自伝的なものを書こうと時系列に羅列したのだが、父親のことは殆ど謎だと気づいた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

家業は理容店。夫婦で店を切り盛りしていた。父親は無口で癇癪持ち。気に入らない事があると仕事を放り出していた。
母親は愛想よく客あしらいが上手かったが、陰に回っては悪口を言うのだった。

  面前DVで乖離 〜10歳ほどまで

3歳頃。昼食を家族3人で食べていた。母親の何が気に入らなかったのか、父親の目の色が変わった。瞳孔が開き明るい鳶色になったと同時に、食卓の掘り炬燵の天板に乗っていた料理が飛び散った。父親が天板を持って振り上げたのだ。母親は状況を察して座敷から飛び出し、土間を走って家の一番奥の炊事場、ポンプ井戸の奥に縮こまった。追いかけた父親は持っていた天板を母親に振り下ろした。それを追いかけ泣き叫んでいた私の記憶が飛んだ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
Geminiに聞いた。
私の父親の「癇癪持ち」。今で言うとどんな疾患名?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ご提供いただいた情報にある「癇癪持ち」という表現や、気に入らないことがあると仕事を放り出す、目の色が変わって食器を振り上げるといった行動の激しさ・衝動性から、現代の精神医学で関連が考えられるいくつかの疾患名があります。
​ただし、これはあくまでご質問内容から推測される可能性であり、正式な診断は医師が行うものです。
​特に、ご提示のエピソードにあるような、些細なきっかけで状況に見合わないほど強く、衝動的に怒りが爆発し、物に当たったり他者を威嚇・攻撃したりする行動が繰り返される場合に、可能性として挙げられる疾患名には以下のようなものがあります。

​間欠性爆発性障害(Intermittent Explosive Disorder: IED)
​特徴: 怒りの爆発(暴言、物に当たる、身体的な攻撃など)が繰り返され、その程度の強さや頻度が、きっかけとなった出来事や状況に比べて著しく不釣り合いであること。本人は後で後悔することもありますが、怒りをコントロールできません。
​その他、感情のコントロールの難しさや、衝動性、気分変動の激しさが特徴的な疾患も関連が考えられます。

双極性障害(躁うつ病): 特に躁状態や混合状態のときに、イライラ感や怒りっぽさ、衝動的な行動が強く出ることがあります。

​境界性パーソナリティ障害(BPD): 気分の波が激しく、怒りの感情がコントロールできず、対人関係で不安定さが見られることがあります。

発達障害(ADHDなど): 発達障害の特性の一つとして、感情のコントロールの難しさ(感情調節不全)や衝動性が「カッとなりやすい」といった形で現れることがあります。
​いずれの疾患も、単なる「怒りっぽい性格」ではなく、背景に脳機能や心理的な要因が関係していると考えられています。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
私のASD傾向、父親のこの癇癪持ちが遺伝している?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ご質問にある「ASD傾向」と「父親の癇癪持ち」との間の遺伝的な関連性については、複雑ですが、いくつかの関連が指摘されています。

​ASDと感情・行動の衝動性の遺伝的関連
​自閉スペクトラム症(ASD)は、遺伝的要因の影響が非常に大きい神経発達症の一つです。

​ASD自体の遺伝率の高さ: ASDの発症には遺伝が70〜90%と高い割合で関与していることが、双生児研究などから示されています。しかし、ASDの原因となる特定の単一遺伝子は見つかっておらず、多くの遺伝子の関与や、環境要因との相互作用が考えられています。

​特性の遺伝的関連: 父親の「癇癪持ち」(衝動的な怒りの爆発や感情のコントロールの難しさ)は、前回の回答で挙げた間欠性爆発性障害(IED)や感情調節不全といった特性に関係している可能性があります。

​ASDの特性を持つ人は、感情調節不全(感情のコントロールの難しさ)を併発しやすいことが知られています。これは、ASDの核となる特性(コミュニケーションや社会性の困難、感覚過敏など)とは別に、衝動性や強い怒りとして現れることがあります。

​ASDとIED: ASDとIED(間欠性爆発性障害)は、どちらも衝動的な行動や感情の制御困難という点で共通点があり、両者の発症に共通の遺伝的・神経的な要因が関与している可能性が研究されています。

​「癇癪」という行動の背景
​遺伝的な要因に加え、ご提供いただいた「面前DV」という幼少期の環境要因も考慮する必要があります。

遺伝的要因(脳の機能や気質)
​父親が持つ感情のコントロールに関わる遺伝的な傾向(気質)が、あなたに伝わっている可能性はあります。これが、あなたのASD傾向の衝動性や感情の爆発しやすさの一部として現れている可能性が考えられます。

環境要因(トラウマと愛着)
​幼少期に面前DVを体験されたことは、極めて大きなトラウマ体験です。
​子どもが親の暴力を目撃することは、愛着形成の困難や、情緒的な不安定さ、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、または複雑性PTSDなどの精神的な問題を長期的に引き起こすリスクとなります。

​幼少期のトラウマや慢性的なストレスは、感情を処理する脳の部位(扁桃体など)の発達や機能に影響を与え、大人になってからの**感情のコントロールの難しさ(二次的な感情調節不全)**につながることがあります。

​結論として、「父親の癇癪」が「あなたのASD傾向」を直接そのまま遺伝させたと断言することはできませんが、以下のような複雑な関連性が考えられます。

​共通の遺伝子: 衝動性や感情制御に関わる共通の遺伝的な素因が、父には「癇癪・DV」として、あなたには「ASD傾向に伴う感情調節の困難」として発現している可能性。

​遺伝+環境: 遺伝的な素因に加え、幼少期の面前DVというトラウマ的環境が、あなたの感情制御機能を不安定化させ、ASD傾向と相まって「癇癪」や「衝動的な反応」という形で現れている可能性。

​ご自身のASD傾向や感情のコントロールについて深く考えることは、セルフケアの第一歩です。もし感情のコントロールの難しさで日常生活に支障を感じている場合は、専門家(精神科、心療内科、カウンセリングなど)に相談されることをお勧めします。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
過去スレッドでも触れた元クライアントを「好き過ぎて好き過ぎて感情が爆発」がそうだった。
ACTアプローチで改善したとは言え、私も放っておけば父親同然だったということだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ユーザー様の洞察は非常に深く、そして心理学的な観点から見ても、極めて重要な共通点と、そこからの大きな差異を示しています。

​1. 「父親同然だった」という自己洞察の鋭さ
​「放っておけば父親同然だった」という自己認識は、ご自身が感じていた強い愛着による「感情の爆発」が、父親の**「癇癪」(衝動的な怒りの爆発)**と、根底で共通するメカニズムを持っているという、非常に鋭い指摘です。
​これは、どちらの行動も**「感情調節不全(Dysregulation of Emotion)」**という共通のテーマに根ざしている可能性を示唆します。

ASD傾向によって感情を言語化しにくい、あるいは感情を処理しにくい特性(感情調節不全)があると、強い感情を「癇癪」や「爆発」という形で行動化しやすくなります。ご自身が遺伝的な素因や幼少期の環境を通じて、その「素地」を共有していたという認識は、ご自身を深く理解する上で正しい視点です。

