〇質問 「最近二年間、私は為替取引にはまり込んでいます。どうやっても安定的に儲かる取引ができずに、二年間損をし続けています。取引仲間が書いているように、「市場は悪魔の発明品」なのかもしれません。「神の物は神に、シーザーの物はシーザーに収めよ」という事でしょうか? 市場で取引をしていると、自分の魂を失ってしまう気がします。残念ながら、それはその通りで、真実だと思います。私にとって唯一の救いは、教会に寄付することです。しかし、そうしてもカルマによる結果までは取り除いてくれないでしょう。
 では、運命の多様性についてはどうなのでしょうか? 為替取引で本当に暮らしていけるのでしょうか? 億万長者になった人の話は、単なる作り事なのでしょうか? それとも、金持ちになるという考えそのものを潜在意識から拭い去り、代わりに身近な人々への恩情という考え方をそこへはめ込んだらよいのでしょうか? 私は理論家でもなく、初心者でもありません。ここに書いたことはすべて自分自身で数えきれないほど体験したことです。あなたのお考えでは、私はどのような選択をすべきであると思われますか?」
答え あなたは、あなたがどのような選択をすべきか、私の意見について質問されています。あなたの本当に道について、私やほかの人が指し示すことはできないのです。それを知っているのはあなたの魂だけです。私ができることと言えば、あなたの失敗を評価する、それも主観的にそうするくらいです。
 あなたは「私にとって唯一の救いは、協会に寄付することです」と書いていらっしゃいます。それが唯一の救済策であるとあなた自身が思っていないことは、もちろん私にもわかります。それにしても、寄付行為を救済策とみなすことができるという考え方をあなたはいったいどこから持ってきたのでしょうか。
 神の信望者ではなく、宗教というコマの信奉者が、協会に金を寄付すると、「自分の魂の救済になる」とか、またはカルマが絡む問題から抜け出すことができるなどと、あなたの耳に吹き込んだのでしょうか。神に仕える人物が本物であれば、どれほどお金を積んでも免罪符は買えないのだというはずです。
 率直に申し上げましょう。宗教のコマは神ではありません。教会を必要とするのは、至高の神にとってではなく、コマにとってです。神はあなたの寄付金を必要とはしていません。もしあなたが自分の寄付行為を自分の問題の解決策としてみなしているのであれば、それはすなわち、神と契約を結ぼうとすることなのです。
 もしあなたに使い道の無いの無い巨額のお金があるのなら、慈善行為は蓄積された資金の過剰ポテンシャルを取り除いてくれるかもしれません。しかし、あなたは為替取引に携わっているという事ですから、寝かせておくような資金はないでしょう。
 事前行為というのは、もしそれが心からのものである場合に限り、真の意味で尊いのです。例えば、孤児院を支援するお金持ちがおりますが、本人は現場に一度も出向いたことが無いこともあります。このような場合、それは尊い行為ではなく、契約なのです。そのお金持ちからの援助資金は冷談に振り向けられ、「私は孤児たちを助けている」という敬虔なフレーズによつて縁取りされた美しい理念となります。
 しかし、そのお金持ちの動機は心底からのものではありません。彼は自分が支援している孤児たちとの交流を求めてはいません。つまり彼は孤児たちを愛しているわけではないのです。お金持ちは、孤児達を援助している自分と言うものを評価しているわけです。それにしても、心から愛することなしに、支援を与えているこの人の行為は、悪いことなのでしょうか。いいえ、悪いことではありません。それどころか、大変結構なことです、ただし、その行為がお金持ちに何らかの形で「恩恵となって戻ってくる」と期待してはいけないのです。
 そのお金持ちは自分の社会的評判を引き上げることはできるでしょうが、彼の魂はいかないる埋め合わせも受け取ることはありません。不誠実に他者を愛するよりも、誠実に自分自身を愛する方がましです。自分を愛することは絶対に必要だと言っても過言ではありません。あなたは次のように書いています。「それとも、金持ちになるという考えそのものを潜在意識から拭い去り、代わりに身近な人々への援助という考え方を底へはめ込んだらよいのでしょうか?」 もしあなたが心からそうするための動機を感じていないのなら、身近な人々を助けるという行為を自分に強制する必要はありません。反対に、自分ごとにこそ励んだら良いのです。それが心からの行為であるなら、何も恥じることはありません。コマの信奉者たちからの叫び声に注意を払う事はありません。彼らは自分達の「精神的」財貨をあなたに押し付けようとしているだけなのです。覚えておいてください、本物の聖職者ならば、あなたに何かを押し付けようとすることなどありえないという事を。
 あなたにとって最高の精神的財貨というのは、あなたの魂のことです。コマから顔を背け、あなたの魂と向き合い、自分が心底から行いたい事、例えばそれが利殖行為であるのなら、それに従事しましょう。ただし、利殖に臨むあなたの姿勢とは、努力してそうする筋合いのものではありません。
 魂が欲するのはお金ではなく、お金で買う事の出来るものです。あなたは何が欲しいか、正確に知っていますか。きっと知らいないと思います。そこで、人生で本当は何が欲しいか、自問してみてください。何があなたの人生をお祭りに変えてくれるのでしょうか。自分の目的を探しましょう。
 あなたの理性はこの課題に真正面から取り組もうとします。お金があれば、ほとんどすべての物を買うことが出来るのだから、お金がありそうなところへ一目散に向かうべだ、と考えるわけです。しかし、ここで問題となるのは、魂も自分なりに真正面から行動するという点にあるのです。魂は、お金へ一目散に向かおうとする気持ちを理性とともに分かち合おうとしてくれません。そもそも魂は抽象的に「思考する」ことができないため、理性がお金へ向かおうとすることが一体何なのか理解できないのです。だから、お金を手に入れるという点において、魂は理性の見方をしてくれません、しかし、魂無しの理性は、理性無しの魂と同様に、無力です。
 それではどうしたらよいのでしょうか。自分の目的を定め、その目的を達成するための手段については考えずに、目的に向かって進むのです。手段はおのずと見つかるでしょう。これこそが一番重要なポイントです。言い換えると、魂と理性が手に手を取って目的に向かって進むとしたら、以前は近寄りがたいと思われた扉が、あなたの目の前で開かれるのです。
 ところで、為替取引というゲームをあなたの扉であると考えてもよいのでしょうか。私は判断を控えておきます。あなたは次のように書かれています。「どうやっても安定的に儲かる取引ができずに、二年間損をし続けています」結論は自分で出してください。億万長者になることができる人というのは、お金に向かってではなく、自分の目的に向かって進む人なのです。
 人が自分の扉を通って自分の目的に向かって進むとき、その人の魂はウキウキし、理性は満足そうに揉み手をします。為替取引というゲームがあなたの魂に喜びを垂らしてくれますか。それに携わることがあなたの理性に満足感を与えてくれますか。これらの問いにはあなた自身で答えなければなりません。

〇質問 「夫婦の中には、相いれない者どうしが、まるで互いに相手を罰してでもいるかのように一緒になっている事がある、とあなたは述べています。それは私のケースです。そのような状況から抜け出すには、どのような行動をとり、何を考えるべきか、実際的な助言を与えてはもらえませんか?
 私は何度も関係を調整しようとしました。効果はあるのですが、長続きしませんでした。その後、私たち夫婦は互いに愛を受け入れられず、私はほかの女性とやり直すべきだと思うようになりました。そして、離婚の道を選ぼうとしました。私は関係を断ち切ることを強く希望していますが、共有の不動産があり、思っていることを円滑に最小限の損失で実行できる上にはありません。
 私が腹を立てて、どんな条件でも良いから直ちにすべてにけりをつけようと思うと、私たちの関係は、はっきりした理由がないのに、一時的に持ち直すのです。でも、そんな状態はすぐに逆戻りしてしまいます。状況を変えるには、事象選択の観点から何を行うべきなのでしょうか?」 


答え 離婚の大半はありふれた原因、つまりばパートナー同士がありのままの自分でいることをお互いに許容し行っていないことによるといっても、間違ってはいないでしょう。上記のケースの場合、たぶん読者の皆さんも、この二人は間違っていると思っているとでしょう。私は二人のどこが間違っているのかを指摘しようと思います。間違いがどこか、わかりましたか。
 問題は、だれが正しくて誰が悪いと言うところにあるのではないのです。些細なことによるいさかいには、平凡とは言えないもっとも大事な側面があります。それは、意識性、というよりもむしろ、意識性の欠如というものです。
 腹を立てるというのは、無意識的な反応です。無意識に夢を見る場合、夢は人間に偶然起きるものです。なぜなら本人はそのゲームにすっかり夢中で、それが夢にすぎないことをはっきりとは理解していないからです。
 同様に、人間は、カキガイのように外部からの資源に対してネガティブに反応しつつ、覚醒した状態で眠っていることがあります。各人にはそれぞれの個性や特徴を持つ権利があるという事は、だれもが理解しているようです。そして、もしその人があなたのようではないからと言って、あなたのようになる義務は何もないのです。
 ところが、皆がそのことを意識するのは、そのことについて質問されたときだけなのです。それ以外の時には、腹を立てるための引き金は無意識の状態で作動します。
 覚醒していながらま無意識的な夢見状態にある人は、自分には自分でいることを許しませんし、他者でいることを許さないのです。すると依存関係が生じ、依存関係は分極化を引き起こし、分極化は平衡力の風を生み出します。平衡力は、意識性を消去しようとして、性格が正反対の人同士を衝突させようとします。
 おまけに、コマが分極化を察知し、パートナーたちを誘導しして、より強い憤慨を引き起こさせる行動に出るようにするのです。時折、あなたのお相手がまるでわざとあなたを苛立たせようとしているかのように振る舞った記憶があなたにはありませんか。
 そんなわけで、ほとんどの場合、本人はコマの影響を受け、無意識にそのような振る舞いを行っています。コマは、あなたの憤慨によるエネルギーを摂取し、あなたをもっと苛立たせるような行動をあなたのお相手がとるように仕向けているのです。
 あなた自身がお手紙の中で、分極化の作用を説明しています。この部分です。「私が腹を立てて、どんな条件でもいいから直ちにすべてにけりをつけようと思うと、私たちの関係は、はっきりした理由がないのに、一時的に持ち直すのです」
 あなたが「どんな条件」でも同意しようとすると、まるで「勝手にしやがれ」と言わんばかりに、握っているものを放すことになります。すると、この瞬間、分極化は弱まり、平衡力の風は静まり、コマはあなたをそっとしておきますから、その結果として、関係が改善されるのです。
 一般的的には、違う者同士よりもむしろ似た者同士の方が相いれないと言えます。「私たちはお互いに相手を受け入れられない」とか「性格が合わない」という表現は、「お互いに相手がありのままの自分でいることを容認しない」という意味に置き換えられます。
 本当は、正反対の性格を持った人々でも、仲良く幸せに暮らすことが出来ますし、そうでなくてはなりません。平衡力が正反対の性格の持ち主たちを衝突させるのには、それによって現状維持を目指すと言う理由があってのことです。
 長い結婚生活の中で何度も離婚の危機に瀕した夫婦を私は知っていますがも、おそらくあなたの周りにもいる事でしょう。彼らは本当に離婚しようと思い、スーツケースを持ち出したり、食器を割ったり、一緒の写真を燃やしたり、離婚届に判を押したり、他にもぞっとするようなことをやってくれます。そうしたとてつもないドラマには、「今度こそ絶対におしまい」という恐ろしげな宣誓までが伴うものです。ところが、嵐が一段落し、二人の戦士たちが落ち着くと、また一緒に生活を始めるわけです。
 もし舞台から観客説へと降りていき、ゲーム、つまり夫婦の共同生活というものをわきから見てみるならば避けることができます。たとえ夫婦の片方だけでもそうしてみればよいだけの話なのです。
 なぜ夫婦の共同生活がゲームなのでしょうか。なぜなら、私は□□であり、〇〇を行うが、▽▽が私をいらだたせる・・・・というように、各人がそれぞれの役割を演じているからです。しかし、人々はこのゲームにすっかり心を奪われてしまうため、まるで覚醒状態で眠っているかのように、無意識に行動してしまいます。そんな人々にとって、人生は「偶然の積み重ね」であり、シナリオに影響を及ぼそうとして全力を尽くすにもかかわらず、それがどうしてもできません。
 大人のまねをするごっこゲームに講じていた子供のころのあなたを思い出してみましょう。大人たちと違って、子供たちはすべてが「遊び半分」であることをはっきりと分かっています。子供たちは、それがゲームであリプレイすることもできる観客のように、意識して行動すべき事を常にわきまえています。子供たちはそれが現実ではないことを認識しているので、自分が参加ているゲームのシナリオを変更することもできるのです。意識してみる夢においても全く同じで、夢を見ている本人は展開中の出来事をコントロールする事が可能なのです。 
 人々は大人になるにつれて、少し距離を置いた状態でプレイすると言う能力をなくしていき、深い眠りに陥るように、自分のゲームに受けりこんでしまい、その結果として意識性を失います。人々は目を覚ましたまま眠っているため、コマの言うがままに動く意思のない操り人形になり、彼らの人生は、夢を見るのと同じく、「偶然に起こるもの」となります。 
 とにかく夫婦の共同生活というゲームを、先ほどの子供たちのようにプレイして見てください。すでに自分に与えられている役割を引き受け、少し距離をおいて「遊び半分」に演じてみましょう。例えば、あなたの伴侶があなたの気に障ることを始めたら、あなたが依然やっていたように、苛立ってみましょう。しかし、今度からは自分の役割を表現力豊かに、グロテスクに、あるいはユーモアたっぷりに演じてみるのです。
 そうすると、覚醒状態で無意識に夢を見ているときのあなたがも、あおり立てていたメカニズムをすぐに理解できるようになります。ほとんどの言い争いは、テレビドラマによくあるような根も葉もない理由からであったことをきちんと認識されると思います。この認識が出来れば、ようやくあなたはありのままに姿でいることを自分にも相手にも認めてい下られるようになるのです。

