〇あらゆるミクロ意識、つまり個としての魂が、自身の光の質、意識の波動に応じた内容で、マクロ意識に影響を及ぼしている。多くの人々に影響を及ぼしながら生きることに同意して生まれてくる魂は、偉大な魂である。そう言った魂の持つパワーは極めて質が高く、その潜在手的影響力は世界規模である。その種の魂が何百万、あるいは実際に何十億もの人間の人生に触れる可能性はとても現実的であり、その魂がその使命、つまり人類の進歩を促す仕事に失敗してしまった時に、大きなカルマ的負債を背負い込む可能性も、とても現実的である。その魂は、それ一つで、何十億もの魂たちに対するカルマ的な責任を担っているのである。


〇魂は、「上昇の道」を選択した時、すなわち、責任ある選択を通じた意識的な進化を目指した時、自分のネガティブな性質から解き放つ能力を獲得する。その時魂は、真のパワーに手を伸ばす。自身のネガティブな性質、分裂した心の無意識の意図に立ち向かい始める。心が意識的になり、調和を手にし、多感覚型人間へと進化すると、魂の持つ意識の波動が上昇する。その時、魂は分裂した状態から調和した状態へと移動している。魂が持っていたネガティブな性質は消え去り、意識は軽くなっている。自分の周囲のあらゆるものを、思いやりと明晰さを持って、自身の魂の知恵とともに見ることができるようになっている。

 魂はまた、より広いレベルの交流に意識的に参加することを選んだ時、自分の家族、仲間たち、地域社会、あるいは国家を、魂が持つネガティブな要素から解放する作業に、直接かかわることができるようになる。それは魂にとって、ネガティブな要素に汚染される危険を冒すことでもある。つまり、人間交流のより広いレベルに、より質の高い意識を持ち込もうと務める魂は、そのレベルの存在する恐れや怒り、身勝手さなどにより汚染される危険にさらされることになるのである。

 


 

   カルロス・カスタネダ 呪術師シリーズ重要部分 その1
〇「誰もがお前の感ずることを言うことはできん。熱でも、光でも、色でもないんだ、もっと別なものなんだからな」
「説明できないのかい?」
「できんな。出来ることと言えば、テクニックを教えてやることだけだよ。目に見える像を別々にして、物を2つに見ることを学んだら、次は2つの像の間の部分に注意を集中させなければいかん。その部分ではだな、目を見張るような変化が起こるだろうよ。」


〇「夢の使い方を学ぶ時のコツというのは、ただものを見るだけじゃなくて、その光景を維持させるってことだ。あらゆるものの焦点を合わせるのに成功した時、夢は現実になる。そうすれば、眠っているときにすることと、眠っていないときにすることには違いがなくなるわけだ。わかるか?」


〇「まず、出発点として自分の両手を見つめる。それから別のものに目を移してチラッとそれを見る。出来るだけたくさんのものに目を向けるんだぞ。ちょっとしか見なければ像は動かんてことを覚えておけ。それから両手に戻るんだ。際限なくいろいろなモノを見つめられるようになったら、新しいテクニックへの準備も大丈夫ってことだ。これから、その新しいテクニックを教えるが、準備万端にしてから使うんだぞ」
 彼は15分ほど黙っていた。そして起き上がって背筋を伸ばし、私を見た。
「夢を使い次の段階は旅をすることを学ぶんだ。手を見るのを学んだのと同じようにすれば、自分自身に動いてどこかへ行くように命ずることができるんだ。まず行きたいところを決めにゃならん。良く知っているところがいい。学校とか公園とか、友達の家とかだ。そして、そこへ行けと自分に命令するんだ。このテクニックはかなり難しいぞ。それには2つの事をせにゃならん。まず、自分に特定の場所へ行くように命ずること。それからこのテクニックをマスターしたら、その旅の正確な時間をコントロール出来るようにならねばならん」


