〇監視員の謎を解くために、二つの質問に答える必要がある。一つは、なぜ意識してみる夢の中ではすべてが可能なのかという事。もう一つは、なぜ夢はこれほどリアルなのかというものである。
意識してみる夢であっても、無意識に見る夢であっても、光景は細部に至るまで非常に鮮明である。形態の輪郭や色の鮮明さでは、夢の方が現実より勝っていることもある。夢を見ていると時に脳自体が夢の画像を合成し、それを現実のように知覚しているという説明がある。しかし、実はこれは仮説にすぎない。まさにそのようにして夢が生み出されるという事については、誰も証明していない。事象選択モデルでは、全く別の説明となる。潜在意識自体は何も像は作らず、すべての情報を内包している亜空間に直接繋がって、私たちは夢を見るというものである。
どんなものでもよいから見つめて見た後、目を閉じて、今見たものを頭に思い描いてみよう。たとえあなたに視覚化に関する卓越した才能が備わっているとしても、目を閉じた状態では、目を開いている状態のように「見る」ことはどうしてもできない。あなたの脳に刻まれたイメージは、かなりの質の低い画像にすぎない。脳はニューロンの集団が一定の状態になることで、こうした画像を保存すると考えてみよう。この場合、記憶にあるすべての画像を再現しようとすると、ニューロンがいかに多くあったとしても足りなくなってしまう。
私たちの記憶や夢がニューロンに記録されている内容の再生だとすると、頭の中に一体いくつの細胞がなくではならないのだろうか、事象選択モデルにおけるニューロンとは、コンピューターの情報量単位であるビットのことではない。脳が保管しているのは、情報そのものではなく、亜空間にある情報へのアドレスのようなものである。
おそらく脳はある一定量のデータを維持する能力は持っているのだろう。しかし、脳波は完璧な生物システムではあっても、私たちが記憶の中で再生できるものすべてを保存して置くことはできない。目覚めている状態で目を閉じて、夢で見たような本物そっくりの光景を頭の中で思い描く事が簡単にできるだろうか。脳は、オフ状態になってから、自分の創り出した画像を鮮明に知覚する能力を持つようになるなどという説得力の乏しい仮説に肩入れする必要はない。
理性が根本的に新しいものを全く作り上げられないという事については、すでにお話しした。理性ができるのは、古い積み木から新しいバージョンの家を組み立てることである。理性はこうした積み木についてとそれらの組み立て方についての一通りの情報だけを持っている。より詳細なデータについては、理性は書類のようなものかその他の媒体に保管している。残る全ての情報は、亜空間から魂を経由して理性に届く。
このように、事象選択における理性は単純なシステムとなっていて、その働きは処理の実行というようにモデル化できる。そして、学者たちもそうしたことの実現を目指している。人工知能を創ろうとする試みは、今のところ成功していない。理性自体は自分をまだどうにか理解できるのだろうが、魂というものの本質を理性は理解できていない。生き物の知能の秘密は、魂と理性の一体性と相互作用にある。これまでのところ、サイバネティックスの研究者たちは思考過程のモデル化に力を注いでいるが、それは理性の働きである。しかし、おそらくいつの日にか、魂が行っているように亜空間と同調し、情報を受け取る能力を持つ機会のモデル化が誰かの頭に思い浮かぶことだろう。
理性は、何らかの方法で亜空間にある必要なセクターのアドレスを覚えておく能力を持っている。もし何かを思い出す必要が出てくると、理性は魂に問いかけ、魂はしかるべきセクターに同調する。ところが、魂による同調や理性によるアドレスの記憶がうまくいかなかったり、または魂と理性との間の折り合いが悪かったりすると、結果として、よく言われるように記憶とは不完全なものだという事になる。
ところで、偶然、魂が亜空間の現実化されていないセクターに同調することがある。そのような時の映像も私たちは夢の中で見る。まさにそのため、夢の中の世界は非常にリアルである。夢は一般的な意味での幻ではない。理性は夢を創造するのではなく、実際に見るのである。
人は夢の中でこの世のものとは思われないような光景を目にすることが出来る。例えば、建築物の細分に至るまでを観察することだって可能である。それも、これまでに見たこともないようなものを、極めて鮮明にである。もし夢が私たちの脳によるリアリティのイミテーションだとしたら、その人が見たこともない形のものをどこから持ってくるのだろうか。
亜空間には、様々にシナリオと舞台装置が存在することを思い出された事だろう。舞台装置には、無生物である環境状況に加え、生物も含まれている。もしあなたが夢の中で自分の知り合いや肉親を見かけたら、彼らが実際とは少々違っていることに注目するはずである。別の髪型だったり、見かけない服装をしていたり、性格まで違う事がある。夢見空間の仮想の人物たちは本来とは少し異なる振る舞いをすることもある。夢の中であなたは自分の知り合いに出会うだろがが、彼らがどこかおかしいことにも気付くだろう。そこには亜空間の多様性が現れている。様々なセクターの舞台装置は異なっている。現実の世界で私たちが観察する事柄は、現実化された事象である。しかし、夢の中で私たちは現実化されたことのない事象を見ることが出来る。
もしいつかあなたが夢の中で鏡に映る自分を見ることがあったら、おそらくあなたは驚くか怖がるかして、不愉快な気持ちになることだろう。それは、実際の鏡で見慣れているあなたの顔ではない。あなたはそれが自分だとすぐにわかるが、顔が少し変わっている。それはなぜかというと、夢の中での人の容姿は、その人の魂がたまたま飛んでたどり着いた亜空間のセクターに相当するからである。現実化されている現在のセクターと夢の中で見ている仮想セクターとのずれ具合によって、あなたの容姿も多少違ってくる。

手帳の写し第1集出来ました。
https://docs.google.com/document/d/1pGI6IaVQV27Et3tGw4xRyPzPtBmTowMYXAXI-e0oHFk/edit?usp=sharing
手帳の写し
〇あなたが悪者を相手にせず心静かにすべき生き方を全うしていると相手から謝ってきたり、物事が自然に解決に向かい始めたりするのです。強力な助っ人が現れ、望んでいた状態になっていくのです。
〇判断は幻想をその場にとどめホログラムの中で本物らしく見せ続けるための接着剤の働きをする。
〇不快感(負の感情)を覚えているとしたらそれはあなたがそのようなパターンフィールドに創り途方もない力を加えホログラムの中心に幻想を送り込みそれが現実だとあなた自身に信じ込ませているからにほかなりません。そしてあなたが不快を感じれば感じるほど負の感情はますます強くなります。つまりはあなたが自分の姿だと信じ込んでいる幻想が「本来のあなた」からどんどん離れていることになり、それだけ力が加えられているということになります。
〇自分の目の前に展開する人生こそ私たちを霊的に導いてくれる最も相応しい師であると言えます。自分にとって最も大切な霊的学びはいつも直接的体験として私たちのもとにやってきます。
〇マイナスに見えることが起きると宇宙の法則によってプラスの出来事が起きやすくなります。
〇すべてを足し合わせるとゼロに戻るというバランスのもとに宇宙はできているので一方だけに流れが行き続けるということはありません。
〇ピンチやマイナスを受け入れ「これは何の代償先払いだろう?」とギフトを楽しみに待つようにしましょう。
〇霊性への道において私たちは神意識から切り離されていた自分の側面すべてに向き合うことを求められます。ポジティブな側面だけを伸ばそうとしたりローワーセルフに向き合うことなくハイアーセルフとしての自分だけを目覚めさせようとすれば今回転生してきた目的である霊的課題を全うすることにはならないのです。
〇ある問題に直面した時、何とかやり過ごせても後になって同じ問題がより深く巧妙なレベルで姿を現すのです。私たちの取り組みは最終的に魂の核心にあるイメージを解消するまで続きます。
〇感謝するということは受け入れるということ。
〇自我が大きくなるほど傲慢、お任せが大きくなるほど謙虚。
〇風に後押しされ川の流れに運ばれるような人生、それが奇跡的な展開をもたらします。
〇受け入れ度が高まってゆったりとおおらかにノーテンキになるほど能力は発揮されやすくなる。お任せが増えるほど潜在意識の働きも増えるようになり超能力も発揮される。
〇今いる場所が意識進化のためには最も良い場所なのです。
〇今ここが自分にとって最高の場所と真に思えたとき、次なるステージがあなたの前に現れてくることになります。
〇あなたが外的世界に対して快適さを求めた瞬間にあなたはその身の内に不快の種を宿すのです。手に入れたプラスの同じだけのマイナスの要因を実はその懐深くにしまい込んでいるのです。
〇起きてくる現実のすべてが自我に気づくためのメッセージ、あなたの敵は唯一あなただけ、もう人を変えなくても済むのです。自分の意識を変えるだけでいい。
〇あなたが一番嫌っている自分の欠点と考えているところを分離させることなくそのまま受け入れるようになったときあなたを怒鳴りつける人はなくなります。
〇何を見てもどんなときにもこれで良し、何も問題なし、すべてよし、と豊かでおおらかな気持ちをもって眺められたらあらゆる問題は氷解していきます。
〇心理はただ自分を変えるためにのみ存在します。あなたの世界はただあなたを変えるためのみ存在します。
〇目の前に起きるすべての出来事はあなたが自分の考えに氷月意識の変容を遂げられるようにと怒ってきます。
〇相手が今どう思っているのか、相手がどういう状態でいるかに意識を置くのではなく自分が輝けることに意識の焦点を振り向けるのです。
〇他人の態度は、あなたが手放すべき価値観を教えてくれる。