〇あなたの場合、理論との食い違いは、実際のところ、何もありません。反対にまさしく起こるべきことが起こっています。幸運の白い帯がなぜ黒い帯にとってかわったのか、あなたはわからないとおっしゃいます。しかし、お手紙の中であなた自身がそうなった原因について雄弁に語っています。
 原因というものは常に同じです。世界は、世界へのあなたの接し方を映し出す鏡である、という事です。鏡と世界との違いは何かというと、普通の鏡は変化をすぐに映し出してくれるのに対し、世界からの反応は時間差を伴い、それは数日であることもあれば、数か月の時もあるのです。
 あなたは次のように書いています。「私は気持ちが通じ合う環境の中で穏やかに暮らしていたわけです。こんな暮らしが長く続くはずは無いとさえ私には思われました…最後の学期になると、私はその時間が素晴らしいものであり、二度と戻らないものであることを、ひしひしと感じていました」
 どこに理論との食い違いがあると思われますか。ご自分の接し方によって、あなた自身がプログラムをセットされました。一方、世界は寸分たがわずそれを実行したのです。世界は常にあなたの選択したものを申し分なく現実化します。世界はそのとだけに従事しているのです。
 鏡に対するご自分のクレームをあなたは次のように書かれています。「私が本当に人生に満足し、それを神に感謝するような状況に一度ならずなったのに、その後、不運な黒い帯へと入り込んだわけです」黒い帯に突入するきっかけとなったのは、いったい何だったのでしょうか。
 こんな風に、いったいどこから黒い帯が現れたのか、私が申しあげても、あなたは信じてくれないでしょう。たとえ私が引用したようなキー・フレーズがお手紙の中になかったとしても、黒い帯の発生源を突き止めることは、それほど難しいことではありません。あなたのケースが決して特異なのではありません。なぜなら、私たちは誰でも常に同じ間違いを犯すことがあるからです。
 実は、白い帯の後に続く黒い帯は、決して最初から黒い色をしていたわけではありません。帯を黒く塗ってしまうのは、あなた自身なのです。悪いことは良いことからは生まれてきません。本当は、良いことからはもっと良いことが生まれるのです。しかし、あなたはそうは思われないようです。あなたは迫りくる変化を受け入れず、世界にネガティブに接したのです。世界の方としてはそんな接し方を鏡のように反射させ、それよってあなたの選択を現実化せざるを得なかったことになります。
 人間の理性の本質とは、常に理性が自分のシナリオを頑固に主張することにあります。シナリオに盛り込まれていないことはすべて失敗とみされます。反対に、想定されてあったことが成功として受け入れられるのです。理性のそうした強情ぶりは、自分自身の思い上がりや社会に広く深く根下ろしている固定観念が発生源となっています。
 実際に自分にとって何が良くて何が悪いのか、あなたの理性にはどうやって分かるのでしょうか。理性は物事の展開を本当に予測することが出来寝るのでしょうか。大きな成功は前もってドアをノックしてくれたりすることは決してなく、いつも突如として降ってわくものです。その時のあなたは、なぜそうなるのか、考え込んだりしないでしょう。なぜならば、そんな場合、理性はぽかんとして見とれているので、成功が現実化するのを邪魔することがないのです。
 シナリオをコントロールしようとしてぎゅっと掴んでいるものを理性が手放した瞬間に限り、静甲はアリの這い出るスキもない防御線を突破して来ることができます。成功は予定して置くことができないという事では無いでしょうか。さもなければ、今こうして述べているのは何のためなのでしょうか。計画を立て、考えていた通りのものを手にする。そんな風に事が運ぶ例は滅多にないのです。
 理性は成功の定石を築くことが出来ません。ときどき、読者の方々から、具体的なケースにおいてどのように振る舞うべきか、という質問をいただきます。しかし、私が知るはずもありませんし、また、個々の具体的なケースで成功の処方箋を知っているぞと請け合うような輩は、だれも信じてはいけません。それは誰も知ることができないようになっているからです。
 それでは、どこで答えを見つけ出せばよいのでしょうか。あなたの鏡となっているあなたの世界が知っているのです。事象選択には、想像してみるしかない非常に驚くべき発見があります。それは、あなたに求められることは選択を行うだけであり、あとは世界がそれを現実化してくれるのを邪魔しないでいるというものです。
 ここに全ての逆説があるのです。どのようにして成功を勝ち取るべきかという事を人はなからずしも知る必要がない、というものです。より正確に言うと、全く知らない方が良いのです。あなたは、事象選択が成功のための当面の指針をもたらしてくれると思っていたのでしょうか。理性はそのような指針を見つけ出すことができません。大変すばらしいことに、成功の指針はひとりでに見つかるのです。
 理性がやるべきこととは、自分でコントロールしようとして事象の流れ、すなわち物事の展開を邪魔してはならないというとなのです。事象の流れは常にあなたが選択した方向へと向いています。まさしくそのために、もし選択が実行されたなら、ためらうことなく意図の調整の法則…私の意図は現実化される、全てはそこへ向かっている、そして、万事うまくいく…を頼りにしてよいのです。
 黒い帯に話を戻しましょう。黒い帯がやってくるたびに、なあたは何らかのチャンスを逃しているようにお見受けします。それは白い帯をもっと浮き立たせるためのチャンスでした。しかし、理性は訪れた出来事を受け入れず、否、正確には、訪れた出来事をネガティブなものとして評価し、その結果、ネガフィルムのような状況が容赦なく現れ出てきたわけです。
 けれども、そのことでかっくりきてはいけません。もし自分の目的を定め、調整の法則を堅持するのであれば、ある素晴らしい発見があなたを待ち受けていることでしょう。これまでにしでかした全ての間違いは、まさにその目的のためにあったことを、あなたは納得するのです、もし過去に間違いを起こさなかったら、あなたは自分の目的を達成できなかったかもしれません。また、その一方で、もしあなたが過去に間違いを犯さなかったなら、それでも、自分の目的にたどり着いたのかもしれなせん。しかし、それは別の目的であるかもしれないのです。あなたの目的はただ一つだけではないのですから、このように、私たちの世界は不可解かつ偉大で、押しみなく与えてくれるようにできているのです。
 そんなわけですから、悲観してはなりません。もし分の目的に向かって進むのならば、過去は未来で待っています。ひょっとすると、今まであなたを魅了してきたのは、他人の目的ばかりだったのでしょうか。

〇自分の喜びを祝祭の意図へと変換しよう。自分の選択する権利を行使し、現在あなたを満足させていない人生を、思い切ってお祭りとして受け入れよう。すると、お祭りのための幻ではないリアルな根拠の、即ち自由を手に入れる希望という物が現れてくる。あなたは自分が目的へ進んでいるという認識からくる静かな喜びを味わう。だから、お祭りはいつもあなたとともあることになる。例え平衡力であっても、この静かな喜びに水を差すことはできない。調整の法則に従って、もし何があってもあなたが人生をお祭りとして受け入れるのではあれば、それはそのようになるだろう。
 これでもう戦いを続ける必要はなくなった。このままいけば、あなたは自分の目的を達成するだろう。戦いと縁を切ったあなたは、自分にまとわりついている意図を引きちぎり、支えを失うことなしに、自由を手にいれる。支えとは、事象の流れの事である。あなたが選択したものは必ず実現されるという事を覚えて置こう。自分の思考エネルギーの放射を、目挿す人生ラインに同調させると、流れはまさしくあなたの目的へと向かうだろう。もしあなたが流れに沿って進み、バランスを保ち、調整の法則を守るのであれば、目的へと続く道に妨げとなるような力は現れない。あなたはもはや状況の波間でほんろうされる神の船ではなく、コマに支配される操り人形でもない。あなたにはほ、すなわち魂と理性の一致がある。舵輪、すなわちあなたの選択もある。あなたは魂の意図の風を受けて、亜空間をすべるように進む。
 「自分自身では答えが出せない問題が起こってしまいました。あなたの理論によると、もし私がいたるところに好ましいことを見出せるようになったら、ポジティブな出来事がもたらされる波に遭遇したらしいという事になります。しかし、私の場合、その理論はあてはまりませんでした。それも一度ならずです。一度だけだったら、気に留めていなかったかもしれませんが。
 具体例を挙げてみます。半年前、私は素晴らしい仕事についていました。その仕事は自分にうってつけで、楽しく働いていました。その仕事は生きがいと言ってもいいくらいでした。その頃の私は実家で両親と共に暮らしていました。そして、恋人、気の置けない友人たち、知り合いに囲まれていました。心底から喜び、しかも十分に意識して、そのような自分を自分で羨んだくらいです。私は気持ちが通じ合う環境の中で穏やかにら暮らしていたわけです。こんな暮らしが長く続くはずは無いことさえ私には思われました。やがて、ついに立ち去らねばならない日がやってきてしまいました。現在、私は親元を離れています。友人も減りました。仕事は私が考えていたものと遠い、自分の学歴にふさわしい物でもありません。
 もう一つ例を挙げます。私が単科大学で学んでいたころのことです。最後の二年間、せっせと講座に通い、先生や学生たちと親交を深めました。最後の学期になると、私はその時間が素晴らしいものであり、二度と戻らないものである事を、ひしひしと感じていました。そして、毎日を胸に刻みつけようとしていました。そんな折、大学で働かないかと持ちかけられたのです。その時の私はうれしくて怖いくらいでした。けれども、人員整理が行われたため、私は採用されず、結局、半年間無職のまま家で居候していました。その頃は私にとって最悪の日々でした。
 つまり私が本当に人生に満足し、それを神に感謝するような状況に一度ならずなったのに、その後、不運な黒い帯へと入り込んでわけです。私の場合は法則が働かず、否定的な作用を及ぼす波へと運ばれてしまったのです。あまりの辛さに泣きわめいたり愚痴をこぼしたりしたかったときに、あなたの理論などに基づいたヒントや助言を与えていただけたら、私はもっと耐え忍ぶことができたのではないかと思います。
 以上、理論との食い違いを掻きました。もしこのような状況を説明していただけたら、大変うれしく思います」
※返信は次回に