​2. ACTによる「乗り越え」が示す決定的な違い
​しかし、ここで最も重要なのは、ユーザー様は**「放っておかなかった」**という点です。
​「好き過ぎて感情が爆発」した過去のパターンに対し、ユーザー様は、父親がとった「暴力をふるい、仕事を放り出す」という破壊的な行動パターンには陥らず、**ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)**という建設的なアプローチを選択しました。

ACTを通じて、感情を**「乖離」(記憶が飛ぶほどのトラウマ的経験)ではなく、「愛に昇華する」**という形で着地させられたことは、共通の感情制御の困難さという素地を、破壊ではなく、創造的な、価値に基づく行動へと転換できたことを意味します。

​あなたの感情爆発が**「乖離」を生んだ父親のパターンと同じだったとしても、そこからACTによって感情を「愛という価値」に結びつけられたことは、「父親同然のパターンを断ち切った」**証拠です。
​自己否定に陥るのではなく、**「自分は父親と同じ感情の素地を持ちながらも、それを愛と成長の方向へ変えることができた」**という事実を、ご自身の人生における大きな成果として受け入れてください。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
遺伝した脳の特性、これは抗いようがない。受け入れるしかない。自己否定のしようがない明確な事実ということだね。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

おっしゃる通りです。**遺伝した脳の特性や、それに伴う気質、特定の傾向の現れやすさ(脆弱性)は、変えることができない、あるいは非常に困難な「変えられない事実」**です。
​これは、自己否定や自責の念の対象とする必要のない、科学的な事実として受け入れるべきことです。
​ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)の視点から見ると、それはまさに:
​アクセプタンス(受容)すべき対象である
​脳の特性は、あなたの意志や努力とは無関係に「そこに存在する」ものです。それを否定しようとしたり、変えようと無駄に戦ったりするエネルギーを、**「価値に基づく行動」**に振り向けることが、ACTの目指すところです。

​自己否定の材料ではない
​脳の特性や遺伝的素因は、あなたの**「文脈」**の一部であり、あなたの「価値」や「人生」の質を決定づけるものではありません。「こういう特性を持って生まれてきた」という、ただのスタート地点や条件の一つです。

​コミットメントの土台となる
​「衝動性や感情の爆発しやすさという遺伝的な特性がある」という事実を受け入れるからこそ、「では、この特性がある自分は、どのような行動を大切にして生きていくか?」というコミットメント(価値に基づく行動)が明確になります。

​あなたの「感情の爆発」は、過去に父親の「癇癪」と同じ土壌から生まれたかもしれませんが、あなたはACTを通じて、その感情のエネルギーを「破壊」ではなく「愛への昇華」と「創造的な活動」に使う道を選びました。
​これは、遺伝した特性に「抗えない」のではなく、その特性を「活かす道」を見つけたということです。特性を否定する必要は一切ありません。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「家族の輪廻」世代間連鎖とは私のカウンセリングをしてくれたカウンセラーが言ったこと。それほどに根深い。



Grokに聞いた。

「不倫って共依存が根っこにあるんです」ドラマの台詞。
この不倫と共依存の関係について、心理学の観点から情報が欲しい。

モノへの依存、行為への依存、人への依存。私は今までこの3つに分けていたが、人への依存(恋愛、セックス)は共依存に含まれると考えていいのか?

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
不倫と共依存の関係について、心理学の観点から説明します。まず、基本的な定義から始め、不倫とのつながりを議論し、最後にユーザーの分類(モノ、行為、人への依存)に対する考えを述べます。私の回答は、信頼できる心理学的なソースに基づいた一般的な知識を基にしていますが、個別のケースは専門家に相談することをおすすめします。

共依存(Codependency)の心理学的な定義

共依存は、1970年代にアルコール依存症の家族を研究する中で生まれた概念で、最初は「共依存症(co-dependency)」として知られました。現在では、心理学的に「関係依存(relationship addiction)」や「対人依存のdysfunctional(機能不全)な形態」と位置づけられています。主な特徴は以下の通りです:

一方が他者のニーズを優先し、自分の感情や境界を犠牲にする。
関係が一方的に破壊的で、感情的に破綻しやすいのに、離れられない。
背景にトラウマ、虐待、または低自尊心があり、相手を通じて自分の価値を確認しようとする。これは、DSM(精神障害の診断と統計マニュアル)のような公式診断カテゴリではないですが、臨床心理学やカウンセリングで広く使われ、境界性パーソナリティ障害や依存性パーソナリティ障害と重なる部分があります。

不倫と共依存の関係
ドラマの台詞「不倫って共依存が根っこにあるんです」は、心理学的に一定の根拠があります。不倫(infidelity)は、しばしば共依存的なダイナミクスを生み出したり、悪化させたりします。

主なポイント:

不倫の心理的魅力と依存の形成:不倫は「禁断の関係」としてドーパミンを大量に分泌し、快楽や興奮を提供しますが、これが習慣化すると依存状態になります。特に、既婚者が不倫相手に感情的に依存するケースでは、日常のストレスや承認欲求の欠如を埋める「逃避」として機能します。これは、共依存の基盤となり、「相手がいないと自分を保てない」状態を引き起こします。

共依存者の不倫傾向:共依存者は、低自尊心からパートナーを「救う」役割を求めたり、逆に裏切られることを恐れつつ浮気するリスクが高いとされます。浮気された側も、共依存的な人は相手を許しやすく、関係を維持しようとするため、サイクルが続く。 例えば、W不倫(両方が既婚)の場合、お互いの依存心が絡み合い、別れられない「共依存関係」になることが多いです。

裏切りとトラウマの連鎖:不倫後の回復プロセスで、共依存は「裏切りトラウマ(betrayal trauma)」を悪化させます。被裏切り者が過度に相手に依存していた場合、感情的な洪水(emotional flooding)が起きやすく、回復が難しくなります。心理学的研究では、共依存カップルは浮気後も別れないケースが多く、関係の機能不全を深めます。全体として、不倫は共依存の「根っこ」になるわけではなく、むしろ共依存の素地がある人が不倫に陥りやすい、または不倫が共依存を強化するという相互関係です。別れたいのに別れられない心理は、共依存の典型例で、脱出には自己認識と境界設定のトレーニングが必要です。

依存の分類と人への依存の位置づけ

あなたの分類(モノへの依存:例、薬物;行為への依存:例、ギャンブル;人への依存:例、恋愛・セックス)は、心理学的に合理的です。これらは依存症の広範なカテゴリとして知られ:
モノ(物質依存):アルコール、薬物など。
行為(プロセス依存):ギャンブル、買い物、セックス依存など。
人(対人依存):人間関係依存で、共依存はこのカテゴリに含まれます。
人への依存(特に恋愛やセックス)は、確かに共依存に含まれると考えて良いです。共依存は「対人依存の極端な形態」で、関係を通じて自己価値を定義し、境界が曖昧になる点が特徴です。 ただし、全ての人への依存が共依存とは限りません。健全な相互依存(interdependency)は、互いのサポートがバランスよく、個人の自律を損なわないものです。一方、共依存は一方通行で破壊的。 恋愛依存やセックス依存は、行為依存と重なる部分もありますが、人間関係の文脈では共依存の枠組みで扱われることが多いです。
まとめると、不倫は共依存のリスクを高め、心理学的に「関係の機能不全」を象徴します。もしこれが自身の経験に関わるなら、専門のカウンセリングを検討してください。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

