「ラスト・スナイパー」という映画がアカデミー賞を受賞しました
イラク戦争での実話だそう
帰還後 彼はPTSDに悩まされ 回復後はPTSD治療の支援をし
同じ症状に悩むイラク帰還兵に射殺されたと


心的外傷後ストレス障害(しんてきがいしょうごストレスしょうがい、Posttraumatic stress disorder、PTSD)は、命の安全が脅かすような出来事、天災、事故、犯罪、虐待などによって強い精神的衝撃を受けることが原因で、著しい苦痛や、生活機能の障害をもたらしているストレス障害である[1]。

心の傷は、心的外傷またはトラウマ(本来は単に「外傷」の意で、日本でも救命や外傷外科ではその意味で使われ、特に致命的外傷の意味で使われることが多いが、一般には心的外傷として使用される場合がほとんどである)と呼ばれる。トラウマには事故・災害時の急性トラウマと、児童虐待など繰り返し加害される慢性の心理的外傷がある

心的外傷後ストレス障害は地震、洪水、火事のような災害、または事故、戦争といった人災、あるいはいじめ、テロ、監禁、虐待、パワハラ、モラハラ、DV、強姦、体罰などの犯罪、つまり、生命が脅かされたり、人としての尊厳が損なわれるような多様な原因によって生じうる。(Wikipediaより)



改めて思うのです
ACは幼児期から心的外傷を受けています まさにトラウマを抱えて生きていきます
明らかにPTSDの状態

一般的なPTSDなら その原因・加害者が他人で外的なものですから分かりやすいのですが
ACのトラウマの原因は親 子にとっては内的といってもいいくらい切り離せない 自分に一番近い外的な存在
子は自分を守ってくれるのは親だと疑いません これは本能的なもの
まさか親が自分を苦しめる加害者だとは思いもしません
ですから子には 自分の生き辛さの原因が分からず 自分を責めるしかありません「悪いのは自分なんだ」
これがACの快復を遅らせているのです

PTSD このストレス障害が パーソナリティー障害の原因になることは 十分に考えられます
様々なタイプのパーソナリティー障害がありますが これはその人の個性 気質などによって現れる症状です

AC自認がある人もない人も 大人になってからPTSDに悩む人も
十分に自覚し 早く対することが大切です
被害者にも加害者にも ならないために





中学生の殺害事件

メディアは盛んに学校の責任を問うているようです
もちろん学校の責任はあるでしょう 生徒の言動に敏感に対応するのは当然ですが
学校は親からの訴えがあって初めて動きます 学校と親の連携もなかったのだろうと思います
「ウチの学校にいじめや暴力などあるはずがない」と隠蔽する学校もPTAもあります

学校側の責任とは別に ワタシはこの家族の関係を想像しています

暮らし慣れた 自然と友達がいっぱいの田舎の島を離れた一家
もちろんこれは親の都合でしょう この家族に何があったのか
子どもだけが親戚を頼って転校するのではなく 一家で転居するにはそれなりの重い決断があったことは容易に想像できます
または子の将来を見据えての判断だったかもしれません いずれにせよ親の判断

子は慣れ親しんだ友人関係から離されます 今までの人間関係から断ち切られます
転校先は今までとは違う都会 たくさんの子どもの中で味わう孤独
こんな時 頼りにするしかないのは家族 親ですが
その親とコミュニケーションが取れないとしたらどうでしょう

子どもにとって自分の居場所は家という場所そのものであり 親という存在
彼には帰る場所がなかったのだと想像しています
危ういグループに関わってしまったことも言えない 言っても届かない親だったのではないかと
子のSOSを気づかない 察知できない親だったのではないかと思うのです

子は「親に心配をかけたくない」と なかなか胸中を明かさないものですが
この子は明らかにSOSを発していました それに気づかなかったのです
気づいたとしてもどうすることもできなかったのかもしれません

この母親もまた同じように育ったのだと思います
機能不全家族の輪廻です

そしてこの家族の輪廻は 加害者の側にも同じように渦巻いています



自己評価の低いAC

誰かの役に立つことで 自分の評価を上げる癖がついています
だから自己犠牲が伴う仕事に就きがちです
医療系 福祉系など その傾向が強いといえます

もちろん自己犠牲が悪いのではありません
時間から時間まで マニュアル通りではできない仕事は数多くあります
少なからず人の犠牲の上に成り立っている仕事はあるのです
ただそれを前提にして 他者のために生きてしまうのは不幸です

自分以外の誰かのために生きるという癖がついているAC

長い間 親のために 家族のために生きてきました
そうすることが最良だと 教え込まれてきたのです
親の支配とコントロールは大成功したのです
ですから 肝心の自分はいつも空虚で 自分というものがなかったのです

