空母エンタープライズとカービン銃 | 『昭和23年に生まれて』のブログ

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堺屋太一の名づけた『団塊の世代』のど真ん中、昭和23年生まれ。
自分の人生を振り返りながら、気の向くままの思い出話。

小学校の同窓会での会話。
所謂、「団塊の世代」だし、全共闘世代でもある。

高校時代の時は、ベトナム戦争に反対する「べ平連」の活動も活発だった。

高校2年の1学期まで佐世保にいたので、エンタープライズの寄港に反対するデモ隊と警察の衝突は必ず起っていた。

今から見ると、必ず衝突しないといけないような社会設定だったのかもしれない。

エンタープライズが入港するとなると、必ず全校集会が開かれ、学校からデモ隊の集会コースとなる市の中心部、つまり繁華街に近づかないようにと話があった。

私は市内でも郊外の方だから本屋に行く以外に繁華街に行くことはないが、市内中心部にすむ友人の話では、デモ隊と警察の衝突に巻き込まれることもあるが、それより上陸してきたエンタープライズの船員が息抜きをする界隈が高校生には「毒」と言うことらしかった。

そういう世界も想像はつく。

学校から通学の駅に行く途中で米軍の家族が住む住宅地を通り抜ける必要があった。

あるときそこを歩いていたら、米軍の家から子供が石を投げてきた。

「何すんだ!」と投げ返そうと石を手にしたら、MPからカービン銃を向けられたことがある。

当然、手にした石はそのまま足元に落としたが。

翌日、高校の先生にこのことを話したら、「日米安保の地位協定を実地に学んだね」と言われた。

これが最初のMPのカービン銃との出会いだった。