〇私は彼の指示に従い1時間以上も書き続けていた。書くことに夢中になってしまったのだ。突然腕が疲れているのに気づき、ドンファンの目と頭が200メートルほど向こうの山の頂上から降りてくる層雲を指しているのがわかった。ドンファンがそれほど近くにいるのにやっと聞こえる程度の声で、私の耳元で囁いた。
「あの霧の塊に沿って目を前後に動かすんだ」
彼が言った。
「だが、直接見るんじゃないぞ。瞬きをするだけで焦点を霧に合わせちゃいかん。あの霧の塊に緑色の点が見えたら、目でわしに示すんだ」
 私はゆっくりと私たちの方へ降りてくる霧の塊に沿って目を左から右に動かした。おそらく30分ぐらいが過ぎただろう。暗くなりつつあった。霧の動きは極端に遅かった。ある時、急に右の方にかすかな光が見えたような感じがした。最初は霧を通して緑色の藪が見えるだろうと思っていた。直接それを見ると何にも気付かないが、目の焦点を合わせずに見ると、ぼんやりと緑色の部分がわかるのだった。ドンファンにそれを示した。すると、彼は目を細めてそれを見つめた。
「そこに焦点を合わせてみろ」
 彼が耳元でこうささやいた。
「見えるまで瞬きせずに見るんだ」
 私は、何を見るはずなのか聞きたかったが、彼が話してはいけないということを思い出させるような目で睨みつけた。私はもう一度目を見張った。上の方からやってくる霧の塊はまるで個体のように宙づりになっていた。それは、私が緑の色合いに気付いた部分の真上に並んでいた。目が疲れてきたので細目にしてみると、最初に細い霧が見えた。それから、私の頭上の上を前にある霧の塊をつなぐ橋のような支えのない細い霧が見えた。ちょっとの間、山の頂上から吹き下ろされ、橋を壊さずにそれに沿って進む透明な霧が見えたように思った。その橋が実際に個体であるかのような光景だった。あるとき、その蜃気楼が、その橋より下の暗い部分と明るい砂岩の色とを実際に区別できるほどまでに完璧になった。


〇「でも集合点を動かすのはとても難しいから、それができたら本当に素晴らしいことだってあんたは僕に言ったじゃないか」私は抗議した。
「確かにな」彼は認めた。
「これがもう一つの呪術師の矛盾なんだ。難しいが、世界で一番単純なことなんだよ。これはもう話したことだが、高熱は集合点を動かすことができる。飢えや怖れれや愛や憎しみもそうだし、神秘主義もな。それに不屈の意思。こいつは呪術師の好む方法だ」


〇古代の呪術師が唱え、ドンファンが丁寧に説明してくれたもう一つの記念すべき進展は、睡眠中の集合点はごく簡単に移動するようになるのを発見したことだった。これを理解するとそれがまた別の発見のきっかけになった。すなわち、夢はすべて移動と結びついていたのだ。古代の呪術師たちは、移動が大きければ大きいほどより異常な夢を見ること、そしてその逆も成り立つという事を見た。ドンファンは、彼らはこの観察から集合点を移動させる優れた技術を考案したと言った。すなわち、別な意識状態を創り出す植物を摂取すること、空腹、疲労、ストレスの状態に身を置くこと、そしてとりわけ夢を操ることだ。このようにしてたぶんそれとは知らず、彼らは夢見を完成させたのだ。


〇折あるごとにドンファンは社会化の牢獄から夢見の注意力を解き放つのに必要とするエネルギーは、私たちに存在するエネルギーを移動することによって生じると指摘した。これ以上の真実はないだろう、夢見の注意力の発生は、生命力の改変によって直接生ずるものなのだ。ドンファンが言ったように私たちには、エネルギーを高めるための特別な供給源に接続する方法がないので、可能な限りの手段を使って現存するエネルギーを転換しなければならない。
 ドンファンは、エネルギー移動の車輪に注油するは、呪術師の方法が最良のやり方だと主張した。そして、呪術師の方法の中で最も効果的なのは「自尊心をなくすこと」だといった。彼は呪術師が何を行うにしてもこれは不可欠であると信じていて、弟子を教えるにあたっても、この要求を満たすようにと強調していた。彼は、自尊心は呪術師の最大の敵であるだけでなく、人間の大敵でもあるという意見の持ち主だった。
 私たちの得るエネルギーの大半は自尊心を保つために消費されている。というのがドンファンの論だった。それは、私たちが際限なく自分の体裁を気にすることを見れば明らかだ、褒められているかいないか、好かれているかいないか、認められているかいないか、とまったくきりがない。彼は、もし私たちがその自尊心をいくらかでも手放せれば驚くべきことが二つ起きる、と言った。
 一つは自分が偉大であるという幻想を保っているエネルギーを解放することができる。もう一つは第二の注意力に入るために十分なエネルギーを供給することができ、宇宙の本物の偉大さを垣間見ることができるのだ。私は見たいものをすべてに確固とした夢見の注意口を集中できるようになるまでに、2年以上もかかった。そのうちに熟練してきて、生まれてからずっと続けてきたように感じたものだ。
 何より不可解だったのは今までその能力がなかったということを自分で納得できなかった事だ。その可能性があると考えることでさえもどんなに難したった事か。夢に出てくるものを調べる能力は私たちに自然に備わっている能力、例えば歩くことと同じようなものであるに違いない、という思いが浮かんだ。私たちの肉体は唯一の方法、つまり二本足で歩くようにできているが、歩くことを身に着けるまでに大きな努力を要するのだ。