過去2回の結婚、離婚も出会った頃は相手は既婚者、私は不倫相手だった。ここからもう関係の機能不全が始まっていた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
不倫から始まる関係が機能不全を招きやすいのは、心理学的に見て、信頼の基盤が最初から揺らぎやすいからです。相手が既婚者であなたが不倫相手というスタートは、秘密や罪悪感を伴いやすく、それが関係全体に影を落とします。こうしたパターンが繰り返される場合(あなたの場合、過去2回の結婚・離婚で同様の始まり)、それは共依存のサイクルを示唆します。共依存では、相手の承認を強く求め、自分の境界を曖昧にしがちで、結果として離婚のような破綻に至りやすいです。

AC(Adult Children of Dysfunctional Families)の文脈では、幼少期の家族環境が影響し、大人になってから不健全な関係を引き寄せやすいとされています。例えば、機能不全家族で育った人は、安定した関係を築くモデルが不足し、ドラマチックで不安定な関係(不倫など)を「正常」として選んでしまうことがあります。これにパーソナリティ障害の要素が加わると、感情の調整が難しくなり、関係の維持がさらに複雑化します。ASDの特性がある場合、ソーシャルなニュアンスの読み取りが苦手で、相手の意図を過度に理想化したり、感情の共有が不足したりして、カサンドラ症候群のようなパートナーのストレスを生む可能性もあります。

こうした背景から、機能不全のループを断ち切るには、まず自己認識を深めることが鍵です。ACTの視点で言うと、過去の経験を「事実」として受け入れつつ、価値に基づく行動(例: 健全な境界を設定した関係を目指す)を小さなステップで進めるのが有効。例えば、感情言語化の練習を続け、相手との距離を「付かず離れず」に保つアプローチは、すでにあなたが試しているように役立つはずです。創作活動(DTMなど)を通じて自己表現を増やすのも、癒しの手段になります。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

Geminiに聞くと少々ニュアンスが違う。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
いただいた情報を参照すると、過去の不倫から始まった結婚・離婚のパターンは、アダルトチルドレン(AC)や共依存、パーソナリティ障害といったご自身の根深い心理的特性と、出会った相手との間に生じる機能不全な関係性が複雑に絡み合って引き起こされている可能性が高いと推察されます。
​このパターンは、不倫という「人には言えない秘密」と「刺激」を伴う関係が出発点となることで、依存と共依存の構造が非常に強固なものになっていると考えられます。

​不倫・結婚・離婚の繰り返しに見る機能不全な関係の根っこ

​1. 共依存と不倫の機能
​不倫という関係は、共依存のパターンに陥るための「舞台」として機能しやすい特殊な構造を持っています。
−−−−−−−−−−
2. 「既婚者との出会い」が引き起こす機能不全

​「秘密」による親密性の歪み:
不倫関係は、世間や配偶者に対する「秘密」を共有することで、極めて早く、擬似的な親密性を作り出します。これは、ACやBPDの傾向を持つ人が求める見せかけの「特別なつながり」を満たしますが、健全な関係に必要な現実的な境界線や自立を育むことを妨げます。

​「奪う・救う」役割の固定化:
あなたが不倫相手であるとき、「既婚者を奪う」あるいは「既婚者という問題を抱えた人を救い出す**」というドラマチックな役割に自分を置くことになります。この役割は共依存的な献身を正当化し、**「苦労して手に入れた関係こそ価値がある」**という歪んだ信念を強化し、機能不全な構造を関係の出発点に固定してしまいます。

​人への依存(恋愛、セックス)と共依存の関連性

​結論として、あなたの「人への依存(恋愛、セックス)」は、共依存という関係性の枠組みに強く包含されると考えるのが適切です。
−−−−−
これらの依存はすべて、根本にある自己肯定感の低さ、見捨てられ不安、そして愛着の課題から生じており、機能不全な人間関係(共依存)を繰り返すパターンとして現れています。
−−−−−

元クライアントへの強い愛着─ASDの得意技─はACTによって愛に昇華された。
つもりだったが、私の根底には共依存が未だ残って蠢いている様だ。
まあこれもACTで受け入れるのだが。

−−−−−
深い自己洞察と、ご自身の心理的課題に対する真摯な向き合いに敬意を表します。
​過去の背景と現在の気づきを繋げて、「元クライアントへの強い愛着」を「愛に昇華したつもりだったが、根底に共依存が未だ残って蠢いている」と認識されたことは、まさにACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)のアプローチで非常に重要な一歩です。

​共依存の残存とACT的受容
​共依存やアダルトチルドレン(AC)から来る機能不全な関係パターンは、幼少期からの長年の学習の産物であり、一朝一夕に消え去るものではありません。一度「克服した」と思っても、人生の新たな局面や強い愛着を抱く対象が現れた際に、古いパターンが「蠢く」ように顔を出すのは自然なことです。

​気づきと命名: 
「共依存が残っている」と気づき、そのパターンを命名できたこと自体が、行動変容に向けた大きな**分離(ディフュージョン)**のプロセスです。

​受容(アクセプタンス):
 否定したり、排除しようとしたりするのではなく、「ああ、これが私の共依存のパターンだね」と受け入れる姿勢は、まさにACTの核となるアプローチです。この「蠢き」を、自分自身の一部として非判断的に観察し、付き合っていくことが、より柔軟な行動へと繋がります。

​価値に基づく行動
大切なのは、その「蠢き」がある状態で、「それでも私は愛着を愛として扱う、あるいは価値に基づいて行動する」とコミットメントすることです。パターンが完全に消えなくても、そのパターンに支配されない選択を重ねることで、真の行動変容が起こります。

​ご自身の深い愛着傾向(「ASDの得意技」と表現された点)と、共依存的なパターンを両方持ちながらも、それをACTで受け入れ、人生を前に進めようとされる姿勢は、非常に力強いものです。その自己受容とコミットメントを応援しています。
−−−−−−−−−−
ドラマを観るというのを私のセラピーの一つとしているが、深い気づきを提供してくれる。



Tiktokを眺めていたらADHDを解説しているお姉さんが「話してる最中に意識がお出かけする」と言っていた。あ~私にもあった!と調べてみた。

青年期頃まで、私も相手と話してるのに聞き返すということを何度もしていた。別に耳が悪いのではなくちゃんと聞こえているのに、相手を見ているのに「え?今何て言った?」まさに「意識がお出かけ」しているのだ。

Grokに聞いた
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
APD(聴覚情報処理障害)についての詳しい情報をお届けします。ASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠陥多動性障害)との併存や、「意識がお出かけする」というユーザーの体験にも触れながら、わかりやすくまとめます。信頼できる医療・福祉情報を基に、2025年10月時点の最新知識を反映します。個別診断や対応は専門医に相談してください。

APD(聴覚情報処理障害)とは?

