ACはその育ちから 自己主張 自己防衛が苦手なようです

自己主張
文字通り自分の意見 考え 意志 感情も含めて 他者に伝える
頭の中では上手くできるのですが 実際に人に向けてとなると 言葉を飲み込んでしまう
上手く伝えられないのです

こんなこと言ったら相手にどう思われるか 嫌われるんじゃないか という恐怖心が強いのでしょう
これにも原因があります 親の受け止め方が嫌なものだった 拒否された 怒られた もっと酷い場合は虐待を受けた 無視された
これは幼児期から続いていました 物心つく頃から 極力自己主張しないように育てられています
親の言うことを聞くように 逆らわないように 親は手を替え品を替え 子を絡め取りました


自己防衛
自己主張とセットになって機能する 自分を守る方法 手段
これも親に奪われていました
子が自分の思い通りにならない 反抗する これは親にとっては不都合なことでした
子は自分の所有物である必要があったのです 親の思い通りに動くロボットのような存在でなければならなかった
反抗を見せるとやはり潰しにかかります 不快な表情 非言語メッセージに ここでもまた虐待 無視

自分で自分を守ることをしないので 無防備のままです 丸腰の状態
精神的な状態は 言わば裸の赤ちゃんのようなもの
防衛のための方法 言葉や態度 表情 仕草など 適切な方法を知らないので
外からの刺激に反応する時に 過剰防衛になったり防衛するはずが反撃になったり
またその先にある和解 仲直り 関係の修復を前提にできないので 防衛の加減が分かりません

こんな生育歴で大きくなりますから 大人になって他者と関わる時に 上手くコミュニケーションを取るのがとても難しいのです

ではどうしたらいい?

自己主張のトレーニングで 笑ってNoと言おう があります ご存知の方も多いでしょう
相手に何かを言われて それが嫌だったら 笑顔で静かに でも確かにお断りする というもの
ACの弱点は感情的になってしまうこと これをやめる 普通のテンションで しかも笑顔でNoと伝える
決してキレたり激昂しないよう 口ごもったりしないように まず心を落ち着けて
相手は自分に敵意を持ったり 攻撃しようとしているのではありません そこを勘違いしないように
そしてこちらも相手に敵意のないことを表すのが笑顔です

ボキャブラリーが少ないことを理由にする人がいましたが 決してそんなことはありません
少ない語彙でも相手には充分こちらの気持ちは伝わります
大切なのは これもご存知でしょう 自分を主語にした「I(アイ)メッセージ」私は~と思う 私は~ですよ
必ず「私」を主語にするのです 他の誰でもない まぎれもなく自分の思い 自分自身も自分の耳で聞いて確かめる


自己防衛は過剰になり過ぎないように
いざという時には自分を守ることは必須ですが 勝負ごとでも喧嘩でもありませんから 自分に余裕を持って
会話という相互交流を楽しむ気持ちで 言葉のキャッチボールを楽しむ気分で
お互いの共感が生まれることが 一番嬉しい成果ですから


自己愛
文字通り自分を愛することなのですが
愛することがどういうことなのか分からないACにとっては とても困難なこと

正確に言うと 無償の愛を知らない 生まれてから今まで 条件付きの愛で育って来たのです
見返りを求めない無償の愛ではなく 支配とコントロールに満ちた条件付きの愛
それは愛とは呼べないのですが 親も そして子も それが愛だと思い込んでいます
この思い違いが 大人になっても続きます

自分を愛せない人には 他人を愛することなどできない と ここでも何度か書きましたが
幼児期に親からもらう無償の愛は その後の子どものパーソナリティの形成に大きく影響します

ACにとっての自己愛は 親からもらったものと同様 条件付きの愛です
OKなら自分を好きでいられる でもNGなら嫌い
というより ACは基本的に自分のことがあまり好きではない どちらかというと嫌い とても嫌いと言ってもいい
自己嫌悪 自己否定 などの言葉が渦巻いているようです