〇「完璧な夢見のためにまずしなければならないことは、頭の中で話すことをやめることだ」
 あるときそれはこう言った
「それをやめるために一番いいのは指の間に2~3インチの水晶か、滑らかで薄い川原の小石をいくつか挟むことだ。指をちょっと曲げて水晶か小石を押すのだ」
 使者はサイズと幅が指と同じなら金属の棒でも同じ効果があると言った、手順はそれぞれの手の指に少なくとも3つの物を挟み、痛みを感じるぐらいに強く握るのだ。その握力に内的会話をやめさせる奇妙な特性があるのだ。使者は水晶が一番望ましいと言っていた。他の物でも練習すれば効果はあるが、水晶が最も効果的だというのだ。
「完全な静寂の瞬間に眠りにつくと、夢見への完璧な入口が保障される」使者の声は言った。
「また夢見の注意力も高まる」
「夢見るものは金の指輪をするべきだ」別の時に使者は言った。
「ちょっときつめの方がいい」
 使者の説明は金の指輪は夢見から日常の世界へ日常の意識から非有機的存在の領域への架け橋となるということだった。
「その橋にはどういう働きがあるんだ?」私は聞いた。何を言っているか理解できなかったのだ。
「指が指輪に触れていると橋がかかる」使者は言った。
「夢見るものが指輪をはめて我々の世界にやってくると指輪は我々の世界のエネルギーを集めて保存する。必要な時には、その指輪が夢見る者の指にエネルギーを放出することによって夢見る者をこの世界に運ぶ。指にはめた指輪の圧力も同様に夢見る者を彼に世界の戻すように作用する。絶えず指の上になじんだ感覚を与えるのだ。」
 別の夢見の時使者は、私たちの皮膚は日常世界のエネルギー波のモードを非有機的存在のモードに変調したりあるいは逆にしたりするための完全な器官だといった。また、皮膚を冷やしておき、顔料や油をつけないようにと勧めた。さらに夢見る者は気ついてベルトやヘッドバンドやネックレスをして、エネルギーを変換する皮膚の中心として働くように圧力がかかる点を作ることも進めた。
 肌は自動的にエネルギーを遮蔽する。そして、エネルギーを遮蔽するだけでなく、あるモードから別のモードに変換するようにさせるには、夢見の中でその意図を大声で表現すればいい。と使者は説明した。
 ある日、使者の声は信じられないような贈り物を与えてくれた。夢見の注意力の鋭さと正確さを保つには口蓋の裏からそれを引き出さなければいけないと言った。そこには人間ならだれにでも注意力を貯める巨大な貯蔵庫があるのだと。使者が教えてくれた秘訣は、夢見の間に舌の先を口蓋に押し付けられるように練習せよと言うことだった。
 使者が言うには、この課題は夢の中で両手を見るのと同じぐらい難しく骨の折れるものだということだった。だか、一度出来るようになると、夢見の注意力を制御するのに驚くような効果を発揮するらしい、私はあらゆることについて豊富な助言を受けた。だがその助言も繰り返し言われないと、すぐに忘れてしまう。ドンファンにこの忘れっぽいという問題を解決するにはどうしたらいいか助言を求めた。彼の意見は予想通り簡単なものだった。
「使者が夢見について言ったことだけに集中しろ」彼はこう言った。

