大同が小異に負ける時
自分自身が小さく見える
儚い夢や希望を追い求め、これ以上どうして続けて行けるのだろう。
皆が同じ物を求めれば、私は何を求めるのだろう。
一杯のかけ蕎麦が日本人で有る事の見本ならば
私は、その蕎麦を食べる事を拒否しよう。
異なる展開から、全てをまとめ、そうして大きな物へと
繋げて行く事は、私には出来ないのかも知れない。
進むべき道も見失い、また自らを奮い立たせる事すら遠くに見える。
余りにも弱い自分が重く伸しかかる瞬間が来る。
どうしても踏み外す道ならば、最初から通らなければ良い。
例えその道に温かい蕎麦が待っていようと
その道が香水の香りや、女神の力に溢れていようと
断じて選ばなければ良い。
待っている先が孤独と死に満ちた世界で有ろうとも
追い求める夢と希望が、そこにしか存在しないのならば
死と孤独の中で、夢と希望を作ればいい。
一人で有ろうが、共に歩む仲間が居ようが
私が進む道に揺るぎが有るはずも無い。
自分自身と闘い、そして起こり来る、あらゆる変化と闘う。
後世に語る為の闘いが、自らの存亡を掛けた闘いが
ここから始まるので有ろう。