「何で男の人は手のひらで転がされるのが好きなんですか?」
と、ある男性に聞いたら、
「転がされてる間は自分のことを見ててくれてるから」
と答えてくれた。
こんな風に、
すぐ的確な答えが返せる人ってそういない。
十何年も前だけど、
「俺は手のひらで転がされるの好きやで!
俺は、ほんま転がるで!
まるで止まってるかの勢いで転がるで!(手を出しながら)」
と言っていた人がいたのも印象的で、
その話を少し出したら
「そう。ベーゴマくらいの速さで転がしてあげて」
とその人も言っていた。
転がされてる間は、
他のことを考えなくて済むとのこと。
深いね。
この人、
いわゆる「学」は無いかも知れないけれど、
自分のことメンヘラだとも言っていたし、
すごくわかってるんだなあ、
と思った。
「まるで止まってるかのような速さで」と言った人も、
俳優の卵だったし、
そういう表現者を目指すということはやはりどこか寂しがり屋であり、
ゆえに転がされたい、
転がされてる間は自分のことを確実に見ててくれる、
となるのだろう。
またまた別の人と、
投稿のコメント欄のやり取りだけど、
「転がして転がして、ボーリングの玉みたいにすごい勢いで投げ捨ててたとしても男って気づかないイメージです」と言ったら納得してたし、
全然違う男性の友達がそのコメントにいいねをつけてて、
何かやっぱりそういうことなんだなと思った。
その点、
ベーゴマの例えは哲学的だよね。
ベーゴマを楽しんでる子どもで、
自分が放ったベーゴマから目を離す子どもはいないものね。
去年、うちの子が学校でベーゴマやってたからわかるよ。
根源はあれだよね。
お母さんに遊んでもらってるあの感じを何回でも、
いつまで経っても、
体現してたいんだよね。
お母さんに遊んでもらったことが無い男子も、
それが本当に自分がやってもらいたかったことだと、
生物レベルでわかってるから、
拗らせながらも求めるのかな。
書いてて寂しくなって来た。
虚しくなって来た。
何とかならないものか。
まあ、
男のそういうのに関しては、
私は結局「知るかよ」ってなっちゃうんだけどね。
男性自体は嫌いじゃないけど、
「知るかよ」とか「何でこんなにバカなんだ」とかはあるからね。
バカな理由もほぼわかってるけれど。