そういう人もいるんだなぁ、というふわりとした寛容度
なんとなく、ときどき、しみじみと、日本は寛容性が低い雰囲気が漂っているなぁ、と思うことがあります。同じでいることは安心するけれど、ちょっと違う人をみると、出る杭打たれる、みたいな。もちろん、出すぎた杭は打たれないともいうけれど、なんとなく、人と一緒であること、同調することが美徳のように捉えられているところがある。それを否定するつもりは全くないけれど、一方で、もっと「違い」に寛容度を高くしてもいいのではないのかなぁ~とも思うわけです。「なんだか合わない」ことや、その「違い」を無理に好きになるとか、受け入れるとか、無理やり考え方を変えるとかそういうことではなくて、「そういう考え方もあるんだ~、なるほどね。」と受け入れる寛容性は持っていたいなぁと思うわけです。ものごとはあたりまえだけれども、2つ以上の側面があるわけで、捉え方次第ではいかようにも視点はあるわけで。それなのに、自分の今までの経験や環境によってつくられた当たり前を、絶対基準として捉えて、それとは違うものは一切受け入れない、というのはやっぱり悲しいしもったいないことだなぁ、と思うのです。例えば、自分にとって「なんだか変な苦手な人」がいたとする。誰かを苦手と思うことは別に当たり前だと思う。聖人ではないですし。ただ、そこで終わらずに、そのあと、「まぁ、そういう人もいるんだなぁ」と思えたらそれだけで、もう、儲けものというか、ちょっと良い方向に変わる気がする。わざわざ人を嫌いになる必要はなくて、もちろん、好きになる必要もない。そうなったら、グレーみたいな感じだけど、イラだつ必要もないし、悩む重さも減ると思う。それはつまり、「自分の考えが常識で正しいことだと思いすぎていることに気づく」ことで、可能になる気がする。また、「ありえない!!」と苛立ちを感じる時、いろいろな視点で背景を考えることで、少し冷静になれることもある。「体調が悪かったのかも」とか「親族に不幸があったのかも」とか「彼氏と別れたばっかりなのかも」とか。そういう知らない背景を想像して、そのあとに、「まぁ、そういうこともあるのかもなぁ」とふわりと思えたら、なんだか楽になりますよね。自分が正しいと思っている価値観というのは、「自分の生きて来た中で作られた個人的なものなんだ」くらいに思えれば、自分の価値観と違う人がいても、わりとすんなり寛容できるし、ましてやその考えを強制的に変えてでも、自分の正しいと思うものに合わせようとする必要はないですよね。受け入れるのでもなくて、わざわざ反対する必要もなくて。ああ、そうなんだ、という軽さ。「そういう人もいるんだぁ。」そんなふわりとした寛容度が漂う社会がもっと広がってきてもいいのかもなぁとふと思ったのでした。