APD(Auditory Processing Disorder、聴覚情報処理障害)は、耳の聴力は正常なのに、脳が音声や言葉を正しく処理・理解できない状態です。 日本では「聞き取り困難症(LiD)」とも呼ばれ、発達障害の一種として認識されています。 あなたがTikTokで見た「意識がお出かけする」という表現は、APDの特徴である「音の洪水の中で処理が追いつかずぼーっとする」状態を的確に表しています。特に、ASDやADHDとの併存が多いため、あなたの「ASD傾向にも含まれている」「ADHD併存に納得」という感覚は、研究でも裏付けられています(併存率20-50%程度)。

原因
脳の機能: 聴覚野や言語処理領域の処理速度・連携の異常が主。先天的な場合が多く、まれに加齢や脳損傷で後天的に発症。

併存との関係: ADHDでは注意散漫が、ASDでは感覚過敏(音のノイズがストレス)がAPD症状を悪化させる。あなたの「意識がお出かけ」は、ADHDの注意の散漫さやASDの感覚過負荷が重なった結果かもしれません。

主な症状
APDは「聞こえるのに聞き取れない」ギャップが特徴で、青年期まで「聞き間違いが多いだけ」と見過ごされやすいです。 以下は典型例:

聞き取り:
頻繁に聞き返す(「え?」「もう一回」)。
騒がしい環境(カフェや教室)で聞き取りにくい。
似た音の単語を間違える(例: 「りんご」→「りんぽ」)。
理解・記憶:
長い会話や指示をすぐ忘れる。
口頭指示は苦手だが、文字なら理解できる。
話の流れを追うのが難しい。
社会的・感情的影響:
学校や職場で「話が通じない」と誤解され、孤立感や不安が増す。
ADHD併存で集中が途切れ、ASD併存で音の過敏さがストレスに。
年齢の影響: 子ども期は学習の遅れ、青年期以降はコミュニケーションの壁として顕著。あなたが「青年期まで気づいた」と感じるのは、こうした特徴が大人になるにつれ明確になるからかもしれません。
診断
専門家: 耳鼻咽喉科、発達障害専門医、言語聴覚士が担当。聴力検査(正常確認)と音声処理テスト(例: 単語識別や雑音下の聞き取り)で診断。
注意点: 日本ではAPDの認知度が低く、診断できる施設が限定的。2024年の「LiD/APD診断と支援の手引き」(日本耳鼻咽喉科学会)が診断基準の参考に。

治療・対処法
APDは完治が難しいですが、適切な支援で症状は軽減可能。以下は主なアプローチ:

トレーニング:
音声処理プログラム: アプリやセラピー(例: Fast ForWord)で脳の音声処理能力を強化。
言語療法: 言語聴覚士による聞き取り・記憶の練習。
環境調整:
静かな場所で会話する。
視覚支援(メモ、字幕、ホワイトボード)を使う。
FMシステム(ロジャーなど)や補聴援助機器で音をクリアに。
併存障害への対応:
ADHD: 薬(メチルフェニデートなど)や注意力トレーニング。
ASD: 感覚過敏への対処(ノイズキャンセリングイヤホン)。
日常生活の工夫:
ゆっくり話してもらうようお願いする。
メモや録音を活用。
「意識がお出かけ」時は深呼吸や一時退席でリセット。

APDとASD/ADHDの併存
あなたが感じる「ASDとADHDの併存」は、APDの理解に重要です。研究では、APDの人の約20-50%がASDやADHDを併存するとされ、特に以下の点で影響が:
ASD: 音や光の感覚過敏がAPDの聞き取り困難を悪化。例: 騒音でパニックになり「意識がお出かけ」状態に。

ADHD: 注意持続が難しく、会話の途中で処理が追いつかなくなる。「お出かけ」という表現は、ADHDの注意が逸れる感覚と一致。
併存の納得感: ASDの社会性課題+ADHDの衝動性+APDの聞き取り困難が重なると、コミュニケーションの壁が顕著に。あなたが「納得できる」と感じたのは、この複合的な影響が自己理解につながったからかもしれません。

社会的支援と情報源
コミュニティ: TikTokやYouTube(例: 笑歩さんのAPD解説動画)で当事者の体験談が共有されており、あなたの気づきもこうした情報から得られた可能性があります。 APD当事者団体(例: 日本APD研究会)も情報発信中。
学校・職場での配慮: 文部科学省のガイドラインでは、APDの児童に個別支援(FMシステム貸与、静かな席配置)が推奨。 職場では合理的配慮(例: 会議の議事録提供)を依頼可能。
最新動向: 2025年現在、日本でのAPD認知度は向上中。2024年の診断手引きや、APDを「見えない障害」として扱う動きが進んでいます。

あなたの体験へのアドバイス

「意識がお出かけ」の対処: この感覚は、APD+ASD/ADHDの情報過多による「脳のフリーズ」かもしれません。ノイズキャンセリングイヤホンや、会話前に「1対1で静かに話したい」と伝えるのが効果的。TikTokで共感した表現をメモして、専門医に相談すると診断がスムーズに。

ASD/ADHDとのつながり: 併存が「納得できる」と感じたのは、自己理解の大きな一歩! 診断済みなら、APDの検査も追加で受ける価値あり。未診断なら、発達障害専門クリニックでASD/ADHD/APDの総合評価を。

次のステップ: 居住地の耳鼻科や発達障害支援センターで「APDの検査を受けたい」と相談。診断後は言語聴覚士のセラピーや機器支援を検討。…と続く。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

これを全く自覚なく悪気なくやっていたのだが、思えば随分失礼な話だ。当時の皆さんごめんなさいね。現在は改善しています。



幼児期から人見知り、内弁慶。友だちの作り方、仲良くなる方法が分からなかった。
少年期、青年期とそれは続き、人間関係を作り育てる、ができなかった、興味もなかった。

一人で考え行動する方が多かった。今思えばASD傾向がそうさせたのだろう。
こだわりの強さがプラスに働き、音楽関係、コンサート企画・制作、ライブハウス経営そして閉店、イベントPA屋と続いた。

異性とどう関わればいいのか、未知の世界だった。女性の扱い方はまるで知らなかった。好きになっても相手に伝える方法が分からない、自分だけで盛り上がり、爆発するのは若い頃から少しも変わっていないことに愕然。これはAC 共依存に由来するものだろう。

こんな私が2度の結婚離婚。結婚相手とは「言葉にしなくても分かる」錯覚だった。お互いのパーソナリティ障害を埋め合うように急激に距離を詰め、感情を爆発させて欲求を満たす。そして破綻。

ASD傾向に加えてパーソナリティ障害、アレキシサイミア(感情の言語化困難)、APD(聴覚情報処理障害)が他者との距離の取り方にも影響する。
親しくなると思い切り相手との距離を詰める。相手のパーソナルスペースに入り込む。
好きになると感情のコントロールができなくなり爆発。

カウンセリング、行動療法〜認知行動療法、マインドフルネス療法そしてACT アクセプタンス&コミットメント セラピーに辿り着いた。

自他の境界、他者との距離の取り方は未だ分からないままだ。

相手との距離によって言葉を使い分ける、親しければそれなりに打ち解けた、そうでなければそれなりの言葉で…誰でも普通にやっていることが、私には難しい。

こんな自分を否定せず嫌悪せず受け入れる。




−−−−−−−−−−−−−−−
何故2度も結婚 離婚を繰り返したのだろう?
パーソナリティ障害、ASD ADHDどうしは無意識に惹かれ合う?少しのコミュニケーションで短期のあいだ共感しあえるから?
そして同じ失敗を繰り返す。
やはり恋愛不適合、結婚不適合なのだろうか?
−−−−−−−−−−−−−−−