〇前世において尊大で傲慢な性質を形成してしまいそれを今回の人生で克服し、謙虚さを身に着けたいと思ったなら、魂は自分の中の傲慢な性格を修正させるにふさわしい課題や環境を人生に設定します。そのあらわれ方としては、自分自身が傲慢な人に接してその苦痛を味わうのかもしれませんし、ある人は社会的に弱い立場に身を置くことによって謙虚さを学ぶことになるのかもしれません。あるいは前世において激しい怒りや憎しみによって多くの人を傷つけたり悲しませたことがあり、魂が自分の中のそのような性質を克服したいと願うなら、今度は自分がそのような怒りや憎しみの犠牲になったり、あるいは自分の発した怒りや憎しみによって何かとトラ分に巻き込まれたり、怒りや憎しみの感情がすぐに肉体の障害として現れるような肉体に生まれるのかもしれません。
〇創造主としてのあなたがプラスを思えば思っただけその反作用としてマイナスを創り出しています。
〇手放さないと次の物が握れない。
〇あなたが受け入れたものは味方となり、拒否したものは敵となります。
〇進歩・発展・向上といった三次元の成長ゲームとは自我を大きくさせるゲームです。
〇ほしい結果を手に入れるということはそれを亡くした時の不安も一緒に手に入れるということです。
〇証明の世界、立証できることだけが正しいという思考世界に意識が落ち込んでいるのです。
〇「何をしているか」に気付くことが大切なのに我々は「思い通りにしよう」と考えます、思い通りにしようと考えているときは今は思い通りにいっていないのです。ですからその思いの通りになるのです。
〇問題が現れた時の態度としてまずそれを「解決しない」という心構えを第一に掲げたいと思います。
〇恐れがある限り自我は頑張り、真の問題解決を遠ざけます。そしてその問題があなたにどんな恐れがあるかを見せてくれているわけです。恐れをとることだけが真の問題解決です。なぜなら幸せとは恐れのない状態のことを言うのですから。
〇問題があるということを恥ずかしがる自分に気付いてください。その心が問題なのです。
〇覚醒の鍵は絶望側に落ちている。
〇魂はより大きな視点を獲得して意識を広げていこうとします。そのため何らかの偏りや執着があればそれは必ず手放す方向へと仕向けられていきます。もしあなたの前に何らかの否定的に見えるものや理解できていないことがあるとすれば、それはまだそのテーマについてあなたが真ん中に入っていないということでもあります。
〇望みがかなわずに一見否定的でマイナスに見える現実があったとしても、そこには必ずそのマイナスと同じだけのプラスが存在している。なぜならこの二極世界は一つの物を二つに分けただけでプラスとマイナスが同時発生している。
〇自分の前に何か偏った傾向の人が集まってくるとすれば君はその逆方向に偏りすぎている。相手の性格や否定するのではなくて「相手は自分のどの部分とバランスを取ろうとしているのが?」という視点によって自分の偏りを見つける必要がある。
〇「不安と挫折と破綻」これが人になるための最大の契機。
〇魂磨き=相手の尊重心のみであると覚悟して向き合っていきましょう。
〇気づいてエゴを手放すことができると次に会ったときにエゴが解放されているので相手が嫌味を言わなくなるなど相手の言動が変わっていくことが起きます。
〇気づいたらエゴを言い続けるのではなく人生を「悟る」ためにエゴを手放さなければなりません、ちょっと根性がいる場合もありますが有り難くもあなたに必然のタイミングでその言葉を聞くのですからすぐ手放しましょう。
〇「ご縁」は魂を磨いている人ほど必要な時に必要な人が現れる。
〇被害者意識が強い人は加害者になりやすい。
〇不幸 現象によってあなたは磨かれている
〇行は世界中の行、だれ一人逃れるわけにはいかんぞ、メグリ果たしたものから嬉し嬉しになる仕組み
〇神との縁が深い人ほど徹底的に磨かれ洗われるということがあるようだ、こういう人は少しでも道に外れたことをするとたちまちにして現象として現れてしまう。
〇悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる。神のやり方は先に行くほどだんだん良くなるからはじめはつらいなれど先を楽しみに辛抱してくれよ。
〇何も難しいこと申すのではない、自分の内の自分を磨いて明らかに輝けばよいのぢゃ、内にあるものと浄化すれば外から近づくものが変わってくる道理。
〇天国を動かす力は地獄であり、光明を動かす力は暗黒である、地獄は天国あるが故であり、暗は光明であるが故である。因が果に移り呼が吸となりゆく道程において歓喜は歓喜を生ずる。その一方が反抗すればするだけ他方が活動し、また、強力に制しようとする。呼が強くなれば吸も強くなり吸も長くなれば呼も 長くなる。故に地獄的なものも天国的なものも同様神の呼吸に属し、神の脈打つ面の現れであることを知らなければならない。
〇粗食が人の運不運を大きく作用する根本要因になっている。
〇宇宙の物事は「お任せする」「信頼する」「降参する」と一番うまくいくようにできているのです。恐れから行動しないようにしましょう。
〇今の状況に感謝することがプラスのスパイラルを生み出します。
〇他人とトラブルが起こるのは自分と自分の関係が外に現れているだけ。外に現れる問題は自分の内側の問題。
〇「怒らない・腹を立てない・怒鳴らない・声を荒げない」は超能力の扉を開く。邪魔をするキーワードは「努力する・頑張る・必死になる」。
〇ガイドはその人のやっていることが周りから喜ばれることだったら、その人の望みをかなえてあげようと思うようです。
〇ありとあらゆる現象に対していかに不平不満を言わないようになるかこれが第一段階です。さらに同じ現象に対して不平不満を言わないどころか、いかにその現象の中に「うれしい・楽しい・幸せ」を見つけるか、これが第二段階です。最後に同じ現象のなかでいかに「ありがとう」と感謝することができるかこれが第三段階です。ただ淡々とこの作業をやっていけばいいのです。
〇自分にとって損にあたることをすると得が手に入る。
〇周りの世界を変えようとするとバランスを崩す。
〇罪悪感は必ず罰を受けるシナリオを用意する、それもあなたの意識とは無関係に。このシナリオに従って潜在意識があなたを報復を受ける方向へ導く。
〇聖書の戒めは正しくふるまうにはどうするべきなのかという見解に立った道徳ではなく、平衡状態を乱さないようにするためにはどう振る舞うべきないのかについての勧めである。
〇潜在意識から罪悪感を追い払ったら今いる人生ライン上では罰を受けるシナリオはない。
〇まとまった金額を貯めながらできるだけ少なく抑えようとする意欲は強いポテンシャルを発生することになる。お金が一か所に蓄積されどこへも行けないわけである、このような場合、すべてを失う確率が高まる。お金に動きがあるように合理的に使う必要がある。動きのないところではポテンシャルが発生する。
〇コントロールする事を諦めることであなたは状況に対してこれまで以上に大きな監督権を手に入れる。
〇歓喜・活気・インスピレーションなどがあなたを包み込む状態は魂の状態である。重苦しいやりきれない状態もやはり魂の感覚である。
〇人は自分への不満を口にしていると自分自身の満足する人生ラインへは決してたどり着けない。
〇あなたは何かを変える権利はなく選ぶ権利だけを持つ、取り巻く世界と戦ってはならないし、圧力を加えてもいけない、そのようなやり方は目的達成の手段をとしてはあまりに効率的とは言えない。力任せのやり方に対して世界は同じ方法で返してくる。
〇誰かの欠点を嫌悪するとその人はその人であなたの中の何かが欠点に見えてくる。
〇負の現象が起こると本質的に運気はプラス側に移行する。大きな災難と感じられるものであればあるほど間近に迫っている幸運の成就は大きい。
〇より大いなる神との出会いは辛苦に見える現象を通してやってくる。
〇戦いは正義と頑張りの心から始まり、頑張りは我をを強め正義は優しさを喪失させる。
〇プラスを思えばマイナスが生まれる。
〇エネルギーの次元から見れば絶望的だという状態とは覚醒へのポテンシャルが最も高くなるということです。
〇儲けようと思ったとき必ず儲かる話と儲け損なう話の両方を引き寄せてしまいます。
〇どんなときにも優しさと思いやりを持って生活することです、そうすれば必要なことはすべて最善のタイミングでおのずと明かされていきます。
〇嫌悪の代わりに平和的に受け入れること自体が報酬となります。自己や他者に対する見方がどんどん変化していきます。変化が起こり始めると人生の物語は、より慈愛に満ちた理解へと状況が構成しなおされていきます。
〇自己の心の在り方が出会う人や出来事を決めています。
〇無関心であれば関心を持たざるを得なくなる問題が起こる。
〇人を許して初めて自分も許される。
〇この宇宙に一方通行はない。
〇先取りしたエネルギーは必ず返さなければならないのが宇宙の鉄則。その返済内容は人さまざまですが、通常は本人もしくは家族の不幸によって 精算させられます。前世あるいは今生でエネルギーをどれだけ世のため人のために使っていたかで精算内容は違ってきます。
〇徳を積むことはエネルギーの先払い、出した分だけ入ってくるからまずは先に出すこと。
〇現れたカルマを無理やり受け入れようとしてもうまくいかないでしょう。目の前の現実が許せないときは許せないことを受け入れます。許しはハートを開いたときに受動的に起こるものなので無理に許そうとするのではなく許せないのなら許せないまま受け入れ、あるがままを肯定します。このような需要・許容・包容こそが私たちが「愛」と呼んでいる究極の姿です。
〇理想の自分と本当の自分とのギャップが現実の問題を引き起こしている。
〇覚醒しようとするのではなく世界と一体化しようとするのである。そうすればベクトルが正しい方向に向く。
〇我々の御霊は例外なく曇っているのであるから磨かれればいろいろな汚れが出てくるのは当然である、掃除すればほこりが出るのである。悪的変化として現れるのは実はメグリの噴出に他ならない。メグリが外に出ているのであるからこれはありがたい仕組みなのである。悪的変化こそ大きな「おかげ」なのだ。
〇これと信じたら任せきれよ、損もよいぞ、病気もよいぞ、ケガもよいぞ、それによってメグリ取っていただくのぞ。メグリなくなれば日本晴れぞ、今がその借銭済ましぞ。
〇この道に入った初めの間はかえって損したりバカ見たりするぞ、それはメグリ取っていただいているのぞ、それが済めば苦しくてもどこか光見出すぞ。おかげの初め、次に自信ついてくるぞ、胴が座ってくるぞ、心が勇んできたらおかげ大きく光りだしたのぢゃ。
〇人を許すだけで「神様預金」は貯まる。