 


 

〇魂は、よりレベルの高い責任を果たすことを選択するたびに、社会に対してより大きなインパクトを与えうる環境の中に生まれ変わってくる。ただし、転生先の体による同意も必要である。あなたの意識に、まだその準備ができていなかったとしたら、あなた自身の魂の保護のために、あまり多くの影響力を持つ立場は、与えられることがない。魂の転生先は、カルマ的影響力、エネルギー的影響力によって決まってくる。魂は、自己の進化レベルにふさわしい活動区域内に生まれてくるのである。責任の進化なるものが存在する理由が、ここにある。

 


 

〇魂たちは、より広いレベルの交流を意識的に選択した時、自己の変容のみならず自分たちが交流するより大きな魂の集団の変容にも積極的に責任を負うことになる。あなたの意識を、物理的な光に例えると、光は輝きを放つ。そして、明るい光ほど広い範囲を照らし出し、暗い光ほど狭い範囲を照らし出す。あなたの光が照らす範囲が、あなたのカルマ的影響が及ぶ深さであり、幅であり、広さである。もしあなたが巨大な光だとしたら、その光は地球全体を照らし出すだろう。そして、もし巨大な光へと成長しつつはあるが、それにはまだまだ及ばない光であるとしたら、その時のあなたは、カルマ的に責任を負っている範囲内の身を照らし出すことになる。


 

〇クンダリーニ覚醒は日常的な生命活動が低下した中で起きる。肉体の現象的な生命活動が低下するとき、生命エネルギーの方は活性化するのである。ヨガの場合は、行と呼ばれる厳しい肉体的修練によってそのような状況を意識的に作り出していく、いわば肉体を苛め抜くことによって、生命エネルギーの活性化を図るのである。ところが臨死体験の場合は本人は意識的に何もしないのに、肉体の生命活動は極限まで低下する。クンダリーニ覚醒が、肉体の活動レベルの低下によって引き金を引かれるものなら、臨死体験がその引き金を引いても不思議ではないのである。


〇誰でも自分の心の態度にあった念の微粒子を引き寄せている。悪意を抱けば悪意・復讐・憎悪などの念が集まる。それは自分を「引力の中心」にして、「引き寄せの法則」を動かしているから起こることである。それを解決するには自分の念波を決定的に変えるしかない。

 