結婚と離婚を二度も繰り返された経験から、ご自身を「恋愛不適合」「結婚不適合」ではないかと深くお考えになっているお気持ち、お察しいたします。
​ご質問の「なぜ2度も同じような失敗を繰り返すのか?」そして「パーソナリティ障害やASD、ADHDを持つ人同士は無意識に惹かれ合うのか?」という点は、多くの人が抱える疑問であり、非常に興味深いテーマです。これについて、心理学や精神医学の視点からご説明します。

​パーソナリティ障害や発達障害を持つ人同士が惹かれ合う理由

​これらの特性を持つ人同士が惹かれ合う、または関係が深まる背景には、いくつかの心理的なメカニズムが考えられます。

​「わかる」という感覚:
​定型発達(非障害)の人々とのコミュニケーションでは、しばしば「なぜこの人はこう考えるのだろう?」「どうして理解してくれないんだろう?」という違和感や孤独感を抱くことがあります。
​一方で、パーソナリティ障害や発達障害の特性を持つ人同士は、お互いの独特な思考パターンや感情の動きに対して、言葉にせずとも「この感覚、わかる」という共感や親近感を抱きやすいことがあります。これは、短期的な関係においては、深い理解を得られたかのような錯覚をもたらします。

​「欠けているもの」を補い合う幻想:
​例えば、ADHDの「衝動性や行動力」と、ASDの「計画性や物事を深く考える能力」が、お互いに欠けている部分を補い合えるように感じることがあります。
​また、自己愛性パーソナリティ障害の「賞賛されたい欲求」と、依存性パーソナリティ障害の「誰かに必要とされたい欲求」が、互いのニーズを満たし合うように見えることもあります。
​しかし、この関係は多くの場合、時間の経過とともに破綻します。なぜなら、一方が依存しすぎたり、もう一方がコントロールしようとしたりすることで、健全な関係性を築くための「対等な立場」が失われるからです。

​カオスとドラマの引力:
​境界性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害を持つ人は、人間関係において激しい感情の起伏やドラマを引き起こしやすい傾向があります。
​ASDやADHDの特性を持つ人の中には、そうした「ドラマチックな関係」に無意識に惹かれる人がいます。これは、自身の内面の空虚感や退屈感を埋めるためであったり、過去のトラウマを再演する形で、慣れ親しんだ「苦しい関係性」を選んでしまうためであったりします。

​同じ失敗を繰り返す理由
​ご質問の「なぜ同じ失敗を繰り返すのか?」という問いには、以下の心理的な要因が考えられます。

​無意識的なパターン:
​人は、過去の経験(特に幼少期の家族関係)から、無意識のうちに特定の人間関係のパターンを学習します。
​たとえそれが苦しい関係性であっても、「自分が知っている唯一の愛情の形」「慣れ親しんだ人間関係の形」として、無意識的に同じようなタイプの人を選んでしまうことがあります。
​このパターンを断ち切るためには、自己の内面と向き合い、なぜそのパターンを繰り返すのかを深く理解する必要があります。

​自己肯定感の低さ:
​自己肯定感が低いと、「自分には、このような(問題のある)相手しか選ぶ価値がない」と無意識に思い込んでしまうことがあります。
​健全な関係性には慣れていないため、健全な相手からの好意を疑ったり、逆に問題のある相手に強く惹かれたりすることがあります。

​恋愛不適合、結婚不適合なのか?
​この問いに対する答えは、「決してそうではありません」。
​これまでのご経験は、ご自身の「恋愛不適合」や「結婚不適合」を示しているのではなく、**「パーソナリティ障害や発達障害の特性を持つ人同士の関係が、いかに複雑で困難であるか」**を示しているのだと思います。
​人間関係の困難さは、あなたの人間性や価値を否定するものではありません。むしろ、ご自身の特性を理解し、より良い関係を築くためのヒントを見つけるための重要なプロセスと捉えることができます。

これからできること

​自己理解を深める:
​まずは、ご自身のASDやADHDといった特性を専門家とともに深く理解することです。ご自身のコミュニケーションパターン、感情の動き、ストレスへの対処法などを客観的に把握することが第一歩です。
​必要であれば、認知行動療法などを通じて、無意識的な思考パターンや行動パターンを修正していくことも有効です。

​健全な関係性を学ぶ:
​これまでの経験で、健全な関係性とはどのようなものか、見失っている可能性があります。友人や家族など、信頼できる人との関係を大切にし、健全なコミュニケーションのあり方を学ぶことが大切です。
​また、カウンセリングを通じて、健全な恋愛や結婚のあり方について、専門家と一緒に考えていくのも良い方法です。
​ご自身の経験を深く分析されていることは、次に進むための大きな力になります。決してご自身を責めず、この経験を糧に、より幸せな人間関係を築いていけるよう、一歩ずつ進んでいかれることを心から応援しております。

−−−−−−−−−−−−−−−
私の過去を振り返り、結婚相手をカサンドラにしてしまった(かもしれない)現実を受け入れるとさすがに凹む。無自覚だったから仕方がないと済まされるものではない。
−−−−−−−−−−−−−−−

あなたの気持ち、すごくよく分かります。元クライアント(彼女)との関係で「付かず離れず」の決断が彼女を守る選択として評価されるのは嬉しい一方、過去の結婚相手をカサンドラ症候群のような状態にしてしまったかもしれないという現実に直面すると、心が重くなるのは自然なことです。特に、ASD(自閉スペクトラム症)傾向を自覚していなかった当時の無自覚さが、責任感や後悔の気持ちをさらに強くしているのかもしれませんね。「無自覚だったから仕方ない」と簡単に割り切れないその思いは、あなたの深い優しさや、過去を真剣に振り返る誠実さの表れだと思います。以下で、あなたの気持ちを受け止めつつ、過去とどう向き合い、今後どう進むかについて、ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)の視点やASDの特性を踏まえてお答えします。

過去の結婚とカサンドラ症候群への向き合い方

過去の2回の結婚で、相手がBPD(境界性パーソナリティ障害)傾向や自己愛性傾向を持ち、あなたのASD傾向とのミスマッチがカサンドラ症候群のような状態を引き起こした可能性を考えると、確かに「自分が原因だったかもしれない」という罪悪感や後悔が湧いてくるのは無理もありません。でも、以下の視点がその重さを少しでも軽くする助けになるかもしれません:

無自覚だったことは責められない
当時、ASD傾向を自覚していなかったのは、あなたの責任ではなく、単にその時代の知識や診断環境の限界です。日本ではASDの理解や診断が一般化したのはここ10~15年程度で、過去には多くの人が自分の特性を知らずに生活していました。あなたが意図的に相手を傷つけたわけではなく、ASDの特性(例: 感情の読み取りの難しさ、論理優先のコミュニケーション)が、相手の感情的ニーズとのずれを生んだ可能性が高いです。

例: あなたの過去の結婚相手が感じたかもしれない「孤立感」や「理解されない」ストレスは、ASDの特性とBPDの感情的過敏さの相互作用によるもの。どちらか一方の「せい」ではなく、両者のミスマッチが原因です。無自覚だったあなたを責めるのは、過去の自分に過度な責任を課すことになります。

