ablindspotのブログ -81ページ目

ボナぺティ



はい みなさまお疲れ様です


なんだかんだなんだかんだで


もう午後九時


本当に今日は忙しく


本当に疲れました



飲みに行く元気すら失せて


ひさしぶりに晩飯の賄いに


チャーハンなんぞを作ってみたわけです


決してまずくはないのですが


やはり一人ご飯は美味しくないなぁ


晩御飯を自分のためだけに自炊している人って本当に偉いなぁ



と改めて思うわけです



僕の場合 店だから


コンロはたくさんあるし


調理器具や調味料も食材もそろってるから


当たり前の話 作ろうと思えば何でも作れるのですが


これワンルームマンションだったら


コンロ一つだし


シンク狭いし


冷蔵庫小さいし


あ あの調味料ないや



って再び買いにいかなくちゃならない



だから僕は9年間すんでいるマンションで


料理をしたのは一回くらいだし


大学卒業してから結婚時期を除いて


15年間一人暮らししているけれど


料理したのはたぶん五回くらいなような気がするわけです




ただロンドンで一人暮らししていたころは


せっせこせっせこ料理を作っておりました


というのも


外食が鬼のように高いし


一人で食べれる安価な店って


ジャンクな店か中華料理屋かパブくらいしかなくって


そんな群衆の中で一人で食べるくらいなら


作ったほうがましですしね



日本からもってきたレシピ本を片手に


いろいろいろいろ作っておりました



おっ


俺意外とセンスあるかも



これいいね



なんて自画自賛したりしてね


そうこうしているうちに


変な自信がついちゃって



その頃 付き合ってた彼女の両親に和食を振舞ったり


僕のフラットで仲の良い中国人や韓国人とかトルコ人たちを招待し


料理を出したりしているうちに


海外においてホームパーティーが


なぜ重要視されているかが分かるようになるんですね



もちろん料理の話題というのもありますけれど


それに付随してお酒の話 食器の話 スウィーツの話から


BGMにいたるまで異文化コミュニケーションの話題の宝庫なわけです




もちろん 日本だってBBQとか鍋パとか焼肉パーテーとか


たこ焼きパーテーとかあるけれど 


本質的には料理の話題は


旨いかまずいかくらいの話であるものの


みんなで囲むものですから美味しいにきまっているしね



上記以外でのコース的な料理を提供するホームパーテーなんて


ほとんど御呼ばれしたこともないし


あっても出前とか仕出しとかケータリングとか出来合いのもの



つまりお金で買えるものであり


つまり主体が料理ではなく


主体が同じ価値観を持ったものが集まり会話をするということであり


料理は目的手段であるわけです




ホームパーティ自体が日本の文化に適応してないし


そもそも異文化コミュニケーションの場がないから


発達しないともいえるわけなんだけれど



各々の家庭でおもてなししあえることができたとするならば


もっと日本は仲良くなれると思うわけなんですね










移民を受け入れる話がどんどん出てきてるけれど


そうであればそういう風に我々も異文化コミュニケーションの


スタンバイをする必要があるかといつも思います




昨今ディベートされている移民の話って


なんかね感覚的に白人が黒人を労働力として


アメリカに連れてきたときのように聞こえるのは僕だけでしょうか




そんなにね都合よくないし


そんなにねあまくないよ


ほんとに




10年前のイギリスもそうでしたし


いまのイギリスも移民規制を掛けるために相当苦労している



あんだけリベラルな国なのに




税金


社会保障


教育


犯罪


宗教


テロ


モラル


差別


マイノリティの優遇によるマジョリティの攻撃



実際のところイギリス人の友人たちはいつも


これらの社会問題で頭を悩ましておりました




本当にいろんな意味で大変です





僕は反対しているわけではありません


僕自身が海外に移住することを考えていますから



ただ



日本人にメリットとデメリットを精査する心構え


そして


価値観が大きく変わる覚悟が


出来ているのかが知りたいわけです






















































次は終点 西神中央 お忘れ物のないようにお気をつけ下さい

はいみなさま


お疲れ様です


お元気にされていますか


あと一日がんばれば週末がやってきますね


踏ん張ってください




さて今年も半分が過ぎましたが


皆さま年始に立てた計画はちゃくちゃくと進んでいますでしょうか?