〇強い 者正しい者こそ頭を下げることが神様預金を貯める方法。
〇信頼できる人からの誘いはイコール潜在意識からの誘い。
〇他人から好感を持たれていると良いチャンスに恵まれます。不快感を持たれているとマイナスのチャンスに巡り合うでしょう、これは良いチャンスに巡り合えないよりも悪い状況です。
〇一切の禍の中に幸福への芽が潜んでいる。
〇幸、不幸はプラスマイナスゼロである、というのは正しいがそれは個人においてではない。
〇相手を非難すればするほど自分の意識向上は止まり逆に下降を始めます。
〇カルマがクリアになったときというのは内側から言い知れぬ喜びや感謝が湧き上がってくるものである、
〇許しを認識し実践すれば「輪廻の何千年分」ものスピリチュアルな進歩が達成できる。
〇真の許しの本当の利益は許す当人に返ってくる。
〇他者を許すことで自分自身を許す完璧なチャンスが与えられている。すべては許しのレッスンであり、許しのレッスンは死を含めてすべて等価である、それが真実である。
〇自分の願望を他人に打ち明けると願望を実現させるエネルギーが減少し「他人に認めてほしい」というエゴのエネルギーに転嫁されてしまう。自己実現のエネルギーは純粋で直接的であればあるほど良いのだからあなたのエネルギーがエゴのために浪費されることはできるだけ避けなければならない。
〇「あの人なんか失脚すればいい」とあなたが思ったりすると潜在意識は「あの人」を認識できませんので「失脚すればいい」を現実化します。
〇自分で自分を良い人にするためにますますダメな人を創造し続ける。
〇人を許せないと思った段階であなたの現実はあなたの望まない方へ流れ始める。今の現実がどれだけ奇跡かということへの感謝がない。
〇新しい思考の量が古い思考の量を超えたときに一気にあなたの現実は変わり始めます。
〇波動昇格テストはちょいちょいやってきます。そしてそれらはあなたが苦手とすることの形をとってやってきます。
〇波動が高くなると波動が低いままの人たちが邪魔をする。全力で邪魔をする。しかし、この関所を乗り越えると青空が広がる。
〇あなたに傷つけられたと感じた人たちがいたときに、あなたが全く彼らを傷つけるつもりがなかったら、それはあなたのカルマにはならない。彼らの運命がそうさせたのである。
〇誰かが自分勝手な理由でほかの人を傷つけようとしたものの実行には至らなかった場合でも、その人は自分の発した波動の質に合ったカルマの作用を受けることになる。
〇自分自身の利己的な願望も私利私欲なく自分の好みを満足させるためではない行いのカルマは悪い運命を引き寄せない。
〇人から好かれるにせよ嫌われるにせよ「自分の点数を他人に付けてもらっている」という点では同じ、そんな大切なことを他人任せにしている限り「自分はこうすれば楽しい」という感覚がどんどん狂ってくる。
〇人のことを「思いやる」と自動的に相手の思いが入り込んできて「直観」がそれを受け止める。
〇良い御用致す身魂ほど苦労さしてあるのじゃ。他から見てはわからんなれど苦労に苦労して生き変わり死に変わり鍛えに鍛えてあるのぢゃぞ。
〇この度の岩戸開きに御用に立つ身魂ばかりよりぬきて集めて行さして御用に使うのであるから 他の教会とは天地の違いであるぞ。
〇オーダーした後に起きるすべては宇宙の采配で、すべてがオーダーを叶えるために起きている。
〇「許すこと」これが人生をプラスに回転させる鍵。
〇自分の能力や才能を人々への奉仕に役立てている限り必要なお金は神が与え給う。
〇人々に生きる希望と愛を与える限りその仕事に決して不況はない。
〇目の前の機会を誠実に果たすならより大きな機会が与えられる。
〇正義とは務めて親切であること、高潔であること、自己犠牲の心を持っていること。
〇過去生において「沈黙の行」を行ったために今生で口が使えないというカルマが生じる。
〇人の欠点や弱点を暴き立てることはそのまま自分の欠点や弱点となる。
〇食を慎むかどうかが運勢の吉凶を左右する。
〇魂は人間関係をさらにこじらせようとか、さらに憎しみや怒りを増大させようとか、そのような厳しい環境を選択することはない。
〇信念のシステムは人間の心が身体の働きに影響を及ぼすことを可能にする人間独特の能力の現れなのだ。人が問題に対して知的・感情的・精神的にどのように対処するかで、人体の機能には大きな影響が出る。重病から回復するという見通しに自信を持てるかどうかが、身体の化学的性質に影響を与えるのだ。病気という力と力の抗争において、信念のシステムは希望と確固たる期待、生きる意志をプラスの要素に変えてくれるのである。
〇現在の人生において何らかの身体的な障害を持っている人たちは、たとえそれが前世のカルマによるものであってもそれを背負うことを神に許されるほど精神性と性聖が高まった進化した魂である。同じことがハンディキャップを負う子供を引き受ける両親に対しても言える。
〇いつも相手と自分を比較し、自分の方が上であることを確認することによって、自分の心を安定させるという業の流れが人間の中にあります。誰でも立場を持たない弱い人たちや逆境にある人に出会えば、同情することができます。だから人の不幸を慰め、一緒に悲しむことには心を傾けやすい。むしろ難しいのは、他人の幸福を一緒になって心から喜ぶことです。他人の幸福によってよく生きることができる、人間はそうつくられているのです。
〇劣等感があるのは優越感があるからです、劣等感だけを持つことはできません。いつも自分よりも優れていると思うものを見上げて「どうせ自分はダメだ」とひがむのです。でも同時に自分より劣っていると思うものを気付かずに見下げているのではないでしょうか。劣等感のもとになっているのは比較する心、他人と比較することによってしか自分を確認できない心。
〇思いのままの成功で有頂天になっているとき「これで今までの苦労が報われた」という感慨も沸くでしょう。時には、「今まで自分を見下してきた人間を見返してやりたい」ような衝動に駆られることもあるかもしれません。他人との比較の中で感ずる喜びなら、その喜びの頂点にいるときすでに、奪われる予感におびえ始めるでしょう。
〇生かされ支えられている自分の姿に目覚めるならば、たとえ言葉でわからなくとも魂の透明な働きによって、行くべきところに赴き、避けるべきものを拒むように必ず導きが与えられるはずです。
〇神はあなたの人生を助けるが、あなたが期待しているような助け方はしない。
〇あなたが守護天使を心から愛し、どんな些細なことに対しても感謝を示すと、守護天使の存在は確固たるものとなりそれによって彼らはますます大きな支援の手をあなたに差し伸べるようになるだろう。守護天使が独立して存在するのか、それともあなたの想念によって作り上げられたのかは大したもんではなくなってくる。
〇守護天使は何からあなたを守りどこへ導くべきかをよく知っている。なぜなら、守護天使から見るとあなたは無文別な子猫のようなものだからだ。守護天使を非難してはならない。守護天使が一体どのような災難からあなたを守ろうとするのかについて、あなたは全然知らないからだ。
〇成功をうらやまず失敗を憐れむな。魂の決算の時が来たら、何が成功で何が失敗になるかわからない。
〇何をするにしても、レッテルをはったり決めつけたりするのは避けなさい。それぞれの環境が贈り物であり、それぞれの経験が隠された宝なのだから。
〇こんな目に合うのは、何かあるいは誰かのせいだと考えている限り、どうすることもできない。「私の責任だ」といったときはじめてそれを変えられる。自分がしていることを変える方が、他者がしていることを変えるよりずっと容易だ。
〇悪だと感じたいなら悪と感じなさい。だが、一方的に決めつけたり、非難したりしない方がいい。なぜ起こるか何のために起こるか、あなた方には理解できないのだから。それに非難したらその相手に非難されるし、一方的に決めつけたらいつかは自分が決めつけられる側になる。
〇不安にもとづいて出来ている宗教で言われるような「死後の世界」はない。だが、不幸で不完全で欠点が多く、神の偉大な喜びから遠く離れた魂の経験というものはある。あなた方の魂にとってそれは地獄だろう。だが、神あなた方をそこに送るのではないし、そうした体験をさせるのでもない
〇神が与えた選択肢のどれかを選んだからと言って、あなた方を罰したりするはずがない。あなた方に第二の選択をさせたくなかったら、どうしてそのような選択肢を与えるだろう。
〇感情には物事を引き寄せる力がある。あなた方は自分が最も不安に思うことを体験することになる。
〇あなた方が劣った生命体だと考えている動物は、あなた方が怖がっているとすぐに感づく。あなた方がさらに劣った生命体だと考えている植物は、どうでもいいと思っている人間よりも、可愛がってくれる人間にずっとよく応える。
〇同じ精神を持った人々が力を合わせれば好ましい現実を創り出せるということをあなた方はそろそろ理解すべきだ。
〇社会全体がある考えを持つようになれば、しばしば驚くべきことが起こる。必ずしも社会を構成する全員でなくてもいい。例えば不安と恐れの中で暮らしている社会には最も恐れられる形の恐怖が生まれる。
〇魂の使命は私たちに偉大さを選ばせること、選ばなかった部分を非難せず最善の自分を選ぶようにさせることだ。こんな大きな使命を果たすには、いくつもの生涯が必要だ。
〇あなた方はすぐに批判しようとし、自分が選ばなかったものを傷つけようとするのだ。自分が賛成できない人間や場所や物事があれば攻撃する。それでは宇宙の半分しか創造できない、そして残る半分を拒否していたら自分の側の半分さえ理解できない。
〇あなたが何を考え何を語るにしても「これが私である」という言葉をきっかけに物事が動き体験できるようになる。
〇人生に恐ろしいことは何もない、あなたが執着しなければ。
〇あなたの幸運は必ず訪れる、あなたは必ず救われる。それがわからないことこそ地獄で、地獄はそれ以外にはない。
〇あなたは現在失業している、自分は失業という状況の犠牲者だと考えている。だが、本当はもうあなたはその仕事を選択していないのだ。あなたは朝、期待に満ちて目を覚ますのではなく、いやいやながら起きるようになった。仕事が楽しくなくなり、愚痴っぽい気分になりはじめていた。それどころか何かほかにしたいと夢を見始めていた。そうしたことが何の意味も持たないと思うのか?