他者を支配コントロールするのと同じように 自分も支配コントロールします
他者を無償の愛で愛せないように 自分も無償の愛で愛せないのです
これでは長い間に生き辛く 不全感を抱えたまま生きることになります

学校で 職場で 例えいじめに遭っても 帰って行ける家族という場所があれば 温かく迎えてくれる家族があれば 立ち直れるものですが
ACには帰る場所 自分の居場所がありません
生まれて来たことに 存在そのものに 子どもにとってはその世界のすべてである家族に祝福される という基本的な安心感がないのです
機能不全家族の最大の不幸です


さて 不幸にも親からの無償の愛をもらえなかったACは どう自分を愛するのでしょうか
そしてどう他者を愛するのでしょうか

自分を愛する 無償で 無条件に ただただ好きでいる
~ができなくても ~がダメでも 自分を嫌いにならない ずっと好きでいる この当たり前の シンプルなことを実行する

そして無償の愛の獲得ですが 原家族からは得られないので 他の健全な家族を真似る→学ぶことしかないでしょう
身近な他者から言葉 表情 仕草 一つひとつを丁寧に真似て学んでいく
ここで 感情を言葉にすることを実践します 喜怒哀楽を言葉にする
どれもACには未知の体験 体感になるはずです

そして親からの支配とコントロールを完全に捨てる 手放すことです
これもなかなか難しいのですが きっぱりと決別する
それでも時々 長い間に得た癖は現れますが 自覚しながら 直しながらゆっくり進めます

もちろん途中には挫折もあります 過剰な あるいは不足な言動もあるでしょう それもすべて学び
焦らず 腐らず 諦めず です


このところ 自己愛ということに思いを巡らしていました

で 私の体験
自分は健全だ と長い間思い込んでいました

AC家族の中で暮らしているので 外の世界の人との認知の歪み 感覚のズレに気がつきません
家族以外の他人と関わって始めて 自分は人と違う 変わっている と気づきます

物心ついた頃 友達の家に遊びに行って驚いたことがありました
その子は特に可愛い訳でもなく 成績がいいでもない子でした
ただ いつでも笑顔で優しい印象でした
その子と一緒に家に行くと お母さんが出迎えます
その子は母親に向かって走ります
母親はとびきりの笑顔でその子をハグするのです

ショックでした こんなに羨ましい光景が目の前で繰り広げられたのですから
そんなに出来のいい子でもない子なのに お母さんはこんなに愛せるものなのか
いい子じゃなくても 成績が悪くても こんなに愛してもらえるのか
ウチは違うぞ
そして うっすら気づいたのです ウチは普通じゃないかもしれない と

幼い私にはこの体験がありませんでした
愛される実感 体感 満足感 肯定感
生まれて来たことへの祝福 存在そのものへの歓迎
愛の言葉の語りかけ 気分や感情の言葉の語りかけ
これらは親自身も体験しなかったもの そのまま子へ連鎖するのです

無償の愛をもらえなかったのです もらったのは支配とコントロール
これを愛と勘違いして いいえ 疑いもなく信じて 受け入れていたのです
ですからそもそも無償の愛というものを知りません

文字通りの条件付きの愛
例えば 成績が良ければ褒めてもらえる 親の言うことを聞けば褒めてもらえる
それができなければ嫌い 嫌な表情 不機嫌な親になる
子どもは親に褒められるために 気に入ってもらうために必死に成績を気にし 言いつけを守ろうとします
自ら親の支配の下に入り込みます これは考えて行動するというより 本能的に といった方が近いのです
自分の命を預けているのですから 従わなければ明日の食事もままならないのですから

こうして育ったACは 大きくなってもこの嗜癖のままです
その時々の気分や感情を言葉にして 相手に伝えることができないのです
できることはことがら 情報の伝達 思考の言語化だけ

友達どうしの笑い合ったり泣いたり共感したりのコミュニケーションを眺めては
なぜ同じようなことが自分にはできないのだろう と不思議な思いでした

それでも自分は健全だと 思い込んでいました



前回の続き

コミュニケーションが取れない自分と向き合い インナーチャイルドとの再会 癒しを通じて
自分との会話ができるようになりましたか?

