ルソーの絵のような月夜だった


軽い気持ちで山菜を採りに山道を入って行った僕は
いつしか道に迷い夜になってしまった


僕は自分がどこにいるのか
まったく見当もつかなくなってしまった

どうしたものかと困り果てていると
奇妙な生き物が僕の前を通り過ぎた
思わず木陰に隠れ
そっと覗き込むと
驚いた事に猫が二本足で立って歩いているではないか
しかも服を着て
頭には帽子を被っている


驚きながら後をついていくと
しばらくして
そいつはピタリと止まって振り返った

「ついて来ないでよ!」

あっ!お前は…

我が家の飼い猫の三毛吉そっくりだった

三毛吉は自分に一番なつかない猫だった

「お前 三毛吉か?」

「馴れ馴れしく言わないでよ。いまは自由時間なんだから!」

そういえば三毛吉は時々夜中に
家を抜け出しているようだった


こんな風に二本足で山の散歩を楽しんでるなんて困った奴だ

「あのさ ちょっと迷子になっちゃったんだ。どうやって帰ればいいのかな」

「教えてあげないわ。だってあんたはあたいの事が嫌いなんでしょ」

「そんな事ないよ…僕は三匹とも平等に可愛がっているさ」

「嘘ばっかり。あたいは女の子なのに三毛吉なんて男みたいな名前つけて!どれだけ乙女心を傷つけてるか分かってるの?」

「悪かったよ だってお前 三毛吉って呼ぶとニャアって振り向くじゃないか」

「だから…あたいはいつも怒ってるのよ。いまから猫祭りに行くんだからあなたなんか知らないわ」


僕は仕方なく三毛吉の後をついて行くことにした


山道は森へと続き
再び山道へと変わって行った
谷川の細い道を通り抜け
山の斜面を駆け上がって更に山奥に入って行った


こんな人も入れないような山に何があるのだろう
僕の靴とズボンは泥だらけになってしまった


山の細い獣道を抜けると嘘のように広場が広がっていた

あちこちで提灯が灯りがついている

どこからか笛や太鼓の音が流れている

広場の所々でゴザを敷いた露店が開かれている

見た事もない食べ物や薬草を売っている店
雑貨を売ってる骨董屋
古本屋まであるではないか
店主はみんな猫だった


アセチレンランプをつけた古本屋を覗いて見ると
そこは宝の山だった

あの幻の名作と呼ばれ恋愛小説の最高傑作と言われるミッシェル・ランヌの「冬風のルネ」

この世で一番恐ろしい本と言われる赤錆谷男の「有束地獄」の初版本などがズラリと並べられていた
どの本も夢にまで見た本ではないか


僕は震えを抑える事ができないまま
むさぼりつくように本を手に取ってページをめくった


すると長い毛むくじゃらのチンチラペルシャの店主が僕の目の前でハタキを振り回した

「これこれ立ち読みはいかんよ」


「すいません…あのこれ二冊とも買いますいくらですか」


「う~ん 二冊で5万2千ニャーギルだよ」

「エッ?ニャー…ギルってなに?」


僕は懇願するような顔で三毛吉を見つめた

「無理無理 あたい7千ニャーギルしか持ってないもの。それにこんな変な本なんか買わないわよ」

そういうと三毛吉はスタスタと歩きだした


僕は慌てて彼女の後を追った
もっとここにいたいけど彼女を見失ったら帰れなくなる


彼女は食べ物屋の前で止まると
店の奥で串に刺されてクルクル回りながら焼かれている肉を指差して注文した


昼間から何も食べていない僕の腹は思わずグゥゥと音をたてた

「うまそうだね。何かなそれ?」


「スズメの丸焼きよ。あたいの大好物なのよ。でもあんたにはあげないわよ」


三毛吉がうまそうにバリバリと音を立てて食べる姿を見て
僕の胃袋はグゥゥ グゥゥと大きな音を立てた

口からはくやしよだれが不覚にもポタポタと落ちてしまった

あぁ こんな事ならもっと三毛吉を可愛がっておくんだった

僕は空腹のあまり気が遠くなりながらそんな事を考えていた

月がきれいだった
ルソーの絵のような暗い森と明るい月