〇あなた方の宗教は神は罰するという考えを正当化するために、怒りの対象を作り上げた。そのせいで模範的な人生を送っている者まで救わなければならないことになった。救われなければならないような悪いことはしていなくても、もって生まれた不完全さから救われなければならないというわけだ。
〇「あなたを失望させたくない」ばかりに相手は本当の自分らしくない努力をし、自分らしくない行動をしようとして、やがてはそれに耐えられなくなる。相手は、あなたの期待を満たせなくなる。割り当てられた役割を演じられなくなる。そこで、恨みが生じる、怒りが沸き起こる。相手はやがて自分自身を救うために、真の自分を取り戻そうとし、本当の自分らしく振舞うようになる。そうなると、あなたは相手が「すっかり変わってしまった」という。
〇時には、真の人間らしさを表す偉大な宣言として、戦争を嫌悪する人間として戦争へ行かなければならない。同じことは、私的な関係についてもいえる。人生には本当の自分でない面を示すことで、本当の自分を証明することを要求されることが何度かある。
〇一貫してあなたが真実だと感ずるように生きなさい。経験によって新たなことが分かったなら、素直に素早く変更しなさい。
〇神にも人にも恥じることがなく言えるようにしたいからって、人間としての尊厳を冒されたり、誇りを傷つけられたり、心を傷つけられたりするのを我慢する必要はない。
〇「自分は将来人から親切にされたいから今のうちに親切にしておこう」という態度でいいのです、「ここで不寛容な態度をとると将来自分が不寛容の犠牲になる」という戒めでいいのです。
〇社会的地位のある人が自分の地位を利用して社会的弱者を搾取すればそれによって生ずるカルマは甚大です。
〇人生とは人喜ばせ合戦。成功者は人喜ばせ合戦の勝者。
〇魂は計画通りの経験ができるようにと正しい完璧な機会にあなたを導く。実際に何を経験するかはあなた次第だ。あなたは計画したことを経験するかもしれないし、別のことを経験するかもしれない。それはあなたが何を選んだかによる。
〇人生の皮肉は世間的な財産と成功に関心がなくなったとたんにそれがふんだんに流れ込んでくる道が開けるということだ。
〇心配、憎悪、不安さらにそれらから生まれる気がかり、苦々しさ、短気、貪欲、不親切、批判、非難などもすべて、細胞レベルで身体を攻撃する。そうなったら健康を保つことは不可能だ。同じく、うぬぼれ、わがまま、欲張りも肉体的な病気につながる。あるいは快適さを損なう。
〇あれこれ評価、評論せず、やるハメになったことをする、頼まれて時間があったら引き受ける、という淡々とした生き方をしていると、いつの間にか「悩み・苦しみがゼロ」になっている自分に、気が付くことでしょう。
〇子供をどうしたいとか、だれをどうしたいとか、自分のの思いどおりにならないことをどうしたらいいか、という話は、相談事ではありません。「自分の思い通りにしたい」だけなのです。
〇自分がどう生きるかではなくて、自分以外の人をいかに自分の思い通りにするかということが、自分の「悩み」だと思っている人が増えているようです。自分以外のものを自分の思いどおりにするという考え方を全部やめる。自分がどう生きるかだけをまず考えること。
〇目の前の人が、自分の考え、生き方、価値観とは違うということを認めること。それを学びに生まれてきているのです。
〇悩み、苦しみ、苦悩、煩悩とは、何かを自分の思い通りにしようとした瞬間に生まれるのです。
〇がんであと三か月の命、と宣告されたら、それをどうやって半年、一年に伸ばそうかと思うのではなくて、その三か月の間に「どれだけ人に喜ばれたか」ということを、足跡として残していく方がいいと思います。「喜ばれること」は、自分が「喜びを感ずる」こととイコールです。
〇自分が「正しく」生きてきたかどうかではなく、問題は、「楽しく」生きてきたかどうかなのです。ですから、「自分は正しい生き方をし、ほかの人は正しくない生き方をしてきたにもかかわらず、正しい私の方が病気になって、正しくない人の方がのうのうと生きている」と考えること自体が、すでに自分の体にがん細胞を作っているということになります。
〇人間は、何かを社会に対してなした時に、二つの報酬を選択して受け取ることができる。そのうちの一つは金銭であり、もう一つはパワーです。当然のことながら、金銭は一度で終わり。パワーはその人の身につくものですから、そこから死ぬまで永久です。どちらがより得か?
〇今の状況が自分にとって嫌なものだと思うなら、今この瞬間から、過去にやってきたこととは違う積み重ねを始めた方がいい。すると何年か経った時には、穏やかな関係を築くことができる、しかし、今までの積み重ねの集積として、目の前に刃として突き付けられているとしたら、それは自分が怒鳴ったり威張ったりしたことの結果です。
〇今、目の前にいる人を大事にして、周りの人すべてに感謝をしていく事で、自分が感謝をした分だけ感謝されるのです。今まで社員を感謝ではなく、力で動かそうとしていたから、そのつけとして、力関係が逆転した時には、力で攻撃されるわけです。それがつらいのであれば、今、この瞬間から、目の前の社員一人一人に感謝をする方向に切り替えることです。
〇時計の振り子を9時の方向に振りたいと思ったら、反対側の3時の方向に一旦、引っ張らなければならない、6時の位置にある振り子を5時のところまで引っ張れば7時のところまでしか行かない。神様はこんなやり方をします。これが人間の苦労とか大変さとかと呼んでいるものです。
〇「あら捜し」をしている人の周りには「嫌な人」しか存在しない。周りの人の問題ではなく、「自分の見方」が「地獄」の原因。
〇自分が正しくて相手が間違っていると思ったときに人間は腹を立てるが、実は、腹を立てている自分が一番損をするようになる。
〇結婚するシナリオの人はするし、しない人はしない。しない人は、家庭という名の砥石がいらないということで、そのほかの部分、例えば職場や友人との人間関係において人格を磨くことになる。
〇自己嫌悪は神の側にある感情で、神からの贈り物です。「それをやめた方がいい」ということを教えてくれているのです。自分で自分を好きになる生き方をすること、自己嫌悪が生じない選択をし続けることです。
〇自分の価値観、考え方と会わない人を、自分の許容範囲内に連れてこようとするのですが、なかなか連れてくることはできません。そういう時に、苛立ったりストレスが溜まったり、怒ったりする。エリア内に入ってくれないから怒こってしまう、そうではなくて自分が広がってしまえばいい。一般的に多くの人が許せないようなことも私は許せる、という状態になれたら、これは、自分だけの努力ではなくて、そういう人が自分の目の前に現れてくれたおかげだとおもうようになる。
〇落ち込む人、同時に有頂天になっている人というのは、すべて「自分の力がなかなかのものである」と思っているところからきている。その心はおごり、高ぶり、うぬぼれ、傲慢というものに近い。本当に謙虚になると、落ち込むことも有頂天になることもなくなる。
〇親は子供によって、いかに自分が人格者になるかを要求されているわけで、子供にとっては、これ以上の親孝行はないでしょう。親も、それを自分でプログラムしてきたのです。
〇酒、たばこ、暴飲暴食に加えて、「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言い続けて神様から借りた肉体という貸衣装をボロボロにしてしまった」と思う人は、これから死ぬまでの間に、肯定的な言葉や「ありがとう」という言葉をたくさん言ってみること。「ありがとう」を言うことで、この衣装は修復されるらしい、という法則を知った瞬間から、ひたすら実践してみることをオススメします。
〇認知症になる人の共通項とは、「死ぬことを怖がっている人」のようです。死を恐れている人には、神様が限りないやさしさを持って、死を認識できないようにしてくださるようです。本人の希望通りになっている。ですから、死ぬことが怖くないと思えた人は、年をとっても認知症になることはありません。
〇なるべく「喜ばれるように」お金を使う。すると、3年後くらいから、不思議なお金の入り方が始まります。「喜ばれるように」使う実例としては、あまり流行っていないお店でお金を使うこと。行列のできるラーメン屋さんはあなたが払う代金は千分の一。ほとんど人が入っていないラーメン屋さんは十分の一。そういう店における支払いは、ものすごく喜ばれます。
〇もし、今、その人が笑顔に囲まれているのであれば、過去に多くの笑顔を投げかけてきたからでしょう。自分が過去に投げかけてきたものの集積として、その人は現在、それに囲まれているのです。ですから、明るい笑顔を投げかけてきた人は、その数十年の結果として現在、明るい笑顔に囲まれています。過去数十年、不機嫌を投げかけてきた人は、その集積として今、不機嫌に囲まれているのです。今のその人を見ていればその人の過去の集積がわかります。過去、どのような生き方を続けてきたのかが読み取れるというわけです。
〇あなたが自分にふさわしい分だけ持って生まれたものを、生きてゆく過程で、いかに自分で磨き、育てていくかが大切です。
〇「私の人生はツイてないなぁ」とか「運がないなぁ」など、そんな風には思わないでくださいね。この世において、「ついていない」と感じるのは、その後の必ず何かツイている出来事が起こる合図でもあります。
〇信じれば信じるほど、不思議フィールドからのお助けが増えてきます。きっと、自分が意図しないことで「なんてうまい采配をしてくれるのだろう」と感じることが多くなっていきます。不思議フィールドの皆さんの力の源は、あなたの信じる心なのかもしれませんね。あちらの方々を感じる些細なことや日々の小さな喜びを見つけて、喜んでくださいね。
〇あの世で自分のカップを覗いた時に、「結婚しないんだ」「子供は持たないんだ」「自分は、ここが不自由なんだ」と全部を納得して生まれたけれど、すべて忘れています。ですから、この世で自分が心から納得するために、必要な過程があるのだと思うのです。いま望みがかなわないとしても、必ず未来にはあなたが納得をして気付くことが待っています。
〇最初に願ったことが叶わなくても、魂は「最善」を知っているのです。
〇完璧なままでいたら魂が震えるような経験はできないから、人とはみんな愚かで悲しいものなのですね。だからこそ、魂を震わせる経験に出会うのかもしれません。どんなに偉い人よりも、とても悲しんでいる人に、苦しんでいる人に、ただ神様を見ます。
〇自分が苦しんだ分、悲しんだ分だけ、誰かの心にそっと寄り添いたいと思うのです。だから誰かが苦しんでいると、人は自分の愛を分け与えたいと思うのです。その気持ちが、私たちの思う「人のために役立ちたい」という無償の愛なのかもしれません。それは理屈ではなく、あなたという神様の愛を分け与えているのだと思います。あの世に還ったときに誇れるのは、魂の経験だけなのです。
〇どんな相手でも自分が気付けることや学べることを必ず持っています。これが良いことも、もちろん反面教師に思うこともあるでしょう。その中で、魂が喜びで共振する人、そして一緒にいて安心できる人、心地よい人と出会ったなら、それでよいと思います。本当にご縁があれば、気が付けば自然とあなたのそばにいるのです。
