昔から空き箱もとい空き缶や
チラシやなんじゃかんじゃと
捨てる前に一寸考え自分に問う
癖がある。

が、捨てられない訳ではない。



記憶の中での大切な箱がひとつある。


お祖母ちゃんが煎餅の空き箱に
「☆☆☆の箱」と書いてくれ
遊ぶ時は必ず目の前にトンっと
置いてゴソゴソと遊ぶのである。


中身は折り紙に正方形に切ったチラシである。



折り鶴の折り方は祖母から習った。


今でも暇さえあればなぜか
折り鶴を、手が勝手に
何処でもいかなる紙でも
折ってしまう癖がある。


紙幣はないが。


そして、鶴だけである。
それしか折れない。



何故か日本での日常は箱に溢れる。


よって沢山の大小の収納庫が生まれる。


もっぱらゴミ箱が60%を占めるが。


雑誌や新聞やとっておいた包装紙を
バリバリ切ってタコタコ張っつけて
チャチャと書き書きし、置き場所を
決めれば新たな生活用品となる。


別にリサイクルに五月蝿いのではない。


再利用ではなく、箱の使い方である。


ただの想像力である。


物の行方である。


人間にはリサイクルとは使わない。


非情草木と有情生態は同じだと
箱たちは語る。



これは、

お祖母ちゃんからゲットした
想像力である。