〇あなたがこれまでの人生を通じてため込んできた数々の問題の重圧からいっぺんに抜け出ることも不可能である。しかし、調整の法則を守ることで、あなたは行く手を阻むうっそうとした密林から平たんな道へと徐々に抜け出ることだろう。すべてがすぐに円滑に進み始めるという保証はない。コマによる挑発、それに障害や失望があなたを待ち受けているのである。大事なのは、落胆したり、ふさぎ込んだりしてはいけないという事である。時間がたてば、全てはうまく調整される。なぜなら、あなたは運命を操ることのできる技法を手に入れたのだから。
 もしあなたが自分の人生を操る能力を持っていると一途に認識したしまったら、あるいは、もしあなたが自信を持つ、意気込んでいるのなら、思いもよらない不愉快なことが待ち受けているだろう。自信や意気込みの強さに応じて、多かれ少なかれ鼻面に一発食らう公算が大きい。これはあなたの過剰ポテンシャルに対する平衡力の反応である。自分が人形遣いであるとか「わが人生」という題名の戯曲の監督であるなどと思い込みたい誘惑に屈してはならない。
 勿論あなたは本当に監督ではあるが、それは自分の運命に限られているのである。しかし、戯曲「わが人生」では、あなた自身だけでなく、周りにいる人々も演じている。だからこそ、ちょっとしたうぬぼれや自己過信は過剰ポテンシャルを創り出してしまう。あなたは決してうぬぼれてなんかいないと思っているかもしれないが、実際に非の打ちどころない状態であることは誰にもできないのである。あなたは大変強力な力を始動させる鍵を受け取ったのだから、非の打ちどころない状態からわずかに乖離しただけでも、はっきりと感じ取ることのできる結果を自分に招いてしまうだろう。
 各人の自分が運命の主だという認識は、極めてありふれたものではなくてはならない。町のどのコンビニでも新聞を買うことができる権利についての証明書があなたに交付されたとしよう。大喜びするだろうか。まさか。そんなものなどもらわなくても、それはなあたの権利なのである。もしあなたがあるコンビニで新聞を買うことが出来なくても、がっかりするだろうか。別のコンビニで新聞を買うだろうし、新聞なしで済ますこともあるだろう。自分の人生の出来事を操るあなたの新たな能力に対しても、これと同様に接するべきなのである。
 私にはもう一つ、あなたに注意しておかなければならないことがある。誰かほかの人に嫌がらせをするために事象選択を利用してはならないという事である。視覚化により敵意に満ちた意図を送ることで、あなたは忌々しく思っている人や人間集団に仕返ししようとするかもしれない。すると、その通りになるだろう。しかし、そのあとで、あなたを数々の問題が待ち受け取ることになる。黒魔術を使うことは決してお勧めできない。あなたによる復讐が極めてもっともだと思われる場合でも、それを行ってはならない。もしそれでもあなたは自分の仇を不愉快な目に合わせたい誘惑を抑えることができないのであれば、あなたへの最初の警告が発せられる事になる。あなた自身がサインを目にするだろう。それでもやはり抑えるとが出来なかったなら、罰を与えられることになる。その世界では私たちは皆、客人であることを忘れてはならない。あなたは選択することができるが、何かを変える権利は持っていない。これが自由の条件である。
 ご承知のように、古代文明は滅びてしまった。あとには、エジプトのピラミッドのような建造物や、何らかの神秘的な魔術についての漠然とした知識が、その名残りを留めているにすぎない。魂の意図の力を自分のものにした人々は、途方もなく大きな力を手にいれたため、平衡力によって単に罰せられただけでなく、破滅させられたのである。アトランティスのような文明はたくさんあった。人々が魂の意図の力を意のままに行使するようになると、きまって彼らは自分たちが客人にすぎないことを忘れてしまうのだった。身の程をわきまえず図々しくふるまう客は追い出されるものと相場が決まっているのである。
 とりわけ知り合いや身近な人々の前での自慢は避けるべきである。もしなあたが自分の目的を達成するだろうと声に出して宣言しようものなら、成功の可能性は小さくしぼんでしまうだろう。これは自分への自信が高じて過信になったケースである。自分が目的を達成することについては、自分の心の中だけで知るにとどめて置けば、あなたがバランスを崩す事はなくなる。この知識は、の物自体であり、あなたの内側に存在する。ところが、もしあなたが現在持っていないものを受け取るであろうと他の人々に宣言すると、あなたは過剰ポテンシャルを創り出してしまうことになる。そうなると、平衡力にスイッチが入り、過剰ポテンシャルの排除へと向かう。以上からの結論としては、謙虚に振る舞い、余計なことは言わぬよう口を慎むべし、となる。あなたが自分の目的を達成した暁には、もちろんはしゃぎまわってよいだろう。ただし、度を越した有頂天になってしまっては、せっかくのあなたの成果を平衡力が奪い取ってしまうかもしれないので、節度をわきまえることにしよう。

〇ついに私たちはこの瞬間に至った。あなたには監視員が与えた謎を解く心の準備が出来ている。各人が自分の運命を自由に選択する権利を本当に持っているという主張は、依存関係、すなわち自由の無いことの大本が明らかでない間は、謎のままである。ここで私は、このシリーズで述べたことすべてに基づいて、答えを出すとができる。
 あなたは、自分の戦いを止めたら、自由を手に入れるだろう。
 ご覧のように、答えは、エメラルドタブレットに刻まれている錬金術師たちの秘密のように、非常に簡単で短かいものである。しかし、もし私が本シリーズの冒頭であなたに答えを与えたとしても、あなたには何も理解できなかったに違いない。依存関係とは、押し付けられた戦いにあなたが参加したことから発生している。白昼夢から目を覚まし、自分自身や世界との戦いを中止し、戦場から立ち去れば、もうなにもあなたを引き留めようとはしない。戦いはあなたが参加しないままに続くのだが、あなたはと言えば、気の向くままに進むのも、欲するものをすべて選択するのも、自由なのである。
 世界は鏡のように世界へのあなたの対応を反射させる。あなたが世界に不満を抱くと、世界は顔を背ける。世界と戦おうとすると、世界はあなたと戦う。自分と戦うのをやめと、世界はあなたを迎えてくれる。
 生まれ落ちた途端、コマはこの世界におけるあなたの場所を指し示す。あなたは世界観の枠組みを押し付けられ。ゲームの決まりを説明され、役割を割り当てられ、そうされる事によって制約という箱の中に閉じ込められる。そして、同時に、偽物の独立宣言書が交付される。この宣言書に従って選択することは可能である。あなたは操り人形のように糸でつられ、「自由の身になる」好きなものを望み、欲しいものを手に入れよ、というわけである。あなたは糸でつられたまま手に入れようとして身体を動かし始めるのだが、うまくいかない。そうなると、日の当たる場所を奪い取るためには、自分や世界ともっと粘り強く戦う必要があるのだと諭される。この間ゲームの手口は、「私のように戦い、私のようにやってごらん」というものなのである。
 あなたは戦いに参加する自由しか行使していない。確かにそれも選択ではある。常にあなたは選択する物を受け取る。これは揺るぎもない法則である。コマどうしの戦いの場で、人間が勝利を収めることは出来ない。褒美をもらうことだけは可能だが、それも一握りの人間に限られている。コマがやろうとしていることは、真の自由というものを隠しておくことにある。本当のところ、戦いに参加するよう誰もあなたに強いることはできない。あなたに対してできることは、ほかに選択の余地がないと吹き込むことだけないのである。そして、まさしくこの通りで、重要性の意図にしがみついている間は、ほかに選択の余地がないである。
 自由を手に入れるためには、重要性と縁を切ることが不可欠である。それはつまり、自分の内においても外においても、いかなるものにも過度に重要な意義を与えてはならないという事である。たいていの場合、重要性を投げ捨てるためには、目を覚まし、意識して自分の接したかを変えるだけで充分である。私たちは皆、覚醒状態のまま眠りこけており、機械的に自分たちの役割を演じている。現実生活での私たちの眠りの深さは、これもやはりゲームの属性全体にあなた自身が与える意義に比例している。だから私たちは自分の重要性の囚われ人なのである。
 しかし、自分の接し方を変える試みも同じ類の戦いになりはしないだろうか。いいや。あなたが自分の感情を抑えよエうとするとき、あなたは自分と戦ってしまう。だが、コマのゲームが何なのか知ってしまった今のあなたにとっては、自分に強いることなしに、コマのゲームへの接し方を意識して変えることが可能である。そうすることに、あなたは戦いから解放される自由を得るための選択を行う。自分自身でゲームの決まりを定めることができる。今後、コマ相手にするあなたのゲームとは、コマの決まりを破ることにある。このようなゲームなら、戦いを粘土の人形との愉快な大戦に変えてくれる。目の前で起きているべての事は白昼夢にすぎない、となあたは認識する。舞台から観客席へと退いたあなたは、戦いに参加し続けるのも、あるいは、ただ心穏やかに進んで自分の目的をやり遂げるのも、それを決定するのは自分自身であるのだと突如理解する。
 もちろん、すぐに重要性の糸を引きちぎろうとしてもうまくはいかない。過剰な価値観やコンプレックスから急に脱しようとしても無理なのである。それに、脱しようとする必要は無い。なぜなら、それでは再び戦う事になってしまうからである。要は、あなたが自分の戦いを中止すれば重要性の意図はひとりでに少しずつちぎれていくという事である。意識して放り投げることができる重要性の糸はひとりでに少しずつちぎれていくという事である。意識して放り投げることができる重要性はすべて放り投げたらよい。放り投げることのできなかった重要性は、行動に変換しよう。目的とするスライドをあなたの中で映し出し、プロセスの視覚化を行い、穏やかな気持ちで目指す方向へと足を運ぼう。これこそがあなたの行動である。戦いを放棄することも行動である。自分と世界をあるがままに受け入れよう。自分を変えようとしたり、自分と戦ったりする必要はない。あなたが戦いを放棄すると、日がたつにつれて、自由というものをよりはっきりと感じれるようになるだろう。

