今日も36℃まで気温が上がった
これで3日連続で35℃以上の酷暑日だ

テレビでは日本列島の上に熱帯低気圧があり
更にその上空に
チベット高気圧が居座って
丁度フタをしたような状態で
高温の日がまだまだ続く
とか言ってたけど
なんだか、分かったような分からないような解説だ


しかし
毎日耐え難い暑さだ


以前どこかの学者が数年後には
日本は熱帯雨林のような気候になる
と言っていたが
最近の夏の暑さは異常で
その話もなんだか本当のような気がしてくる



自分が子供の頃の夏は良かったなぁ
こんなに暑くなることはなかったし
エアコンもなくて
扇風機だけだったけど
普通に寝れた
汗はかいたけど
こんなに不快な汗じゃなかった


いったい日本は
これから
どうなってしまうのだろう






今日も朝から蒸し蒸しと湿度の高い嫌な天気だ
外を歩いているだけで汗が吹き出してくる
関東地方では梅雨明けしたと聞くが
この辺りも早く梅雨明けして欲しいものだ

不快な天気の日には
嫌な知らせが舞い込むものなのだろうか

会社の同僚からA先輩が亡くなった事を知らされた

Aさんが定年後に嘱託として会社に勤めていた事は知っていたが
最近見かけないので少し気になっていたところだった


Aさんは自分が入社したての頃
一緒に仕事をした先輩だった
 僕は初めAさんが怖かった
思っている事をズケズケと遠慮なく口にする人
すぐにキレる人
大声で怒鳴る人
そんな印象だった 

実際、何度も怒られた
だから苦手だった
できるだけ接点を持たないようにした
そんなAさんの印象が変わったのが
会社の忘年会だった
金曜日の仕事が終わってから海辺のホテルで泊まりがけで行われた忘年会
気が重かった
当時はあまり話せる人もいなくて欠席したいぐらいだった

宴会がやっと終わった頃
Aさんがやって来て
「おい、ちょっと外に飲みに行こうぜ」

わっ!最悪!

だが結局Aさんと仲のいいOさんと3人で
僕らは外に繰り出した
「オレの好きな店がよぅ近くにあるんだ。そこに行こうぜ」

いったいどこに行こうと言うんだ
エロいところか
まさかヤバイところじゃないだろうな


タクシーで乗りつけた先は
意外にも海岸線沿いのシックな洒落たバーだった
外観が煉瓦で覆われた落ち着いた店
その名も「煉瓦亭」といった
Aさんはいつもと違ってニコニコしていた
「この店はよぅ、オレの一番好きな店なんだ。ちょっと高いからたまにしか来れんのだけど、給料が出ると来るんだわ」
「あら、うちはそんなに高くないわよ」
店の女の子が笑いながら横に座った

「オレ達の給料からすると高いんだわ。安月給だからよ」
いつになく上機嫌でAさんは笑った
「珍しいわね、Aちゃんはたいてい1人で来るか、Oさんと2人なのに」
「ここはオレの隠れ家だからな。みんなに知られたくないんだわ」
「あら〜、そんなの困るわ。みんなに宣伝してもらわないと!」
思わずみんなで大爆笑になった

なぜAさんが僕を誘ってくれたかは分からなかった
でも、こんな洒落た店を隠れ家のように持っているAさんが素敵だと思った


そんなAさんとやがて職場も離れ
数年後にまた移動で同じ職場になった
Aさんは海外研修で一週間ほど東南アジアに出かけた
帰ってくると沢山のお土産をいろんな人に配っていた

「これ、お前にやるわ」
Aさんは小ぶりなモスグリーンの小箱を僕にくれた
洒落たキーホルダーだった
「喜べよ」
「ありがとうございます」
「これはよう、土産の中で一番高かったんだぞ」
「へぇ、そうなんだ。嬉しいです」
「グッチだ。グッチ!」
「グッチ裕三ですか?」
「バカ!」
「あはは」
「お前よぅ」
「はい?」
「ユーアー  ベリー タイアード   ってどういう意味だ?」
「あなたはとても疲れている、っていう意味ですね」
「それだけか?」
「それだけですね」
「なんだそれだけか」
「誰に言われたんですか?」
「夜に3日連続で女を買いに行ってよ。最後は疲れてマッサージしてもらった。その時に女から言われた」
「じゃあそのまんまですね」
「あぁ、そのまんまじゃねえか」

Aさんはその事がずっと気になっていたようで、僕は思わず笑ってしまった
Aさんのくれたグッチのキーホルダーは赤と緑の革紐が捻れて編んであって金色と銀色の丸っこい金属に繋いであるカッコいい作りだった
しばらくは使わずに大切に保管していたが
数年後に会社のロッカーのキーホルダーとして使うようになった
使い込むほどに固い革紐がいい感じに馴染んで柔らかくなってお気に入りになった
でも何故こんな高いものを僕にくれたのかは分からなかった



Aさんはずっとお母さんと二人暮らしで
結婚することはなかった
お母さんの老後の介護をして
お母さんが亡くなった後は一人暮らしだったそうだ
たった一人の身内だったお姉さんが
Aさんに連絡がとれないのを心配して実家を訪ねると
すでにAさんは息を引き取っていたそうだ


寂しい人生の終わり方だった

冥福をお祈りします
Aさん、いままでありがとうございました。






いわゆるSNSというものを知って
初めて日記を書くようになったのは
いつだったのだろう

気になって調べてみたら
まだ残っているSNSの一番古い日記が
2007年の5月だった

もう12年も前なんだなぁ
もちろんアメーバが初めではなく
いろんなところで書いていたのだが
初めは何を書いたらいいのか分からずに
全然面白くなかった

ある時にふと思った
人からどう思われようが
自分が読み返してみて面白いと思うことを書けばいいじゃないかと

そう思うと書くことが楽しくなった
別に毎日あったことを書く必要はない
空想した事
昔あった事
思いつく事を書けばいい

誰からも反応は無かったけど
書くのが楽しかった
そんな事を続けていくうちに
自分の日記を読んでくれる人が
少しずつ増えてくれた

次はそんな人達とコメントをやり取りするのが楽しくなった

その人達がどこに住んでいるのか
どんな顔をしているのか
そんな事はどうでも良かった

言葉のやり取りだけで
笑顔になれたり
悲しい話に
涙ぐんだり

ずいぶん励まされた

古い日記は読み返してみても
面白かった
いろんなSNSを替わったけど
僕はアカウントを消したくなかったので
残している
だからまだ読む事ができる

多くの人は一つのSNSを辞める時は
ほとんどの人が全てを消してしまうようだ

それが普通なんだと思う

僕が古いSNSを消せないのは
きっとそこで出会った忘れ難い人達が
いつかまた戻ってきて声をかけてくれるかも知れないと思っているからだと思う

袖触れ合うのも多少の縁

僕は辞めた人を探すことはしない
どんな事情かはほとんどの場合分からないけど
またひっそりと帰ってきても
それはいいと思う
きっと探されるのを望んでいない人もいるだろうと思う
また気がむいたら声をかけてくれたら
それだけで嬉しいと思う

みんなどこに行ってしまったんだろう
元気でいるといいんだけど