夫のため 子どものため 姑のため と懸命に働いてきて
ふと気がつくと自分がいない そう言って涙をこぼす女性を 今まで何人も見てきました

ワタシ自身も当時は自己評価が低く 介護の仕事に就き
クライアントからのありがとうの言葉に自己評価を上げる毎日でした
自分で自分を評価できないので 他者から評価されることで自分の価値を判断するしかなかったのです
自分で自分を褒めることができるようになって 自己犠牲はなくなりました

他人という鏡に自分を映すのではなく 自分で自分を映す これができればずいぶん変わります
自分の人生の時間を自分のために使うという当たり前のことを 今から始めましょう



モラハラ=モラルハラスメント
(Wikipediaより引用)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
モラルハラスメント(仏: Harcèlement moral、英: Mobbing)とは、モラルを装った、あるいはそう思い込みながら為される…心への暴力、嫌がらせのこと。俗語としてモラハラと略すこともある。フランスの精神科医、マリー=フランス・イルゴイエンヌが提唱した言葉。外傷等が残るため表面化しやすい肉体的な暴力と違い、言葉や態度等によって行われる精神的な暴力は見えづらいため、潜在的なものとされていたが、イルゴイエンヌの提唱により広く知られるようになった…。イルゴイエンヌは「社会は精神的な暴力に対しては対応が甘いが、精神的な暴力は肉体的な暴力と同じ程度に、場合によっては肉体的な暴力以上に人を傷つけるもので、犯罪である」と述べる…。「モラルハラスメントがどれほど被害者の心身の健康に破壊的な影響を与えるのか、その恐ろしさを嫌と言うほど見てきた。モラルハラスメントは、精神的な殺人」とも述べている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


主に夫婦間で繰り広げられるこの残虐な行為
最近も何かと話題になっているようです
夫婦という他人どうしの関係なのに まるで自分の所有物でもあるかのように振る舞うのです
ここでも繰り広げられる支配とコントロール
離婚しようにもできない何かがあります 共依存
お互いの生育歴に 似たような体験の記憶 感情の記憶があると 無意識に受け入れてしまうのでしょうか
この話は別の機会に譲るとして

実は機能不全家族のメンバーのは間では 日常的に行われていることではないでしょうか
他人どうしではなく親子の間で 肉親どうしの間で それが行われることに その深刻さがあります
親子なのだから 愛されているに違いない 守ってもらえるに違いない
子は何一つ疑うことなく身を預けようとするのですが 見事に裏切られます

親は無償の愛ではなく 条件付きの支配とコントロールをしてきます
愛されているから厳しく怒られるのだ 冷たくされるのだ と
子は幼い頃からこれが愛なのだと勘違いして受け入れます じっと耐えるのです
まさにハラスメント 言葉の暴力 無言の暴力です
それは親から子へ子から孫へ受け継がれます 家族の輪廻 世代間連鎖です

ここから逃れなくては 幸せにはなれません
無償の愛の自由さを 支配とコントロールのない世界を
早く手に入れたいものです


送られて来たニュースレターの中に こんな巻頭言が

-------------------------

草食系男子はやさしくて、でも、ちょっと頼りない。最近は壁をドンと叩いて強引に迫ってくる男子に人気が集まっているとか。
だが壁ドンは危ない。DVの一歩手前だ。
人は自由を与えられると、かえって不安になる。自分よりも強い者に服従し、依存したくなる。その方が楽だからだ。
社会心理学者エーリッヒ・フロムは、ワイマール憲法下でも自由が保障されていながら人々がヒットラーに屈した訳は、市民が自由のもたらす不安に耐えきれず「自由からの逃走」を企てたからだと分析する。
壁ドン男子も同じだ。屈服する前にその危険性を考えておきたい。

-------------------------
NPO法人DV被害者支援活動のための基金
理事長・渥美雅子 氏 同法人News Letter vol.31より転載
-------------------------

「こんなことしてみたい」「こんなことされてみたい」
と密かに思った人も多いでしょう ここまで流行するのですから (実際に行われているかどうかは別にしても)
流行 と言ってしまえばそれまでですが カッコいい言動 の裏に こんな危険が隠れているとはちょっと驚きでした
現実には壁ドン男子だけでなく壁ドン女子もいるでしょうから 男女どちらにも言えること
「してみたい」側の征服欲 所有欲 「されてみたい」側の従属性
壁ドン という行動の奥にどんな欲求が さらに奥にはどんな感情があるのか 確かめるいい機会になりました
小さなことでも無意識に 無批判に受け入れないことは大切ですね




