さぁ!名古屋鉄道と車両と言えばこの車両だけは絶対に外せないですよね!
そうです!あの有名な「パノラマカー」7000系をようやく入手することが出来ました。
今回、入手したのは1次車と7次車の未組立品です。
(同じ箱じゃちょっと・・w、そうそう他に3次車~6次車も販売されていたようなので機会があればねw)
なにしろ第5回ブルーリボン賞を受賞!言わずと知れた日本の名車である名鉄パノラマカーの7000系。
鉄道ファンからは「名鉄不朽の名車」「永遠の名車」と絶賛されています。
しかしこの車両が誕生するまでを紐解いて行くとそれは大変な困難の歴史があったんですね。
今回はそのあたりに想いを寄せながら製作してみる事にしました。
=当時の背景=
はじめに当時の名古屋鉄道の社風からご紹介しましましょう。
この名車の誕生にはとても先進的な車両の考え方を持った二人の登場人物を語らないわけにはまいりません。
ひとりは1955年(昭和30年)当時の名古屋鉄道の副社長に就任した土川元夫氏です。
日本はもとより国外の交通調査資料などに非常に熱心な方でいずれアメリカのように「鉄道は凋落し、自動車の時代になる」
と予測していました。
そもそも「交通機関には寿命がある」という持論をもっていて「鉄道としての魅力を失わない施策」「営業エリアの拡大につながる新しい乗り物」を日頃から社員に考えさせています。
さて、ここでもうひとりの人物をご紹介します。
それは1948年(昭和23年)に入社した白井昭氏で1952年(昭和27年)から乗務員や検修担当者の教育を行う名古屋鉄道教習所
の教官として着任していました。
この頃、社内で盛んに行われていた「合理化委員会」の会議に積極的に出席し、その積極的な姿勢から土川氏からも頻繁に声をかけられており、白井氏も本来の業務とは異なる「ダイヤ改正」についてまで考えをまとめて提案しています。
また白井氏はアメリカの鉄道車両や航空機・自動車で興味深いものをノートに記録しデザインの研究にも熱心な方でした。
それまでの鉄道車両の展望車についてはうしろの景色しか見えない事から「人間の本質として過去よりも未来が見たいはず、これから作る展望車は”未来”が見えるものでなければならない、子供にそれを見せたい」という強いコンセプトがありました。
初の冷房装置を搭載して世間の脚光を浴びた5500系の登場についても白井氏は「独創的なところが何もなく夢も希望もない」と土川氏に本来あるべき車両について長い手紙を書き届けています。
すると土川氏から「今までにない展望車の計画の創造に全面的に努力せよ」と特命が下ることになります。
その後、土川氏は常にライバル視していた近鉄日本鉄道が10100系ビスタカーでブルーリボン賞を受賞したことに奮起することとなります。「名鉄もブルーリボン賞を取れる車両を」と展望車の実現を強く望んでいました。
1960年(昭和35年)役員会で展望車の企画がとおり具体化へ大きく動き出す事になり2人は共に大変喜んだそうです。
=安全・安心な電車=
ところが、当時の名古屋鉄道には大変な問題が発生していました。
それはモータリゼーションの普及で交通量増加に伴う踏切事故の激増です。
1958年(昭和33年)踏切で衝突したトラック積荷の可燃物(シンナー)から引火して炎上、乗務員・乗客に死傷者まで発生しました。
さらに翌1959年(昭和34年)には10月1日・9日、11月20日・29日、12月8日と連続して踏切事故が発生します。