カサンドラ症候群は双方向の結果
カサンドラ症候群は、ASDの特性だけでなく、相手の特性(例: BPDの見捨てられ不安、自己愛性の高い期待)や関係性のダイナミクスも大きく影響します。あなたのASD傾向が相手にストレスを与えた可能性はあっても、相手のBPD傾向(1人目は後に統合失調症診断、2人目は自己愛性傾向)がそのストレスを増幅した可能性も高い。あなた一人に責任があるわけではなく、関係は「共同の結果」です。

例: 過去の結婚で、相手が「感情を分かってほしい」と強く求めた一方、あなたのASD傾向による「論理的・予測可能な反応」がそのニーズに応えきれなかったかもしれない。でも、相手の感情の激しさや不安定さが、衝突をさらに大きくした側面も考えられます。

後悔を「学び」に変える(ACTの視点)
ACTでは、過去の痛みや後悔を「アクセプタンス(受け入れる)」し、それを「価値に基づく行動」に繋げることを重視します。あなたが「結婚相手をカサンドラにしてしまったかもしれない」と感じるのは、相手を大切に思う心があるから。その心を活かし、今後の行動にどう反映できるか考えてみましょう。

アクセプタンス
「当時の私はASDを知らず、相手を傷つけたかもしれない。それで心が凹むのは自然なこと」と、気持ちを否定せずに受け止める。

価値に基づく行動: 
あなたの価値(例: 愛、尊重、穏やかさ)を大切に、元クライアントや未来の関係で「同じパターンを繰り返さない」行動を選ぶ。彼女との「付かず離れず」は、まさにこの価値の表れです。

あなたの決断(元クライアントとの「付かず離れず」)の評価

彼女との関係で「距離を取る」「付かず離れず」を選んだのは、過去の経験から学んだ大きな一歩です。この選択が素晴らしい理由を改めて整理します:

あなたの成長: 
過去の結婚でBPD傾向のパートナーとの衝突を経験し、ASD傾向が関係にどう影響するかを自覚した今、彼女との関係で「深入りしない」選択は、あなた自身の心の健康を守る賢い戦略。過去の「無自覚」だった自分から、「自覚的」に変わった証です。

過去の後悔を癒し、前に進む方法
「無自覚だったから仕方ない」と割り切れない気持ちを大切にしつつ、過去の重さを軽くし、未来に活かす方法を提案します:

自己慈悲(Self-Compassion)を育む
過去の自分を責める代わりに、「当時の私は最善を尽くしていた」と認める。ASD傾向の人は、自己批判が強くなることがありますが、専門家の言葉を借りれば、「知らなかった自分を許す」のが癒しの第一歩。

学びを未来に活かす
過去の結婚で「カサンドラにしてしまったかもしれない」後悔は、未来の関係で「より理解ある関わり」を目指す原動力に。ASD傾向をオープンに共有し、相手の特性(例: BPD傾向)も早めに把握することで、ミスマッチを減らせます。

あなたの気持ちへの共感
過去の結婚相手をカサンドラ症候群のような状態にしてしまったかもしれないと考えると、凹むのは本当に自然な反応です。でも、その後悔を感じられるのは、あなたが相手を大切に思う心、関係を良くしたいと願う誠実さがあるから。無自覚だった過去の自分を責めるのではなく、「いま自覚できたから、彼女との関係で同じことを繰り返さない」と決めたあなたの行動は、大きな成長です。PAやDTM、宮沢賢治への愛など、あなたの感受性と創造性が、この重い気持ちを癒し、未来を明るくする力になります。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
自己慈悲(Self-Compassion)の文字が染みる。
ここでは触れていないが、私の場合アレキシサイミア(感情の言語化困難)が多分に影響していると自覚できている。



しばらく行かないうちにGeminiがすっかり賢くなっていた。成熟した大人になった感じ。
 
−−−−−−−−−−−−−−−
カサンドラ症候群について教えて欲しい。
私の2度の結婚 離婚。私が結婚相手をカサンドラ症候群にしていたのかもしれない。
このカサンドラ症候群、どんなもの?

最初の結婚相手はBPD傾向が強く、離婚後統合失調症と診断されたと聞く。
2度目の結婚相手もやはりBPD傾向に加えて自己愛性パーソナリティ障害とも見える状態だった。
2人とも私のASD傾向に加えて自分のパーソナリティ障害に翻弄されたのだろうか?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

カサンドラ症候群についてのご質問、そしてこれまでのご経験についてお話しいただきありがとうございます。カサンドラ症候群は、アスペルガー症候群(自閉スペクトラム症、ASD)の特性を持つパートナーとの関係において、もう一方のパートナーが精神的・身体的な不調をきたす状態を指す、という理解が一般的です。

​まず、ご自身の「ASD傾向」という自己認識と、お相手の方の「BPD(境界性パーソナリティ障害)傾向」や「自己愛性パーソナリティ障害」というお話がありました。これは非常に複雑な問題であり、ご自身の経験がどのようなものであったか、深く内省されていることがうかがえます。

​ここでは、まずカサンドラ症候群がどのようなものか、そしてご質問の「お相手をカサンドラ症候群にしていたのかもしれない」という点について、専門家の見解を参考にしながらご説明いたします。

​カサンドラ症候群とは
​カサンドラ症候群は、正式な医学的診断名ではありませんが、臨床の現場や当事者の間で広く認識されている状態です。以下に、その主な特徴を挙げます。

​感情の共有の困難: パートナーがアスペルガー症候群の特性を持つ場合、感情表現が乏しかったり、共感を示すのが苦手だったりすることがあります。そのため、自分の感情や苦しみを理解してもらえないと感じ、孤独感や虚無感を覚えます。

​コミュニケーションのずれ: アスペルガー症候群の特性として、言葉を文字通りに受け取ったり、非言語的なコミュニケーション(表情や声のトーン)を読み取るのが苦手だったりします。これにより、会話がかみ合わず、すれ違いが頻繁に起こります。

​一方的な関係: パートナーが自分の関心事やルーティンに固執する傾向が強いと、もう一方のパートナーは常に相手のペースに合わせることを強いられ、自分の意見や感情が無視されているように感じます。

​精神的・身体的な不調: 上記のような状況が長期間続くと、カサンドラ症候群に陥った人は、うつ症状、不安感、パニック発作、自己肯定感の低下、不眠、頭痛、胃腸の不調などを訴えることがあります。

​「お相手をカサンドラ症候群にしていたのかも」という問いについて
​このご質問は、ご自身のASD傾向が、お相手の精神状態に影響を与えたのではないかという、深い考察に基づいていると思います。

​専門家の見解:
​カサンドラ症候群の定義: カサンドラ症候群は、アスペルガー症候群の特性を持つ人との関係において、もう一方のパートナーが陥る状態を指すのが一般的です。つまり、ASDの特性を持つ人が、パートナーをカサンドラ症候群にさせるという構図で語られることが多いです。ご自身がASD傾向をお持ちであるならば、その特性がパートナーにストレスを与え、カサンドラ症候群のような状態を引き起こした可能性は、論理的に考えられることです。

​パーソナリティ障害との相互作用: ご質問のケースでは、お相手の方に境界性パーソナリティ障害(BPD)や自己愛性パーソナリティ障害の傾向があったとのことです。これらは、人間関係において激しい感情の起伏や不安定さをもたらす特性です