新しい年が明けました

新しい年をどんな思いで迎えたでしょうか
なりたい自分を具体的に描けているでしょうか
今年はどんな一年にしたいか 何となくでもイメージできているでしょうか

あなたの内なる自分 インナーチャイルドは十分に癒せたでしょうか
あなたの実年齢近くまでに大人になったでしょうか

自分を嫌いにならずに 愛することができていますか 無条件に自分を愛せていますか
今ここに生きている幸せを感じていますか
自我の確立はできましたか

精神的な自律 経済的な自立はできましたか 親の支配 コントロールから逃れることができましたか
過去の悲しみを自分から離して 一枚の絵のように眺めていますか
余分な感情を差し挟まずに 物事を捉えることができていますか

欲求の奥にある自分の感情を感じられていますか
感情を言葉にできていますか 飲み込まずに言葉にして自分の外に出していますか
無意識にそれを抑え込んでいませんか

過剰な思い込み 被害者意識は捨てられましたか
自己評価は上がりましたか 自己嫌悪はなくなりましたか
他人の目や評価は気にならなくなりましたか
自分を客観視できていますか

他者との適切な距離を取れるようになりましたか
他者からのちょっとした言葉にも適切な反撃をして 自分を守っていますか
我慢したり諦めたりしていませんか

こう並べていくと ACをやめるのにこんなにもたくさんのハードルがあるとは
それほど幼児期の辛い体験は その後の生育に 人格の形成に影響を与えるものなのです

でも諦めないで
少しずつでも新しい気づきをして 自分を幸せにしていきましょう




大掃除の時期 そして一年を振り返る時期です
一番大切な自分の内側は片付いていますか

ACの心の内側
過去と現在がごっちゃになって 未来も見えてきません 
片付けるにも手がつけられない状態です

過去の恐怖 不安 悲しみは いつでも思い出せます
生々しい感覚はすぐに蘇ります
過去の記憶は今も自分の中では「今」のこと
過去を過去として終わらせることができないのです
終わったこととして手放すことができません

どうしたらこれを終わらせることができるのでしょうか

大きな壁一面の小さな引き出し あるいは扉付きの収納棚 をイメージしましょう
これを整理するのに似ています

過去の様々な出来事 それにまつわる家族のエピソード その時の記憶 感覚
例えば幼い頃の親からの暴力 父親の言動 母親の表情 その時の恐怖 不安 悲しみ
これをいったん思い出します それをそのまま引き出しにしまいます そして必ず鍵をかけます

この時 過去の感情に引き込まれたりしないよう注意します
風景を眺めるように 一枚の絵を眺めるように 自分と距離を置いて眺めます
ああ あの頃はこんなことがあったんだ あんなに悲しくて苦しかったんだ
でももうそれは終わったことなんだ 過去のことを思い出して 今を悲しむ必要はもうないんだ と自分に語りかけます
そしてそれを手放します 見送ります 自分の手から離れて 川面をゆっくり流れていく船のように
過去と決別する儀式のようなものです 

今まで無意識に(潜在意識の中だけで)行われていたものを 意識的に行うのです
うやむやの中で自分も気づかないうちにやっていたことを 意識してやるのです
意識的に行うことで 過去を片付け 終わらせることができます

自分の内側を少しずつでも片付けて
心穏やかに新しい年を迎えたいものです



時間の感覚が希薄なのも ACの特徴でしょう

インナーチャイルドの成長が止まって あるいは大幅に遅れているのです
身体は時間と共に成長していくのに 心はあの頃のままです
このギャップに 多くのACは悩んでいるでしょう

そして自分の人生の時間 という感覚がないこと
あの頃は 親のことが気がかりで 心配でいっぱいだったのです
家族のメンバーの不安定 不全は 子の成長に大きな影を落とします
自分のことは後回しで 安心して時間を過ごすことができなかったのです

その上 親の支配とコントロールで「自分」という自我の感覚がありません
自分は親のもの という意識が強いのです
もちろん幼児期の子は 親の元で守られる必要があるのですが
親の所有物ではありません 親子であっても別の人格
でもこの区別ができていません 

インナーチャイルドがあの頃のままなのですから
親の側を離れられない 自立・自律できないのです
十分な愛をもらっていないから 不安と恐怖でいっぱいです
握りしめている親の手を 安心して離すことができないのです
まだ親といたい 自立うることへの恐怖と不安がなくなっていないのです

親は自分のものであり続けたいから それと引き換えに自分の時間を親に差し出す
こんな感覚なのかもしれません


自分の人生の時間 という感覚を取り戻すためには どうしたらいいのでしょうか
親に奪われた時間を取り戻すことはできません
これからの時間を自分のためだけに使うことを目指しましょう

