子供への虐待が増えている気がします
テレビを騒がせる親たち

親の側には虐待という認識がなく
それは「しつけのため」という言葉に置き換えられて
親の免罪符になるようです

冷静に考えれば「しつけ」と「虐待」とは明らかに違います
客観的に眺めれば分かるのですが 当の親には区別できません
それとも本当は分かっているのに 虐待をしつけと言い換えることで
自己弁護して 罪悪感を取り払おうとしているのでしょうか

しつけか虐待か それは「される側」の子が決めることでしょう
親がいくら子のためにと思って厳しく「しつけ」たとしても
子の側にしてみれば いじめ 嫌がらせ 虐待でしかない という場面はあります
それは親子だから許せるというものではありません

外国では子への虐待に行政や警察が介入するといいます
この国のように警察に相談しても動いてくれない 児童相談所に言っても動いてくれない
外国から見たらどう映っているでしょうか

そしてACの多くにはこの苦い思い出が 辛く悲しい記憶が鮮明に残ってるのです
自身の記憶を辿っても「あの時のアレは絶対しつけじゃなかったよな」というものがいくつか いいえ いくつもあるのです

しつけなら今になってその記憶は 暖かい思い出として蘇るはずです 親への感謝として
でもそうではないので どうやら虐待だったのです 今になって分かります

この虐待のおかげで ACはとても悲しい幼児期を過ごしました
今となっては取り戻せない時間

でもやり直しはできる

そんな親への思いを手放すことです
恨み 憎しみ 悲しみ 強い愛着を手放す
もう終わったこととして静かに見送るのです
憎しみや怒りを増幅させるのは もうやめようと決めるのです

虐待された側が もうこれ以上家族の連鎖を続けないために
あなたにできる唯一のことかもしれません



ACとして暮らしている人
言葉にならない不全感を抱えながら じっと堪えている人

誰に向かってその怒りや不満を吐き出せばいいのか 誰がそれを受け止めてくれるのか
自分が何に対して怒っているのか 誰に何を求めているのか

混沌としたまま
我慢しては爆発する繰り返し
堪えて堪えて
言葉を飲み込んで なかった事にしようとする

どちらも現れ方が違うだけで 辿っていくと根っこは同じ

我慢すればいいと我慢する
それとは裏腹に 我慢した全ては長い間心の中に溜まり 恨み 怨み 憎しみとなって
今度は自分に返ってくる 自己嫌悪

悪循環はどうすれば終わらせることができるのか
どうすれば未だ巡り会わない 健全 になれるのか

時間ばかりが過ぎ 何も変わらない それそころかどんどん悪い状況になる
光が見えない 未来がない


でも大丈夫
あなたはここにいる 今 ここにいる
誰のものでもない たった一人の あなただけの人生

幼い頃には 確かに親に支配され 人生の時間を奪われ
欲しい愛ももらえず 寂しい悲しい思いをした
親を怨み 憎んだ

それはとても悲しいことだけど もう過ぎ去った遠い過去のこと
今でも昨日のことのように思い出すけど ずっと前に終わったこと

悲しい過去に縛られ 今を生きられない自分を もうやめよう
あの時言いたかったことは山ほどあるけど 過去にとらわれて今を生きられないとしたら
それはもうやめよう

過去は過去 終わったこととして受け止め 受け入れる
でももう過去にはとらわれない と決めよう
今は今 今この時間を生きている自分のために生きると決めよう
自分をきちんと愛して 生きていこう




熊本・大分の地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます
実は私も熊本出身で とても心配しています
暮らしが元通りになる日が 1日でも早く訪れますように
コミュニケーションが苦手な人
これはACにも当てはまること
幼児期の過保護 過干渉が根っこにあると改めて感じます

家族のメンバー もちろん親 からの非言語の干渉 先回りの世話焼き
これは幼児期であれば受け入れざるを得ない 受け入れないと生きていけないのですが
少年少女期から思春期に至るまで この過干渉が続くのです 場合によってはいい大人になっても
親はこうして子の自立 自律を奪います 自分の意のままに支配しようとします
親である私ががいないと あんたは何もできないのよ 私が面倒を見てあげる代わりに あなたは私の言うことを聞くのよ

