PCに入れてある文書やデータの整理をしていたら、2013年4月末~5月初めの日記があった。
5月に小学校の同窓会があるから、母親の処に来た時の出来事を書いたのものだ。
この後10月に頸椎狭窄でお袋が倒れ、介護で私も一緒に生活をすることになった訳だが。
一緒の生活で気が付いたことがある。
お袋が親戚や身近な人の話をする。
その人達を見下したり、悪く言うのは、頸椎狭窄症を発病したショックで認知症が出てきたのかも知れないと思っていた。
日記を読み返すと、そうではなく、この頃と今と何も変わりがない。
どうも、この人の性格要因が大きいようだ。
当然、少しは認知症も進んでいる様だが。
弟のことも書いてあるが、彼の状態も今の状態と全く同じだ。
お袋が料理を作ろうとしたら、ガスの元栓を閉めてしまい、弟を叱ったと言うことが書いてある。
私が一緒に暮らすようになって、2回ほど同じことがあったが、以前からこういう事をやっていたのだ。
母親と弟の病気のことを話したことも書いてある。
支離滅裂な妄想話をするが、「頭から否定してはいけない、聞いてやるのが一番」と言う話だ。
「自分が死んだ後が心配だ」と言っている。
具体的にどうすると言う話は書いてない。
私にもそういう話をした記憶はない。
この後、お袋も大分くたびれてきたようだと思った。
東京に帰るときに駅まで送ってくれた弟にお袋のことを頼んだ。
れから夏に向かうが電気代の節約とかでお袋はクーラーもつけないだろうから、そこは注意して面倒を見てくれと。
6月に母親が台所で倒れて弟を呼んでも起きてこないとか、風呂で足が動かなくなったと言うことがあったらしい。
しかし、一切連絡してこなかった。
母親は、100キロ近い巨体の弟の運動不足の解消にと、TV通販で見た室内運動具を購入した。
その運動器具に対して疑心暗鬼になった弟が使わないので、母親はしかたなく自分のベッドの横に置いたらしい。
夜、トイレに起きた際に転倒し、その時に運動具に首か頭をぶつけた様だ。
その時も隣室で寝ている弟を呼んだが起きてこなかったそうだ。
仕方なく、数時間そのままになっていたらしい。
それが遠因で10月に頸椎狭窄症を発病し、手足の自由が効かなくなり、垂れ流し状態になった。
それでかかりつけの内科に行く。
緊急病院を紹介され、そこに入院した。
その病院が真っ暗だとか、騒音がうるさいとか、看護師と医者の対応がオカシイと言う理由で2日で退院してしまっている。
その後、日赤病院に行く。
高齢だからこのままでいいと言われて帰されている。
それで、足の膝を診てもらっている近所の整形外科に行く。
「頸椎狭窄症」と診断され、中央病院に手術前提の検査入院となった。
入院手続きをして帰宅したお袋が、入院を嫌がってしまい、弟が手におえないと、ここで初めて私に電話してきた。
その時点で私には全く状況が掴めなかったが、兎に角、入院する日までに私が行くからと説得した。
しかし、造影剤でレントゲン写真を撮るが、その時の数分の姿勢が我慢できずに「私を殺す気か」とか「年寄りにできる訳がないだろう」とかの暴言を吐いてしまう。
主治医が一番心配したのは、手術後の養生で体を動かせなくなるが、それが我慢できるかどうか。
本人に確認させられた。
本人は、「そんなことまでして長生きする気はない」と捨て台詞を吐いた。
そこで決まった。
近所の整形外科の先生も、「医者の手から離れて、介護の領域ですね」と。
2013年10月から1年半、二人と生活して来て思うことは、
統失の弟には母親の世話はできない。
しかし、それ以上に問題なのは、母親の考え方だ。
何度も倒れても私に連絡はなかった、病院に行ってもそんな話はなかった。
私には私の生活があるので、余計な心配を掛けられないというのがその理由だと私には言う。
自分でちゃんとやると言う姿勢は結構だ。
一寸したことは弟にやって貰えると言う。
しかし、健常者とは違う弟のできることには限界がある。
それが解っていない。
弟の病気の本質も解ってない。
また、高齢者向けの社会保障制度も理解できていない。
万が一の時は、姪っ子に来てもらい面倒を見てもらう積りだった言う。
じゃあ、そこまで緊密にしていたのかと言えば、彼女は名古屋に住んでいて、年賀状程度の付き合い。
年も母親より10歳若いだけ。
話を聞けば聞くほど思う。
この人の腹の中にあることと、口から出てきた言葉とは180度違うと言うことだ。
「昼に食べたいものがあるか?」と聞くと
「何でもいい」と言う。
弟がパンを買ってくる。
フランスパン風の表面がやや硬いパンだ。
母親が言う、
「これは今日焼いたパンじゃない。2,3日も前の売れ残りを買ってきちゃだめだ」
やはり、認知が進んでいるのかな…