修理したら2個になった(バンコク) | 『昭和23年に生まれて』のブログ

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堺屋太一の名づけた『団塊の世代』のど真ん中、昭和23年生まれ。
自分の人生を振り返りながら、気の向くままの思い出話。

4年弱の勤務を終え、マレイシアから帰国することになった。

社内規定で、途中帰国休暇を取得も可能だった。

家族と1週間ほど休暇を取りタイ、香港と経由した。

タイには、新しい工場が既に操業しており、同僚や同期が出向していた関係で寄ることにした。

昼間は、家族と別行動で新しい工場を訪問させてもらうことになったが、家族は市内観光に行かせた。

ホテルの観光案内に頼んだ。

旅行者を対象にした一日観光ツアーを選んだ。

夕食後、子供達に観光ツアーの話を聞いたが、お寺が主であまり楽しくなかった様だ。

当然ながら、コースにお土産屋、宝石工場などが組み込まれていたそうで、家内は指輪を買っていた。

「結構、お得な買い物だった」と買った指輪を見せてくれたが。

「なんでも一番新しいデザインらしい」と解説をはじめた。

3個ほどの宝石が並んでいる先端に何か抜け落ちた様な後がある。

それを指摘すると、「宝石が1個なくなっている」と。

翌日は、香港へ移動するから、この宝石工場へは行けない。

少しばかり気落ちしている風なので、「そのうち仕事でタイにくることもあるから、その時工場で直してもらうよ」とその場限りの慰めを言っておいた。

翌朝、空港に行き、搭乗手続きを終え、イミグレを通過して、待合ゲートへ。

免税店を覗いたりして時間をつぶしていた。

「あれ、母さんはどこ?」


無料の公衆電話で宝石工場へ電話をしていた。

「こんどタイに出張したときに、この指輪を持っていけば直してくれるとお店が言ってた」

と念押しされた。


翌月、幸運にもタイへ出張となった。

当然、「指輪」が納まったスーツケースで。

時間を作って、宝石工場へ行き、指輪の直しをお願いした。

宝石工場の売り場の人は、家内と子供のことをよく覚えていた。

「奥さんは、この宝石も気に入ってましたが、予算が無いので次回ねと仰ってましたよ」

と、手直しの待ち時間に別の指輪を見せられた。

結局、帰りのスーツケースには指輪が2個になった。