〇きっと、だれもが最初のころは不安を抱えながら、一生懸命、仕事を覚えて職場に馴染もうとするはずです。しかし、一通り仕事を覚えてしまうと、情熱ややる気がどうしても薄れてしまう人がいるものです。どういうことかというと、実は「もうそこで学ぶことはないですよ」という魂の合図でもあるのです。
〇次の仕事が見つからなかったらと不安になります。特に、家族を養っている人の責任感と不安はとても大きなものでしょう。だから、だましだまし仕事を続けようとするのですが、本当はもうそこでの収穫は終わっていたりするのです。「あえていろんな学びをしてほしい」という魂からの願いです。
〇人間性は弱者に対する態度に出る。
〇見返り根性を捨てると幸運の歯車が回る。
〇我慢のならない人こそあなたの教師。
〇あなたの環境は自分を映す鏡。
〇弱い人を助けて権力を振りかざす誘惑には溺れるな。
〇人の縁を育みたければ、人を見下さないこと。
〇批判は人の縁を遠ざける呪文。
〇相手の長所だけを見るようにすれば、良縁の芽が生まれる。
〇コンプレックスを抱くと人との縁が遠ざかっていく。
〇人を妬んだりうらやむと、縁が寄り付かなくなる。
〇打算で動くと、縁が消滅してしまう。
〇プラスの方向から解釈する癖をつければ、縁が深まる。
〇自分に都合よく解釈することで、意外な形で縁が生じる。
〇あなたが体験する出来事には、すべての意味がある。
〇マインドをポジティブにすれば、縁が生まれやすくなる。
〇自分の長所を挙げていけば、マインドがポジティブになる。
〇一日一回楽しいことをすると、心の体質が変わってくる。
〇ありがたいという口癖が、ありがたい現象を招く。
〇人を立てることで、相手との縁が深まる。
〇成功者は人を立てることを習慣にしている。
〇他人の自己重要感をスポイルすると、悲劇を招く。
〇誉め言葉は、縁を作るためのおまじない。
〇ちょっとしたねぎらいの言葉が、縁のきっかけとなる。
〇教えを乞う姿勢を大事にすると、縁が増大していく。
〇聞き上手になれば、縁が育まれる。
〇相手の関心事に理解を示せば、好感を抱かれる。
〇相手に価値を譲れば、縁を深める絶好の機会となる。
〇小利口にふるまうより、バカになれる人が他人に好まれる。
〇他人に喜びを与えると、人の縁がどんどん膨らむ。
〇マイナスの言葉は、縁を遠ざける呪文のようなもの。
〇縁は、ブラスの言葉を発する人に吸い寄せられる。
〇笑顔日、縁を引き寄せるスパイスのようなもの。
〇グッドニュースの提供マンになれば、縁づくりは成功する。
〇感謝の言葉をかければ、そのお返しがある。
〇ユーモアをうまく使えば、あなたの好感度がアップする。
〇相手のメモリアルデーを記憶しておくと、縁づくりに役立つ。
〇相手の趣味や嗜好に敏感になると、縁づくりに役立つ。
〇徳を積めば積むほど、人の縁が作りやすくなる。
〇親切の種をまけば、縁を招くことにつながる。
〇相手の立場になって行動すれば、縁はあなたを好む。
〇生き金を投資すれば、縁が分配される。
〇人の嫌がることをやり続ければ、人の縁を引き寄せる。
〇ボランティアメニューを実践すれば、運命の人が現れる。
〇仕事に使命感を組み入れれば、驚くほど縁を作れる。
〇平凡で怠惰な生活からは、縁は生まれない。
〇願望は、縁を引き寄せる磁石のようなもの。
〇願望への強い想念が、運命の人を引き寄せる。
〇願望実現のチャンスは、意外な時に意外な形で訪れる。
〇願望の芽が出なくても、焦って土を掘り返してはいけない。
〇ハッピーエンドを信じると運命の人は土壇場で現れる。
〇新しいことにチャレンジすれば、縁が引き寄せられる。
〇非日常的な体験が、あなたに素晴らしい縁を与えてくれる。
〇ヒラメキは、潜在意識からのメッセージ。
〇情報に敏感になれば、運命の人と出会う可能性がある。
〇人からの誘いは、運命の人と出会うためのチャンス。
〇頼まれごとに気軽に応じてあげれば、新たな縁が生まれる。
〇数字の一致に敏感になると、運命の人が現れやすくなる。
〇夢に敏感になると、運命の人に出会う可能性が高まる。
〇共通点・同感部分・共鳴部分が多い相手は、運命の人である可能性がある。
〇同時体験が多ければ、運命的なつながりのある証拠。
〇運命の人との出会いが、あなたの人生を好転させる。
〇倍返しの精神を大事にすると、縁を深めることになる。
〇自分が困っているときこそ、相手のことを優先させる。
〇相手の過ちを赦す寛容な姿勢が、縁を深めていく。
〇他人の降伏を願う場、縁という形で還元される。
〇シンクロニシティの連鎖に気付けば、運命が好転する。

〇夢の中で好ましくない状況が起こっても、意思の力を少し使うことで、それを簡単に修正できる。例えば、怖い夢を見たとしよう。あなたを誰かが追いかけてきて、どうしても逃げられない。すべてが本当に起こっているとあなたが思っていたら、追っ手から逃れることは難しいだろう。ところが、これはただの夢にしか過ぎないないと思うや否や、あなたは目を覚まそうとする。そして、それは通常なかなか難しいが、結局、目を覚ますだろう。しかし、ここでもずっと効果的で興味深い方法がある。もしあなたが、夢を見ていることを認識したならば、追っ手を見つめて、「消え失せろ」と思うだけで充分である。追ってはすぐに消え去るだろう。そればかりか、あなたは追っ手を空中へ浮かべて、宙返りさせることだってできる。
二つの単純な条件さえ満たされていれば、人は夢の中で起きていることの全てをコントロールできる。第一に、これが夢だと認識していないければならない。第二に「ここでは」何でも好きなことが出来ると知っていなければならない。例えば、見ている夢の中で、あなたが目覚め、飛んでみたいと思ったとしよう。こんな簡単なことはない。意図というものがあればよいだけである。ここでは願望と意図との違いがハッキリと表れる。現実生活であっても、夢の中であっても、ただの願望だけでは宙に浮いている事はできない。他えば、腕を持ち上げるという願望を考えてみよう。腕を持ち上げたいと自分に行っても、今のところはそうすることが出来ない。そこで、ただ腕を思い切って持ち上げてみる。願望が行動に変換されたのである。あなたはどのようにして腕を持ち上げるかについてあれこれ考えず、ただ単にそれを行った。夢の中でもこれでよい。意図だけによって自分を宙に浮かべて、好きな所へ飛んでいけばよいだけである。
さて、何者かに追いかけられる怖い夢に戻ろう。追っ手から逃れようと望んでも、うまくいかないことを心得ておく必要がある。恐怖に支配されている思考は、夢の中で繰り広げられる事柄のあらゆる事象をすぐに再生してしまう。あなたはゲームに夢中だが、そのルールは誰か又は何か別のものによって定められている。たとえあなたが、これは夢にしか過ぎないと認識しても、支配権を手に入れないうちは、何をすることも出来ない。あなたが消極的な犠牲者の役割を演じている限り、あなたはゲームに支配されている。このゲームが自分自身の想像力から生まれたものだという事は関係ない。この瞬間のあなたは自分自身の想像力の奴隷であり、恐れおののき、逃げ出そうとしている。しかし、この役割を選択したのはあなた自身である。もしここであなたが立ち止まり、追っ手役と役割を交代しようと思えば、追っ手は喜んで同意し、あなたから逃げていこうとするだろう。状況の滑稽されを創造していただきたい。
「夢の中では…ができるの」という類のどんな質問であっても、答えは「はい」である。どんな人々とも交流出来、夢に出てくる登場人物や対象と好きなことができ、ほかの惑星に飛んで行くことや、問題の解決、作曲、リハーサル、旅行など、すべてが可能である。そうしたことに比べたら、強力な覚醒剤など子供だましにすぎないはずである。それに夢を見ることは、健康にどんな悪影響を与えることもない。夢からは、どんな情報でも持ち出し可能である。しかし、不可能なことが一つだけある。それは、夢の中の物質を現実世界へと運び出すことはできないという事である。いずれにせよ、私個人が知る限りでは、物質を夢から持ち出すような現象について聞いたことはない。
もし夢に見たことを思い出せないのであれば、寝ている方角を確かめてみよう。頭を北に向けて眠るのが良い。西に向けて眠ってはいけない。これは健康にも有害である。それがなぜか説明できないが、地球の磁場と関係があるのだろう。頭を北に向けて寝てみよう。夢が面白く、色鮮やからものになることを実感するだろう。
夢を意識してみる機会がなかなか訪れないとか、そうしたことを試して見ようとする気持ちが少しもなくても、心配には及ばない。意識してみる夢は事象選択の技法で一定の役割を演じるが、それを行わなくても全く問題はない。付け加えておくことがある。それは、意識して見る夢は、ある隠された危険な部分を内部にはらんでいるという事である。最初は興味を引こうとしていたのに、ここまで来たら、脅かそうというのか、とあなたは言い出すかもしれない。しかし、私にはどうすることも出来ない。意識してみる夢は、未知なるものへと続く秘密の扉なのである。この扉の向こう側に潜んでいるかもしれない危険について、私の方から注意しないのでは無責任と非難されかねない。そして、この危険がどういうものなのか、あなたにはすぐにお分かりいただけるだろう。

〇私たちはなぜほしいものを選ぶことが出来るのか、それはどのようにすればいいのか、という謎がある。謎を解くカギの一つは、夢を見るという現象の中にある。人間は人生の三分の一を眠りに費やす。これから私たちは監視員の謎に解明にかなり肉薄することになる。夢を見るという状態の人間に起こっていることは、これまで秘密のベールにおおわれてきた。残念なことに、この分野の科学的調査はあまり成果を上げていない、哲学上の解釈は極端から極端へと揺れ動く。夢は幻に過ぎないというものもいれば、私たちの人生そのものが夢に他ならないと主張する者もいる。この場合、どちらが正しいのか。事象選択モデルで考えると、どちらも正しくない。それでは、順を追って解説する。
大人たちは自分が見た夢を思い出して、実際には何も起こらなかったと理解する。理性は、夢を休息しているときに何らかの方法で生じる自分のファンタジーであると解釈し、それで安心する。四歳未満の子供は夢を見ているときと、目覚めているときとの区別がつかないことが知られている。こうした年齢の子供たちは、夢の中の出来事もその他のことも同じ世界で起こっている。だから、幼い子が怖い夢を見て恐怖に駆られたまま目を覚ますと、モンスターは部屋の中にいるものと考える。それは単に夢を見たに過ぎないと親が説明してあげても、それで納得してしまうわけではない。しかし、幼い子の理性は、夢が現実でないという考え方に少しずつ慣れていく。