〇人が強い願望・感覚・発想を抱くと、強い意志の力に自然に満たされ。それがオーラ本体に強い振動を次々に起こし、徐々にオーラ物質を凝縮させて、プラーナに包まれた強い念力の渦を形成するのである。オーラ本体に残り、少しずつ消えていく念体もあるが、独立した存在を保ち、近づく人に強い影響を与えるものもある。この種の念体はプラーナの力を強く受け、強い念が染み込んでいるため、オーラ本体から飛び出して、初期のエネルギーを使い切るまで他人のオーラに影響を与える。
 念体は強く表現された念以上のものである。エーテル物質とプラーナの力に包まれ、発した本人の生命力の振動を帯びている。それは心の創作物であり、創造者の生命力の一部を得て、誕生後もしばらく存在し続ける。自然霊のような寿命の短い半生命体に見えるものもある。念体が人から離れて存在できることを理解しにくい人のために言えば、それは死滅した星の光が長く宇宙空間を旅するのに似ている。ランプやストーブを除いても熱の振動が室内にこもり、ドラムが止んでも室内に音の振動が残るようなものである。
 念体の形は千差万別であるが、静かな湖面に小石を投げてできる波紋の形がもっとも一般的である。小さな雲状の渦を巻くものもある。蒸気機関車や喫煙者が吹く「煙の輪」に似たものもある。この種の念体は螺旋状に動く。雲のような物質の球が燐光を放ちながら高速回転するのもある。ヤカンの口から立ち上る細い湯気のような念体もある。鏡の反射光のような淡い光の流れが、コルク栓抜きや木工ギリのようにぐるぐる回転しながら空間を進むものもある。
 感情が爆発した時の念体は、目指す相手に届く爆弾の形をとる。念の爆弾が力ある人から誘導され近くで破裂するような経験をだれでもしている。熱烈な演説をする人にこの種の念体をよく見かける。他人に絡みついて引き戻そうとする念体もある。この種のものは訴え、説得・甘言などの強い願望を伴うのが普通で、特に強いものになると、タコの形をとって絡みつく長い足を他人に巻き付け、中心に引っ張ろうとする。
 念体に潜む気持ちはかなり遠くに届くが、集中力が大きければ空間は、ほとんど障壁にならないように思われる。目覚しいテレパシーの例では年体が重要な役割を果たす。
 念体の形は無数にある。念と気持ちが結合するたびに独特の形を生じるので、特徴は人によって千差万別である。ここに述べたのは最も共通する念体の霊にすぎない。念体にはありとあらゆる幾何学模様があり、驚くほど美しいものもみられる。念体の色はオーラと同じだと覚えておくとよい。いずれも同じ現物質からつくられ、同じエネルギーを帯びているのであるが、次の違いがある。「オーラは人体のバッテリーから常時力をえているが、念体は使い捨てバッテリーのように発生時に与えられたエネルギーしか使えない」ということである。どの念体もオーラ本体に存在した時の色をしている。色は単一に近く他の色はあまり混ざらない。念体はいろいろな精神派の集合体というより、単一の明確な思いを現しているからである。
 怒りの念体は独特の閃光を伴う赤と黒を見せる。激情の念体はそれに応じたオーラの色と全般的特徴を見せる。崇高な愛の念体は、遠い天国から積んできた麗華のような美しい形と調和の取れた色合いを見せる。
 念体の多くはオーラの周囲から離れないが、遠くへ飛散するものもある。途中で散り散りになり消えるものもあれば焼けた鉄辺のように長時間輝き続けるもの、ほのかな燐光を出し続けるものもある。オーラ本体に現れるいろいろな気持ちや感情の特性に注意すれればどの念がどう見えるかが大体わかる。オーラ現象全体に一般原則が当てはまるので、一般原則を理解すれば、特殊現象を理解するのに役立つ。そして念体はプラーナと生命エネルギーを帯びるオーラの断片であると記憶しておくこと。それは狭い意味での人格の影響である。


〇恐怖が否定的引力となる心理的事実に注意すること。強く良くするものが引き寄せられて来るように、強く恐れるものも引き寄せられる。多くの研究者がこの逆説に悩んでいるが、その理由はハッキリしている。いずれの場合も心のイメージが鮮明に保たれていて、そのイメージに従って「引き寄せの法則」が発動し、心に描いたものを物質化するのである。

 


 

〇あなたが、責任ある判断を通じて意識的に進化することを決断したとしたら、それはあなた自身の進化のみならず、あなたが属している人類という集団のいかなる形態の進化にも貢献することになる。要するに、あなたの決断によって進化を遂げるのは、あなたばかりではなく、人類全体なのである。

 愛と思いやりに満ちた世界を望んでいるならば、まずあなた自身が愛と思いやりに満ちるべきである。この世界から恐れを無くしたいならば、まずあなた自身が恐れなくなること、それは、あなたが世界に与えることのできる価値ある贈り物である。

 国家間に存在する恐れは、個人と個人の間に存在する恐れの集合体である。国家同士を分離させている、パワーを外側の物だとする認識は、双方の国民が抱いている認識の集合体である。と同時に、自分の魂に自分を同調させることを意識的に選んだ個人の内側に出現する愛、明晰さ、そして思いやりも、異性同士、民族同士、国家同士、隣人同士を調和へと向かわせるのと、全く同じものである。これ以外に道はない。

 人間はそれぞれ、自分が個人的に体験する人生の選択に責任がある。と同時に、その責任は人類全体の体験にまで及んでいるのである。例えば、核戦争による人類の滅亡は、この地球上のマクロ・レベルの全体思考である。そして、その全体思考が消滅するためには、ミクロ・レベルでの完全な進化が求められる。国家同士の怒りや敵意を癒すことで平和な世界を築こうと奮闘を続けている人たちがいるが、その目的の達成は、彼らが自分たちの内側に怒りや敵意を抱いている間は、夢のまた夢である。

 一つの中にあるものが、すべての中にある。究極的には、すべての魂がそれぞれに、世界全体に対する責任を負っているのである。

 


 