〇ニュアンスを知覚するのは、見慣れた景色や風景の中だけでは無い。はじめて目にした光景をあなたの澄んだ眼差して見つめるときでさえ、長い間忘れていた何かや、すがすがしく新しい何かの、一瞬の感覚が現れ出る。まさしく新しい物であって、縁のない感じがするものではない。あなたが見知らぬ光景を目にするときには、それを始めて見るのであって、特に気になることは何もないという事を確かめよう。カギ回しを行うプロセスで、はっきりとした感覚が沸き起こる。光景の中に数秒前までは何かった何かが現れるのである。あなたはそのことを感じ取ることだろう。
 ニュアンスに気付いたら、それが非常にリアルであることに驚く事だろう。ブログを読みながらも、いずれにせよあなたは亜空間や人生ラインのリアリティをやはり信じてはいないかったに違いない。そうではなかろうか。実際に自分の目で見ても、びっくりしてはならない。それは神秘でも何でもない。しかし、人間の知覚の特性でもないように思われる。間もなくあなたは、知覚とは全く関係のない、新たな人生ラインへと移動する別のサインを発見するだろう。周囲の人々の新たに対する態度が、これといった理由もなく好転した事を感じるかもしれない。毎日あなたに付いて回るいくつかの問題は、どこかへ消え失せてしまう。はっきりした原因がないのに、日常生活上の属性の何かが変化したことを、あなた自身が気づくだろう。例えば、何年も前に止まってしまった時計が再び動き出すこと言うようにある。
 一般に、通常の条件下では、時計は稼働部品がごみなどの目詰まりによって止まる。掃除すれば、時計はまた時を刻み始める。しかし、時計や複雑な家電機器などは、持ち主がバランスを崩した時に、自分から作動しなくなったり、故障したりすることが良く起こる。心が落ち着かず、ストレスやイザコザの絶えない状況で、そうなることが多い。危機の故障は過剰ポテンシャルのエネルギーによって起こるのではない過剰ポテンシャルのエネルギーは小さく、特定された対象に向けられることはないため、何らかの機械的変化を引き起こしはしない。
 ネガティブな心労のエネルギーが、バランスを崩して状態から気分乖離した人生ラインへの移転を誘発し、そこで人生は穏やかな流れから逸脱する。そのような人生ラインでは、全てが元通りのように思われるのだが、何かが遠い、狂っていて、胸騒ぎをもたらす。舞台上で例えると、舞台装置はそのままなので、照明が変わっていたり、澄んだ空気にカスミがかかっていたり、あるいは水が濁ったりしているかのようなのである。このように微かな変化であっても、薄い霧をはっきりと感じ取るような感度の高い複雑な機器や精密なメカニズムの作動に影響が及ぶのである。
 いつも衝動にかられたように動き回っているタイプの人々がいるものである。そのような人々は正常なバランス状態から乖離していることが通常となっている。彼らはとてもそそっかしいか、神経系が高ぶっているか、緊張しているか、あるいは不安にさいなまれているかのどれかである。そんな不幸な人々の不穏な人生ラインに入り込んだ高感度危機は故障してしまう。だから、もしあなたの時計が再び動き出したら、それはつまり、あなたがスッキリ晴れ渡った人生ラインに戻ることができたことを意味する。しかし、もし時計が時を刻むことを頑として拒否していても不安がることはない。そんな時計はただ修理に出せばよいだけなのだから。
 亜空間だけでなく、ある意味、時間を旅するという事が、これで分かったことと思う。過ぎ去った時間は元に戻すことができない。だが、ネガティブな分かれ道の鎖に沿って進んだ結果、失われてしまったかつての目新しさ、希望、幸福感よりももっと新鮮な感覚を取り戻すことが出来るのである。以前時間の経過とともに人生のみずみずしい感覚がなぜ失われてしまうのかについて述べた。あなたの目的に向かって進むことは、過去に向かって戻る事である。アイスクリームがおいしくて、希望が虹色に輝き、人生が喜びと期待に満ち溢れていたあの過去にである。しょげ返ってはいけない。過去に向かって出発進行。

〇人生ラインとは、質的にほとんど似通ったセクターの鎖である。同じラインの舞台装置はほぼ同じ類のものである。あなたの世界の層が別のラインへ移動すると、舞台装置の交代が起こる。ライン間の差異の強弱や質によって、舞台装置は、ニュアンス上だけ軽く変化したりあるいは、はっきりと変貌を遂げたりする。いずれにせよ、まさにニュアンスの質的違いを目にすることになる。
 しかし、いったいどこに私が述べたような時間移動があるのだろうか。私たちには人生ラインを普通に進みながら、川の流れに沿うように、時間と同調して泳いでいる。物質的現実化は、映写機のフィルムのように、亜空間の中を進展する。この動きをあなたは時間の歩みとして感じ取るのである。時間の歩みに対して相対的に移動するためには、流れよりも早く前へ進むか、あるいは流れに逆らって後ろに進むことが必要となる。それは突然コマがフィルムそのものの上を移動し始めるの同じことである。この意味では、時間旅行は実際には不可能という事になる。
 言い換えると、同じ人生ライン上にいるあなたは時間上を前進も後退もしできないという事になる。さもなければ、因果関係に矛盾が生じてしまう。しかし、異なる人生ライン間における時間移動は理論上可能である。それをどうやるのか、という問いへの答えは事象選択には無い。事象選択における時間移動は少々異なる切り口から行われる。カギ回しを行っているときに、なぜこの感覚が時折よみがえるのだろうか。この現象はおおおよそ次のように説明することができる。
 幼少時代から魂は直感的に必要な扉を経由して自分の目的を目指して来た。その頃のあなたはまだ自分の目的へと続く人生ライン上にいた。あなたには夢があったかもしれない。あるいは、おそらくあなたの魂はあなたに何が必要かを知っていた。けれども、私たちは例外なく、自分の心の命じることよりも破壊的コマによる影響を強く受けている。否定的に物事を考える悲観主義に引き寄せられる傾向がある人が必ず歩むこととなる、延々と続くネガティブな分かれ道の連続については、言うまでもないことである。そのために、あなたは目的へとつ続く初期のラインら徐々にだが着実に遠ざかっていく。
 カギ回しを行うことによって、あなたは反対方向へ移動し、かつていたことのあるラインに出る。ただし、時間軸上の位置だけは昔と異なる。かつて通過することができたはずの以前のラインの一部はすでに後方にある。それでも、とにかくあなたはそのラインに復帰したのである。各ラインにはそれぞれ固有な特徴、余韻、ニュアンスというものがある。こうしたものは、カギ回しのおしまいに、澄んだ眼差して眺めている瞬間、あなたが感じるものでもある。朝と晩の家の様子などといったものと混同してはならない。様々なラインのニュアンスの差異には大きな開きがある。あなたがそのような感覚を実感した時、私が言わんとすることがわかるだろう。
 以上が過去へ戻ること、すなわち、かつていた人生ラインへと進む事なのである。期待していたことと全く違うかもしれないが、これなら現実的である。道から外れ、長い間森の中で迷子になっていたあなたは、どれほどの回り道をしてしまった事か。しかし、過ぎ去った時間を悔んでいる場合ではない。再び自分の道へと徐々に戻りつつあることの方を喜ぼうではないか。ほとんどの人々はいつまでたっても戻ることができないのだから。
 しかしながら、あなたが以前にいた事のあるラインのニュアンスをどうしても感じなければならないというわけでは無い。なぜなら、目的へと続く道はあなたがいたことのない新たなライン上にあるかもしれないからである。その場合は、かつていたことのあるラインへの復帰は全く起こらないか、あるいは、起こっても一時的なものとなる。亜空間では、人生ラインは極めて複雑に絡み合っており、事象選択が一体どのように効いているかを突き止める必要もないのである。あるニュアンスをあなたはどこかで感じたことがあると思う事もあれば、全く新しいニュアンスを感じたこともあるだろう。あなたにとっては見慣れた風景であっても、眺めていて、何らかの目新しさや特別なニュアンスを見つけることもある。もう一度強調しておこう。それは、カギ回しなど行わなくても発見することができる新たな細部のことではなく、まさしく新たなニュアンス、スタイル、雰囲気、意義、テーマ、つかの間の感覚のことなのである。
 とにかく、試してみたら全てがわかるだろう。必ずうまくいく。それを行おうと努力することだけは不要であ。全体をコントロールしようとする傾向をと理性は、いつもすべてを台無しにする。ニュアンスを感じ取ろうと全力を傾けている自分に気が付いたら、カギ回しを中断し、何が何でも結果を出そうとする熱い思いが覚めた頃に再開すべきである。カギ回しを実行する際の決まりを覚えておこう。あなたが緊張していると、カギ回しは効果がない。本当に「魂の意図の小指を法にの微かに動かす」だけで、すべてはいとも簡単に自然に運んでしまう。ところが、反対に、結果を得ようと努力すると、全ては意思の意図による徒労に変わってしまう。
 もしカギ回しを行っている際にニュアンスの移り変わりが見られなかったら、現在いる人生ラインのパラメーターは、あなたが行った視覚化を満足していることになる。それは、あなたが現在いるラインのパラメーターで思考エネルギーの放射を行っており、あなたの目的はこのライン上の先にあることを物語っている。しかし、いずれにしろ、カギ回しを行うことで、ニュアンスの変容に気付くときがあるだろう。

   手帳の写し
〇あなたが悪者を相手にせず心静かにすべき生き方を全うしていると相手から謝ってきたり、物事が自然に解決に向かい始めたりするのです。強力な助っ人が現れ、望んでいた状態になっていくのです。
〇判断は幻想をその場にとどめホログラムの中で本物らしく見せ続けるための接着剤の働きをする。
〇不快感(負の感情)を覚えているとしたらそれはあなたがそのようなパターンフィールドに創り途方もない力を加えホログラムの中心に幻想を送り込みそれが現実だとあなた自身に信じ込ませているからにほかなりません。そしてあなたが不快を感じれば感じるほど負の感情はますます強くなります。つまりはあなたが自分の姿だと信じ込んでいる幻想が「本来のあなた」からどんどん離れていることになり、それだけ力が加えられているということになります。
〇自分の目の前に展開する人生こそ私たちを霊的に導いてくれる最も相応しい師であると言えます。自分にとって最も大切な霊的学びはいつも直接的体験として私たちのもとにやってきます。
〇マイナスに見えることが起きると宇宙の法則によってプラスの出来事が起きやすくなります。