理性がどのようにして新たなデータを抽象的な記号の棚に並べていくのかについては、すでに前に述べた。理性はこの作業を好んで迅速に行う。しかし、ここで考えてみていただきたいことがある。それは、夢が現実のものではないという事を理性が納得するまでに四年の歳月がかかるというとである。これほどまでに理性が関頑として聞き入れないことはほかにはない。私たちは四歳までに何があったかを覚えていないため、幼少時団に夢から覚めた理性がどれほど途方に暮れたかについて証言することはできない。
ところで、今でも私たちの理性は、毎につ、眠りにおちながら、無邪気に同じ罠にはまる。眠っている間の私たちは、夢の中の出来事を批判的に見ようなどとは思いもよらない。そして、目覚めながら、夢が非常にリアルであったことに驚く。夢の中の仮想現実は、目を見張るほど本物そっくりにできている。夢ではしばしば奇妙奇天烈なことが起こるのに、それを私たちは何かありふれたものとして受け入れてしまう。こうした能力は、あらゆることに説明を見出そうとする理性の習慣に基づく。もし何か普通と違うことに気付いたり体験したりせざるを得なくなると、どんな時でも私たちはそれを理屈付けてしまう。そして、ついには、意識のある状態でも、私たちは繰り広げられている出来事の現実性を疑ってみようとしなくなる。だから、夢の中でもこの惰性によって、私たちはすべてを明白なこととして受け入れる。理性は状況をコントロールする事に慣れっこになっている。ところで、理性によるチェックを受けずにいつも素通りしてしまう疑問が一つある。「本当にこれは起こっているのか」というもの。この疑問を全く吟味しないがために、いつも理性は夢を見るときの罠にはまる。
だが、まれに運がいいと奇跡が起こり、私たちは夢の中で自分が夢見ているのだと認識することがある。その多くは、全く信じられないような夢や忌々しい悪夢を見ているときである。こういう場合、理性によるコントロールが復活し始め、私たちはこの先どうしようかと考える。その瞬間、無意識にみているはずの夢が、意識して見る夢「明晰夢」へと変わる。意識して見る夢の中で、人はバーチャル・ゲームに参加し、これは夢にすぎないと理解する。もしあなたがこのような経験を一度もしたことがなく、初めて聞いたのなら、疑ってはいけない。これはファンタジーではない。意識して見る夢については数多くの本が表されている。そして、世界には意識的に夢を見ることを常時実践している人々が存在する。
ところで、あなたはそれを試してみたくはないだろうか、意識してみる夢を意図的ら引き起こすことは本当に可能である。そのためには、「これは本当に起こっているのだろうか」という質問をするよう理性を訓練する必要がある。理性を訓練する方法は簡単なものであるが、常に目的意識をハッキリと持つよう注意していなければならない。つまり、一日に最低十回ほど今紹介した質問を自分に向けて行わなくてはならない。この際、助けてくれるのが、あなたの内なる見張り役である。見張り役に命じて、「眠っているのか、起きているのか」うるさく聞いてもらうようにする。この問いかけに対しては、これがいつもの練習などではなく、本番なのだと思い、できるだけ意識して答えなくてはならない。はっとして我に返り、辺りを見回し、状況を判断していただきたい。万事異常なく運んであるのか、それともどこかが怪しいのか。もしあなたがこうしたことに我慢強く取り組めば、ほどなくあなたは自分の夢の中で目を覚ますことだろう。
一日に十回ほども自分に質問するというのはとても面倒なことだとつくづく思う事だろう。質問すること自体を忘れてしまうこともあるだろう。夢の中で目覚めてみたいならば、本当に強く欲することが必要だ。あなたの意図の強さ次第では、意識してみる夢が数日後に実現することもあるだろうし、数か月後になることもある。
もしあなたの家にアラーム機能付きの時計があれば、訓練の役に立つ。一日のうちで、アラームを聞いたらその都度、内なる見張り役のスイッチを入れて、「眠っているのか、起きているのか」とあなた自身に訪ねてもらう。時計の時報は意識にしがみつくための怒りのような働きをする。眠っている間に寺宝を聞いたら、あなたは習慣で内なる見張り役を揺り起こし、見張り役はあなたの理性を目覚めさせるという寸法である。眠っているときに聞くことが出来るのであれば、ほかのもので代用しても構わない。眠っている間に聞くことのできないシグナルを意識への問いかけと関係づけることはお勧めしない。例えば、あなたが自分への問いかけを電話の呼び出し音と関係づけるとしよう。そうすると、電話の呼び出し音が夢の中で響かないうちは、自分に問いかけることが出来ないことになる。
要するに、目の前で繰り広げられていることが本当かどうかについて、常時自分に問いかける習慣を身に付けることが肝心である。質問に対しては、機械的に答えるのではなく、しっかりと意識して答える。予言的な夢を見る多くの人々にとって、意識を呼び覚ますファクターとなるのは、夢の中での異常なこと、腑に落ちないこと、不思議なことなどの認識だという。多くの場合い、このような事は、眠っているものにとっては、全く正常なこととして受け照れられ、気づき内で終わる。まさにその理由で、状況を批判的に評価し、内なる見張り役からの問いかけに対しては、誠実に答えるよう自分を訓練しなければならないのである。
何のためにこんなことをするのか、第一に、夢を見ることが偶然起こるのではなく、あなた自身がバーチャル・ゲームに意識的に参加するわけで、それを楽しむためである。これはもうバーチャル・リアリティを扱うSF小説どころではない。意識して峰夢の中で背あなたができることに比べたら、コンピューター・ゲームなどは遠く及ばない。なんといっても、頭に浮かんだことがすべてできるのだから。

〇状況から少し距離を置くことは多くの場合、自分の主張の固執するよりも、ずっと効率的で有益である。人々がまだ幼少の時から自己否定を目指すことで、自分の意義を証明しようとする習慣が作られる。このことから、あらゆる関係に置いて何が何でも自分の正当性を証明しようとする有害な傾向が現れてくる。このような傾向は過剰ポテンシャルを発生させ、他の人々の利害と相反するようになる。何らかの方向性を持つ判断が自分たちの利益に直接抵触しない場合でも、人々は自己の正当性を証明して見せようとすることが良くある。
ある人々は、内的重要性の感情があまりに肥大化して、どんな些細な事でも自分の意見を押し通そうとする。内的重要性が、すべてを自分のコントロール下に置こうとする異常なまでの熱意に発展してしまう。「それがどんなことであれ、私は自分の正当性を全員に認めさせてやる」と。これはあまりに有害な習慣である。このような習慣は、何よりもまず真実の庇護者を自認している本人自身にとって、人生を大変困難なものにしてしまう。
もしあなたの利益が大きく損なわれないのであれば、勇気を出して状況から少し身を引き、水面を両手でたたきつける権利を他者に与えてみよう。もしこれが意識的にできるようになれば、魂の状態からすぐに軽くなり、自分の意見を証明する場合よりもかえって楽になる。あなたは自分の意義に固執しないでいることが普通となり、ちょうど賢い親が無分別な子供たちを相手にするかのように振る舞うことが可能となる。そして自分のステージが一段上がったという事実で、あなたは満足感を覚える。
もう一つ例を挙げよう。職場での度を越した熱意は、怠慢ぶりを発揮するのと同じくらいに有害である。あなたが長い間あこがれていた権威ある仕事に赴いたとしよう。あなたは自分自身に高い要求を突きつける、なぜなら、自分の力量を完璧に示さなくてはならないと考えるから。確かにその通りであるが、あまり熱心に仕事に取り組むと、とりわけ課題が厄介な場合には、緊張に耐え切れなくなってしまう公算が大きくなる。そうなると仕事の効率が悪化することになり、悪くすると神経障害を患う。この仕事をこなす能力が自分にはないのだという間違った確信を持つに至ることさえあり得る。
もう一つ、こんな例もある。あなたは仕事で猛烈ぶりを発揮していて、そのことでこれまで培われてきた物事の秩序を乱しているとしよう。職場では改善すべきことが数多く見受けられ、自分は正しく行動しているという絶対的なまでの確信をあなたは持っている。しかしながら、もしあなたによる新しいやり方が、同僚たちの人生で馴染んだやり型と相容れないのであれば、いい事は何も期待出来ない。これはまさに「言い出しっぺは罰せられる」ということわざ通りのケースである。あなたは、ゆっくりではあるが穏やかで順調な流れに乗っているのに、もっと速く泳ごうとして両手で水面を全力で叩きつけているのである。
反対するような言葉はひとことも口にできず、目立っていもいけないとしたら、今にどういうことになるのだろう。まぁ、そんなにひどいことにはならない。この問題に損得をよく考えたうえでアプローチする必要がある。あなたを直接邪魔していることに対して、あなたによる批判が何かを良い方向へと変化させる場合に限り、憤慨したり怒ったりしても良い。しかし、すでに起こってしまった変更の効かないことについては、決して批判してはならない。その他の事については、全体と折り合いをつけながら、コントロールする事から見守ることへと重心を移す方法で、流れに沿って進むという原則を柔軟に適用する必要がある。見守ることを主体にして、性急にコントロールしようとしてはいけない。加減のとり方は自ずと判るようになるので心配はいらない。

〇人それぞれが自分の幸せのレベルを自分で調整することが出来る。幸せのレベルの最低のハードルを、大部分の人々はかなり高く引き上げている。だから、自分が幸せだとは思わない。今ある状態で満足すべきという事を言いたいのではない。「幸せになりたければ、そうなったらいいではないか」という怪しげな文句も、事象選択にはふさわしくない。あなたは自分のおもちゃを手に入れるだろうが、これについては後日述べることにする。いま話しているのは、いかにして不快なことから逃れ、問題の数を減らすことが出来るかという事である。
自分のシナリオからの逸脱を望まないという理性の在り方こそが問題である。なぜなら、事象の流れの小流に潜んであらかじめ用意されている解決方法を、理性自信が活用できなくなるからである。すべてをコントール下に置きたいという理性の偏執狂的な傾向が、人生を流れとの絶え間ない戦いへと変質させている。流れが理性の意思に従属することなく、自分のテンポで進むことを、果たして理性は許せるだろうか。さて、ここで私たちは理性の最大の過ちに近づいてきた。理性は、事象の流れに沿った自分の動きではなく、流れそのものを制御しようとするつもりである。これがあらゆる問題や不快な事柄が発生する主な原因の一つになっている。
自然の法則にかなった小流は最小限の抵抗で済むルートを進むため、問題や障害を生み出すはずがない。それらを生み出すのは、聞き分けの悪い理性の方である。見張り役の働きを活発化させた上で、たとえ一日でもよいから、いかに理性が流れを制御しようとしているかを観察してみよう。何かについて意見されたら、あなたは拒否する。何かを知らせようとして来たら、あなたは首を横に振る。だれかが自分の見解を話していくれると、あなたは言い争う。独自のやり方でやっている人がいたら、あなたは正しいやり方についての教訓を垂れる。解決方法を提案されたら、あなたは反論する。あるものを期待しているのに別の物をもらったら、あなたは不満を口にする。誰かが邪魔をしたら、あなたは猛然と腹を立てる。何かがあなたのシナリオと食い違ったら、必要指される水路へ流れそのものを向けようとて、あなたは正面攻撃に打って出る。おそらく、あなた個人にとっては幾分違うことが起こっているだろうが、それでもとにかくそれぞれに一理ある。そうではないか。
