フランスとアルジェリア。 | つれづれパリ日記

つれづれパリ日記

パリでの日常-マルシェ、お食事、ファッション、バレエ、スポーツ、読書など、日々のささやかな幸せを丁寧に綴っていきたいです。

アルジェリア、イナメナスの
天然ガス関連施設での
武装勢力による拘束事件の
刻一刻と変わる報道から
目を離せないでいます。

15年以上前
パリを旅行していた時のこと
シャンゼリゼ通り沿いのカフェでお茶をしていて
(→シャンゼリゼ通りのカフェでお茶すること自体
いかにも旅行者です!)
急に
お店の人に
お店の中のほうのテーブルに移るように言われました。

なんだろう、と思いながら
大きな窓の外に目を向けていました。

シャンゼリゼ通りの広い通りのベンチに
黒いアタッシュケースが置いてあり
その周りがみるみる
バリケードで囲まれて立ち入り禁止になり
警察ではない
ブルーのつなぎを着た、特殊部隊!?のような人達が
シャカシャカと動きまわり
アタッシュケースになにかを装備して
しばらくして
「バン!!!」

アタッシュケースは不審物で
爆弾かもしれない、とのことで
付近が立ち入り禁止になり
アタッシュケースを開く装置を装着して
遠くからスイッチを入れて
アタッシュケースは開けられたのでした。

アタッシュケースは
空でした。

この、30分くらいで起こった出来事は
平和な国から旅行で来た
20代前半の日本人の私には
かなりショッキングな出来事でした。

「テロの脅威は
すぐ隣りにある。」

人生で初めて
認識した瞬間でした。

手際のいい、訓練された特殊部隊
警察以外に傭兵という
いろんな任務に就く
治安と国防を担う人達のフランスでの重要性は
毎年一回の
「Quatorze Juillet」のパリ祭で
垣間見ることが出来ます。

→パリ祭の模様はコチラ


パリのゴミ箱は
半透明で緑のビニール袋で
市内には一切コインロッカーがなく
持ち主不明の荷物があればすぐに通報されて
あっという間に特殊部隊が現れます。

パリに住み始めてから
アフリカ諸国からの移民も多く
アフリカ諸国がぐっと身近に感じられるようになり
なかでも
長年に渡り
度々衝突が起こっている
フランスとアルジェリアとの関係は
根が深く大変複雑で難しい国際問題で
よく話題にのぼります。


前の家の大家さんは
”フランスの父”と思えるほど私が慕っている人で
いろいろな話の中で
大家さんのお兄さんは
1960年代、la guerre d'Alegerie=アルジェリア戦争の時
アルジェリアに駐屯していて
その時に受けた心の傷に
生涯苦しんでいた、と教えてくれたことがありました。

アルジェリア戦争は、1954年から1962年にかけて行われたフランスの支配に対するアルジェリアの独立戦争。フランス本土と当時はフランス領(公式には植民地ではなく海外県と海外領土の中間的存在とされる。)であったアルジェリアの内戦であると同時に、アルジェリア地域内でフランス本国と同等の権利を与えられていたコロンと呼ばれるヨーロッパ系入植者と、対照的に抑圧されていたベルベル人やアラブ系住民などの先住民(indigene,アンディジェーヌ)との民族紛争及び親仏派と反仏派の先住民同士の紛争、かつフランス軍部とパリ中央政府との内戦でもある。

フランス政府では公式には戦争として認定されず、「アルジェリア事変」(évènements d'Algérie)や、「北アフリカにおける秩序維持作戦」と呼称されていたが、1999年10月になり法改正され正式にアルジェリア戦争(Guerre d'Algérie)と記される様になった。
(wikipediaより)

私がパリに住み始めた
1998年以降も
たびたび衝突が起こり
一時は関係がかなり悪化して
フランスとアルジェリアを結ぶ飛行機の直行便の
運行を取りやめていた時期もあります。

アフリカで一番国土が大きい国で
石油、天然ガスなどの鉱物資源が豊かな国でもある
アルジェリアで起こったこの事件の
一日も早い解決と
人質となっている民間人の人達の安否を
心から祈ってやみません。