サッカー交流試合 | 『昭和23年に生まれて』のブログ

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堺屋太一の名づけた『団塊の世代』のど真ん中、昭和23年生まれ。
自分の人生を振り返りながら、気の向くままの思い出話。

子供2人はペナンの日本人学校に通った。

ペナンには、欧米人の師弟が通う所謂インターナショナル(日本人学校もこの範疇?)、マレーの学校、中国人の華人学校があった。

日本人学校は現地の学校との交流を大切にしていた。

多分に、「国際性」ということにも教育の重点があったのだろう。

文化交流とか色々と工夫を凝らして父兄の参加も要請していた。

一度だけ、土曜日の朝にマレー人現地学校とサッカーの試合をやるというので、応援方々見に行った。

マレー人学校の生徒は、ユニホームなど着ていない、当然、サッカーシューズなどはいていない。

皆裸足だ。

日本人学校の子供たちは、おそろいのユニフォーム、当然、完全にサッカー選手の格好。

それでもなかなか点が入らない。

こどものサッカーだから、ボールを追っかけまわすことが多いから当然だが。

20分ハーフの前半は両チームとも無得点。

ハーフタイムに引率の先生も、子供たちに水を飲むように言っている。

だんだん日差しがきつくなってきた。

後半のキックオフ。

やはり、両チームとも動きが悪くなってきた。

暑いからだ。

日本学校ちーむがゴール!

ところが20分過ぎても、審判は試合終了の笛を吹く気配が無い。

審判は、マレー学校の先生が務めている。

日本人学校の先生が、しきりに手を上げて腕時計を示す。

それでもなかなか気が付かない。

5分くらい経過して、やっと終了の笛がなった。

子供たちも「後半は長かった~」。

後で分かったのだが、審判をやっていたマレー学校の先生は、時間のことは十分に承知していたらしい。

では、何故、笛を吹かなかったか?

理由は、同点引き分けにしたかったからだそうだ。

これも教育か、それとも完全装備の恵まれた子供達には負けるわけにはいかないという反骨魂か。