〇状況から少し距離を置くことは多くの場合、自分の主張の固執するよりも、ずっと効率的で有益である。人々がまだ幼少の時から自己否定を目指すことで、自分の意義を証明しようとする習慣が作られる。このことから、あらゆる関係に置いて何が何でも自分の正当性を証明しようとする有害な傾向が現れてくる。このような傾向は過剰ポテンシャルを発生させ、他の人々の利害と相反するようになる。何らかの方向性を持つ判断が自分たちの利益に直接抵触しない場合でも、人々は自己の正当性を証明して見せようとすることが良くある。
ある人々は、内的重要性の感情があまりに肥大化して、どんな些細な事でも自分の意見を押し通そうとする。内的重要性が、すべてを自分のコントロール下に置こうとする異常なまでの熱意に発展してしまう。「それがどんなことであれ、私は自分の正当性を全員に認めさせてやる」と。これはあまりに有害な習慣である。このような習慣は、何よりもまず真実の庇護者を自認している本人自身にとって、人生を大変困難なものにしてしまう。
もしあなたの利益が大きく損なわれないのであれば、勇気を出して状況から少し身を引き、水面を両手でたたきつける権利を他者に与えてみよう。もしこれが意識的にできるようになれば、魂の状態からすぐに軽くなり、自分の意見を証明する場合よりもかえって楽になる。あなたは自分の意義に固執しないでいることが普通となり、ちょうど賢い親が無分別な子供たちを相手にするかのように振る舞うことが可能となる。そして自分のステージが一段上がったという事実で、あなたは満足感を覚える。
もう一つ例を挙げよう。職場での度を越した熱意は、怠慢ぶりを発揮するのと同じくらいに有害である。あなたが長い間あこがれていた権威ある仕事に赴いたとしよう。あなたは自分自身に高い要求を突きつける、なぜなら、自分の力量を完璧に示さなくてはならないと考えるから。確かにその通りであるが、あまり熱心に仕事に取り組むと、とりわけ課題が厄介な場合には、緊張に耐え切れなくなってしまう公算が大きくなる。そうなると仕事の効率が悪化することになり、悪くすると神経障害を患う。この仕事をこなす能力が自分にはないのだという間違った確信を持つに至ることさえあり得る。
もう一つ、こんな例もある。あなたは仕事で猛烈ぶりを発揮していて、そのことでこれまで培われてきた物事の秩序を乱しているとしよう。職場では改善すべきことが数多く見受けられ、自分は正しく行動しているという絶対的なまでの確信をあなたは持っている。しかしながら、もしあなたによる新しいやり方が、同僚たちの人生で馴染んだやり型と相容れないのであれば、いい事は何も期待出来ない。これはまさに「言い出しっぺは罰せられる」ということわざ通りのケースである。あなたは、ゆっくりではあるが穏やかで順調な流れに乗っているのに、もっと速く泳ごうとして両手で水面を全力で叩きつけているのである。
反対するような言葉はひとことも口にできず、目立っていもいけないとしたら、今にどういうことになるのだろう。まぁ、そんなにひどいことにはならない。この問題に損得をよく考えたうえでアプローチする必要がある。あなたを直接邪魔していることに対して、あなたによる批判が何かを良い方向へと変化させる場合に限り、憤慨したり怒ったりしても良い。しかし、すでに起こってしまった変更の効かないことについては、決して批判してはならない。その他の事については、全体と折り合いをつけながら、コントロールする事から見守ることへと重心を移す方法で、流れに沿って進むという原則を柔軟に適用する必要がある。見守ることを主体にして、性急にコントロールしようとしてはいけない。加減のとり方は自ずと判るようになるので心配はいらない。
