40年以上前、まだ就職したばかりの頃、会社の独身寮の生活だった。
九州から東京に出てきた「田舎モノ」は、どうしても休日は寮にいることが多くなる。
時間つぶしも兼ねた「読書」に時間を割くことが多かった。
当時は、駅の傍に書店が必ずと言っていいほどあった。
狐狸庵先生こと「遠藤周作」の小説ばかりを読んだ。
私の読書のパターンは、同じ作家とか、同じジャンルばかりを暫く読んでしまう。
「遠藤周作」に興味を持ったのも、宗教問題を扱った難しい小説ではなく、「狐狸庵」ジャンルからだった。
そのうち、「沈黙」とか「私が捨てた女」とかも読んだが、余り強い印象は持たなかった。
母親の介護で実家に戻り、40年ぶりに母親、弟との生活から気がついたことがある。
弟の病気は主治医から症状も聞いているし、その病気に関する書物からも知識を仕入れて対応したが、生身の私には理解できない状況が多過ぎるが、全て「病気」と思うしかない。
しかし、介護を要する状態になった母親は、89歳と言う高齢に係わらず、決してボケていないし、認知症とも無縁だ。
ただ、手足が麻痺しているから自力で動けないだけだ。
と、思っていたが…。
しかし、弟の話になると「ずいぶん良くなった」と言うし、「いちいち気にしてたら、やっていけない」と私に諭すように言う。
お袋がする昔話に、私には「おや?」と思うことがある。
長兄の嫁さん、次兄の嫁さんのことを、最悪の嫁さんだったと話す。
そのうち、親戚筋の人の話を始めるが、その人の嫁さんは東京の人だったそうだが、旦那が他界しても何の連絡も無いどころか、友人が訪ねて行っても線香も上げさせてもらえず仕舞いだったと言う話。
言いたいことは、「東京の女は血も涙も無い、冷たい人間だ」と。
「自分の知っている人は皆、そう言っている」とまで一般論化してしまう。
人生観が違うと言えばそれまでだが、何かが違いすぎる。
その母親も「仏様にチャンと御飯を上げたか?」と聞く。
お寺から檀家料の案内が来ると、「直ぐに送金しろ」と催促する。
結構、宗教的なことにはこだわっている。
しかし、既に他界した親兄弟、親戚の話になると母親の口から出てくるのは「悪口」だけだ。
歳を重ねた功罪だろうか?
そんなことを思いながら、ふと思い出したのが「遠藤周作」の小説。
「沈黙」
読み返したくなった。
近所のブック・オフに行ってみたが、残念ながら無かった。
「遠藤周作」の「眠れぬ夜に読む本」を買った。