3月15日 | あぶぐまの里にっき

あぶぐまの里にっき

阿武隈の地に移り、昔ながらの農とくらし、技の継承を目指していたが、原発事故で自然・社会環境、自分の心も全てが変貌。

地元のとある方とお話しました。



「あの日は避難所が大変で右往左往していた。水も汲みにいかなくちゃならなくて、外歩いたから雪にだいぶあたってしまった。」



多くの放射能が飛散してきたと思われる3月15日のことを、私がたずねたわけでもないのに訴えるように話されました。



ここ川俣小島地区では、小島ふるさと交流館にて避難者を受け入れている。地震直後から浜通りから多くの避難者が訪れ、一時は900人以上だったらしい。小島の人口は700人なので、それ以上。そしてそこでは地域の多くのボランティアが活躍していました。実は私にも要請の電話があったのですが、すでに県外に避難していたため断らざるを得ませんでした(当初は小島地区内の各部落から決められた人数を出していた。その後変更したよう)。

計画的避難区域には指定されていませんが、ここ小島も汚染地域。そこに避難者が訪れ、その対応にあたって被爆してしまっているる人もいるのです。自宅から避難所になっているふるさと交流館までは徒歩で通う人も多い。
避難を受け入れる側であり、被災者として認定されないながらも、放射能汚染が広がり心配、対策もしないといけない。そんな複雑な場所になってしまっているのです。