三つ子の魂... | 『昭和23年に生まれて』のブログ

『昭和23年に生まれて』のブログ

堺屋太一の名づけた『団塊の世代』のど真ん中、昭和23年生まれ。
自分の人生を振り返りながら、気の向くままの思い出話。

高田好胤師は、母親の「恩」を忘れてはいけないと説く。

この世に自分を生んでくれた「恩」だ。

残念ながら、今の私はその気になれない。

90歳の母親の介護生活も2年目を迎えた。

東京の会社に就職したのが昭和47年(1972年)だから、40数年ぶりに母親と四六時中の生活だ。

思うことがある。

40数年という時間の流れは当然だが、生活の認識で母親との大きなギャップを思い知らされている。

大正13年生まれ、北九州に近い田舎町で育った母親だが、物凄い「差別意識」の持ち主だ。

そのことに、実に驚かされている。

最初は、90歳と言う高齢と、頸椎症を発病したことで軽い認知症が出ているかと思っていた。

外れていた。

母親が育った時代、地域性から、被差別部落出身者や朝鮮人、中国人に対する差別意識が多少あるのは理解していた。

しかし、TVのニュースや報道番組を見ながら、母親が口にする表現には驚かされる。

「ヘイト・スピーチ」そのものだ。

戦後、朝鮮や中国から引き揚げて来たわけでもない。

在日から嫌な思いをさせられたわけでもない。

全て、母親の認識の様だ。

彼女の父親、私からすれば母型の祖父だが、私が生まれて数か月後に他界したので、全く記憶にないが、この祖父は若い時には、朝鮮や満州で仕事をしていたと言う。

また、直ぐ上の兄、私からすれば叔父になるが、朝鮮で学校長をしていたそうだ。

それの程度でしか、母親と朝鮮、満州の関係はないのだが。

どうして、ここまで強い差別意識があるのか、私には理解できない。


母親が昔の話をよくする。

ほとんどは、自分の子供のころの話。

私の知っている親戚の話をすることもあるが、楽しい話はまずない。

性格が悪いとか、東京で生活したから冷たいとか、どうして家柄の悪いところから嫁を貰ったのかとか...。

聞いていて、また始まったと思うだけだが。

十数年前に他界した父親との馴れ初めを聞いても、仲人に良いよう仕組まれたとか、年老いた両親
のことを考えて...と言う。

家庭的なことは一切しない人だった、会社での出世しか頭にない人だった...。

私には良い父親だったのだが。

本当にあの世があって、先立った人たちに会うとしたら、この人どんな顔をするのかと思ってしまう。

結婚した当時、父親の姉から「あんたは赤イワシだね」と言われたそうだ。

言われた本人は「赤イワシ」の意味が解らなかったそうだが。

「知ったかぶりをする人」のことらしい。

何故か。

「ヒブナ」を始めて見た人が、この魚は何というのかと聞いたところ、「それは赤イワシじゃ」と言ったという話から来ている。

確かに、思い込みだけで話をする傾向が強い。

自分以外の他人は、何も知らない、知識がないと思っている節がある。

「三つ子の魂100まで」と言う。

今、私の前にいる「母親」は、それが出ているのかもしれない。