親自身もそうやって育って来たのです 愛=支配 束縛 世話焼き と学んできた

子は成長と共にこれに反発を感じる そりゃそうです ウザいを超えて重いのですから
でも長い間飼い慣らされているので ウザいのを我慢さえすれば それは楽なこと 何も言わなくても望むことが叶えられているのですから

逆に言えば子が「自分はこんな気分なんだ」「自分はこんな欲求があるんだ」を言葉にして他者に伝える方法を奪ってしまうのです
無言のコミュニケーションという悪い癖です

子は大人になってもこの感覚を家族以外の他人にも持ってしまうのです
健全な家族なら 親は子に言葉でのコミュニケーションを教えますが 機能不全家族はここが違います
黙っていても 自分のことを分かってくれる筈だ と
他人なんだから言語で丁寧にやり取りしなければ理解し合えないのに

言語コミュニケーションが訓練できてない 弱いから 非言語で他人にも分かってもらおうとする 親を真似て もちろん当然ながら分かってもらえない
これで不快感を持ったり癇癪を起こしたり ますますコミュニケーション嫌いになる

子はもっと親を恨んで 否定して 拒否していいのです 和解はそのずっと後でいいのです
きちんと親を恨む 親を拒否し 子の側から離れることが大切です
その上で親に奪われたコミュニケーションを学び直す やり直す
自分のやり方で 親の力を借りずに自分だけの力で この体験が大切です

無言のコミュニケーションをやめるという固い決意が必要です
自分の代でこれをやめないと 次の代に連鎖してしまうのですから

これもできるようになるまでには時間がかかります 諦めないで



ACをやめるために どうしても向き合わなければならない相手
今回は親とのことについて

大嫌いな親 でもその対極には それと同じ大きさの愛着があります
意識の上では嫌い でも無意識の世界では大好き という状態を あなたも気づいているでしょう
その上で お話を進めます



嫌いだけど 本当は大好きな親
嫌悪と裏腹な 自分の中の愛着 強い愛着
小さい頃 して欲しかったことはたくさんあったのに 何ひとつ応えてはくれなかった親
それでも諦められず 縋り付いても振り払われた
抱きしめて欲しかったのに 愛してると言って欲しかったのに
あの頃の欲求が満たされないまま 大人になったのです
そんな強い思いを抱えたまま大人になったのです
無意識の世界では 小さいあなたが親の手を 服の裾を握り締めて しっかりと掴んでいるのです
その手をそっと離して 自分の足で立つことができるまでは ACは終わりません
親との訣別が終わるまでは 子どもの自立 自律は始まらないのです

今は大嫌いで顔を会わせることも まともに話すこともしないでいるあなた
それでもいつかは きちんと向き合い感情を言葉にして親に伝える日が来ます
あの頃 言いたくて言えなかったこと 言って欲しくて言ってもらえなかったこと
感情的にならずに 風景を眺めるように 冷静に淡々と 自分の心情を親に伝えるのです

これを事前にシミュレーションしておくと 自分の言葉を自分の耳で聴くことができて効果的です
独り言で自分を確かめるのです

「小さい頃 熱ばかり出していたでしょ?病気になれば構ってもらえる 優しくしてもらえると 無意識に思ってたからだよ」
「商売が定休日の日 私が学校から帰ると家は暗くて 私は急いでパチンコ屋へ走って姿を探したんだよ 怖くて寂しかった」
「『育ててやってるんだからありがたく思え』と言われた時は 本当に悲しかったんだよ」
私ならこんなことを伝えたでしょうか

こんな会話を まるで風景を眺めるようにあの頃を振り返る会話を通して 親と和解ができれば とても嬉しいことなのですが 関係を修復できればいいのですが あまり期待はしにないように
親は子がそんなことを感じていたなど思いもしないでしょうから
あなたが自分の言葉で本当の気持ちを言葉にして伝えられたことだけでも良しとしましょう
実際 これが言えれば 気持ちがずいぶん変わるはずです 軽くなります
掴んでいた親の袖を離すことができた と感じる瞬間です
親から離れることができた と感じるでしょう この感覚が大切です