〇すべてを足し合わせるとゼロに戻るというバランスのもとに宇宙はできているので一方だけに流れが行き続けるということはありません。
〇ピンチやマイナスを受け入れ「これは何の代償先払いだろう?」とギフトを楽しみに待つようにしましょう。
〇霊性への道において私たちは神意識から切り離されていた自分の側面すべてに向き合うことを求められます。ポジティブな側面だけを伸ばそうとしたりローワーセルフに向き合うことなくハイアーセルフとしての自分だけを目覚めさせようとすれば今回転生してきた目的である霊的課題を全うすることにはならないのです。
〇ある問題に直面した時、何とかやり過ごせても後になって同じ問題がより深く巧妙なレベルで姿を現すのです。私たちの取り組みは最終的に魂の核心にあるイメージを解消するまで続きます。
〇感謝するということは受け入れるということ。
〇自我が大きくなるほど傲慢、お任せが大きくなるほど謙虚。
〇風に後押しされ川の流れに運ばれるような人生、それが奇跡的な展開をもたらします。
〇受け入れ度が高まってゆったりとおおらかにノーテンキになるほど能力は発揮されやすくなる。お任せが増えるほど潜在意識の働きも増えるようになり超能力も発揮される。
〇今いる場所が意識進化のためには最も良い場所なのです。


〇今ここが自分にとって最高の場所と真に思えたとき、次なるステージがあなたの前に現れてくることになります。
〇あなたが外的世界に対して快適さを求めた瞬間にあなたはその身の内に不快の種を宿すのです。手に入れたプラスの同じだけのマイナスの要因を実はその懐深くにしまい込んでいるのです。
〇起きてくる現実のすべてが自我に気づくためのメッセージ、あなたの敵は唯一あなただけ、もう人を変えなくても済むのです。自分の意識を変えるだけでいい。
〇あなたが一番嫌っている自分の欠点と考えているところを分離させることなくそのまま受け入れるようになったときあなたを怒鳴りつける人はなくなります。
〇何を見てもどんなときにもこれで良し、何も問題なし、すべてよし、と豊かでおおらかな気持ちをもって眺められたらあらゆる問題は氷解していきます。
〇心理はただ自分を変えるためにのみ存在します。あなたの世界はただあなたを変えるためのみ存在します。
〇目の前に起きるすべての出来事はあなたが自分の考えに氷月意識の変容を遂げられるようにと怒ってきます。
〇相手が今どう思っているのか、相手がどういう状態でいるかに意識を置くのではなく自分が輝けることに意識の焦点を振り向けるのです。
〇他人の態度は、あなたが手放すべき価値観を教えてくれる。
〇前世において尊大で傲慢な性質を形成してしまいそれを今回の人生で克服し、謙虚さを身に着けたいと思ったなら、魂は自分の中の傲慢な性格を修正させるにふさわしい課題や環境を人生に設定します。そのあらわれ方としては、自分自身が傲慢な人に接してその苦痛を味わうのかもしれませんし、ある人は社会的に弱い立場に身を置くことによって謙虚さを学ぶことになるのかもしれません。あるいは前世において激しい怒りや憎しみによって多くの人を傷つけたり悲しませたことがあり、魂が自分の中のそのような性質を克服したいと願うなら、今度は自分がそのような怒りや憎しみの犠牲になったり、あるいは自分の発した怒りや憎しみによって何かとトラ分に巻き込まれたり、怒りや憎しみの感情がすぐに肉体の障害として現れるような肉体に生まれるのかもしれません。


〇創造主としてのあなたがプラスを思えば思っただけその反作用としてマイナスを創り出しています。
〇手放さないと次の物が握れない。
〇あなたが受け入れたものは味方となり、拒否したものは敵となります。
〇進歩・発展・向上といった三次元の成長ゲームとは自我を大きくさせるゲームです。
〇ほしい結果を手に入れるということはそれを亡くした時の不安も一緒に手に入れるということです。
〇証明の世界、立証できることだけが正しいという思考世界に意識が落ち込んでいるのです。
〇「何をしているか」に気付くことが大切なのに我々は「思い通りにしよう」と考えます、思い通りにしようと考えているときは今は思い通りにいっていないのです。ですからその思いの通りになるのです。
〇問題が現れた時の態度としてまずそれを「解決しない」という心構えを第一に掲げたいと思います。
〇恐れがある限り自我は頑張り、真の問題解決を遠ざけます。そしてその問題があなたにどんな恐れがあるかを見せてくれているわけです。恐れをとることだけが真の問題解決です。なぜなら幸せとは恐れのない状態のことを言うのですから。
〇問題があるということを恥ずかしがる自分に気付いてください。その心が問題なのです。
〇覚醒の鍵は絶望側に落ちている。
〇魂はより大きな視点を獲得して意識を広げていこうとします。そのため何らかの偏りや執着があればそれは必ず手放す方向へと仕向けられていきます。もしあなたの前に何らかの否定的に見えるものや理解できていないことがあるとすれば、それはまだそのテーマについてあなたが真ん中に入っていないということでもあります。


〇望みがかなわずに一見否定的でマイナスに見える現実があったとしても、そこには必ずそのマイナスと同じだけのプラスが存在している。なぜならこの二極世界は一つの物を二つに分けただけでプラスとマイナスが同時発生している。
〇自分の前に何か偏った傾向の人が集まってくるとすれば君はその逆方向に偏りすぎている。相手の性格や否定するのではなくて「相手は自分のどの部分とバランスを取ろうとしているのが?」という視点によって自分の偏りを見つける必要がある。
〇「不安と挫折と破綻」これが人になるための最大の契機。
〇魂磨き=相手の尊重心のみであると覚悟して向き合っていきましょう。
〇気づいてエゴを手放すことができると次に会ったときにエゴが解放されているので相手が嫌味を言わなくなるなど相手の言動が変わっていくことが起きます。
〇気づいたらエゴを言い続けるのではなく人生を「悟る」ためにエゴを手放さなければなりません、ちょっと根性がいる場合もありますが有り難くもあなたに必然のタイミングでその言葉を聞くのですからすぐ手放しましょう。
〇「ご縁」は魂を磨いている人ほど必要な時に必要な人が現れる。
〇被害者意識が強い人は加害者になりやすい。
〇不幸 現象によってあなたは磨かれている
〇行は世界中の行、だれ一人逃れるわけにはいかんぞ、メグリ果たしたものから嬉し嬉しになる仕組み
〇神との縁が深い人ほど徹底的に磨かれ洗われるということがあるようだ、こういう人は少しでも道に外れたことをするとたちまちにして現象として現れてしまう。
〇悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる。神のやり方は先に行くほどだんだん良くなるからはじめはつらいなれど先を楽しみに辛抱してくれよ。
〇何も難しいこと申すのではない、自分の内の自分を磨いて明らかに輝けばよいのぢゃ、内にあるものと浄化すれば外から近づくものが変わってくる道理。
〇天国を動かす力は地獄であり、光明を動かす力は暗黒である、地獄は天国あるが故であり、暗は光明であるが故である。因が果に移り呼が吸となりゆく道程において歓喜は歓喜を生ずる。その一方が反抗すればするだけ他方が活動し、また、強力に制しようとする。呼が強くなれば吸も強くなり吸も長くなれば呼も 長くなる。故に地獄的なものも天国的なものも同様神の呼吸に属し、神の脈打つ面の現れであることを知らなければならない。
〇粗食が人の運不運を大きく作用する根本要因になっている。


〇宇宙の物事は「お任せする」「信頼する」「降参する」と一番うまくいくようにできているのです。恐れから行動しないようにしましょう。
〇今の状況に感謝することがプラスのスパイラルを生み出します。
〇他人とトラブルが起こるのは自分と自分の関係が外に現れているだけ。外に現れる問題は自分の内側の問題。
〇「怒らない・腹を立てない・怒鳴らない・声を荒げない」は超能力の扉を開く。邪魔をするキーワードは「努力する・頑張る・必死になる」。
〇ガイドはその人のやっていることが周りから喜ばれることだったら、その人の望みをかなえてあげようと思うようです。
〇ありとあらゆる現象に対していかに不平不満を言わないようになるかこれが第一段階です。さらに同じ現象に対して不平不満を言わないどころか、いかにその現象の中に「うれしい・楽しい・幸せ」を見つけるか、これが第二段階です。最後に同じ現象のなかでいかに「ありがとう」と感謝することができるかこれが第三段階です。ただ淡々とこの作業をやっていけばいいのです。
〇自分にとって損にあたることをすると得が手に入る。
〇周りの世界を変えようとするとバランスを崩す。
〇罪悪感は必ず罰を受けるシナリオを用意する、それもあなたの意識とは無関係に。このシナリオに従って潜在意識があなたを報復を受ける方向へ導く。
〇聖書の戒めは正しくふるまうにはどうするべきなのかという見解に立った道徳ではなく、平衡状態を乱さないようにするためにはどう振る舞うべきないのかについての勧めである。
〇潜在意識から罪悪感を追い払ったら今いる人生ライン上では罰を受けるシナリオはない。
〇まとまった金額を貯めながらできるだけ少なく抑えようとする意欲は強いポテンシャルを発生することになる。お金が一か所に蓄積されどこへも行けないわけである、このような場合、すべてを失う確率が高まる。お金に動きがあるように合理的に使う必要がある。動きのないところではポテンシャルが発生する。


〇コントロールする事を諦めることであなたは状況に対してこれまで以上に大きな監督権を手に入れる。
〇歓喜・活気・インスピレーションなどがあなたを包み込む状態は魂の状態である。重苦しいやりきれない状態もやはり魂の感覚である。
〇人は自分への不満を口にしていると自分自身の満足する人生ラインへは決してたどり着けない。
〇あなたは何かを変える権利はなく選ぶ権利だけを持つ、取り巻く世界と戦ってはならないし、圧力を加えてもいけない、そのようなやり方は目的達成の手段をとしてはあまりに効率的とは言えない。力任せのやり方に対して世界は同じ方法で返してくる。
〇誰かの欠点を嫌悪するとその人はその人であなたの中の何かが欠点に見えてくる。
〇負の現象が起こると本質的に運気はプラス側に移行する。大きな災難と感じられるものであればあるほど間近に迫っている幸運の成就は大きい。
〇より大いなる神との出会いは辛苦に見える現象を通してやってくる。
〇戦いは正義と頑張りの心から始まり、頑張りは我をを強め正義は優しさを喪失させる。
〇プラスを思えばマイナスが生まれる。
〇エネルギーの次元から見れば絶望的だという状態とは覚醒へのポテンシャルが最も高くなるということです。
〇儲けようと思ったとき必ず儲かる話と儲け損なう話の両方を引き寄せてしまいます。
〇どんなときにも優しさと思いやりを持って生活することです、そうすれば必要なことはすべて最善のタイミングでおのずと明かされていきます。
〇嫌悪の代わりに平和的に受け入れること自体が報酬となります。自己や他者に対する見方がどんどん変化していきます。変化が起こり始めると人生の物語は、より慈愛に満ちた理解へと状況が構成しなおされていきます。


