今は昔「王府井」の思い出 | 『昭和23年に生まれて』のブログ

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堺屋太一の名づけた『団塊の世代』のど真ん中、昭和23年生まれ。
自分の人生を振り返りながら、気の向くままの思い出話。

1985~6年北京に出張した。

合弁会社を作るためのネゴだが、相手の企業は一応「国益企業」とはいえ、全く社会主義国の組織だった。

現地営業から、至急打ち合わせをやりたい申し入れがあったと言うことで、急遽出張しても、何と日程が確定しない。

背景を聞くと、上層部からの了解待ちだという。

何の了解待ちなのか良くわからないが、仕方が無い。

突然、日程が決まるので、帰国する訳にもいかず、無駄な時間が過ぎていく。

そんな時に、誰かが「北京の銀座、『王府井』に行こう」と言い出した。

営業さんの話では、北京で一番にぎやかな場所で、「銀座と言えば銀座」だそうだ。

昼食も兼ねて出かけた。

何か買いたいねということで、御茶を売っている店に入ったが、「人民元」でないと売ってくれない。

当時の中国は、外国人には「兌換券」、中国人民には「人民元」の2つの通貨を使っていた。

こういう2制度というのが彼らの十八番なのかもしれないが。

しかたなく、食事を取ることにした。

地下街のレストランへ行く。

「兌換券」で食事ができないと最悪となるが、ここのレストラン街は「兌換券」が使えるらしい。

一安心。

メニューを持ってきてもらう。

こういう時は、漢字文化だと実に好都合で、料理の内容が何となく理解できる。

「これ」と料理を注文すると、ウエイトレス「没有」(ありません)。

「あっ、そう、だったらこれ」、再び「没有」、結局、用意できる食事は限られていた。

水餃子みたいなもので昼食が終了。

営業事務所に戻って、「王府井」の出来事を話す。

「銀座と言ってもね、でも、地下街のレストランはさすが首都だね」

営業さん、曰く。

「あれは核シェルターの跡ですよ」


2002年、べトナムの客さんの接待で北京に行った。

ガイドの案内で久しぶりに「王府井」へ。

様変わりした「王府井」にびっくり。

各自自由行動となり、ぶらぶら歩いていると、見目麗しい中国美人に声を掛けられた。

英語だ。呑みに行きましょうと誘ってきたが、丁重にお断りした。

ホテルに戻り皆にこの話をしたら、皆さんも同じ様に声を掛けられたと。

なあ~んだ、お上りさんがばればれだっただけだ。

しかし、光陰矢のごとしと言うが、中国の矢の速さは恐ろしく早そうだ。