69回目の8・15 | 『昭和23年に生まれて』のブログ

『昭和23年に生まれて』のブログ

堺屋太一の名づけた『団塊の世代』のど真ん中、昭和23年生まれ。
自分の人生を振り返りながら、気の向くままの思い出話。

今朝もTBSラジオ、「生島ジロウ」の番組を聞いた。

終戦記念日だが敗戦記念日でもあると語る。

各紙の社説を紹介していた。

戦後のベビーブマーの一人だから、1945年8月15日の玉音放送も私は知らない。

子供のころに父親や母親から聞いた話からすると、雑音の多いラジオ放送でよく聞こえなかったらしい。

確かに、あまりハッキリとした放送をやってもね。

ただ、戦争は「終わった」で、戦争に「負けた」ではなかったそうだ。

特に、母親の父親(まだ私の爺さんではなかったが)は、戦争が始まった時に発した言葉が、

「アメリカと戦争して勝つわけがない。あんな大きな国と戦争をするとは…」と嘆かわしく語ったそうだ。

そして、一度も防空壕には入らなかったとか。

若いころ朝鮮半島や満州で働いていて、そういう経験からの発言だったようだ。

残念ながら、私が生まれて3か月後に永眠したから、私には「爺さん」の記憶はない。

父方の爺さんも同じころに亡くなっているので、父方の爺さんの記憶もない。

父親も、母親も戦争中の話はあまりしない。

昨日、母親が若いころの話を珍しく始めた。

最初にお見合いをした人の話だ。

戦死したそうだ。

ただ、憲兵だったらしい。

もし戦死していなかったら、母親の人生はとふと思った。

どうして、そんな話をするのかな?と思ってみた。

どうも、NHKの朝ドラ「アンと花子」の影響かもしれない。

花子の兄さんが「憲兵」さんだ。

花子は、息子を疫痢で亡くした。

母親も、三男を7歳で亡くしている。

そんなことが影響しているのかなあ…。

仏壇の横に弟の写真が掛けてある。

生きていたら59歳かな?

兄弟3人の中で一番利口な子供だったと母親は言う。