そして 愛着と同じ大きさの 親への恨みの憎しみも もう手放しましょう
あなたが手放すまでは 自立 自律できません 手放しましょう

そして しばらくして落ち着いたら 親の育ちを想像してみましょう
きっと子のあなたと同じように それ以上に悲しい苦しい思いをして
同じように親への愛憎を抱えて生きてきたのです
そのことを思えば 少しは親のことも 赦(ゆる)すことができるかもしれません



子どもの頃 ドッジボールが苦手で嫌いで いつも憂鬱になった記憶があります

飛んでくるボールを避けることができずに すぐに当てられてしまうのです
固まってしまって逃げられない
ボールのルートや速さを予測して 自分がどの方向へ動けばいいか判断する 行動する これができない
飛んで来るボールを受け止めるか避けるかを判断して 体を動かす これができないのです
そしてひと度ボールを当てられると それが悔しくて 投げた相手が憎らしくて 後を引くのです
他のみんなは楽しんでやっているのに どうして私は楽しめないんだろう と不思議でした

それは 今になって 不安と恐怖 パニック そして思考停止だったことが分かります
家族のメンバーから日常的に受けていたもの
子どもの頃から実に長い時間をかけて しかも実に巧みにコントロールされたもの

例えば言葉 子の発言を遮る 拒否する 否定する言葉 うるさい 黙れ など 子の言葉を受け止めない 受け入れない態度
また非言語のメッセージ 表情 目つき 舌打ち

子は不安と恐怖でパニックに陥ります
どう反応していいのか どう対応していいのか分からない
相手は親なので それを拒否していいのか 反対していいのか分からない
親の言うことに従わなければ さらに強い不安と恐怖が待っているからです
子は黙ったまま 思考停止したまま 親に従うしかなかったのです

この思考停止の癖が 大人になった今でも続いているのです
親は巧みに子の自立 自律の機会を奪い 親に依存するように仕向け
子は親に依存されることに ささやかな喜びを見出すように仕向けられるのです

大人になった今 子は自由に思考できます 自由に感情を発露できます
親から離れ 自分の人生を生きる自由があります 自立 自律できるのです
子の自由を奪っていたのは親でした これが機能不全家族の正体

親は子の手を離そうとはしません
子の側からその手を放すしかありません

子は あの時にして欲しくてしてもらえなかったこと 言って欲しくて言ってもらえなかったことが終わっていないので 親を手放すことがとても難しいのですが
親への思いを諦める 親への強い愛着を手放すことが 一番の近道なのかもしれません
この葛藤を経て 子は自立と自律を手に入れるのでしょう

私の体験でも この過程が一番辛く 時間がかかりました
親への恨み 憎しみ その裏にある強い愛着 その全てを一つひとつ振り返り 終わったこととして受け入れ 心の中の引き出しにしまう その扉を閉めて鍵をかける もう二度と開けないと決める
そんな作業を何度も何度も繰り返して 自分の中を片付ける
あの頃言えなかったことを言葉にして自分の外に出してみる あの頃言って欲しかったことを言葉にして 今の自分に言ってみる
こんな自分の思いを手放して親を赦し 和解する
とても時間のかかる 何度も逡巡する体験でした

思考停止をやめる 今までの癖をやめる
思考を動かす 今ここの自分を感じて 自分が思うこと考えることを まず自分が実感する
こんな普通のことを手に入れるのにも 時間がかかります
でも それを手に入れた時の幸せを 愛おしく感じるのです

あなたにもこんな時間が待っているでしょう
その時を待ちましょう


今回は 我慢はいいことではない 逃げるのは悪いことではない というお話

我慢は美徳 と育てられたAC
我慢を強いられた育ちがあります
親からの愛を我慢させられ 親への愛も我慢させられ
自由な感情の表現を我慢させられ 笑うことも我慢させられ
それがACの普通でした

させられる ことに無抵抗でした これは幼児期からのこと
抵抗すれば何かしらの制裁があったからです 全てが条件付き
~しなければご飯はあげないよ ~しなければ欲しいものは買ってあげないよ

我慢することも 自覚して その必要を感じてする我慢なら 価値はあるでしょう
でも「させられる我慢」は苦痛と束縛 ストレスの原因でしかない
それをACは受け入れて育ったのです 自分の命と 少しばかりの安堵と引き換えに