〇左脳を黙らせて右脳中心にする方法は一種の極限状況に自分を追い込んでいくことである。肉体をとことん痛め付けると、左脳がばたっと黙り込んでしまう瞬間がある。例えば絶食、滝行、過酷なスポーツなどで肉体がへとへとになる。右脳のパワーが出てくる。これは一度絶食をやってみるとわかる。始めはおなかがすいていて「あれも食べたい、これも食べたい」「何でこんなバカなことを始めたんだ」「少しくらいないら食べてもいいだろう」などとうるさかったのが、やがて何も言わなくなって一種の心地よさに体が包まれるようになってくる。


〇自分の意志の力で呼吸を止めるということは常識的にはできない、人間生きている限り、いくら息を止めようと頑張っても、数分以上長続きするわけがない。
 普通の状態ではそれは不可能。まずその前一週間程度の断食をするなどの準備を整える必要がある。それからか天井を向いて仰向けに寝る。そして、息を吸っても吐かないようにして次第に呼吸を止めていくのである。と言っても誰でもすぐにそんなことができるというわけではない。
 断食をすると人間の基礎代謝量は、どんどん落ちていく。断食が何日も続くと、それは劇的に落ちる。それに伴って、代謝に必要な酸素の必要量も著しく低いレベルになる。その分呼吸を止めていられる時間も長くなる。あるいは、自分でも自分が呼吸しているのかどうかわからぬくらい低レベルの呼吸で生命を保っていられる状態になりえる。自覚的には肺臓が動いていない状態で、自然喚起による肺での微小呼吸が持続すると考えれば、これはまんざら非科学的な話ではない。
 インドのヨガの行者の中にも自分の意思の力で呼吸を止め、その状態を維持できるとする人々がいる。呼吸を止めるとともに胃の動きも止まり、腸の動きも止まり、ただ、心臓だけが動いているという状態になる。するとまず「太陽の何倍もの白光」が見え、続いて体外離脱が起こる。自分の体が二つに分かれて、一方は上昇していく。この段階でほかにもいろんなことが起きる。人の声が聞こえてきたり、文字が浮かんだりして、いろいろ教えられることがある。山よりも大きな人物が立っていて両手を広げているのを見ることもある。そして恍惚感に包まれる。
 自分の望みがすべてかなえられたような気持ちになり、宗教でいう「大悟を得た」という心境になる。「神も仏も友達のような気になる。」神や仏と一体となり、自分がその一部になってしまったような気である。臨死体験もこれと同じもので巷の偉い宗教家が苦しい修行の末に得た悟りというのもこの境地だろう。
 心臓が止まっても生きているなどということは、あり得べからざることと聞こえるかもしれないが、これもあり得ないことではない。正確に言えば、心臓が完全停止して、血流が完全に停止してしまえば人は死なざるを得ないが、動脈を触診してすぐわかるような脈動が停止しても、心臓細動による一定の微小血流が確保されていれば、人間は、一定期間生きることが出来るのである。
 実際、ヨガの行者の中には、心臓を止めてみせる男がいる。どの程度の微小血流で、どの程度の時間生きていられるかは、代謝水準によって違うが、代謝水準がぎりぎりまで下がっていれば、30分ぐらい血流が事実上停止した状態でも生きていられる。代謝水準さえ低ければ、そして、少しでも微小血流が確保されていれば、人は意外に長時間生きていられるのである。臨終と宣告されて、かなりたってから生き返る人があるのはこのためである。


