昭和天皇がお隠れになった時 | 『昭和23年に生まれて』のブログ

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堺屋太一の名づけた『団塊の世代』のど真ん中、昭和23年生まれ。
自分の人生を振り返りながら、気の向くままの思い出話。

23年も前になるんだね。


昭和天皇の崩御。


当時、私はマレイシアの合弁会社に勤務していた。


住んでいたペナンには領事館がある。


昭和天皇の具合が良くないことは報道されていたが、領事館で天皇陛下の写真が用意されていると言う話が漏れ伝わってきた。


「崩御」


領事館で記帳の受付が開始した。


そこで、電話で問い合わせした。


窓口の方の話では、「強制ではない。また、遠距離の方や、合弁会社の方は仕事との都合もあるだろうから...」という話だった。


夜に日本人学校に通っている子供たちから、今日領事館に行って記帳したという話を聞いた。


家内も近所の奥さん方と記帳に行って来たと。


領事館勤めの方の奥さんの話しとして、「領事館ではどこそこの会社は記帳に来た/こないを記録している」と。


翌日、出社前に領事館に記帳に行った。


本社があるKLの同僚にこの話をした。


KLは日本人出向者だけでなく、合弁会社のマレイシア側の会長、社長も一緒に日本大使館に記帳に行ったそうだ。


会長、社長、人事部長と日本人の副社長の4名の会社幹部も、行くことにしたらしい。


1台の車で行くので、運転手は人事部長。


大使館に到着し、駐車場から記帳に行こうとした人事部長は、日本人の職員から呼び止めたれた。


「運転手さんは、こちらで待っててください」


帰社後に憤慨していたそうだ。


確かに、人事部長と言えども風袋はどう見ても「運転手」。


彼が憤慨したのは、運転手に間違われただけではなく、一族郎党が日本贔屓で、個人的にも記帳に行くつもりだったのもその理由のようだ。


外見で判断していけないというが、外見でしか判断できない場合もある。