我慢できる子はいい子 美徳という言葉で飾り 実はいいなりにさせたいという親の目論見
親にとって 子に我慢を強いることは 子を支配コントロールする上でとても効果的な方法でした

子は この癖が今でも続いています 本当は違うのに 無意識に我慢をしてしまう
普段の暮らしの何気ない部分にまで それは染みついているのです

この長い間の癖を手放すことも そう簡単ではないのですが
我慢することが自分にとってメリットがないなら 我慢の必要もありません
ここでいうメリットとは 単なる損得ではなく 自分の本当の感情 欲求に従ってのメリットです
その場限りの刹那のメリットではありませんので 誤解のないよう
自分の本当の感情 欲求に気づきそれを我慢はしないということです

親のために我慢をしている という無意識は そのまま親への依存を助長させることに気づきましょう
交換条件のように 我慢をするからその見返りを求めるという無意識に気づきましょう


逃げる=いけないこと
この呪縛にもどれほど苦しんだことでしょう
子を逃さないための親の方策 時には強権的に 時には猫撫で声で あるいは真綿で首を絞めるように
我慢する こととセットになって ACを縛り付けていました
子が一番愛する人が 実は子を一番苦しめていた 機能不全家族の悲しみ

親が苦しいなら 重くのしかかるなら 我慢しないで 逃げて構いません それが普通の対応
まずは親の元から逃げる 離れる 距離を取る 精神的にも物理的にも
自分の気持ちの中から 親の存在 親から貰った思考の癖を捨てる 実際の距離を置く 離れて暮らす

すぐにはできなくても 必ずその日はやって来ます
諦めないで



依存をやめることができれば どんなに楽になれることか
分かってはいるけど それでも依存をやめられないAC
不全感をいつまでも抱えているACには 最大の難関です

依存をやめる つまり自立・自律するというのはどんなことなのか
具体的にイメージできるといいと思います

自分はこの世にたった一人であること 尊重され 認められる存在であること
認められるとは 他者にではなくまず自分で自分を認められること

同様に 人は皆一人であり その意味では孤独であること
孤独に負けないように頑張るのではなく 孤独を普通に受け入れること
その孤独を自分で感じ 楽しむことができること
孤独だからこそ 他者を求める自分を自覚すること
自他の境界を分かり 相手を尊重すること


親を拒否しながら 違う依存先を求めることもあります
今までは親に依存していたのですが 恋人ができたり 結婚したり 子どもが生まれることで 依存の対象がそちらになるのです  
やっとこれで親離れができた 自立できた と安心するのですが 実はそうでもありません 
他者に依存する という嗜癖そのものは しぶとく残っています
依存することも 他者からの依存を受容することも やめる方がいいのです


依存という嗜癖が ACと言われる所以です
これをやめるのは至難の技といえますが
実はとてもシンプルでもあります

依存する相手がいなくなれば ほぼ依存はなくなります
例えば親であれば 亡くなったら 子の依存はなくなります
一番愛して欲しかった親はもういないのだと受け入れることができるのでしょう
本当の意味で 諦めがつくのでしょう

ひとつ気をつけたいのは 依存する相手がいなくなった時
それは親であったり 配偶者であったり 恋人であったりするかもしれませんが
依存の対象を変えて また依存を続けること
無意識のうちに他者に依存してしまう癖をやめることです

ここでも無意識を意識することが大切です


新しい年を迎えました
あなたは今年一年に どんな抱負を抱いているでしょうか

経済的 精神的な自立でしょうか?
親から離れることは最大の課題です
でも現実的には いざ就活となるとなかなか仕事がない
人間関係を作る 他者とコミュニケーションを取ることにも不安があります

コミュニケーションのトレーニングをしますか?
自分だけの一方通行ではなく 相手との相互通行
自分を表現するのと同じように 相手の意見 気分 感情を聴く力が求められます

自分の内側を探り 認知の歪みを直すことでしょうか?
親から貰った感じ方考え方 ものの受け止め方は 無意識にあなたを縛り あなたを苦しめます
自分を変えていく作業はそれなりにエネルギーを使います
変わったつもりでも実は今まで通り ということもあります