〇電気感受性が強い人間はアレルギー体質であるという。電気人間派の70%は何らかのアレルギー性疾患を持っており、しかも、それはしばしば複数なのである。そして、その症状が重いほど、電気感受性も強いという相関がみられる。
 そして、70%の人が音や光に対する感受性が高まっており、大きな音やまぶしい光に耐えがたさを感じるというも解った。さらに、69%の人が何らかの超能力体験をしているのである。超能力の中でもテレパシー・透視・読心術・ダウジング・あるいは第六感といった現象が多い。ダウジングというのはY字型の木の枝や振り子などを持って歩いていくと、それが突然強い振動を起こし、水脈や鉱脈などの在処を示すというものである。また治癒能力(ヒーリングパワー)を身に着けた人も多い。
 電気感受性が強い人は、普通の人より落雷に合うことが多いが二度も雷に打たれた後でヒーリングパワーが身についたという人もいる。
 電気感受性と、ここに挙げた三つの要素に何か共通点がないかと考えてみると、これはいずれも感受性が鋭敏化して起こる現象であるということがわかる。アレルギー性疾患は、過敏症とも言われ、何かの物質(アレルゲン)に対して異常な拒否反応を発現する疾患である。食物・飲み物・花粉・ダニ・医薬品・化学物質など、ありとあらゆるものがアレルゲンになる。ひどい人になると100種以上の物質に対してアレルギー反応を示すという。要するに普通の人にはなんでもない物質に対して、異常に強い感受性を示すのがアレルギーなのである。超能力現象のうち、当時・ダウジング補など受動的な能力は、何らかの特殊な感受性によってもたらされる現象ではないかとする説が有力である。

 

〇あなたが特定の依存症(感情に任せた反応)を放棄して、より調和の取れた人間になることを選択すると、あなたの現実には非物理的な支援が続々と寄せられて来るようになる。あなたはなおも、自分がやるべきことはやらなければならない。しかし、その見えない援助が、様々な形で常にあなたにもたらされようになるのである。それは、非物理的な世界の非物理的な教師やガイドたちからの援助である、直接言葉で伝えられてくることもあれば、あなたを支援する特定の思考、特定の記憶、あるいは出来事などの形で表れてきたりもする。魂が主な欠点を放出し、自身の意識の波動を高めたとき、その非物理的な世界は大きな喜びで満ちることになる。よって孤独に打ちひしがれたりはしないこと、そもそも孤独などというものは存在しないのである。

 

〇境遇、状況は同じでも楽天家はβエンドルフィンの世界にいることができる。長い目で見たとき、健康状態から人生の成功・不成功まで、プラス発想とマイナス発想では天地の開きが出てくることになる。
 願望実現の成功法則では「良いことを思えばよいことが起こる。悪いことを思えば悪いことが起こる」というが「よいことを思えば脳から良いホルモンが出る。悪いことを思えば悪いホルモンが出る」と言い換えることができる。
 成功理論では潜在意識というのを持ち出して、人間の想念というものが人生を決める。と言っているが、その科学的根拠は今一つ明らかではない。なぜかというと、心というものを物質としてとらえることができなかったからである。そのために潜在意識・潜在能力というものの出てくるメカニズムの説明が抽象的にならざるを得なかった。
 「心でよいことを思うとなぜ良い結果が出るのか」と聞かれて納得のいく化学的説明は無理だったのである。だが、今はそれが可能となった。良いことを思えば脳から良いホルモンが出る。そのホルモンは人間を心地よくし、やる気にさせるだけでなく、潜在脳が働いて自分でも想像できなかったような能力が発揮できるようになる。しかもつらい体験にへこたれずにそれを乗り越える忍耐も出てくる。これだけそろえば、おのずと人の抱く願望実現の確率は、飛躍的に高くなって当然と言える。


〇α波状態と脳内モルヒネの分泌は鶏と卵の関係でどちらが先か後かは別として、とにかく一体の関係にあるのは間違いない。このα波に一番効き目があるのは瞑想で、うまく瞑想ができる訓練を積めばα波は思いのまま出せるようになる。
 α波が出せるということは脳内にβエンドルフィンなどの快感物質を分泌出来るということで、これが自在にできれば、人生の色合いはずいぶん違ってくハズである。ふつう私たちは何かをしようとすると、無意識に緊張がが伴って実力が発揮できないといういわゆる「努力逆転の法則」が働くのであるが、この原因となるホルモンがアドレナリン系の神経伝達物質なのである。
 このような時にプラス発想をして意識的に脳内モルヒネを分泌させると脳波はα波にコントロールされ、大脳の前頭連合野の機能が活性化する。そのような状態では意識と潜在意識が統合され、脳の深いレベルで成功へ向けての肯定的な発想をプログラムすることができるのである。したがってこのような状態では潜在意識を意識的にコントロールすることが出来、様々な能力が活性化される。
 潜在意識が意識化されることによって精神感覚も鋭くなり、カンやひらめきの力が強くなる。そのため想像力大いに発揮できるようになるというわけである。


