「私はこれまでの人生を、ただひとりの男の音楽だけにつき動かされ、揺り動かされるようにして生きてきた。我ながら驚くべきことだと思う…その音楽を私は、自分自身の音楽的基盤の根本原理のようなものだと受け止めてきたのだが、しかしそれは、妄想とか脅迫観念といった類いのものではない。そうではなく、たとえば道を見失いかけた時の指標のようなものとして、彼の音楽はありつづけてきたのだ。
…私の知るかぎり、ほかに比肩しうるものもない、至上の音楽。彼の歌に込められた純粋さを私はずっと心の拠り所としてきた。もちろん、これからもずっと。」
これはエリック・クラプトンが尊敬してやまないあるブルース歌手のカバーアルバムを製作した時に
彼自身が書いたライナーノーツだ
クラプトンのいうだたひとりの男の名は
ロバート・ジョンソン
という
ロバート・ジョンソンは
1911年5月8日ミシシッピ州コパイア群ヘイズルハーストに生まれた
母ジュリア・ドッズは家具職人のチャールズ・ドッズと結婚し7人の子供がいたが
夫と別居している時に行きずりの恋をした
相手は作男のノア・ジョンソンという男だった
二人の間に生まれた子供がロバートだった
チャールズはその事を知りながら自分の子供として育てた
ジュリアはやがて離婚し、まったく違う男と再婚し
ロバートは彼女のもとに引き取られた
ロバートが18歳になった時
ヴァージニア・トラビスという15歳の女性と結婚
しかし彼女は翌年 出産中に亡くなり
お腹の子供も死亡する
この事件があった後
ロバートは町から町へと渡り歩く流しの弾き語り歌手になる決意をする
ギターテクニックを学ぶ為にいろんな歌手の後を追い回し
時には願い出て演奏を披露するものの
彼の技術は未熟でみんなの笑いものになっていた
そんな彼が姿をくらませて1~2年後
驚異的な演奏技術を身につけて帰ってきた
人は彼がギターがうまくなる代わりに悪魔に魂を売ったのだと噂をした
しかし本当は
アイク・ジマーマンというギター弾きに教えを請い
彼の家に住まわせてもらいながら
近くの墓地でギターの特訓を重ねたていたのだった
やがてメキメキと名声をあげた彼は
オーディションを受け
レコードまで出すようになった
一流のブルースマンとして認められるようになった彼に
突然悲劇はやってきた
1938年夏
グリーンウッドのはずれにある「スリー・フォークス」というジューク・ジョイントで演奏に出かけた時
女癖の悪さからこの店の店主の妻と不倫関係になってしまう
7月のある土曜日
不倫を知った店主に酒に毒をもられたのだった
ステージに立った彼はすぐに歌えなくなり演奏を中止した
翌朝にははっきりした薬物中毒の症状が表れた
一時は快方に向かうが再び重体になり肺炎を併発し
8月16日の土曜日に絶命した
まだ27歳の若さだった
今年はこの天才ブルースマンの
生誕100年にあたるという。