今朝は4時半にトイレに起きた。
夜は明けていない。
スマホでラジコを開く。
TBSを選局して、サタディ生島を聞く。
今朝は、早起きして得した感じ。
「バカの壁」の解剖学者・作家の養老孟司氏が出演していた。
生島氏が、臨死体験について聞いた。
生島氏は、遠藤周作氏の話も引用していたが、養老先生は脳の問題と言い切った。
さすが、学者先生だ。
臨死体験は、世の東西、人種、宗教を問わず、ほぼ同じ体験だ。
凄くきれいな花畑、光等。
そして出てきた人は、既に亡くなった人で、その死に目に会っている親類、知人なんだそうだ。
決して秀吉とかは出てこない、つまり「赤の他人」は決して出てこない。
臨死体験は、「夢」を見ている状態なのだそうだ。
それも「死」を意識してみている「夢」だそうだ。
ただ、相当に限界と言う状況で見る夢。
今では脳へ刺激を与えることで、同じような状況は作れるのだそうだ。
それだけ脳科学、脳の研究が進んだということだろう。
本来、本人には自分の「死」は解らない。
「自分は死んだ」と意識できない。
「死んだ」を理解できるのは、自分以外の人だけ。
養老先生は、「意識する」について興味あることを語った。
人生を自分で何とかできる、努力すればどうにかなると言うことへの疑問。
何かを意識するとが人生に大切だと思うことに「疑問」を呈した。
「意識」しないといけないことと、してもしかたがないことはきちんと理解して置くこと。
これが大切で必要なことが大前提。
この辺の判断が物凄く重要なポイントなんだろうね。
大概の人間は、この辺がごちゃごちゃと言うか、自分に都合よく「意識」してしまう。
「死」は必ず訪れる。
「死」は、「生」という馴染んできた状態に終わりを告げることだ。
「生」は、何時でもどこでも「意識」できる。
無意識に意識してる。
「死」は、そうは行かない。
だから、死後の世界があると我々は思いたいのだろうか?
ふと、そんなことを考えた。
今日も、「死」を意識しないで、生きている(だろう)。