〇机に座って理屈を並べているうちはダメで、体を動かして左脳を黙らせ、あらゆる記憶の宝庫である無意識のメッセージに耳を傾ける、そこでは個人の経験した過去の一切の記憶とDNAに刻まれた先祖の知恵がないまぜになって、時にとてつもない着想が生まれることになる。そういう境地に入っていくときの脳波がα波であり、その時、脳内モルヒネがふんだんに出ていることを最近の医学は証明して見せたのである。


 

〇あなたの依存症は、決してあなた以上には強くない、あなたがなりたいと願う物よりも強くない。依存症は強そうに見えるかもしれないが、依存症が勝利できるのは、あなたが負けを許した時だけなのだ。

 あらゆる弱点同様、依存症は魂ほどには、また意思の力ほどには強くないのである。その強さは、単に「あなたが調和の取れた状態へと至るために必要とる努力の量」を示すだけのものにすぎない。

 自分は誘惑され、その誘惑に抵抗することができないだろうという恐れを抱いているとき、あなたは自分自身に、無責任に行動する許可を与えている。パスすることが不可能なテストをわざわざ作ることは無責任に行動する機会を創造する行為である。もしあなたが、自分ではできそうにない誘惑を創造したとしたら、自分の選択の責任を負いたくないと考えているからである。

 依存症を癒そうとする、あなたの魂の願いが強ければ強いほど、依存症を維持することで支払う代償は大きくなる。あなたの魂が今、ある依存症を癒すことを選択していたとして、あなたがその依存症を維持することに決めたとしたら、その決断は、あなたが大切にしている何かを犠牲にするよう求めてくる。それは結婚かもしれないし、仕事かもしれない。これは、狂った宇宙や意地悪な神が行うことなどでは決してない。癒されたい、調和の取れた存在になりたい、というあなたの願望に対する、宇宙からの思いやりに満ちた反応なのである。

 要するに、慈悲深い宇宙は、「あなたの欠点はとても根深いので、あなたが依存症を放棄できるのは、癒しをとるか、それとも、それ以上に価値のあるものをとるかの判断を迫られた時だけだろう」と判断しているのである。あなた自身の選択のパワーに気付いて、我欲のなすがままにならないこと。

 

〇左脳は狭い自我が働く脳であるが、右脳の働きはこれに反比例する。右脳は一体感と調和、愛が原理の脳で自分の利益が中心の考えが強すぎると開けず、周りの人々の利を先に考える心が育つと、良く開ける。


〇「狐の憑物を怨敵に憑る呪い」
 佐賀縣東松浦郡では狐の憑物を憑ける呪いが昔から行われていた。怨敵を呪って殺したい場合は次のようにする。
 人里離れた山の奥に行き、木の根株に段ボール箱を置きその中に皿に持った小豆飯を備えて「悪狐」に「これを食べてもらう代わりに奴を苦しめてほしい」とか,「取り殺してほしい」と祈祷するのである。その祈祷が「悪狐」に通じていれば供物はなくなり、そばには狐の毛が散らばっている。すると、間もなく呪った怨敵が病に伏したり、事業に失敗したりしておかしくなったり、再起不能になる現象がみられるという。


〇数ある脳内モルヒネの中で最強の快楽ホルモン物質はβエンドルフィンで、その効力は麻薬のモルヒネの5・6倍は楽にある。これだけの快感物質が私たちの脳内でつくられることは何を意味しているのか。人間は結構悪いことも考えるし、実際にそれをやってしまう。例えば「人を押しのけてでも自分が得をしよう」と考える人が大金を設けたとする、あるいは地位や名誉を得たとする。そのような願望が実現すればその人はうれしい、うれしければ脳内モルヒネが分泌する。
 しかし、なぜだかそのような楽しみは長続きしないのである。必ずどこかでおかしくなる。世のため人のためにならないこと、人から恨みを買うようなことをすると、どういうわけか脳がその人を滅びの方向へと誘導してしまう。
 神様は理想とする生き方に合った者だけが生き残れ、それに合わない者はできるだけ消していこうとするメカニズムが遺伝子という形で体の中に残されていると解釈できる。脳は先祖の記憶までインプットされているからあり得ることである。