明るい「最期」 | 『昭和23年に生まれて』のブログ

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堺屋太一の名づけた『団塊の世代』のど真ん中、昭和23年生まれ。
自分の人生を振り返りながら、気の向くままの思い出話。

NHKのラジオ番組に「深夜便」というのがある。

寝つきが悪い時や、朝早く目が覚めた時に聞くことがある。

医者で作家の久坂部洋氏が「明日へのことば」で、医者でもあった父親の最期を語っていた。

タイトルは「医者の父が目指した”明るい最期”」。

話のイントロで父親の幼少時代に触れていた。


「一人っ子」だった。

自分の家に競争相手がいないので、「競争」に弱かった。

兄弟の多い従兄弟の家に遊びに行くが、そこでの「競走」には勝てない。

負けて悔しい思いをするのだが、訓練をしていないから勝つことはない。

そこで彼が考えたのが、「勝ちを譲る=負け」と言うことだった。

欲望・執着を抑えると、負けても悔しくないと言う事を悟ったとか。


この「欲望・執着」がキーワードに聞こえた。

医者だった父親は、自分の病気のことを解っていたらしい。

ヘビースモーカー、甘いものが大好きだったらしく、晩年は重度の糖尿病をわずらたそうだ。


人間はこの地球に棲む生き物である以上、「死」をいつかは迎える。

病院で何か治療をすれば、何らかの苦しみも増す。

面白いことに、人間は死を受け入れると死なないと。


「死」に対する無欲と言うことが肝要みたいだ。


末期は認知症を発病し、妄想が出ていた。

家族としては、「明るい妄想の環境」つくりをされたそうだ。

妄想の出た人を責めるようなことを言うと、「自分は認められていない」「嫌われている」と本人に不信感を植えつけてしまう。

「妄想」を否定すると険悪になる悪循環を作らない。



親孝行とは何か?

「親が望むことをやってやること。

 子供が考えた「親に良いこと」ことをやることではない」のだそうだ。


「有難う、幸せな人生を」

これが最期の言葉なら、きっと素晴らしい人生と話を締め括った。


私の父親も既に他界している。

肝臓癌だった。

モルヒネで痛みを散らすしか無い状態になり、家族にできることは痩せて細くなった手を摩ること。

肺に転移しており話ができない。

筆談用のホワイト・ボードを取ってくれと合図をする。

取ってやると何かを書いた。

「死にたくない」

だった。

私の父親は、生きると言うことの欲望・執着が抑えきれていなかったのだろうか…。


フト思った。


15年ほど前の思い出である。