月がうまそうな肉まんに見えて僕は気を失った…。







初夏の眩しい日差しの中で
初めて君を見かけた


長いしなやかな髪がその時吹いた一陣の風で
生き物のように舞っていた


首にまいた涼しげな水色のギンガムチェックのスカーフが妙に目に焼き付いた



公園の木々や堤防沿いの緑の濃くなった草原を
強い風が吹き渡っていた


草原の上を
風が大きなうねりをあげて柔らかな模様を描いていた



君は僕に気が付くと
「ねぇ、知ってる?初夏に吹く、木々を揺らす強い風の事を青嵐って言うのよ?」
と言った


僕は

「へえ、そうなんだ。初めて聞いたよ。なんだか風流だね。」

と答えた


君はニッコリと笑った


その笑顔はどことなく温かく
でもとても爽やかだった



僕は君の顔がとても眩しくて
堤防の向こうに見える川を眺めた

「君は、ここで…」

と言いかけて振り返ると

君はもういなかった


なんたがキツネにつままれたような気持ちになった僕に

青嵐が吹き渡った




それから数日後
花屋さんに行って
僕は贈り物の花を選んでいた


花などめったに選んだ事のない僕は
あぁでもない
こぅでもない
と頭を悩ませていた

その時後ろから

「贈り物ですか?」

と言う声


振り向くと
あの時の君がいた


君は あっと驚いたような顔をして

あの時のような
爽やかな笑顔になった



足元の綺麗な花達が一斉に揺れた


まるで
小さな青嵐が吹いたようだ

と僕は思った。








何も見えない真っ暗な闇の中を
僕は誰かに手を繋がれて歩いている


目は開いてるのに全く何も見えない
どんな人と手を繋いでいるのかも分からないのに
何故か恐いという感情は無かった


だんだんと冷静になってきて
手を繋いでいる相手の事を考える


小さな手だ
柔らかくて 温かい

そう…子供の手だ


この子はどこへ僕を連れて行こうとしているのか

ここはどこなんだろうか



なんだか足元に砂利のようなものを踏みしめているような気がする

真っ暗な中を歩き続けるという事は
どれだけ歩いたのかという時間も距離も把握できないものだなぁ



僕はそんな事をぼんやりと考えながら歩いている


少しづつ暗闇の中から道がうっすらと見えるようになってきた


僕の手を引いているのは6、7歳ぐらいの少女だった


髪の毛が長く
黒いワンピースを着ている

「どこへいくの?」
僕は少女に聞いた


「…もうちょっとだから…」

少女は僕に背を向けたままで呟いた



真っ暗な道の遥か向こうに
大きな山のようなものがぼんやりと見えてきた

「あそこまで行くのよ」

少女はきっぱりと言った


まるで大人の女が言ったような気がして
僕は奇妙な気持ちになった



まてよ
あれは…
山ではない



それは
とてつもなく大きな船だった


今まで見てきた船とは比較にならないほどの大きな船だった

僕は驚きのあまり言葉が出なかった


それにしても
信じられないほど大きな船なのに
なんだか大昔の船のような気がした


なぜなら
全面が長い時を経たような木造の外観で
しかも錆びついた金属で木と木をつないでいたからだった


僕らはやがて
船のすぐそばまでやってきた


少女が振り返った

あっ!

僕は少女の顔を見て驚いた
見覚えのある顔だったのだ



「このものの身を渡らせたまえ、このものの身を渡らせたまえ。」

少女は囁くように言った



僕は気が遠くなって

その場に倒れた…





次に僕が目を覚ましたのは
病院のベッドだった

僕は友人と海でボートに乗って転覆し
溺れたのだ



医師が
「助かるなんてなんて運のいい人だ。奇跡と言ってもいい」
と言っていた


僕は点滴の液が落ちるのをじっと見ていた


あの少女の顔は…


あの時
確かに知っている顔だと思ったのに

もう顔すら思い出せないのだった


一体君は

誰だったのだろう。