺めることもマインドフルネスに繋がる。



元クライアントに勧められて読んだ「ルックバック」。
今年アニメ化されたことも「チェーンソーマン」の作者ということも知らなかった。

自分の描く4コマ漫画に自信たっぷりの小学生藤野と、不登校だが漫画は描きたい京本。京本の描いた漫画にその自信を打ち砕かれる藤野…。

繊細な描線、少ないネーム(台詞の吹き出し)なのに何だろうこの迫力は。

自分の少年期の記憶と重なる。
以下、私のルックバック。

私は絵には結構自信があって、写生、ポスターなど評価が高かった。大会で父親の顔を描いた。繊細で細い線、淡い着色は綺麗だけど力がなかった。
大会で優勝したのは太く力強い線と濃い色彩の画面いっぱいの絵。負けた、と思った。

それまでの優越感 自信 プライドが一気に崩れた─そんなことを思い出した。

自己評価のないACは他者からの評価に依存する。承認欲求が強い。私もそうだった。

電子版を読んでじんわり涙して、続きを紙の本で読む。後半はもう嗚咽。
漫画を読んで泣いたのは初めてだ。





https://search.app?link=https%3A%2F%2Fwww.turtlewiz.jp%2Farchives%2F37236&utm_campaign=aga&utm_source=agsadl2%2Csh%2Fx%2Fgs%2Fm2%2F4



私の元クライアントがこれを始めてみたと言ってた。結構複雑なお悩み相談にも答えをくれるという。
今回私がモヤッとした感情を言葉にして SUNO AI で楽曲にした。それでこのモヤモヤがすっかり解消した。これも行動〜認知行動療法の1つのメニューとして使えるだろうと思った。
#SUNO

やり方としてはまず
① 感情を言葉にする。モヤッとした感情を何でもいいから言葉にする。スマホのメールが便利。
② 羅列した文字列を DLしたSUNO AI アプリの作成画面にコピペする。
③ v3.5という最新の作成をタップすると瞬時に2つのバージョンの楽曲ができる。
④ できた楽曲をチェック。何度でも違うバージョンが作れる。
⑤ 一度に入力できる文字数は200字(増えているかも)なので、別の作詞も無理なく作れる。

自分の言葉がAIで補作詞されてメロ、アレンジ、歌唱までやってくれて一曲に仕上がる。これを聴く。このまるごとを客観視できる喜び。
試してみる価値はあるよ。



元クライアント女性にメッセージを送る。安否確認とこちらの現状報告も兼ねて。
私が誘っても「電車の中でパニクる」と断るのに他の友人と都内神社巡りをしていた。

ここで現れる私の感情を眺める、欲求を感じる。
一緒に行きたかったなぁ、羨む、嫉妬、私と距離を置くようになったね、落胆、小さな怒り、悲しみ、諦め、こんな思いするのならもうこっちからメッセージ送るの止めようか、ひと通りの感情が出た頃に「快も不快も全ての感情を受け入れる」をやってみる。

どれも否定しない、抑え込まない、なかったことにしない、現れた感情にのみこまれない、そう、景色として眺める。

しばらくすると、自分の中からいろんな感情を立ち上がらせてくれた彼女に、感謝の念さえ湧いてくる。あなたのお陰で私は自分の感情を観ている。あなたの存在がなければ私はこんな感情を出すことはない。ありがとう、と。

このやり方が正解なのか間違いなのかはあまり重要ではない。間違っていたら改めればいい。

PTSD持ちはこの療法は不適当だといわれる。私は親の面前DVで乖離し、3〜10歳ほどまでの記憶が飛んでいる。この時の脳の神経細胞への傷が発達障害の原因だと捉えているので、マインドフルネスは向いていないのだろうが、この程度のプログラムならOKだ。

他のセッションでもそうだが、療法は全て自分に向けてのもの。適不適は自分が決めればいい。また一つ気づきができた。

若い頃はフォークソングが流行り、自分も詞を書き曲を作り人前で歌った。コンサートを企画・主催する団体を作るメンバーになり会場を押さえチケット、ポスターチラシを手刷りした。

野外コンサート、喫茶店を借りて、行政のバックアップでアマチュアのコンテストの舞台監督もやった。

ライブハウスを開いた。ライブスケジュール、チラシを作った。ブッキング、飲食メニューを作った。

ブログが流行ると日常の出来事を投稿した。SNSにアカウントを作って発信した。

承認欲求が強かった。
ACアダルトチルドレンは自己評価が低いので、他者からの評価に依存する。私もそうだった。

若い頃の歌と同じように、聴き手を前提に歌ったように、歌が文章に変わっても、読まれることを前提に書き続けていたが、満たされることはなかった。

最近になって、歌うこと(めったにないが)も書くことも自分のためのものになっている気がする。しばらく前に始めたDTMも。
誰かのためではない、自分のため。他者承認から自己承認に変化してきた。
これからは自分のために表現しようと思っている。



カウンセリングでは自分のインナーチャイルドに話しかけたりする。「内なる自分」「本当の自分」とも言われる。

ACアダルトチルドレンは幼い頃にこのインナーチャイルドとはぐれ、対話も見守ることもできずに育った。

私の場合、カウンセリング最終段階、インナーチャイルドの癒しのセッションで「エンプティ チェア」的なものをやり、そこで始めて私のインナーチャイルドと対面した。当時私は50歳、インナーチャイルドは3歳ほど。

面前DVで乖離して私の記憶が飛んだ頃のままの年齢だ。暗い闇の中にうずくまり泣いていた。私は号泣しながら「ごめんね、もう大丈夫だよ」と声をかけた。彼は安心したのか少し笑顔を見せた。



そして今試している自我との対話。
自分の身体である脳、発達障害を持ち、感情の神経細胞に損傷を受けた脳、この感情や記憶を司る臓器。
そこから少し離れた自我との対話だ。対話といっても自我は沈黙している。語りかけるのは私の脳の方だ。

自我は私の身体をある時はすっぽり包み、ある時は身体から離れ上空から世界を俯瞰し、ある時は遠くにいるが瞬時に私のそばにいる。

目覚めると自分の精神状態を確かめる。自分に語りかける。今朝はどう?調子は。今までの感情の浮き沈み、高波のうねりは止んで凪の状態を確かめる。これでいい。

この私の作業を自我は私に寄り添って見ている。私に危なげなところがなければ離れていく。

私の1日が始まる。