〇自己の心の在り方が出会う人や出来事を決めています。
〇無関心であれば関心を持たざるを得なくなる問題が起こる。
〇人を許して初めて自分も許される。
〇この宇宙に一方通行はない。
〇先取りしたエネルギーは必ず返さなければならないのが宇宙の鉄則。その返済内容は人さまざまですが、通常は本人もしくは家族の不幸によって 精算させられます。前世あるいは今生でエネルギーをどれだけ世のため人のために使っていたかで精算内容は違ってきます。
〇徳を積むことはエネルギーの先払い、出した分だけ入ってくるからまずは先に出すこと。
〇現れたカルマを無理やり受け入れようとしてもうまくいかないでしょう。目の前の現実が許せないときは許せないことを受け入れます。許しはハートを開いたときに受動的に起こるものなので無理に許そうとするのではなく許せないのなら許せないまま受け入れ、あるがままを肯定します。このような需要・許容・包容こそが私たちが「愛」と呼んでいる究極の姿です。
〇理想の自分と本当の自分とのギャップが現実の問題を引き起こしている。
〇覚醒しようとするのではなく世界と一体化しようとするのである。そうすればベクトルが正しい方向に向く。
〇我々の御霊は例外なく曇っているのであるから磨かれればいろいろな汚れが出てくるのは当然である、掃除すればほこりが出るのである。悪的変化として現れるのは実はメグリの噴出に他ならない。メグリが外に出ているのであるからこれはありがたい仕組みなのである。悪的変化こそ大きな「おかげ」なのだ。


〇これと信じたら任せきれよ、損もよいぞ、病気もよいぞ、ケガもよいぞ、それによってメグリ取っていただくのぞ。メグリなくなれば日本晴れぞ、今がその借銭済ましぞ。
〇この道に入った初めの間はかえって損したりバカ見たりするぞ、それはメグリ取っていただいているのぞ、それが済めば苦しくてもどこか光見出すぞ。おかげの初め、次に自信ついてくるぞ、胴が座ってくるぞ、心が勇んできたらおかげ大きく光りだしたのぢゃ。
〇人を許すだけで「神様預金」は貯まる。
〇強い 者正しい者こそ頭を下げることが神様預金を貯める方法。
〇信頼できる人からの誘いはイコール潜在意識からの誘い。
〇他人から好感を持たれていると良いチャンスに恵まれます。不快感を持たれているとマイナスのチャンスに巡り合うでしょう、これは良いチャンスに巡り合えないよりも悪い状況です。
〇一切の禍の中に幸福への芽が潜んでいる。
〇幸、不幸はプラスマイナスゼロである、というのは正しいがそれは個人においてではない。
〇相手を非難すればするほど自分の意識向上は止まり逆に下降を始めます。
〇カルマがクリアになったときというのは内側から言い知れぬ喜びや感謝が湧き上がってくるものである、
〇許しを認識し実践すれば「輪廻の何千年分」ものスピリチュアルな進歩が達成できる。
〇真の許しの本当の利益は許す当人に返ってくる。


〇他者を許すことで自分自身を許す完璧なチャンスが与えられている。すべては許しのレッスンであり、許しのレッスンは死を含めてすべて等価である、それが真実である。
〇自分の願望を他人に打ち明けると願望を実現させるエネルギーが減少し「他人に認めてほしい」というエゴのエネルギーに転嫁されてしまう。自己実現のエネルギーは純粋で直接的であればあるほど良いのだからあなたのエネルギーがエゴのために浪費されることはできるだけ避けなければならない。
〇「あの人なんか失脚すればいい」とあなたが思ったりすると潜在意識は「あの人」を認識できませんので「失脚すればいい」を現実化します。
〇自分で自分を良い人にするためにますますダメな人を創造し続ける。
〇人を許せないと思った段階であなたの現実はあなたの望まない方へ流れ始める。今の現実がどれだけ奇跡かということへの感謝がない。
〇新しい思考の量が古い思考の量を超えたときに一気にあなたの現実は変わり始めます。
〇波動昇格テストはちょいちょいやってきます。そしてそれらはあなたが苦手とすることの形をとってやってきます。
〇波動が高くなると波動が低いままの人たちが邪魔をする。全力で邪魔をする。しかし、この関所を乗り越えると青空が広がる。


〇あなたに傷つけられたと感じた人たちがいたときに、あなたが全く彼らを傷つけるつもりがなかったら、それはあなたのカルマにはならない。彼らの運命がそうさせたのである。
〇誰かが自分勝手な理由でほかの人を傷つけようとしたものの実行には至らなかった場合でも、その人は自分の発した波動の質に合ったカルマの作用を受けることになる。
〇自分自身の利己的な願望も私利私欲なく自分の好みを満足させるためではない行いのカルマは悪い運命を引き寄せない。
〇人から好かれるにせよ嫌われるにせよ「自分の点数を他人に付けてもらっている」という点では同じ、そんな大切なことを他人任せにしている限り「自分はこうすれば楽しい」という感覚がどんどん狂ってくる。
〇人のことを「思いやる」と自動的に相手の思いが入り込んできて「直観」がそれを受け止める。
〇良い御用致す身魂ほど苦労さしてあるのじゃ。他から見てはわからんなれど苦労に苦労して生き変わり死に変わり鍛えに鍛えてあるのぢゃぞ。
〇この度の岩戸開きに御用に立つ身魂ばかりよりぬきて集めて行さして御用に使うのであるから 他の教会とは天地の違いであるぞ。
〇オーダーした後に起きるすべては宇宙の采配で、すべてがオーダーを叶えるために起きている。
〇「許すこと」これが人生をプラスに回転させる鍵。
〇自分の能力や才能を人々への奉仕に役立てている限り必要なお金は神が与え給う。
〇人々に生きる希望と愛を与える限りその仕事に決して不況はない。
〇目の前の機会を誠実に果たすならより大きな機会が与えられる。
〇正義とは務めて親切であること、高潔であること、自己犠牲の心を持っていること。
〇過去生において「沈黙の行」を行ったために今生で口が使えないというカルマが生じる。
〇人の欠点や弱点を暴き立てることはそのまま自分の欠点や弱点となる。
〇食を慎むかどうかが運勢の吉凶を左右する。
〇魂は人間関係をさらにこじらせようとか、さらに憎しみや怒りを増大させようとか、そのような厳しい環境を選択することはない。


〇信念のシステムは人間の心が身体の働きに影響を及ぼすことを可能にする人間独特の能力の現れなのだ。人が問題に対して知的・感情的・精神的にどのように対処するかで、人体の機能には大きな影響が出る。重病から回復するという見通しに自信を持てるかどうかが、身体の化学的性質に影響を与えるのだ。病気という力と力の抗争において、信念のシステムは希望と確固たる期待、生きる意志をプラスの要素に変えてくれるのである。
〇現在の人生において何らかの身体的な障害を持っている人たちは、たとえそれが前世のカルマによるものであってもそれを背負うことを神に許されるほど精神性と性聖が高まった進化した魂である。同じことがハンディキャップを負う子供を引き受ける両親に対しても言える。
〇いつも相手と自分を比較し、自分の方が上であることを確認することによって、自分の心を安定させるという業の流れが人間の中にあります。誰でも立場を持たない弱い人たちや逆境にある人に出会えば、同情することができます。だから人の不幸を慰め、一緒に悲しむことには心を傾けやすい。むしろ難しいのは、他人の幸福を一緒になって心から喜ぶことです。他人の幸福によってよく生きることができる、人間はそうつくられているのです。
〇劣等感があるのは優越感があるからです、劣等感だけを持つことはできません。いつも自分よりも優れていると思うものを見上げて「どうせ自分はダメだ」とひがむのです。でも同時に自分より劣っていると思うものを気付かずに見下げているのではないでしょうか。劣等感のもとになっているのは比較する心、他人と比較することによってしか自分を確認できない心。
〇思いのままの成功で有頂天になっているとき「これで今までの苦労が報われた」という感慨も沸くでしょう。時には、「今まで自分を見下してきた人間を見返してやりたい」ような衝動に駆られることもあるかもしれません。他人との比較の中で感ずる喜びなら、その喜びの頂点にいるときすでに、奪われる予感におびえ始めるでしょう。
〇生かされ支えられている自分の姿に目覚めるならば、たとえ言葉でわからなくとも魂の透明な働きによって、行くべきところに赴き、避けるべきものを拒むように必ず導きが与えられるはずです。


〇神はあなたの人生を助けるが、あなたが期待しているような助け方はしない。
〇あなたが守護天使を心から愛し、どんな些細なことに対しても感謝を示すと、守護天使の存在は確固たるものとなりそれによって彼らはますます大きな支援の手をあなたに差し伸べるようになるだろう。守護天使が独立して存在するのか、それともあなたの想念によって作り上げられたのかは大したもんではなくなってくる。
〇守護天使は何からあなたを守りどこへ導くべきかをよく知っている。なぜなら、守護天使から見るとあなたは無文別な子猫のようなものだからだ。守護天使を非難してはならない。守護天使が一体どのような災難からあなたを守ろうとするのかについて、あなたは全然知らないからだ。
〇成功をうらやまず失敗を憐れむな。魂の決算の時が来たら、何が成功で何が失敗になるかわからない。
〇何をするにしても、レッテルをはったり決めつけたりするのは避けなさい。それぞれの環境が贈り物であり、それぞれの経験が隠された宝なのだから。
〇こんな目に合うのは、何かあるいは誰かのせいだと考えている限り、どうすることもできない。「私の責任だ」といったときはじめてそれを変えられる。自分がしていることを変える方が、他者がしていることを変えるよりずっと容易だ。
〇悪だと感じたいなら悪と感じなさい。だが、一方的に決めつけたり、非難したりしない方がいい。なぜ起こるか何のために起こるか、あなた方には理解できないのだから。それに非難したらその相手に非難されるし、一方的に決めつけたらいつかは自分が決めつけられる側になる。
〇不安にもとづいて出来ている宗教で言われるような「死後の世界」はない。だが、不幸で不完全で欠点が多く、神の偉大な喜びから遠く離れた魂の経験というものはある。あなた方の魂にとってそれは地獄だろう。だが、神あなた方をそこに送るのではないし、そうした体験をさせるのでもない


〇神が与えた選択肢のどれかを選んだからと言って、あなた方を罰したりするはずがない。あなた方に第二の選択をさせたくなかったら、どうしてそのような選択肢を与えるだろう。
〇感情には物事を引き寄せる力がある。あなた方は自分が最も不安に思うことを体験することになる。
〇あなた方が劣った生命体だと考えている動物は、あなた方が怖がっているとすぐに感づく。あなた方がさらに劣った生命体だと考えている植物は、どうでもいいと思っている人間よりも、可愛がってくれる人間にずっとよく応える。
〇同じ精神を持った人々が力を合わせれば好ましい現実を創り出せるということをあなた方はそろそろ理解すべきだ。
〇社会全体がある考えを持つようになれば、しばしば驚くべきことが起こる。必ずしも社会を構成する全員でなくてもいい。例えば不安と恐れの中で暮らしている社会には最も恐れられる形の恐怖が生まれる。
〇魂の使命は私たちに偉大さを選ばせること、選ばなかった部分を非難せず最善の自分を選ぶようにさせることだ。こんな大きな使命を果たすには、いくつもの生涯が必要だ。
〇あなた方はすぐに批判しようとし、自分が選ばなかったものを傷つけようとするのだ。自分が賛成できない人間や場所や物事があれば攻撃する。それでは宇宙の半分しか創造できない、そして残る半分を拒否していたら自分の側の半分さえ理解できない。
〇あなたが何を考え何を語るにしても「これが私である」という言葉をきっかけに物事が動き体験できるようになる。


