ピアノを習い始めて三年経ちますが、
一人もアンチが現れませんでした。
あえて挙げるとすれば、
やる気をもって教えてくれなかった先生一人くらいです。
むしろ、
アンチとド正反対の、
世界最強の味方がついたくらい。
こんな人に「パフォーマンスどうだった?」なんてわざわざ尋ねてもらえるなんて、
幸せ過ぎると思う。
こういう、
人と違った現実を味わうために過去苦労したのだとしたら、
もう全然OKです。
と、本当に心から思っているくらい。
石の上にも三年と言いますが、
石の上で三年ピアノ弾いて、
アンチは現れないし味方しか出来なかったから、
この先の三年間も現れないと思います。
そんな気がします。
これ以上の味方って、何?
とはなりますけれども。
三年前の英雄ポロネーズも、
素人さんからしたら「完璧」ではあったらしい。
また六月に弾く機会があるけれど、
そのときはどこも筋肉がつっかえていない状態で弾けるといいな。
嬉しかった。
もちろんまだ満足のいく出来では無いけれど、
その曲を弾こうと思ったきっかけの人から、
その曲の初出しデビューを遠くから見守って、気にかけてもらえたなんて。
「こういう気持ちで弾いた」とか、
「この曲を弾いていたあなたの映像が私をピアノの世界に引き入れた」とか、
直接伝えられて、
反応もしてくれて。
ただ、
これは、
ロマンチックな例えを使いますと。
「お前も舞踏会に行きたいのだね?」
と尋ねた仙女に対し、
「そうなんです」
とちゃんと答えたから起きたことです。
ピアノでない分野のことだったら、
「いえ、悪いのでいいです」
と断っていました。
もちろん、
こんなわかりやすく仙女的な人が喋ってくれたわけではありません。
「舞踏会に行く方法はある」と見つけたとき、
私は「行きたいです」と答えることが出来た。
魔法を持っている人に、
頼れるということ。
「自分で馬車を組み立てて、自分で衣装を作ってから行くんだ」と、
一人で頑張ろうとしなかったこと。
このことも、
その人に伝えた。
「まだ第四楽章だけだけど、一人で頑張る必要は無いとあなたが教えてくれた気がします」と。
これも伝えられて良かった。
誰にとっても、
自分にとっての魔法使いってそう簡単に出逢えないのかも知れない。
ただ、私はかなり難しかった、
絶対人より難しかったはずだ、
という自負はある。
見つけたとしても、
応えてくれそうかどうかまで見極めないと傷ついてしまう場合もあるからね。
その人が何かを話してくれるたび、
つまりは、
その人しか話さないような話を聞けるたびに、
私も心の扉がどんどん開く。
不発は、一回も無い。
その人の行動で、
ゴミ溜めみたいな部屋を開けられてしまったこともあったな。
でも、それもあの人しか出来なかった。
ゴミを整理したら、
ずいぶんスッキリした。
堂々と出来るようになった。
次は、
私の大好きな桜の木の写真を添付しよう。
我々大和民族が愛する「儚さ」は、
きっとあの人からのメッセージの返答には相応しいはず。
「色!」というほど存在感は無い、
ピンク色。
でも、この国においては確実に花界の絶対王者で。
でも、弱々しいだけでなく、
立派な幹も持っていて。
源氏物語などの昔話でも、
ずーっと言及されていて。
直接的に言うと語弊があるけれど、
私のあの人の演奏への第一印象は「色気がある」だった。
セクシーと言うと非常に実存的で肉体的な感じを連想するけれど、
それとは真逆ゆえの色気も、
また圧倒的なものなのだろうと、
学んだ。
過去記事にも書いたことのある、
虚数の世界に属するものだと思う。
私の音も、虚数の世界に属せていることを願う。
評価を顧みると、可能性はあると信じている。