ここで自立という課題があります
経済的な自立と精神的な自立があります
これはお互いに影響し合っているのですが 今回は分けて考えます ここでは精神的な自立を

ACの自立への第一歩は親離れ 親への強い愛着を自分の側から手放すことです
これもインナーチャイルドと会話をしてみます
あなた(インナーチャイルド)が握りしめて離さないでいる親の袖は もう離してもいいんだよ
もうあなたは自分の足で立てる 自分の足で歩けるんだよ 自由にどこへでも行けるんだよ と

そして大きくなったあなたもインナーチャイルドの手を離してあげます
自由に歩き 走り 跳ね 歌い 笑う姿を眺めます
そして見守ります 見守る これもあなたが小さい頃にしてもらえなかったこと
見捨てる 見放す ではなく 見守る
自分が自分を見守ることができるようになることが大切です

※何が親への愛着だ!親には恨み憎しみしかないっ!と仰るあなた
自分の内側を探ってください
恨み憎しみが強いということは 対極にその大きさと同じだけの愛着があるということ
気づきましたか?

自立の感覚
肩幅に足を開いて 足の裏全体を床に着ける
土の地面だとなお良いのですが どこでもいい フロアでも畳でも
自分は地球という大地の上に 自分の足で確かに立っている
大地のエネルギーが パワーが 足裏から身体全体を満たしている 身体が温かくなっていく
こんな感覚を得られればいいと思います

そして個の確立
ここでは「他の誰でもない たった一人の私」という感覚でいいと思います
シュタイナー教育の演劇ワークショップの導入部分で詠唱されると 教えていただいた詩

この世にたった一人の
他の誰でもない
かけがえのない 私

この詩を 大地のパワーと共に感じることができると 感覚が変わってくると思います



ここからはしばらく他者とのコミュニケーションをやめましょう
他者とのコミュニケーションの前にまず自分とのコミュニケーションを

というのもこの間の恋で得た体験
他者とコミュニケーションできない理由が自分の中にあると 強く感じたからです
自分自身とまずコミュニケーションを取ることが先決でそれができて初めて他者とのコミュニケーションができるのです


自分自身 とはこのブログではお馴染みの インナーチャイルドのこと
内なる自分 もう一人の自分 との自問自答

ACの場合 インナーチャイルドが自分の実年齢より余りに小さくて 言葉も出ない 会話さえできないこともあります
私がそうでした 出会った時にはまだ3歳児 怖くて寂しくて悲しくて震えて小さくなっていました
そんな場合はまずインナーチャイルドを癒して 成長を待ってから 会話をすることになります
子どものままでいたい~インナーチャイルドの癒し~


では具体的にはどういうことか
まず自分の感情をそのままの大きさできちんと感じる それを言葉にすること
といってもACは「感情」になかなか気づけない ひょっとしたら感情という言葉の意味が分からないでいる
感情(感じる)も思考(考える)も区別がつかない状態 これを区別しましょう
それから「欲求」とか「理性」とか「自我」とか 自分の脳内にある感覚を ひとまず分けましょう

ACが一番不得意としている 感情を言葉にする このトレーニングです
大ざっぱには喜怒哀楽の感情があります
ACは怒哀が強い これは表現が上手 というか過剰なほど喜と楽の表現がとても苦手
生育歴に忠実に 感情表現も形づくられます
怒 哀 恐 怖 悲 この体験が長い間続いたのです 喜 楽 愛 幸 がなかったのです