1日は24時間 眠る時間を差し引いても 長いスパンで考えるとそんなに時間はありません
自分のやりたいことを どうしたら成し遂げられるのか
そのシミュレーションをすることも大切です
そのための道筋は一つではいけません いくつもいくつも想定します
あの手がダメならこの手で それでもダメなら違う方法で… という感じです

自分を諦めないことが大切です



多くのACが求めるのが「分かってほしい」でしょう
もちろん誰でもこの思いはあるのですが
普通の人とどう違うのか

ひとつは「分かって欲しい」という思いが過剰
もうひとつは 自分の「分かってほしい」思いを言語化するのが下手

自分のことを分かってもらえなかった悲しい幼児期がそうさせるのか
今の苦しみ悲しみ不全感を とにかく全部自分と同じように分かって欲しい
家族や親せきならばそれができるかもしれません それとて叶わないかもしれない
家族といえども別々の人間ですから

その強い「分かって欲しい」を他人にまで求める
そしてそれが叶わないと知ると 関係を遮断する 
分かってくれない悲しみは相手への恨み憎しみに転化され増幅される

分かって欲しい欲求が強いほど 分かってくれない恨みも強くなる 表裏一体
しかも何を分かって欲しいのかを言葉にできない
それなのに分かって欲しいと求める

どうすればいいでしょう
他者と理解をするためには 言葉を使うしかないことを理解しましょう
そしてそれを実践するのです
もちろん最初から上手くいく訳はありません 訓練あるのみ
拙い言葉でもいい 何度でも言い換える できるだけ思いをピンポイントで言葉にする
相手に届くように 言葉を選び発するのです 文字の方がよければ文字にして

ここでようやく「感情を言葉にする」ことの大切さ 難しさを実感するでしょう
家族や親戚などのメンバーと 他人は違うことの当たり前さに気づくでしょう
機能不全家族のメンバーの中では有効だった「非言語のメッセージ」は役に立ちません

もう一つ大切な観点があります
他者が分かってくれることが 自分の人生にとってそんなにも重要なことなのか
実はそれほど重要ではないのでは?
分かってもらうことは安心につながりますが それ以上でもそれ以下でもない
自分の側に「分かって欲しい」の奥に 別の欲求があることにも気づく必要があります
それは「構って欲しい」です
ACは分かってもらうだけでは満足できず 構ってもらいたいのです

これを終わらせる必要があります
他者に自分を分かってもらえたら嬉しいけど 分かってもらえなくてもいい
構ってもらえたら嬉しいけど そうしてもらわなくてもいい
自分が感じたもの感じたことが 自分にとっての真実であり
他者にそこまで介入してもらう必要ない という点です
自分の足で立っている実感です



赤ちゃんのように無防備なAC

ちょっとした悪口や中傷 他人からの悪口 陰口に
その場では何も言い返せず 反論も弁解もできずに黙ってしまう
そんな場面が今までに多々あったでしょう

外からの圧力や他者からの攻撃に対して
とっさの反撃ができない 思考停止してしまって対応ができない
そのために必要以上に傷ついてしまうのです
その結果 被害者意識が強くなる 被害妄想が現れるなど
どんどんマイナスになってしまう

そしてそんな自分に対して 当の自分自身までもが
自分を嫌悪し否定してしまうのです
自分を自分で守れない 自分で自分を傷つけてしまうのです

どうしてこんな対応をしてしまうのでしょうか
自分自身だけが頼り この意識が欠落しているのでしょうか
これも親からもらったもの 育ちがそうさせるのです
機能不全家族の悲しさ

子は親からの悪口雑言に 黙って耐えます 耐えるしか方法がないのです
ひとたび反抗しようものなら その何倍ものお返しが待っているのです
下手をしたらその日の食事がもらえないかもしれません
それは子の命を直接脅かすものです 黙って耐えるしかないのです

もう一つの側面が そんな親への愛着
こんな親でもに子はたった一人の親
子は親を愛しているし 自らも愛されたい
愛されたいのに親は愛してはくれない むしろ自分を拒否する
この葛藤 愛情欲求の不満です

成長し大人になってもこの「黙って耐える」癖は抜けません
相手が赤の他人なのに 無防備なままで接してしまう
相手には他意はないのに ちょっとした言葉に過剰反応してしまう
不本意ならその場で反論すればいいのですが その言葉を飲み込んでしまう


これをやめるために 感情をすべて言葉にする というトレーニングをしましょう
長い間閉じ込めてきた言葉を 自分の外に出しましょう
気をつけなければいけないのは 言葉を武器にしないこと
相手から攻撃された時の反撃のためにだけ使うことです
言葉は他者とのコミュニケーションのために使いましょう
自分を守るとは 相手も守ってあげること