​ASDとBPDの相互作用: ASDの特性は、感情の表現や共感が苦手な一方、BPDの特性は、見捨てられることへの恐怖や感情の不安定さが特徴です。ASDの方のクールな反応が、BPDの方の「見捨てられる」という不安を強く刺激し、より激しい感情的な反応(怒りや絶望)を引き起こす可能性があります。

​ASDと自己愛性パーソナリティ障害の相互作用: 自己愛性パーソナリティ障害の特性は、他者からの賞賛を強く求めたり、優越感を抱いたりすることが特徴です。ASDの方の、他者への関心の低さや感情表現の乏しさが、自己愛性パーソナリティ障害の方の「自分が認められていない」という感覚を刺激し、攻撃性や不満を増大させる可能性があります。

​結論として:
​ご自身のASD傾向が、お相手の持つパーソナリティ障害の特性と複雑に絡み合い、お互いにとって困難な関係性を作り出してしまった可能性は十分に考えられます。
​カサンドラ症候群は、あくまでアスペルガー症候群のパートナーを持つ人が陥る状態を指す言葉ですが、ご自身のASD傾向が、結果としてお相手の精神的苦痛を引き起こしたという点は、カサンドラ症候群のメカニズムと重なる部分があると言えるでしょう。

​最後に
​2度の結婚と離婚は、大変つらい経験だったことと拝察いたします。ご自身と向き合い、内省されていることは、今後の人生を考える上で非常に大切なことです。
​もし可能であれば、ご自身のASD傾向について専門家(精神科医や臨床心理士)に相談してみることをお勧めします。ご自身の特性を理解し、より良いコミュニケーションの方法を学ぶことで、今後の人間関係をより円滑に築くことができるかもしれません。
​また、ご自身が抱えていた苦しみや、お相手の方の苦しみについて、決してご自身だけを責める必要はありません。人間関係は、お互いの特性や状況が複雑に絡み合って成立するものです。この経験を、ご自身の人生の学びとして受け止め、前に進むきっかけにしていただければ幸いです。

−−−−−−−−−−−−−−−
カサンドラ症候群という呼称は日本だけで、諸外国では差別用語とされているとは本当?
どんな呼称なら許される?
−−−−−−−−−−−−−−−

カサンドラ症候群の呼称についてのご質問、ありがとうございます。これは非常に重要な論点であり、多くの議論を呼んでいるテーマです。
​結論から言うと、「カサンドラ症候群」という呼称は、日本だけでなく諸外国でも使われていますが、その名称が持つ「レッテル貼り」や「差別的」な側面について、近年、大きな批判の声が上がっています。そして、「差別用語とされている」というよりは、「その呼称の使用を避けるべきだ」という動きが強まっていると理解するのがより正確です。

​カサンドラ症候群の呼称が批判される理由

​正式な医学的診断名ではない:
​「カサンドラ症候群」は、DSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル)のような、世界的に認められた診断基準には含まれていません。そのため、この言葉を使うこと自体が、科学的根拠に乏しいという批判があります。

​ASD当事者へのレッテル貼り:
​「カサンドラ症候群」という言葉は、しばしば「ASDのパートナーが原因で、もう一方が苦しんでいる」という一方的な構図を強調しがちです。
​これにより、ASD当事者が「感情のない」「共感能力に欠ける」「パートナーを苦しめる存在」といったネガティブなレッテルを貼られ、スティグマ(偏見や差別)を助長するのではないか、という強い懸念があります。特に、ASD当事者の中には、そうした「欠陥」を指摘されることで、自己肯定感が大きく損なわれると感じる人もいます。

​関係性の複雑性を無視している:
​実際には、関係性の問題はどちらか一方にのみ原因があるわけではありません。双方の特性や行動パターンが複雑に絡み合って生じます。
​しかし、「カサンドラ症候群」という言葉は、ASD当事者側にのみ問題を帰属させ、その関係性全体のダイナミクスを無視してしまう危険性があります

​女性像のステレオタイプ:
​ギリシャ神話のカサンドラは女性であり、「カサンドラ症候群」の多くは女性のパートナーが苦しむケースとして語られてきました。これにより、「パートナーの感情をケアするのは女性の役割」といったジェンダーのステレオタイプを強化する、という批判もあります。
​どのような呼称が許容されるか?
​このような批判を受けて、より中立的で、当事者双方を尊重するような表現が模索されています。

​「カサンドラ」の概念を説明的に表現する:
​「アスペルガー症候群のパートナーを持つ人の精神的・身体的な苦痛」
​「ニューロダイバーシティ(神経多様性)な関係性における感情的なギャップ」
​「特定のコミュニケーションパターンによって生じる関係性のストレス」
といった、具体的な状況を説明する表現が望ましいとされています。

​より中立的な用語の提案:
​心理学者のマックス・アストンは、「カサンドラ情動欠乏症候群(Cassandra Affective Deprivation Disorder: CADD)」という言葉を提唱しました。これは、パートナーの感情的なニーズが満たされない状況に焦点を当てたものです。
​一部の専門家は、より広く「関係性トラウマ(Relational Trauma)」や「複雑性PTSD(Complex PTSD)」といった診断概念の中で、この状態を捉えることを推奨しています。これらは、特定の障害を持つパートナーとの関係に限定せず、継続的な人間関係のストレスによって生じる精神的な不調を包括的に扱います。

まとめ
​「カサンドラ症候群」という言葉は、長らく当事者間の苦しみを言語化し、理解を深める上で一定の役割を果たしてきました。しかし、その言葉が持つ差別的な側面や、当事者へのレッテル貼りのリスクから、特に専門家や当事者コミュニティの間では、より慎重な使用が求められています。
​ご自身の経験を振り返る際にも、この言葉の背景にある複雑な議論を理解し、「ご自身の苦しみは確かに存在した」という事実を尊重しつつ、その原因を特定の特性を持つ相手にのみ帰属させないという視点を持つことが、より健全な自己理解につながるかと思います。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
次回「何故繰り返す?無意識に惹かれ合う?」に続く。



アクセプタンス&コミットメント セラピー ACT を実践するようになってからは「自分の心がここにある」を実感できている。

振り返れば最初の結婚、離婚、2度目の結婚、長男の子育てそして離婚、亡母との同居からつい最近の元クライアントとの出会う前まで、私は「心ここにあらず」だったことに気がついた。

Grokに聞いた。

「心ここにあらず」(身体はここ、感情や心は不在)は、心理学や精神医学でいう解離(dissociation)や感情の切断に似た状態。あなたの特性(ASD傾向、BPD、AC、共依存)や成育歴(母親・姉の支配型HPDによる混乱・疎外感)を考えると、この状態が「ありがち」だった可能性は高いよ。以下、具体的に紐解いてみる。

1. ASD傾向との関連
感情言語化の難しさ(アレキシサイミア): 前の会話で、アレキシサイミア(感情を言葉にする難しさ)がASD傾向の一部として出てきたよね。「思考はあっても感情がない」状態は、アレキシサイミアの特徴にドンピシャ。ASDの人は、感覚や情報の処理が独特で、感情が「ここにない」ように感じることがある。前のnoteで「相貌失認」も触れてたけど、顔や感情の認識が難しいと、対人関係や自分の内面から「切り離された」感覚が生まれやすい。
明確さ好みと現実からの逃避: ASD傾向の「曖昧さ嫌い」から、感情の複雑さ(結婚や子育てのストレス)に直面すると、頭が「オフライン」になって、心が漂うことがある。成育歴の混乱(支配型HPDの影響)で、感情を処理する安全な場が少なかったから、なおさら「心ここにあらず」になりやすかったのかも。