乗務員の殉職まで発生する事態となり、列車の運転を統括する運転部から車両部に対して強く抗議の申し入れが行われる事態にまで発展してしまいました。
しかし土川氏は抗議を受けても展望車の開発を中止しようとはせず、車両部は「衝突しても安全な電車」と「展望車」という両方の大きな課題を背負わされることになりました。
数々の検討が重ねられ、安全性の確保を検討するうちに沿線企業である萱場工業からダンパーの装着を提案されます。
綿密なシュミレーションが行われその結果、先頭部にオイルダンパー2本を装着するパノラマカーが開発されることとなりました。
ところがこの日本初となる車両構造のパノラマカーは過去に前例がなく、許認可が必要な監督官庁との調整等でかなり苦労することになりましたが、各々の難題をなんとかクリアーして具体化が進みます。
1960年(昭和35年)8月、役員会で新造計画が決定、白井氏は正式に車両部へ移動となり新型展望車の開発に専念することとなりました。
同時期にクレイモデルが3種類製作され、モックアップも製作されますが・・
モックアップはクレイモデルのいずれの形とも違っていました。
9月には車両のデザイン画も出来上がり新聞に掲載されましたが、こちらもモックアップとは違うものでした。
これらはいずれも衝撃吸収用ダンパーを覆うボンネットが突き出たスタイルで白井氏の気に入るものでは無く、土川氏にデザインのやり直しを強く提言しています。まさに車両のデザインが固まらなかったゆえの難産だったんですね。
すでにデザインを提案した日本車輛の担当者との間で軋轢が生じる事態になっていましたが、それでも土川氏が先頭部のデザインのやり直しを決定して再度、デザインの練り直しを行うことが決まりました。
このため、日本車輛は日本国有鉄道(国鉄)の臨時車両設計事務所を通じてインダストリアルデザイナーである萩原氏に車両のデザインを依頼することとなりますが、すでにプレス発表された後だったのでデザインの変更はとても異例のことでした。
萩原氏は小田急電鉄の3000形SE車の計画段階において展望車のデザイン相談を受けていたが実現はしていませんでした。
当時国鉄の車両設計ではデザイナーの名前が出ることがなくデザイナーの役割を世間に認識させることは出来なかったんですね。
デザイナーとしてのプライドを持っていた萩原氏は国鉄の仕事を辞めて名鉄の展望車の仕事を担当するようになります。
また車両の色については画家の杉本氏に依頼します。杉本氏は岸田氏門下の画家で名鉄百貨店開業時の包装紙や交通関係のデザインも手掛けている画家でしたので名鉄とは縁があったんですね。
その杉本氏は当初、濃い緑色を考えていましたが車両部担当者の提案を受け車体をスカーレット一色にすることにします。
のちに現在に至るまで名鉄電車の代名詞となったスカーレット一色にするという車体色が誕生しました。
白井氏は萩原氏と相談して、世間で親しみやすい愛称として7000系を「パノラマカー」と決定します。
マスコミもこれを大見出しで報道し、たちまち名鉄「パノラマカー」の名前が世間に広く知れ渡ることとなります。
ようやくここに来て関係者の苦労が実を結び1961年(昭和36年)に7000系パノラマカーが登場することになりました。
=さて、組立て開始=
さぁ!登場当時の背景を勉強したところで製作を開始しましょう!
*1次車組立て*
さて、ちょっとワクワクしながら1次車を組立てます。