いいえ そうじゃない 何もしない と決めましょうか?
実はこれが一番大切な時期だという人も多いのです
何もしないことは 外に向かってのエネルギーを停止すること
その分 内側に向かいます 自問自答 急に答えは出ません
何年もかかります それほど傷は深いのです



ひとつ 挑戦して欲しいことがあります
感情を表す作業をすることです
話し言葉 または書き言葉で 自分の感情を表すのです

しかもそれを届ける相手を想定して
詩や散文などの心象表現ではなく 厳密な意味を持つ言葉で
そうなると相手は家族 親へのメッセージ 一番嫌いな そして一番愛着のある人と向き合うのです

あなたの本当のところを 本音の本音を
『私は」を主語にした I messageを

一度は親に向き合い 自分の本音を伝える場面が来ます
相手が分かってくれるか分かってくれないかに関わらず
また親への欲求や不満ではなく
私はこうなんだよ こんな感じ こんな気分なんだよ こうしたいんだよ を伝える


私の場合 外で食事している時でした
「私を産んでくれたことには感謝していますよ でも育て方は失敗だったね」
これが言えた瞬間 あ 私は自立できた と思いました
相手が分かってくれたとは思いません「私ゃあんたを一生懸命育てたんだ」と撫然としていましたから

これは相手に言葉を届けると同時に 自分で出した言葉を自分の耳や目で見聞きして確かめる という役割も
自分を客観視する大切な作業だと思っています

自分の感情とじっくり向き合い 言葉に 文字にする作業
ぜひ試してください





カウンセリングや心理学の表現で多い 自己◯◯の四字熟語
今回は自己決定 について

自分で決める というとても単純な 分かりやすい表現ですが
実際にできているか やろうとして可能なことか 難しいかもしれません

この間の身の回りの出来事で あまりにも自己決定を放棄している風景を見たのです
自分で決められるのに 決めない 他人に決定を任せるのです
どうしてこんなことが起きるのか
自分で決めるということが できにくい状況になっているのでしょうか
誰かに決めてもらう 自分で決めることで生じる責任を回避したいとでもいうのでしょうか

仕事の現場でも それは些細なこと 例えば仕事で出る洗濯物を何リットルの水で洗うのか
そんなことどうでもいいのに 誰でも洗濯ぐらい自宅でやっている
洗濯物の量と水の量など誰でも決められる 何なら洗濯機ご本人にお任せしてもいい それほどのことなのに


ACの場合 自己決定という自由を奪われて育ちました 奪ったのは親
親は親自身を自己決定するのではなく 子という他者の自己を決めていました
親が子どものすべてを決めていました 幼児期なら仕方がありませんが 物心ついてからでもずっと
子は親のモノ 所有物でした 子はそれに反抗したくてもいつものあの不安と恐怖に晒されるのが嫌で 何も言えません
自分のことを自分で決める このシンプルでわくわくする体験をしないまま 大人になりました
誰かに決めてもらわなくては決められない 悲しい大人になりました

それどころかそんな親を見て 学んで育ちますから 自分も同じことをしてしまいます
愛着を持った他者に 距離を詰めて 自分の所有物だと思い込んでしまうのです
そして相手の自己決定の自由を奪うのです

自己決定の自由 そして他者の自己決定の尊重を
今からでも取り戻すことはできないでしょうか できます

自分の人生のすべては 自分で決めていいんだよ
たとえそれで間違ったり失敗しても それは自分で引き受ければいいんだよ
やり直せばいいんだよ と自分に語りかけるのです


そして自己実現
自分の理想 欲求 を実現する
これも長い間 自分の中で抑え込んでいた欲求を 外に出すことから始めます
欲求は悪 いけないこと という親からの呪縛を解くことです
「どう感じてる?」「で どうしたい?」感情と欲求を往き来して 自分で自分を決めていきましょう
言葉にして あるいは文字にして 出したものを自分の目で 耳で確かめて
ごまかしではなく本当の自分の感情と欲求を感じて それを受け止めましょう
受け止めたものは大切に 離さないように なりたい自分に向かいましょう