〇人生に恐ろしいことは何もない、あなたが執着しなければ。
〇あなたの幸運は必ず訪れる、あなたは必ず救われる。それがわからないことこそ地獄で、地獄はそれ以外にはない。
〇あなたは現在失業している、自分は失業という状況の犠牲者だと考えている。だが、本当はもうあなたはその仕事を選択していないのだ。あなたは朝、期待に満ちて目を覚ますのではなく、いやいやながら起きるようになった。仕事が楽しくなくなり、愚痴っぽい気分になりはじめていた。それどころか何かほかにしたいと夢を見始めていた。そうしたことが何の意味も持たないと思うのか?
〇あなた方の宗教は神は罰するという考えを正当化するために、怒りの対象を作り上げた。そのせいで模範的な人生を送っている者まで救わなければならないことになった。救われなければならないような悪いことはしていなくても、もって生まれた不完全さから救われなければならないというわけだ。
〇「あなたを失望させたくない」ばかりに相手は本当の自分らしくない努力をし、自分らしくない行動をしようとして、やがてはそれに耐えられなくなる。相手は、あなたの期待を満たせなくなる。割り当てられた役割を演じられなくなる。そこで、恨みが生じる、怒りが沸き起こる。相手はやがて自分自身を救うために、真の自分を取り戻そうとし、本当の自分らしく振舞うようになる。そうなると、あなたは相手が「すっかり変わってしまった」という。
〇時には、真の人間らしさを表す偉大な宣言として、戦争を嫌悪する人間として戦争へ行かなければならない。同じことは、私的な関係についてもいえる。人生には本当の自分でない面を示すことで、本当の自分を証明することを要求されることが何度かある。
〇一貫してあなたが真実だと感ずるように生きなさい。経験によって新たなことが分かったなら、素直に素早く変更しなさい。
〇神にも人にも恥じることがなく言えるようにしたいからって、人間としての尊厳を冒されたり、誇りを傷つけられたり、心を傷つけられたりするのを我慢する必要はない。
〇「自分は将来人から親切にされたいから今のうちに親切にしておこう」という態度でいいのです、「ここで不寛容な態度をとると将来自分が不寛容の犠牲になる」という戒めでいいのです。


〇社会的地位のある人が自分の地位を利用して社会的弱者を搾取すればそれによって生ずるカルマは甚大です。
〇人生とは人喜ばせ合戦。成功者は人喜ばせ合戦の勝者。
〇魂は計画通りの経験ができるようにと正しい完璧な機会にあなたを導く。実際に何を経験するかはあなた次第だ。あなたは計画したことを経験するかもしれないし、別のことを経験するかもしれない。それはあなたが何を選んだかによる。
〇人生の皮肉は世間的な財産と成功に関心がなくなったとたんにそれがふんだんに流れ込んでくる道が開けるということだ。
〇心配、憎悪、不安さらにそれらから生まれる気がかり、苦々しさ、短気、貪欲、不親切、批判、非難などもすべて、細胞レベルで身体を攻撃する。そうなったら健康を保つことは不可能だ。同じく、うぬぼれ、わがまま、欲張りも肉体的な病気につながる。あるいは快適さを損なう。
〇あれこれ評価、評論せず、やるハメになったことをする、頼まれて時間があったら引き受ける、という淡々とした生き方をしていると、いつの間にか「悩み・苦しみがゼロ」になっている自分に、気が付くことでしょう。
〇子供をどうしたいとか、だれをどうしたいとか、自分のの思いどおりにならないことをどうしたらいいか、という話は、相談事ではありません。「自分の思い通りにしたい」だけなのです。
〇自分がどう生きるかではなくて、自分以外の人をいかに自分の思い通りにするかということが、自分の「悩み」だと思っている人が増えているようです。自分以外のものを自分の思いどおりにするという考え方を全部やめる。自分がどう生きるかだけをまず考えること。
〇目の前の人が、自分の考え、生き方、価値観とは違うということを認めること。それを学びに生まれてきているのです。
〇悩み、苦しみ、苦悩、煩悩とは、何かを自分の思い通りにしようとした瞬間に生まれるのです。


〇がんであと三か月の命、と宣告されたら、それをどうやって半年、一年に伸ばそうかと思うのではなくて、その三か月の間に「どれだけ人に喜ばれたか」ということを、足跡として残していく方がいいと思います。「喜ばれること」は、自分が「喜びを感ずる」こととイコールです。
〇自分が「正しく」生きてきたかどうかではなく、問題は、「楽しく」生きてきたかどうかなのです。ですから、「自分は正しい生き方をし、ほかの人は正しくない生き方をしてきたにもかかわらず、正しい私の方が病気になって、正しくない人の方がのうのうと生きている」と考えること自体が、すでに自分の体にがん細胞を作っているということになります。
〇人間は、何かを社会に対してなした時に、二つの報酬を選択して受け取ることができる。そのうちの一つは金銭であり、もう一つはパワーです。当然のことながら、金銭は一度で終わり。パワーはその人の身につくものですから、そこから死ぬまで永久です。どちらがより得か?
〇今の状況が自分にとって嫌なものだと思うなら、今この瞬間から、過去にやってきたこととは違う積み重ねを始めた方がいい。すると何年か経った時には、穏やかな関係を築くことができる、しかし、今までの積み重ねの集積として、目の前に刃として突き付けられているとしたら、それは自分が怒鳴ったり威張ったりしたことの結果です。
〇今、目の前にいる人を大事にして、周りの人すべてに感謝をしていく事で、自分が感謝をした分だけ感謝されるのです。今まで社員を感謝ではなく、力で動かそうとしていたから、そのつけとして、力関係が逆転した時には、力で攻撃されるわけです。それがつらいのであれば、今、この瞬間から、目の前の社員一人一人に感謝をする方向に切り替えることです。
〇時計の振り子を9時の方向に振りたいと思ったら、反対側の3時の方向に一旦、引っ張らなければならない、6時の位置にある振り子を5時のところまで引っ張れば7時のところまでしか行かない。神様はこんなやり方をします。これが人間の苦労とか大変さとかと呼んでいるものです。


〇「あら捜し」をしている人の周りには「嫌な人」しか存在しない。周りの人の問題ではなく、「自分の見方」が「地獄」の原因。
〇自分が正しくて相手が間違っていると思ったときに人間は腹を立てるが、実は、腹を立てている自分が一番損をするようになる。
〇結婚するシナリオの人はするし、しない人はしない。しない人は、家庭という名の砥石がいらないということで、そのほかの部分、例えば職場や友人との人間関係において人格を磨くことになる。
〇自己嫌悪は神の側にある感情で、神からの贈り物です。「それをやめた方がいい」ということを教えてくれているのです。自分で自分を好きになる生き方をすること、自己嫌悪が生じない選択をし続けることです。
〇自分の価値観、考え方と会わない人を、自分の許容範囲内に連れてこようとするのですが、なかなか連れてくることはできません。そういう時に、苛立ったりストレスが溜まったり、怒ったりする。エリア内に入ってくれないから怒こってしまう、そうではなくて自分が広がってしまえばいい。一般的に多くの人が許せないようなことも私は許せる、という状態になれたら、これは、自分だけの努力ではなくて、そういう人が自分の目の前に現れてくれたおかげだとおもうようになる。
〇落ち込む人、同時に有頂天になっている人というのは、すべて「自分の力がなかなかのものである」と思っているところからきている。その心はおごり、高ぶり、うぬぼれ、傲慢というものに近い。本当に謙虚になると、落ち込むことも有頂天になることもなくなる。
〇親は子供によって、いかに自分が人格者になるかを要求されているわけで、子供にとっては、これ以上の親孝行はないでしょう。親も、それを自分でプログラムしてきたのです。


〇酒、たばこ、暴飲暴食に加えて、「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言い続けて神様から借りた肉体という貸衣装をボロボロにしてしまった」と思う人は、これから死ぬまでの間に、肯定的な言葉や「ありがとう」という言葉をたくさん言ってみること。「ありがとう」を言うことで、この衣装は修復されるらしい、という法則を知った瞬間から、ひたすら実践してみることをオススメします。
〇認知症になる人の共通項とは、「死ぬことを怖がっている人」のようです。死を恐れている人には、神様が限りないやさしさを持って、死を認識できないようにしてくださるようです。本人の希望通りになっている。ですから、死ぬことが怖くないと思えた人は、年をとっても認知症になることはありません。
〇なるべく「喜ばれるように」お金を使う。すると、3年後くらいから、不思議なお金の入り方が始まります。「喜ばれるように」使う実例としては、あまり流行っていないお店でお金を使うこと。行列のできるラーメン屋さんはあなたが払う代金は千分の一。ほとんど人が入っていないラーメン屋さんは十分の一。そういう店における支払いは、ものすごく喜ばれます。
〇もし、今、その人が笑顔に囲まれているのであれば、過去に多くの笑顔を投げかけてきたからでしょう。自分が過去に投げかけてきたものの集積として、その人は現在、それに囲まれているのです。ですから、明るい笑顔を投げかけてきた人は、その数十年の結果として現在、明るい笑顔に囲まれています。過去数十年、不機嫌を投げかけてきた人は、その集積として今、不機嫌に囲まれているのです。今のその人を見ていればその人の過去の集積がわかります。過去、どのような生き方を続けてきたのかが読み取れるというわけです。
〇あなたが自分にふさわしい分だけ持って生まれたものを、生きてゆく過程で、いかに自分で磨き、育てていくかが大切です。


〇「私の人生はツイてないなぁ」とか「運がないなぁ」など、そんな風には思わないでくださいね。この世において、「ついていない」と感じるのは、その後の必ず何かツイている出来事が起こる合図でもあります。
〇信じれば信じるほど、不思議フィールドからのお助けが増えてきます。きっと、自分が意図しないことで「なんてうまい采配をしてくれるのだろう」と感じることが多くなっていきます。不思議フィールドの皆さんの力の源は、あなたの信じる心なのかもしれませんね。あちらの方々を感じる些細なことや日々の小さな喜びを見つけて、喜んでくださいね。
〇あの世で自分のカップを覗いた時に、「結婚しないんだ」「子供は持たないんだ」「自分は、ここが不自由なんだ」と全部を納得して生まれたけれど、すべて忘れています。ですから、この世で自分が心から納得するために、必要な過程があるのだと思うのです。いま望みがかなわないとしても、必ず未来にはあなたが納得をして気付くことが待っています。
〇最初に願ったことが叶わなくても、魂は「最善」を知っているのです。
〇完璧なままでいたら魂が震えるような経験はできないから、人とはみんな愚かで悲しいものなのですね。だからこそ、魂を震わせる経験に出会うのかもしれません。どんなに偉い人よりも、とても悲しんでいる人に、苦しんでいる人に、ただ神様を見ます。
〇自分が苦しんだ分、悲しんだ分だけ、誰かの心にそっと寄り添いたいと思うのです。だから誰かが苦しんでいると、人は自分の愛を分け与えたいと思うのです。その気持ちが、私たちの思う「人のために役立ちたい」という無償の愛なのかもしれません。それは理屈ではなく、あなたという神様の愛を分け与えているのだと思います。あの世に還ったときに誇れるのは、魂の経験だけなのです。
〇どんな相手でも自分が気付けることや学べることを必ず持っています。これが良いことも、もちろん反面教師に思うこともあるでしょう。その中で、魂が喜びで共振する人、そして一緒にいて安心できる人、心地よい人と出会ったなら、それでよいと思います。本当にご縁があれば、気が付けば自然とあなたのそばにいるのです。
〇きっと、だれもが最初のころは不安を抱えながら、一生懸命、仕事を覚えて職場に馴染もうとするはずです。しかし、一通り仕事を覚えてしまうと、情熱ややる気がどうしても薄れてしまう人がいるものです。どういうことかというと、実は「もうそこで学ぶことはないですよ」という魂の合図でもあるのです。
〇次の仕事が見つからなかったらと不安になります。特に、家族を養っている人の責任感と不安はとても大きなものでしょう。だから、だましだまし仕事を続けようとするのですが、本当はもうそこでの収穫は終わっていたりするのです。「あえていろんな学びをしてほしい」という魂からの願いです。