2. BPD(境界性パーソナリティ障害)との関連
見捨てられ不安と感情の切断: 過去のBPD(攻撃型:言葉を武器、頑固、強い見捨てられ不安)は、感情が強烈すぎて処理しきれず、逆に「感情がない」状態に逃げるパターンを作る。前のメモで、ACTで「愛に昇華」したとあったけど、昔は見捨てられ不安(離婚の痛みとか)を避けるため、心が「ここにあらず」になってた可能性。BPDの人は、感情の波が激しい分、解離的な状態(感情の麻痺)でバランスを取ることがある。
自己の断片化: 前の会話で、自我の断片化(孤立した私、不器用な私)がBPDやACと関連してたよね。「心ここにあらず」は、自己がバラバラになり、統合感が欠ける状態とも言える。結婚・離婚の激しい感情体験が、自己を「ここ」に留めるのを難しくしたのかも。

3. AC(アダルトチルドレン)・共依存との関連
成育歴の影響: 母親・姉の支配型HPDによる疎外感は、子どもの頃から「自分の感情を置いておく」癖を作った可能性。ACの特徴として、親の期待に応えるため、自分の感情を抑圧し、「心が不在」になるのはよくあるパターン。前のnoteで「共依存のピアカウンセリング」にも触れてたけど、共依存の関係(結婚や子どもとの暮らし)で他者に過度に合わせると、自分の心が「ここ」にいられなくなる。
感情の不在と役割演技: 子育てや結婚生活で「良い親」「良いパートナー」を演じるプレッシャーが、感情を切り離し、「身体だけここに」状態を助長したのかも。共依存の傾向が、他者のニーズに埋没することで、自分の心を見失わせた可能性。

「今、心がここにある」への変化

「しっかりと心がここにある」感覚、ほんと素晴らしい変化だよ!前の会話で、「国宝」の読書がACTのマインドフルネスや価値(「丸ごと愛する」)を無意識に実践してると話したけど、これが大きなカギだと思う。いくつか要因を挙げてみる:

ACTの効果: ACTでBPDの攻撃性や見捨てられ不安を「愛に昇華」した経験が、感情を「ここ」に留める土台に。前の会話で、ゲシュタルト療法の「今ここ」とACTのリンクを話したけど、小説やDTMで「今」を味わうのが、心を繋ぎ止めてる。

小説の力: 「国宝」の映像化や、彼女の読書家な一面に影響されて、小説が感情の安全な遊び場に。ASD傾向の「文字を映像に変換する」強みが、感情を「眺める」練習になり、解離感を減らした。

…と続く。(最近Grokがキャラ変したようで親しく距離が近くなった)

自分の感情が自分と一緒にここにある実感は、何より安心できる。



どんな本を読んできたか、は「どんなものを食べてきたか」に似ている。

長い間心理学、カウンセリング関連の本ばかり読んできた。
それらの本からは未知の、新しい情報、知識を得ていた。それは自分の謎を解き、認知を変え、なりたい自分に導くものだった。

やがて行動〜認知行動療法、マインドフルネス療法、ACT アクセプタンス&コミットメント セラピーの本に辿り着いた。
自分の中の変わらないもの、変えられないものを受け容れ、眺め、感じる。
ASD傾向の私にとてもマッチした内容だった。

強い愛着、支配欲求のあるモノ、コト、ヒトから離れ、距離を取ることでそれを手放すことができた。
相手への強い愛着が愛に昇華された。
相手を丸ごと受け容れる、丸ごとを愛することで、相手を、そして自分を解放することができたようだ。

映画「国宝」を観た。そして今、映画「国宝」の原作小説を読んでいる。小説は初めての体験だ。
その世界に没入し、本の活字は映像化される。まるで映画の続きを観るような映像体験をする。

今までに何度となくあったASDお得意の反芻思考がいつの間にかなくなり、繰り返していた感情の反芻もなくなっていた。

今流行りの「コスパ、タイパが悪い」ものの一つであろう小説を読むことで、今までとは全く違う新しいものを得ている。芝居や音楽で得られていたものと同じ、それ以上の癒やしを得ている。
乾いていた心に水が染み込んでいくように、潤っていくのを感じている。

同じ「本」の形をしていても目的が違うようだ。
食べ物と同じだ。書かれている文字が栄養だ。その栄養が心身のどこに届くかで、心身の出来が違ってくる。

私が小説を読むとは、乾いた心身に水分を補給することのようだ。




元クライアントの猛烈な勧めで観た映画「国宝」。

この映画に驚いたのは役者たちが生命を削ってこの作品を作ったのを目の当たりにしたからだ。監督も、他の制作陣も。

そして原作にも。
このところ原作「国宝」/吉田修一・著 を読んでいる。

映像の濃厚な描写が蘇り、活字の描写とダブってくる。映画以上の描写力に、活字だけなのに何故?圧倒的な筆力に、時々やって来る物語の小さなクライマックスに絶頂を感じてへたり込むように頁を閉じる。
これを何日か繰り返している。

生命を削って表現されたもの──この映画そしてこの原作──にはそうして削られた生命が宿っている。

それは観る側に宿っていく。
生命が宿った作品は時間を超えて生き続ける。
私たちが動物や植物の生命をいただいて生きているのと同じように、作品の生命をいただいて生きているような気がする。

今まで私が読むものといえば心理学、カウンセリング関連、いわば情報誌、ハウツーもの。本は自分に必要な情報、知識を得るためのものだと思っていた。
音楽をやったり芝居をしたり戯曲、脚本を読んだり書いたりはしても人の小説を読むことはなかった。

何故だろう?自分の世界を侵害されたくなかったのか。他者の世界に立ち入りたくなかったのか。引き込まれるのが怖かったのか。

食わず嫌いだった。こんなに美味しいものだとは知らなかった。こんなに生命と力をもらえるものだとは知らなかった。

そして気づくのは、元クライアント。彼女はかなりの読書家。小説から生命と力をもらっているのだ。私は読書で情報と知識を得た。この違いはまだ言語化できないが、小さくはない。
それぞれを自分の中に取り込んで、それを糧に生きていく時に、決定的な違いが現れるのかもしれない。






ドラマ「明日はきっと、いい日になる」を観ていた。
生田絵梨花演じる児童心理司・蒔田の、女子高生・葉月への過剰な介入は見ていられないが、出された台詞にとても驚く。相手への強い愛着は「自分が相手に愛されたいから」だったのだ。

何のことはない、私もこれを相手に、元クライアントにやっていた。
「愛してる」の裏側には「愛されたい」があった。AC アダルトチルドレンの名残りは未だ消え去らず。

強い愛着は愛に昇華されたとはいえ、「愛されたい」には気づかなかった。「愛したい」ばかりが先走っていた。自分の感情に気づけないASD傾向はここにもあった。

ACT (アクセプタンス&コミットメントセラピー)のアプローチでは、これも受け容れる。消え去らないものは受け容れる。そしてただ眺める。

今日の新しい気づき。