4月某日、ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?——国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ@国立西洋美術館に行きました。
西美初の現代アート展ということで、いったいどんなものになるのか興味津々でいた展覧会。
内覧会ではパレスチナ侵攻への抗議活動が行われ物議を醸すなど、開幕前から大きな話題も呼びました。*1
本展の内容は、過去の西洋作品を収める国立西洋美術館が、未来の芸術を産み育てる土壌となり得てきたか?現代の作家たちにとってどのような存在か?という西美の自問に作家たちが応答するもの。
作家と美術館という専門家同士の問答であるけれど、様々な方向から問題提起がなされ、鑑賞者としても、たびたび通ってきたここで自分が見えていなかったことなどを思いました。
テキストが多く鑑賞に3時間はかかると聞いていたので、ただでさえ遅食いの私は4時間を見積もっていきましたが、やはりそれくらいかかってしまった
出かけたのは4月初め。
濃厚な展示で、ひとつひとつに拙い思いがまとまらず、とりとめもなく書きかけたままでしたが、ひとまず今日は田中功起の作品を記録。
▼入口にウクライナの美術館と能登半島地震(日本赤十字)の募金箱があったので、ささやかですが託しました。
📣ウクライナの美術館支援のための募金活動に関するお知らせ
— 国立西洋美術館 NMWA Tokyo (@NMWATokyo) April 4, 2024
国立西洋美術館は、ウクライナ生まれの女性芸術家マリー・バシュキルツェフを表した肖像彫刻の展示に関連し、2022年4月よりウクライナの美術館・博物館の復興支援のための募金活動をおこなっております。 pic.twitter.com/IwDRTH0M0q
*1: 参加作家の中には、抗議活動により展示が色眼鏡で見られてしまうことを悔やむ声もあったが、自分としてはそれはなかった。あの場で行われた意味と、各々の意見や動向に共感も違和感もあれど、むしろ作品は作品それとしての強さがあって、その強さは良し悪しとか賛否とかと別のところで感じてしまうのだと改めて思わされた機会でもあった。
美術館は誰に開かれた場所なのか
田中功起《いくつかの提案 : 美術館のインフラストラクチャー》2024
市民に開かれた公共空間である、美術館。
まして国公立館に行くことが特権的になってはならないが、現状はどうか。
「人々が協働する条件を考えること」「共同体とはなにか」といった問い直しをコンセプチュアルに作品化してきた田中氏は本展で、西美にいくつかの「提案」をするという行為自体を作品として示す。
それらの提案に、西美がどこまで応答できるか。
その協議や判断のプロセスも含めた作品は「美術館という機関が暗黙のうちに想定する標準的な観客の存在を浮き彫りにし、意識的/無意識的に排除してしまっているひとたちのことを、きわめて具体的に問題化するだろう」と、解説。
美術館が暗に想定する「平均的な来場者」と、そこからこぼれてしまう人々。
こうした提案にしても、声をあげる人によって、すくい上げられたり黙殺されたりもする。
あちらを立てればこちらが立たずとか、何をどこまで立てても取りこぼしや矛盾は起こってしまうのだろうけど、それでも少しでも具体的な試みからよりよい世界に近づいていくことに賛成したいですもいもい
おまけ: 常設展で北欧絵画
常設にはストリンドベリやガッレン=カッレラも展示中なので、北欧の神秘展@SOMPO美術館とリンクして楽しめました
上段:アウグスト・ストリンドベリ《インフェルノ/地獄》1901 国立西洋美術館、《街》1903 スウェーデン国立美術館
下段:ガッレン=カッレラ《ケイテレ湖》1906 国立西洋美術館、《画家の母》1896 スウェーデン国立美術館
スウェーデン文学界の中心的存在であったストリンドバリは、執筆が上手くいかない時によく絵を描いた。パレットナイフを使った抽象表現で、特に海景を好んだ。
フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』を題材にした作品を多く手がけたガッレン=カッレラ。ケイテレ湖のさざ波は、英雄ワイナモイネンが漕ぐ船の航跡を暗示。
ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? 国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ [ 新藤淳 ]
ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?
――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ
会期:2024.3.12.火~5.12.日
会場:国立西洋美術館
料金:一般2000円
WEB
この展覧会は、国立西洋美術館においてはじめて「現代美術」を大々的に展示する機会となります。こんにちの日本で実験的な制作活動をしている、さまざまな世代の20を超えるアーティストたちの作品が集います。
主として20世紀前半までの「西洋美術」だけを収蔵/保存/展示している国立西洋美術館には、いわゆる「現代美術」は存在しません。過去を生きた、遠き異邦の死者の作品群のみが収められているともいえます。けれども、1959(昭和34)年に松方コレクションを母体として開館した国立西洋美術館の成立前史の記憶を紐解いてみると、この美術館はむしろ、開館以後の時間を生きるアーティストらが所蔵品によって触発され、未来の芸術をつくってゆける刺激の場になってほしいという想いを託されながらに建ったということができます。しかしながら、国立西洋美術館がそうした「未来の芸術」を産み育てる土壌となりえてきたのかどうかは、これまで問われていません。
西欧に「美術館」という制度が本格的に誕生した時期とも重なる18世紀末、ドイツの作家ノヴァーリスは、こう書いていました。
展示室は未来の世界が眠る部屋である。――未来の世界の歴史家、哲学者、そして芸術家はここに生まれ育ち――ここで自己形成し、この世界のために生きる。
国立西洋美術館は、そのような「未来の世界が眠る部屋」となってきたでしょうか。本展は、多様なアーティストたちにその問いを投げかけ、作品をつうじて応答していただくものとなります。