今までに得られなかった感情を体験することが 最高の回復法
今までの傷を癒すように インナーチャイルドに語りかけてみましょう

「怖かったね 寂しかったんだね 心配だったね
今まであなた(自分のインナーチャイルド)に気づいてあげられなくてごめんね
もう大丈夫だよ 私がずっと側にいるから もう安心していいよ もう泣かなくていいよ 震えてなくてもいいよ…」

ハグしてあげて 頭を撫でてあげて つまりあなたが小さい頃にして欲しくてしてもらえなかったことを
大きくなったあなたが 小さいあなたにしてあげるのです 自分で自分を癒す作業です
インナーチャイルドに笑顔が戻るまで 語りかけます

少しずつ笑顔になります 言葉も出てくるようになります
怯えていた表情が消えていきます 子どもらしい自由奔放さが現れて来ます
そうなればひと安心
癒されたインナーチャイルドは急速に成長します あなたの実年齢に近くなります

四六時中インナーチャイルドを感じている必要はありませんが 時々はその存在を意識しましょう
時々は会話をしましょう 最近どう? など自問自答
何か行き詰まったり 壁に突き当たったりした時に 俯瞰して自分を眺めていてくれるもう一人の自分を感じることは とても大切です



夏の間 暑苦しくウザく燃え上がっていた恋
ただでさえクソ暑いのに 愛してます 大好きですの言葉で 灼熱の夏でした

秋の気配と共にそれはクールダウン
恋の炎は小さくなり 残ったのは静かな愛 でした

メールの文面も一転 相手を静かに眺めるように 落ち着いた文章


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ただ あなたを愛してます と言った以上
あなたの全てを引き受ける覚悟はできています
何かあれば あなたを支えます いつでも声をかけてくれれば応えます
と送ったメールには 何ひとつ変わりはありません
ずっとずっとあなたを愛しています
このままあなたを愛して 年老いて死んでいきます それでいい

あなたを愛しています とても愛しています
それは私の自由 私の意志

あなたにはあなたの自由がある
あなたは自分の思うままに生きていい
私はあなたの自由を奪うつもりも あなたを支配しコントロールするつもりもない
あなたの人生は あなただけのもの
私の愛を受け入れるのも 別の愛を受け入れるのも あなたの自由


ただ 一つだけ 別の理由があります
あなたのコミュニケーション能力のうちの 他者の感情を聴く力
相手の気持ちを想像する力は まだまだ未熟だよね
それは自分の感情が分からないから
他人のことよりもまだ 自分のことでいっぱいいっぱいだから かな

言葉で伝えても応えてくれない人に 愛してます 大好きです と言うのも虚しいよね
だからもうこの言葉は口にしません
口にしないだけです
(出さないメールより)
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そんなこんなで私の恋バナは 一応の決着を見ました
読者の皆さまには おつき合いいただき ありがとうございます


「絆(きずな)」 の由来 (由来メモ)より抜粋
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絆とは、断つことの出来ないヒトとヒトとの結びつき。ほだしとのこと。(略)
「ほだし」
人の心や行動の自由を縛るもの。自由をさまたげるもの。馬の足をつなぎとめるための縄。手かせや足かせ(略)
■「絆」の由来
絆は昔、犬や馬など動物を繋ぎとめておく綱のことをいいました。古くは平安中期の辞書「和名抄」に、そういった意味で用いられています。絆はそういった離れないように繋ぎ止める綱から、人と人を離れがたくしている結びつきのことを言うようになったのだそうです。語源は「頸綱 くびつな」「騎綱 きづな」「繋綱 つなぎつな」といったようにいくつかありますが、「動物を繋ぎとめる綱」という点で一致しています。(略)
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3.11以来 使われるようになったこの「絆」という言葉ですが 由来を調べるとこんなものでした
人の心や行動の自由を縛る、妨げる…手かせ足かせ などの意味を知ると しかも古くから使われていたことを思うと 日本人の認知や行動パターンの歴史を感じるようで 何だか空恐ろしくなりました まるで機能不全家族の関係そのもの

