私事で誠に恐縮ですが、つい先日気付いた事を残したいと思います。
恋愛に置いて私は、様々な悩みを聞いて来ました。
勿論それに対しては真剣に拝聴し、そのつど自分の意見を挟まして貰いました。
しかしながら私の意見は、自分でも滑稽な程に空しく
何やら根拠の無い、それはまるで3Dで飛び出した映像に話しかけるような
可笑しくも有り、悲しくも有る言葉でした。
このような事を繰り返す内に、ふと気付き愕然としたのです。
私は恋愛と言う物が、まるで分かっていないのだと。
私は、現在に至るまで、それなりに色んな女性と付き合って来ました。
俗に言う所の恋人。その人数に置いては一般的な数と言えるでしょう。
問題は、そこから生じなければならない、好きな感情や愛する感情。
そこを真剣に考えて来なかった事です。
経験は、行動と共に裏打ちされた思考により成り立つのです。
逆に考えれば、どちらが欠けても経験としては不完全な物になります。
それ故に恋愛に限れば、行動のみで生きてきた私は、
不完全過ぎる存在です。
沢山の人達から恋愛についての考えを教えて頂き。
いかに私が未熟で有りながらもそれに気付かずに、そうしてこのように恥を晒して、子供のままで生きてきた事。
それが空しい言葉を作り上げる原因になっているのです。
ようやく、過去を振り返り、それに気付いた私には悔恨の月が輝いています。
今後、私は恋愛について多くを語る事は出来ないでしょう。
しかし私が語ら無くとも、私に語りかけ聞かせてくれる人が居る事も変わらない。
私が只、黙って聞くだけで、救われる人も居るのなら、こんな私でも役に立つのでは、有ろうか有るまいか。
その答えはこれから出るのかも知れない。
そしてもはや、人に勇気を与える事が出来ないので有れば、
優しさを与える事に専念するのも、一つの生き方で有ろうと思います。
悔恨の月は、これからも大きく私の頭上に輝き続ける。
太陽が未来と勇気を人に約束するならば。
月は過去と優しさで人を包めば良い。
そうして、人の痛みが分かる月になりたいと思える課題が出来た最近の出来事。