やせる


とか


英語の勉強をする


とか


日記を書く


とか


彼氏 彼女を作る


とかね


たぶん 多くの人が計画通り進んでいないと思いますが


そりゃそうでしょう


東京オリンピックのスタジアムだって


紆余曲折しているわけですからね



たかだか一個人の意思なんて吹けば飛ぶようなものなんです



実際僕自身も計画のスクラップ&ビルドを毎年重ねているうちに


何一つ成就できないことを学びまして


最近は年始に計画というものを立てないようにしております


※多少は立てますがとても抽象的なものばかりでどうにでも解釈できるわけです



するとですね


まるでスケジュール帳を持たない自由人のように


何の後悔も 何の制約もなくなり



好きなときに本を読み


好きなときに映画を観て


好きなときに好きなだけ好きなことを出来る



まるでキリギリスのようだなぁ


と時々思いつつ


そんな頭だけ僕のキリギリスを


気にしないようにしていたのですが





先日ですねトラック野郎Fチームと二人で


新開地で飲んでおりましてね



話題がFチームの子供の話になったわけなんです



「いやーかわいくてね


いやー娘なんてとりわけかわいい」






と大きな鼻の穴をさらに大きくしながら


その可愛さをずーと語っておりましてね



そのお子様たちがまだ五歳くらいだったら



この人もオヤバカだな


夢見てんだろうな


反抗期とか来たら



「おまえをこんな風に育てたつもりはない」


とか偉そうに言うんだろうな



とか想像しながら聞くのですが





実際 彼の子供は19歳と高校生だったかな?


それくらいの御年でありまして


それでいても


「可愛くて仕方がない」


と言っていることに


親バカなんて微塵も感じることがなくて


ただただ羨ましく感じ



「お父さん お嬢さんをください」



と伝えたら


一蹴されたのは


いいとしてですね









あ 何やってんだろ




と情けなさすらも感じたわけなんです



僕よりも二歳上のFチームが


19歳の子供の父親をしている



一方で


僕は離婚後プラプラブラブラブラしていて


たまに遊びにくる甥っ子や姪っ子たちと


無邪気に戯れている



この周回遅れ感は半端じゃない




新神戸駅からほぼ同じ時刻に東京駅目指して出発したにもかかわらず


Fは品川あたりに着いちゃってて


僕は何故かしら地下鉄に乗ってて


しかも西神南にあたりにいることに


ようやく気付いた感覚なわけです



あれ どこだここ



ちげーだろ




やべー





そんな感じで明るい家族計画を


本当に真剣に考えにゃいかんな



と改めて思った新開地の夜。




一年の計画はどういい


キリギリスでもいい


アリさんになる必要もない


ただ


人生の計画はちゃんと立てないとね










そんな話















































やさしさと思いやりのあいだ

こんばんは


リアリスト大橋です



昨夜に引き続いての

「やさしさ」 と 「思いやり」 問題プラス 「みかえり」 問題。私も考えてみました。



やさしさは全体、思いやりは部分

やさしさは本質、思いやりは考え

やさしさは行動、思いやりは思いを伴った行動

やさしさは自分本位、思いやりは他人本位

やさしさは広義、思いやりは狭義



うーん…

考えれば考えるほど

どれもそのようで、どれも違うような気がする


私は、人生において一番大切なのは想像力だと思う


一生のうちに私が経験できることなんて、ほんの一欠片
 
経験から判断して行動できることなんてそのまた半分くらい。

だから、遠く離れた戦地の子供たちを思う時、福島の震災を憂う時、病気の人を心配する時、まだ見ぬ将来を案ずる時、私たちは想像する。

今までの経験や見聞きした情報を頭の中でくっつけて自分なりの終着点をみつける

相手がこう思うかも、こう感じるかも、こうして欲しいかも。
その想像力の選択肢が多いことこそが、「思いやり」なんじゃないかと思う。


「思い違い」もたくさんあれど「思って」「遣る」のが思いやり


やさしさは本質的に持つ性質で

思いやりは経験からくる行為。かな



長くなっちゃったので、見返りについては後日。


ふぁーあぁ

さて、そろそろ寝るとするか