日本人の家族は 古くから「人の心や行動の自由を」縛り 妨げてきたのでしょうか
日本人の依存性の強さ 思考停止の癖の多さは こんなところにルーツがあったのでしょうか

AC家族の絆はまさに家族のメンバーそれぞれの心や行動の自由を縛ります
夫は妻の 妻は夫の そして親は子の 子は親の心や行動の自由を縛り 奪い 支配しコントロールします
この関係が家族内だけの当事者だけのことなら それほど問題は起きません
この嗜癖が外に向かう時 家族以外の他者と関わる時 誤解や問題が生じます

家族内では当たり前に交わされていた非言語のコミュニケーションは それ以外の他者との間では通じません
家族内では普通だった「感情を言葉にしない」は それ以外の他者には「気持ちが通じない」になるのです

これがACの生きづらさの最も根本でしょう
他者とのコミュニケーションがうまく取れない理由が分からないのです
結果 自分にはコミュニケーション能力がないと 自分を責めてしまうのです
自分が悪い訳ではないのに 家族の歴史がそうさせているのに 自分を悪者にしてしまいます

AC家族の歴史に 言語でのコミュニケーションや感情の言語化などの体験や学習がないのです
それは祖父母から親へ 親から子へ 子から孫へ 綿々と続きます
こんな絆なら 断ち切ってしまった方がいいのです



感情を言葉にする
さて あなたならその言葉に裏はありませんか?

私 自分の言葉に裏があるのに気づきました 今回の恋愛で
「愛しています」=だから私のことも愛して
「信じています」=だから私を裏切らないでね
例えばこんな風に
感情をそのまま言葉にしているのに その奥に違う欲求がある
前回 言葉だけが登場した裏面交流 がこれです
感情をそのまま言葉にしているのに 一体どうしたことでしょう?

意識の構造として欲求がまず先にあり その奥に感情がある というのが一般的だと思っていましたが
どうやらそうでもない 感情の奥に深い欲求が潜んでいることもあったり
感情と欲求が混沌としていたり どうやらそれはお互いに影響し合っているようなのです
感情が上で 欲求は下でもない 感情が先で 欲求が後 でもない 隣り合って蠢いているようです
ですから 欲求が感情を支配することもあるようなのです
これがいい悪いではなく 実際に人の心に立ち現れる

私の場合はこれが瞬時に判断できなくて 区別がつかなくて戸惑ったのです
裏面交流をやめるには 自分の感情と欲求への相当の注意が必要だということでしょうか

健全な人はそうではないのかしら?
理性的な感情 とでもいうものがあって(この言い方が適切なのか?)
もっと冷静に 自分の感情を眺め コントロールできているのでしょうか?

まぁ それもこれも生身の人間 生きている証なのでしょうが
厄介なものです 人の心は。。
でもね こうして自分自身とコミュニケーションを取る機会ができてのは 嬉しいことです



カウンセリングの世界でも コミュニケーション能力をつける 高めることの大切さを言っています
確かにそれは必要 間違いのないこと
ただ それだけに終始してしまうと 思わぬ落とし穴が待っているかもしれません

コミュニケーションの片方の車輪は 自己主張
どれだけ正確に的確に 自分の言いたいことを あるいは感情を言語化できるか
これは訓練すればそこそこ能力は上がるでしょう
ボキャブラリーを増やすことが目的ではなく 相手に分かりやすく自分の感情を 意思を伝えるのです
文学的な表現が優れてはいても わかりにくければ相手には伝わりません 自己満足の言葉は相手には伝わりません
誰にでも普通に理解できる言葉こそが 最良のツールです

車輪のもう片方は相手の話を聴く力
相手の情報ではなく 感情を聴く力です
この人は一体何をどのように感じ どんな言葉で表現しようとしているのか
相手の言葉をそのままの大きさで 形で色で 自分は受け止められるのか
相手の言葉の意味を 自分で勝手に解釈して受け取っていないか

この人は二つを お互いの会話の中で瞬時にやり取りするのです
考えてみるとこれは並大抵のことではない もはや神業

そうやって眺めてみると 周りには見事なコミュニケーションを取っている人は・・・?
果たして存在するのでしょうか?