さて、ここでのコントロールしようとする手綱を緩めて、流れにもっと自由を与えてみ観よう。すべてに同意し、すべてを受け手れるように、と提案しているわけではない。ただ戦術を変更し、コントロールする事から見守ることへと重心を移すよう提案している。コントロールしようとせず、なるべく見守るようにしてみよう。首を横に振る、反論する、言い争う、自分の説を立証する、干渉する、取り仕切る。批判する、などの行為に請求に出てはならない。あなたからの積極的な介入や抵抗なしに状況が解決されていくよう、猶予を与えてあげよう。きっとあなたは、茫然自失とまではいかなくても、大変驚くに決まっている。まったく逆説的なことが起こるだろうから。コントロールする事を諦めることで、あなたは状況に対してこれまで以上に大きな監督権を手に入れる。岡目八目、すなわち外部の観察者は、直接参加している者よりも、常に優位にあるという事になる。自分をリースに出そう、と常々繰り返している理由はここにある。
振り返ってみると、あなたによるコントロールは流れに逆らっていたことが納得いくだろう。他者からの意見は、故あってのことだった。そもそも言い争う必要はなかった。あなたからの干渉は余計なことだった。あなたが思い悩んでいた障害は、決してそのようなものではなかった。問題はそのままにしておいても、あなたの知らぬ間に、うまく解決される。あなたが期せずして受けとったものは、そんなに悪いものではない。偶然に投げからけられた言葉は、本当に力を持っている。あなたの魂の不快は警告となる。あなたは余計なエネルギーを使うことなく、満足していられる。これこそが、私が冒頭で述べた、流れから理性に与えられる豪華な贈り物なのである。
さて、以上述べた全てのことに加えて、私たちの「仲間たち」についても思い出してみよう。流れと折り合って進むことをコマは邪魔する。コマは、人が一歩進もうとするたびに挑発してきて、両手で水面をたたきつけるよう仕向ける。流れの中にある小流の存在は、小流自体が最小限のエネルギー消費で動くという単純な理由から、コマにとっては許容できない。人が流れとの戦いで消費するエネルギーは、過剰ポテンシャルの発生源とコマの動力源として利用される。内的重要性と外的重要性のレベルをコントロールする事こそ、非常に大切なことなのである。この重要性を与えるという事が、理性が状況から少し距離を置こうとするのを妨げるからである。ぜひこのことを忘れないでいただきたい。
〇亜空間の流れのかなにある小流は、理性が背負っている手に負えない二つの荷物を解放してくれる。二つの荷物とは、問題を常に合理的に解決しなければならないことと、状況を常にコントロールしなければならないことである。もちろん条件次第では、理性は自分を解放する事もある。理性が自分を解放するためには、多少の合理的な説明を要求してくる。すでにお気づきのように、ここには常識の立場と折り合いを付けられない不合理なことが非常にたくさん書いてある。取り巻く世界の構造を説明することは事象選択の目的ではないが、理性をショックに陥れるこうした結論の理由付けを、とにかく私は常に行わなければならない。
ほかにやり方はないのだろうか。常識という一枚岩を揺り動かす事は、とても大変なことである。理性はすべてをそのまま信用することに慣れてはいない。理性は論拠や証拠を要求してくる。もし実生活で事象選択の原則を試して見たならば、証拠はあなた自身で手に入れられる。疑い深い理性を安心させるために、私はいくつかの論拠となるものを挙げてみた。さもないと、あなたはこれらの原則を試してみようとしないばかりか、先へ読み進もうともしなかっただろう。事象選択の話はまだ始まったばかりである。この先にはたくさんの驚くべき発見が待ち受けている。
先に述べた二つの荷物とは、幼少時代から理性に背負わされてきたものである。私たちは始終こう教えられてきた。「自分の頭で考えなさい」「自分が何をしているかわかっているのか」「自分の行いを説明して見ろ」「人生では頭で考えいなと何も得られないのだから、教訓にしなさい」「少しは考えようとする気があるのか」教育者たちと状況とが理性から「兵隊」を作り上げる。この「兵隊」は常時、説明を探し、出された質問に答えを与え、状況を評価し、決定を下し、発生しつつある事態を取り仕切ろうとする。理性は常識的な観点から合理的に行動するよう教え込まれる。
常識とは、自分を取り巻く世界で生き抜いていくために自分の処し方に関する最低必要な決まりの集大成である。理性の過ちは、この規則大膳を文字通りしゃくし定規に適用しようとするところにある。常識にこだわりやすい理性には、周囲を見渡した時、規則とは相いれないものがあることに気付きにくい傾向がある。
世界には常識とかけ離れている事が非常に多くの存在する。様々な問題や不快な事柄を理性がすべて説明し、私たちを安心させることが出来ないのがその証拠である。ここからとても単純な結論が導かれる。それは、事象の流れの中にある小流を頼りにしよう。というものである。その根拠もやはり単純である。小流には、理性が探し求めている合理性が組み込まれている。ご承知の通り、小流は最小限の抵抗しかない道を行く。理性は、因果関係に基づいて、常識的かつ論理的に判断しようとする。ところが、理性は不完全なために、取り巻く世界で間違えずに方向を定めたり、唯一正しい決定をすることが出来ない。
自然は最初から完成されている。そのため、小流には、理性によるもっとも懸命な考察と比べて、ずっと多くの合理性と論理性が備わっている。理性が常識的な思考にどれほど自信があったとしても、やはり理性は間違いを犯すのである。しかしながら、もし理性がその熱意をほどほどに抑え、みずらかの積極的な干渉なしに問題が解決されることを可能な限り許すとすれば、理性による間違いはずっと少なくなるだろう。これは、状況と少し距離を置く、と表現できる。言い換えると、状況を抱え込んでしまわず、コントロールを弱められ、流れを妨げず、周りの世界により大きな自由を与えるという事である。
世界に圧力をかけることは無駄なだけで無く有害でもあることを、あなたはすでに知っている。流れと折り合いをつけないでいると、理性は過剰ポテンシャルを作ってしまう。そこで事象選択は全く別の道を提案している。第一に、過剰ポテンシャルの圧力を上げながら障害を創り出しているのは、私たち自身。だから重要性の程度を引き下げれは良い。そうすれば、障害はひとりでに消えてなくなる。第二に、もし障害が解消されないのであれば、それと戦うのではなく、わきを迂回すればいい。この際、助けてくれるのがサインである。
理性による災いはほかにもまだある。それは、理性が、自分のシナリオに載っていない事柄を障害としてとらえる傾向を持つことからくる。通常、理性はすべてを前もって計画し、計算する。もしその後で予期せぬ事とが起こったら、それを自分のシナリオに取り込もうとして、それと激しく戦い始める。結果として、状況はますます深刻さの度合いを増す。理性は、その事柄を予定に組み込んでおく能力を持っていない事は明らかである。だから流れにもっと大きな自由を与えることが必要となってくる。流れは、あなたの運命を破綻させることに関心はない。ここまで読んで、これはどうも辻褄が合わないと、あなたは思われるかもしれない。しかし、運命を破綻させるものは、理性が取る不合理な行動の方である。
理性の観点から見た合理性とは、用意したシナリオ通りに全てが進んで行くことである。折り合いのつけられない事はすべて望ましくない問題として受け取られる。とにかく問題は解決しなくてはならない。そのために理性は非常に熱心に取り組む。そして、その過程で新たな問題を創り出す。このようにして、理性自信が自分の進む道の上に障害を山と積み上げる。
自分自身で考えてみていただきたい。人が幸せで、喜びを感じ、自分に満足しているのはいつだろう。それは全てが予定通りに進んでいるときである。何かがシナリオから逸脱すると、それは失敗とみなされる。内的重要性は、理性がシナリオの狂いを受け入れることを許さない。理性は思う。「私は前もってすべてを計画し研鑽した。自分にとって何が良くて何が悪いのかもよく知っている。私は道理をわきまえているのだから」人生はしばしば贈り物をもたらすのに、人々はそれを渋々受け取る。なぜなら、その贈り物が予定外だったからである。「私が欲しかったのは、こんなおもちゃではない」現実派と言えば、予定していたものとピッタリのおもちゃをもらえることは滅多にない。だから、みんな苦虫を嚙み潰したような暗い顔や不満そうな顔をして歩いている。さあ、ここでもし理性が自分の重要性のレベルを引き下げて、シナリオからの逸脱を認めたとしたら、人生がどれほど楽しいものになるか、想像してみること。

〇魂の不快も非常に顕著なサインではあるが、通常私たちはそのことにあまり注意を払わない。もし決断を下す必要があるならば、それをどうすべきか、あなたの魂ほどよく知っている物はほかにはいない。あなたの魂が本当は何を伝えたいのか、理解に苦しむことがしばしばある。しかし、すでに述べたように、魂は理性の決断を気に入っているのかしないのか明確に判断することは十分に可能である。
さて、ここであなたは何らかの決断を下す必要があるとする。立ち止まって、心のさざめきに耳を傾けてみよう。もし理性が決断を下した後で、心のさざめきのことを思い出したら、決断を下した時に、どのような気分になったから、記憶をたどってみよう。その時の感情を「気分がいい」または「気分が悪い」というように特徴づけることが出来る。もしあなたがしぶしぶ決断したり、重苦しい状態にあったのでああれば、それは「悪い」という事が明らかである。このような場合、既に下した決断が変更可能ならば、勇気を出してそうすべきである。
魂の快適さを判定することは難しい事ではない。難しいのは、自分の気持ちに耳を傾けることを手遅れにならないうちに思い出すことである。なぜなら、理性は権威を振りかざしないがら思案を巡らし、自分以外に誰の意見も聞こうとはしないからである。常識が轟響くために、魂のつぶやきがかき消されてしまうだけではない。理性は常にあらゆるところで自分の正当性を裏付けたり証明したりしようと躍起になっている。
さて、あなたは「はい」か「いいえ」の選択に迫られているとしよう。魂は遠慮がちに「いいえ」と言って反対しようとしている。理性は魂が「いいえ」と言っていることは理解しているのに、聞こえないふりをして、「常識」というものに寄りかかりながら、自分の答えである「はい」の理論武装に磨きをかける。この数行を読んだら、自分の記憶の専用の棚にしまっておいてもらい、次に判断を下す際にぜひ思い出していただきたい。すべてはまさにこの通りであると納得する。
