今朝もTBSラジオ、「生島ジロウ」の番組を聞いた。
終戦記念日だが敗戦記念日でもあると語る。
各紙の社説を紹介していた。
戦後のベビーブマーの一人だから、1945年8月15日の玉音放送も私は知らない。
子供のころに父親や母親から聞いた話からすると、雑音の多いラジオ放送でよく聞こえなかったらしい。
確かに、あまりハッキリとした放送をやってもね。
ただ、戦争は「終わった」で、戦争に「負けた」ではなかったそうだ。
特に、母親の父親(まだ私の爺さんではなかったが)は、戦争が始まった時に発した言葉が、
「アメリカと戦争して勝つわけがない。あんな大きな国と戦争をするとは…」と嘆かわしく語ったそうだ。
そして、一度も防空壕には入らなかったとか。
若いころ朝鮮半島や満州で働いていて、そういう経験からの発言だったようだ。
残念ながら、私が生まれて3か月後に永眠したから、私には「爺さん」の記憶はない。
父方の爺さんも同じころに亡くなっているので、父方の爺さんの記憶もない。
父親も、母親も戦争中の話はあまりしない。
昨日、母親が若いころの話を珍しく始めた。
最初にお見合いをした人の話だ。
戦死したそうだ。
ただ、憲兵だったらしい。
もし戦死していなかったら、母親の人生はとふと思った。
どうして、そんな話をするのかな?と思ってみた。
どうも、NHKの朝ドラ「アンと花子」の影響かもしれない。
花子の兄さんが「憲兵」さんだ。
花子は、息子を疫痢で亡くした。
母親も、三男を7歳で亡くしている。
そんなことが影響しているのかなあ…。
仏壇の横に弟の写真が掛けてある。
生きていたら59歳かな?
兄弟3人の中で一番利口な子供だったと母親は言う。