どうでもいいお喋りならば 何時間でも続きますが
これを完璧にやろうと思ったら 疲労困ぱいです
エネルギーを消耗してしまいます
自分の感情を言葉にする アサーティブ トレーニングなどと言われるものでも せいぜい5分から10分
相手の話を聴く 感情の言葉を聴く 傾聴の訓練でも 同じく5分から10分が限界でしょう


普段の何気ない会話
リラックスした状態で交わされる ごく普通の言葉
その中に織り込まれた自分の気分や感情
相手の気分 感情
それを掬い取って お互いが共感の言葉をかける
そんな会話が理想なのかもしれません そんな自分が そんな相手が理想なのかもしれません

自分の言葉 独り善がりの言葉 ではなく 相手に分かる言葉で伝える
相手の気分 感情を受け止める力を磨く

これができるためには まずは他者と向き合う前に 自分と向き合うこと
自分の本当の感情を捕まえているか 言語化できているか
そう 捕まえて言語化しようとしているものが 自分の本当の感情ではなかったりしますからね
裏面交流が得意な人は この傾向があるようです
くれぐれも 気をつけて



恋バナその3

大好きです 愛していますと言ったものの
お酒に誘っても応じてはもらえずランチも用事があるとNG 寂しいけど今度を楽しみにしていますと返事
上手く距離を取られた気がして 半分は諦め 半分は相手の自由を認めようと 自分の気持ちを仕向けていました
なかなか縮まらない二人の距離を諦めようとしていました

自分の中の愛したい愛されたい欲求を自分で認め 受け入れつつも
相手にはそれをどうするのか決める自由があるのだから どう求めてもどうにもならないと受け入れては打ち消して
自分の気持ちを整理して 距離を置かないと苦しくて押し潰されそうだったのです

メールが来ました
立ち上げたばかりの便利屋のチラシポスティングを手伝ってくれるという話をつけてくれたのです
前のバイトでお世話になった女性たちに話を通して 自宅の周り1000世帯以上のポスティングを引き受けてもらったと言うのです
そして 自分にもチラシを渡してくれれば配りますよ と

何という大人の対応でしょう
まさかこんなことをしてくれるとは 本当に驚きました
好きとか嫌いとかそれだけで判断しない その基準だけで行動しない 大人の対応
例えばこれがワタシならですよ そんなに好きでもない相手のために
今までモノで攻めてきた どっちかというとウザい相手のために
あぁ こいつも新しい仕事を立ち上げて一生懸命やってるんだから 助けてやるか
なんて思いませんよ あ そう 勝手にすれば 頑張ってね で終わりですよ

同時に ワタシの思考が子どもだったことに気づかされたのです
愕然 呆然 大ショック

1か0か 白か黒か 好きか嫌いか という子どもの思考
間がない 色に例えれば白か黒か しかない 間にある筈の 微妙な濃淡のグレーがない

ACの悪い癖 他者を一面的にしか見ない
自分のモノサシで他者を測る 好きか嫌いかだけで 自分にとってどうなのかだけでは相手を測る

子どもの思考のもう一つは 欲しいものはどうしても手に入れたくて駄々をこねること
オモチャが欲しくて お店の前に寝転んで手足をバタバタさせて泣きわめく
こんな子どもは今どき珍しいでしょうが 心の中はまさにそんな感じです

自分の大人気なさを恥じました
そして愛する人に 感謝と愛を伝えたのでした
あぁ この無力感。。。

でもマジメな話 こうして実体験を積みながらたくさんの気づきができるのは
本当にありがたいことです