あなたの魂が「いいえ」と言っていることを判定するための単純だが確かな手法をしっかりと覚えておいて頂きたい。もしあなたが自分自身を納得させたり説き伏せたりして「はい」と言わせなくてはならないのであれば、魂は「いいえ」と言っている。あなたの魂が「はい」と言っているとき、あなたには自分自身を説得する必要がない。この手法については、次の機会に。
周りの世界がどのようなサインをあなたに与えるか、いつも注意して観察する必要がある。しかし、そこかしこにサインを見出そうとする必要はない。「ああ、鳥たちが空高く飛んでいる。これは何を意味するのか」。高所恐怖症の鳥などいないし、今飛んでいる鳥たちは、ねぐらに帰る途中なのだろう。目についた事を参考までに受け入れ、それがサインとなるかもしれないことを思い出すだけでよい。しかし、もしこのことを忘れたら、あなたはたちまちコマの意のままに利用され、状況の犠牲者となるかもしれない。
さて、ここで、あなたの運命を根底から変えてしまいかねない願望や行動を、特に念入りにチェックしておく必要がある。もし何らかの不快感を引き起こしている願望をも持っていて、その願望と縁を切ることが可能であるならば、そうするべきである。その願望は魂から来ているのではなく、理性から来ているからである。理性の願望は、いつもコマから押つれられたものである。行動についても同じことが言える。もし魂の不快な状態を無視していても、多くの場合、恐ろしいことが起こるわけではないだろうが、ときには、ひどく後悔する羽目に陥ることもある。そのため、不快、危惧、懸念、罪悪感などを引き起こすような願望や行動とは、可能なかぎり縁を切っておいた方がいい。そうすれば、あなたの人生は遥かに楽なものとなり、山積みしていた問題からも解放される。
しかし、本当は一つだけ例外がある。もし自信のない行動の結果、問題がもつれてしまったら、縁を着るという原則がいつも最適とは言えなくなる。場合によると、あなたは「不快な」ことを行わざるを得ない事もある。それは、例えば、嘘をつくとか、大嫌いな仕事をするなどのことである。しかし、そのもつれた問題が解決したら、勇気を出して縁切りの原則を利用することである。
事象選択モデルの枠内でサインについて話すべきことは、以上ですべてである。自分のためのサインに気がついて、解釈することが出来るのは、あなただけである。それをどうやって行えばよいのか、あなたに教えることは不要である。自分と周りの世界とを観察すれば、あなた自身がすべてを理解するだろうから。それほど明確ではないサインに過度に重要な意義を与えたり、自分の人生のシナリオにネガティブな解釈を取り入れたりしてはならない。暗礁に乗り上げたり、早瀬に遭遇したりしないようにするには、過剰ポテンシャルを創らないというだけで充分である。それが出来るのであれば、サインがなくてもやっていける。いずれにせよ、私たちはサインの意味を明確に理解することは出来ない。特に注意を払わなければならない唯一のサインとは、決断を下す際のあなたの魂の快・不快である。心のさざめきに耳を傾けることは、本当に価値がある。

〇サインは迫りくるカーブの質へのヒントを帯びている。もしサインが心地悪い感じを伴うのであれば、それは不安、不振、不快、懸念、ネガティブな驚きといった感情を私たちに吹き込んでくれる。つまり、そのサインは先行きの暗転について信号を送ってくれていることになる。もしその感じが色々な意味にとることが出来る場合、評価しても信頼できないのでので、サインを解釈する意味がない。いずれにせよ、ひどく心配したり、そのサインに大きな意味付けをするには及ばない。しかしながら、もしあなたががあるサインの注目したのならば、無視するべきでもない。ひょっとすると、そのサインには警告が含まれているかもしれない。したがってもっと注意深くするよう心掛け、自分の行動を変え、程よい頃合いに立ち止まり、または別の方向性を持つ行動を選択したりする必要があるだろう。
サインにはありとあらゆる形態がある。肯定的か否定的か、どちらの意味をそのサインが待っているのか、見極めることだけは必要である。例を挙げよう。私が道を急いていると、杖を突いた老婆が私の行く手を塞いだ、そして、私はどうしても老婆を迂回することが出来ない。このようなサインは何を意味しているのだろう。きっと私は遅刻する。または、私の乗るバスが普段はゆっくり運行されるのに、今日に限ってはなぜか猛スピードを出す。私がどこかで無茶なことをするので、用心する必要があるという事だろうか。それとも、考えていたことがどうしても実行できず、何か厄介な障害が発生し、事がはかどらないという意味だろうか。私は行き止まりになっている道を選んだので、そこへ行ってはならないという事なのかもしれない。
サインの主なメリットは、悪夢が現実となる前にタイミングよくあなたの目を覚まさせ、破壊的コマのために行動している自分が損失をこうむってしまうことを悟らせくれる点にある。しばしば人は、コマによる麻痺でゾンビ化され、破壊をもたらすような間違いをしでかす。そして、後になってから、あの時は自分の行為の意味を理解せず、警戒心を失っていたことを思い出す。このような場合、たわいないサインを警報として解釈することは、余計なことではない。起こっていることへの用心深さとして、意識的に冷静になることは、決して妨げにはならない。しかし用心するあまり、不安感や猜疑心に駆られることのないようにすることが肝心である。不安に陥ることなく心配する必要がある。自分をリースに出しつつ、非の打ちどころのないよう行動すること。
奇妙に思われかもしれないが、最も明確で確信を付いているサインは、人の発信である。それも、前もって用意されたものではない。偶然、自然に発せられた言葉である。もしあなたが自分の意見に固執していたら、聞き流してしまうかもしれない。何気なく発せられた言葉が、何かを行うとか、どう行動するなどについてのアドバイスだったら、真摯に対応するべきである。
何気なく発せられた言葉は、よく考えられたうえでのものではない。あなたが誰かのヤジに対してあれこれ考えず、文字通り瞬時に反応した時のことを思い出していただきたい。答えはあたかもどこか意識の深みで既に存在していたかのように、理性による分析機関を経由することなく、あなたの唇から飛び出してきたものである。これと同じような形で、何気ない言葉も、理性がまどろんでいたり、他の事に気を取られているすきに、発せられるのである。理性がまどろんでいると、魂が口を開く、ちょうどその時、魂は情報フィールドに直接接触している。
例えば、たまたまあなたは「マフラーをしなさい。風邪をひいてしまいますよ」と言われたとする。この言葉に従わなかったら、たぶん後悔する事になるだろう。こんなこともある。あなたがある問題について心配していると、だれかが何かのついでにあなたにとって大した意味の無いアドバイスをした。無下に断らないで、耳を傾けてみよう。こんなのはどうだろう。あなたは自分が正しい事に自信があり、誰かがついでの拍子にそうではないことを何気なく示してくたとしよう。強情を張らないで、周りをよく見るべきだろう。あなたは両手で水面を叩きつけてはいないだろうか。

〇そろそろ事象の流れにカープがあるかもしれない事を示してくれるものがサインである。言い換えると、サインとは、人生の規則正しい流れに十分はっきりと感じられるような変化をもたらす事象の前兆のことである。もしあなたがたとえわずかでも何がしかのカーブを期待しているとしたら、そのことについて合図を送ってくれるサインが現れるだろう。もしあなたが避けたいと思っているカーブが迫ってきたら、やはり何らかの特徴的な差異が現れるだろう。では、特徴的とはどういうことを意味するのか。
実は、事象の流れが曲がるときに、あなたはほかの人生ラインに乗り移るのである。乗り移る先のラインは、多少の違いはあるだろうが、人生の質という点では似たり寄ったりである事を思い出していただきたい。事象の流れの中にある小流はは、様々なラインを横断しているかもしれない。人生のラインは、パラメーターによってそれぞれに違いがある。変化は気付かないほどかもしれないが、とにかく違いが感じられる。この質の違いについては、ちょっと前と何かが違うというように、意識的にまたは無意識のうちにあなたは気付くのである。
このように別の人生ラインへと移動が始まるときだけにサインは現れる。ここの現象に注意を払わなくても良い。例えば、カラスが泣いても、それがあなたに警戒心を呼び起こすことにならず、質的な違いを感じていないのであれば、つまり、あなたは依然として元の人生ラインにいるという事である。しかし、もし現象に注意を向け、そこに普段とは違うただならないものを感じたら、それはサインなのかもしれない。
サインとは、本質的に異なる人生ラインへの移動が始まったことについて、いつも信号を送ってくれるという点で、普段の現象とは異なる。別のライへ移動した後、すぐに起こる現象は、通常、警戒心を引き起こすものである。なぜなら、ライン同士が互いに質的に異なるためである。こうした違いは、様々な特徴を持っていることもある。時には、はっきりした説明のつかない特徴もある。どこかそうではないような感じ、というようなものである。ラインの乗り換えが終わったら、私たちはこれを直感的に感じる。サインによって明確な変化を見つけることもある。私たちは、流れの中に何か新しいものが現れると、ちらりと目にするか、薄々感づくものである。サインは標識であり、何かが変化したとか、何かが起きていることを、私たちに教えてくれる。
通常、今いる人生ラインで起こった現象は、警戒心を引き起こしたりはしない。それは今起こった現象が同じ人生ライン上にある他の現象と質的に同じだからである。とはいえ、人が周りで起こっていることの全てを無視すると、明確なサインにも気づかないことになる。本質的に異なるラインへの移動は、途中にあるラインを経由して、通常は段階的に行われる。途中にあるライン上におけるサインは、様々なレベルの限界警報として現れることがある。最初の警報を無視することはよくある。移動が続けられ、二回目の警報が出て、その後、三回目が発せられる。もしこの後も警報が止まらないとしたら、最終ラインで起こるべきことが起こるという事である。
既に述べたように、サインを一つの解釈だけに絞ることは非常に難しい。あなたの注意を引き付ける現象がサインとなるかどうかについて、確信はあり得ない。しかし世界が何かを伝えたいという事を、参考までに受け入れることだけはできる。私たちに関心があるのは、迫りくる暗礁や早瀬である。先に何が持ち構えているのか、ヒントだけでも貰いたくなることが時々ある。そんなときは「はい」や「いいえ」という具合に、両方の極性のどちらかを帯びた答えを得られるような質問を作ってみよう。例えば、うまくいくか否か、間に合うか否か、やりおおせるか否か、良いか悪いか、危険か否か、等々である。サインの解釈は「肯定的」または「否定的」という答えにつながるヒントにまで簡略化させる必要がある。だが、高い精度を期待してはならない。