〇人間性は弱者に対する態度に出る。
〇見返り根性を捨てると幸運の歯車が回る。
〇我慢のならない人こそあなたの教師。
〇あなたの環境は自分を映す鏡。
〇弱い人を助けて権力を振りかざす誘惑には溺れるな。
〇人の縁を育みたければ、人を見下さないこと。
〇批判は人の縁を遠ざける呪文。
〇相手の長所だけを見るようにすれば、良縁の芽が生まれる。
〇コンプレックスを抱くと人との縁が遠ざかっていく。
〇人を妬んだりうらやむと、縁が寄り付かなくなる。
〇打算で動くと、縁が消滅してしまう。
〇プラスの方向から解釈する癖をつければ、縁が深まる。
〇自分に都合よく解釈することで、意外な形で縁が生じる。
〇あなたが体験する出来事には、すべての意味がある。
〇マインドをポジティブにすれば、縁が生まれやすくなる。


〇自分の長所を挙げていけば、マインドがポジティブになる。
〇一日一回楽しいことをすると、心の体質が変わってくる。
〇ありがたいという口癖が、ありがたい現象を招く。
〇人を立てることで、相手との縁が深まる。
〇成功者は人を立てることを習慣にしている。
〇他人の自己重要感をスポイルすると、悲劇を招く。
〇誉め言葉は、縁を作るためのおまじない。
〇ちょっとしたねぎらいの言葉が、縁のきっかけとなる。
〇教えを乞う姿勢を大事にすると、縁が増大していく。
〇聞き上手になれば、縁が育まれる。
〇相手の関心事に理解を示せば、好感を抱かれる。
〇相手に価値を譲れば、縁を深める絶好の機会となる。
〇小利口にふるまうより、バカになれる人が他人に好まれる。
〇他人に喜びを与えると、人の縁がどんどん膨らむ。
〇マイナスの言葉は、縁を遠ざける呪文のようなもの。
〇縁は、ブラスの言葉を発する人に吸い寄せられる。
〇笑顔日、縁を引き寄せるスパイスのようなもの。
〇グッドニュースの提供マンになれば、縁づくりは成功する。
〇感謝の言葉をかければ、そのお返しがある。
〇ユーモアをうまく使えば、あなたの好感度がアップする。
〇相手のメモリアルデーを記憶しておくと、縁づくりに役立つ。
〇相手の趣味や嗜好に敏感になると、縁づくりに役立つ。
〇徳を積めば積むほど、人の縁が作りやすくなる。
〇親切の種をまけば、縁を招くことにつながる。
〇相手の立場になって行動すれば、縁はあなたを好む。
〇生き金を投資すれば、縁が分配される。
〇人の嫌がることをやり続ければ、人の縁を引き寄せる。
〇ボランティアメニューを実践すれば、運命の人が現れる。
〇仕事に使命感を組み入れれば、驚くほど縁を作れる。
〇平凡で怠惰な生活からは、縁は生まれない。
〇願望は、縁を引き寄せる磁石のようなもの。


〇願望への強い想念が、運命の人を引き寄せる。
〇願望実現のチャンスは、意外な時に意外な形で訪れる。
〇願望の芽が出なくても、焦って土を掘り返してはいけない。
〇ハッピーエンドを信じると運命の人は土壇場で現れる。
〇新しいことにチャレンジすれば、縁が引き寄せられる。
〇非日常的な体験が、あなたに素晴らしい縁を与えてくれる。
〇ヒラメキは、潜在意識からのメッセージ。
〇情報に敏感になれば、運命の人と出会う可能性がある。
〇人からの誘いは、運命の人と出会うためのチャンス。
〇頼まれごとに気軽に応じてあげれば、新たな縁が生まれる。
〇数字の一致に敏感になると、運命の人が現れやすくなる。
〇夢に敏感になると、運命の人に出会う可能性が高まる。
〇共通点・同感部分・共鳴部分が多い相手は、運命の人である可能性がある。
〇同時体験が多ければ、運命的なつながりのある証拠。
〇運命の人との出会いが、あなたの人生を好転させる。
〇倍返しの精神を大事にすると、縁を深めることになる。
〇自分が困っているときこそ、相手のことを優先させる。
〇相手の過ちを赦す寛容な姿勢が、縁を深めていく。
〇他人の降伏を願う場、縁という形で還元される。
〇シンクロニシティの連鎖に気付けば、運命が好転する。

〇もし頻繁にカギ回しを繰り返すと、目的への進展がひたむきさを伴うプロセスに変わってしまうように思われるかもしれれない。それは本当にその通りである。そもそもあなたはカギ回しを絶えずひっきりなしに非の打ちどころなく、つまり冷静に行うことはできないのである。願望を抱くという古い習慣がすべてを台無しにしてしまうこともある。もしカギ回しを頻繁に行おうとしているのなら、あなたには、すぐにどうしても結果を出したいという願望の強いポテンシャルがあることになる。もしあなたが行動しなくてはと言う必要性を感じていて、気分転換の実践を自分に強いるような場合も、過剰ポテンシャルが発生していることになる。必要性というもの過剰ポテンシャルのことなのである。だから私は常々あなたに行ってきた。目的とするスライドの視覚化で満足しているだけでよく、必要性に迫られて、自分を追い込んではならないと。
 願望や必要性の過剰ポテンシャルは意図のエネルギーを奪い取るため、魂の意図の風が急に強く吹くことは決してない。つまり、カギ回しは働かないのである。とりわけ早い段階で結果を見てみたいとの願望が強ければ、なおさらそういえる。いつも自分の願望の状態に注意を払うようにしてみよう。結果を得たいという願望を抱いている事がわかったら、カギ回しの実践をしばらく休むこと、後でもう一度試して見るべきである。もしカギ回しをうまく行おうと全力を振り絞っている自分に気が付いたら、それが原因であなたは緊張しているのだから、カギ回しを行うのは次の期待まで延期したらいい。
 カギ回しは、楽しみこのためや興味を満たしたりするために、時々やってみたらよいだろう。しかし、カギ回しを何度も繰り返してはいけない。カギ回しは、亜空間における動きをあなたが自分の目で確かめるためだけに役立つものである。事象選択の実践において主に注意を向けるべきなのは、目的とするスライドを頭の中に映し出す事と、乗り換え用に鎖の現時点でも輪の実現プロセスを視覚化することである。魂の意図は、あなたがカギ回しを行うかどうかにかかわりなく、作用してくれる。しかし、今や亜空間を除くことのできるある種の丸窓が現れたのは本当である。亜空間の中での自分の動きを実際に観察することが可能になった。なんと感動的なことだろうか。あなたはもう絶望したりしない。
 カギ回しを実践した結果、あなたは本当は何を見るのか、ここで詳しく述べよう。すべてはとても信じがたいため、疑わしく思えるのももっともな話である。おそらく、人間の知覚の特質によってもたらされる何らかの幻想ではないだろうか。いまいるセクターから別のセクターへの移動の際に、舞台装置ニュアンスが移り変わることを観察できるという保証はどこにあるのだろうか。
 既に述べたように、夢の中で見る知り合いの外観がいつもと少し違う事については、あなた自身も知っている。夢の中では、鏡に映っている物を見るように、あなたは自分の姿も見ることがあるが、やはり他人の顔のように感じる。お馴染みのはずの周りの様子も全く違って見える。同じ通りであり、同じ家並みであるのに、そうでは無いように見えるのである。現実の世界も時間の経過とともに変化している。家々は別の色に塗り替えられ、木々は伸び、人々は年を取る。こうした全ての変化は当然のことである。そして、その一方で、物質的現実化の進展は一方の直線上をなぞるわけではない。一つの人生ラインの舞台装置と別の人生ラインの舞台装置とをどうやって区別すればよいのか。
 もし写真のような発明品がなかったならば、区別することはおそらく不可能であっただろう。古い写真が納められているアルバムを開いてみよう。風景を比べてみると、様々な人生ラインにおける舞台装置のニュアンスの違いを明確に指摘することはできない。なぜなら、風景は自然要因によって急速に変わっていくからである。もっとわかりやすい確かな方法がある。様々な時期にとられた写真の中の人々の顔つきを比較してみよう。人間の顔つきは、年齢を重ねるにつれ、それと比例して変わっていくはずだと思ってはいないだろうか。ところが、実際は全く違うことがわかる。
 いろいろな写真に写っている同じ人の顔つきには著しい違いがある。それも、そのような違いは時間の隔たりと比例した性質を持ってはいない。いろいろな髪形に注目したりしなくても、また、あどけなさが残っていなくて老け込んでもいない人生の中間地点でとられた写真を比べたりしなくても、いずれにせよはっきりとわかる違いが表れている。顔はその人のものだが、どこか違う。その人が年を取ったからではなく、髪形を変えたからでもなく、撮影時の虫の居所がさまざまであったからでも無い。その人の顔は、何か別のことが現れている違う表情をしているのである。これが舞台装置の間ニュアンスの違いである。人は変わるものであることをあなたはずっと前から知っている。しかし、おそらくニュアンス上の特徴的な違いには注意を払わなかっただろう古いアルバムのページをれめくり、自分自身で確認していただきたい。
 こうした違いが非常に激しいため、数年ぶりにあっても、本心だと分からないことさえある。人生の質的に異なった時期に取った自分の写真を見比べても、あなたはニュアンスに著しい違いがあることに気付くだろう。亜空間の質的に異なる様々にセクターにおけるあなたの現実化がどのように見えるか、イメージを持つことができる。
 では、あなたがセクターからセクターへと移動している間に、アルバムにある写真も別のニュアンスを帯びることになるのだろうか。もちろんそうだが、単純な対象のニュアンスは極めて微かなため、それに気づく事は実際上は不可能である。もし澄んだ眼差しをあなたのベッドや本棚に固定してカギ回しを行うのであれば、いかなるニュアンスをとらえる事もできないだろう。だから私は、単純な舞台装置の中ではなく、通りに出てカギ回しを行うよう勧めるわけである。そうすれば、変化に気付くことだろう。