そうそう!正面の「逆さ富士形」行き先表示板が付かないんですよ。
調べたらデビュー当時の1次車には装着が無くて運用が拡大された2次車から取付られたんですね。
どうやら2次車の増備で運用範囲が犬山線まで広がり、誤乗車防止からその後、全車に取付られたようです。

先頭車の組み付けは複雑な組み合わせなので微妙にバリ取りをして修正しました。
とりあえず1次車の2両が完成です。

*7次車*
こちらはほぼ最終形態になる7次車を組立てます。

正面のジャンパー栓がイカツイですね。
行先表示板も小型化されてしかも電動になりました。

こちらも先頭車先端部をヤスリながら少々修正しました。
7次車の2両も完成しました。

=名鉄7000系の車両について=
名鉄7000系パノラマ車の特徴である最前部パノラマ席のガラスは平面ガラスで構成されています。
これはまだ当時の日本の技術では曲面の複層ガラスの製造が出来なかったという事とコスト面からだったんですね。
さらに前部標識灯は光源そのものがサーチライトのように円錐を描いて回転する「旋回式前部標識灯」を採用しています。
前部標識灯が波打って動き、光が明減しているように見える機構でしかも赤いフィルターを使って後部標識灯と兼用の構造になっています。
そしてこの前部標識灯にオイルダンパーが一体となって一緒のケースに収まっているんですね。
(まさかあの部分にカヤバのオイルダンパーが内蔵されているとは全く知りませんでした!)
しかもこの装着したオイルダンパーは10tのダンプカーと80km/hで衝突しても大丈夫な設計なんです。
もちろん現実としてそのような大きな事故は避けたいところなのですが・・・
それでも残念ながら現実に事故が発生してしまいました。
1961年(昭和36年)11月に木曽川堤駅付近の踏切で特急新岐阜行きが85km/hで走行中に踏切警報を無視した大型ダンプカーが踏切に進入、運転士は直ちに非常ブレーキを作動しますが衝突してしまいます。
大型ダンプカーは40m引きずられ、パノラマカーは286m走行して木曽川橋梁の中心部付近で停止しました。
こんな大きな踏切事故にも関わらず負傷者は乗客8名の軽傷だけですみました。
しかもその軽傷者は大型ダンプカーが車体側面に接触した際に窓ガラスが割れ、その破片による裂傷だったんですね。
正面の展望席はガラスにひびが入った程度で運転士及び展望席に座っていた乗客は奇跡的にも全員が無傷でした。
その後の調査・分析で車体は完全に原形をとどめていて衝突事故の対策がすべて設計どおりに機能したことが明らかとなります。
この事故は当時のマスコミに大きく取り上げられパノラマカーは「ダンプキラー」として安全性を証明することとなりました。
なお、事故の当該車両であった7003編成の「モ7004」「モ7053」は代わりに5500系を連結して運用されています。
そしてこのあとも非常時には同性能である5500系を代用とする方策が採られるようになったようです。
また、この事故によりパノラマカーの安全性が立証された訳ですが、逆に名鉄社内では新たな懸念が発生します。
それは当時の名鉄には一部木造の半鋼製車や木造車体の車両も現役車両として運用されていたんですね。
そこでもし列車同士の衝突事故が発生して、しかも相手がパノラマカーだったらと大きな懸念が広がったんですね。
その後、名鉄線内に列車自動停止装置(ATS)が整備されるまでの間、幸いなことに列車同士の衝突・接触事故に7000系パノラマカーが絡まる事がなかったので関係者も安堵したそうです。
=車両装備と性能について=
車内の客室座席は転換クロスシートが採用され、戸袋窓部分のみロングシートになっています。
車両間の貫通路は1200mmの両開き扉を採用しています。
主要機器については5500系を基本とした中空軸平行カルダン駆動方式で主電動機は75kw直巻整流子電動機を採用。
制動装置は発電ブレーキ併用のHSC-D形電磁直通ブレーキを採用しています。
台車は住友金属工業製のペデスタル式空気ばね台車であるFS335形を採用し、乗り心地向上のためにゴムベローズの外側にコイルばねを巻いた「スミプレス形」と呼ばれるベローズ形空気ばねを装備して名鉄初の空気ばね台車の採用となりました。
乗務員室(運転室)は2階に上がった構造となり客室は車内前方の景観性を最も重視。
乗務員は車外のステップ利用して交代が行われ、夜間にはステップ昇降用に階段灯を内蔵しています。
この乗務員室は車両限界内に収める必要があり、当時発売された軽自動車のスバル360を参考に設計されました。
名鉄社内で2階部分に上がった運転席への疑問・質問に際してはこのスバル360のサイズで説明し納得してもらったそうです。
運転席と助手席の後ろには可搬式の折り畳み椅子を使用して2名が座れる程度の広さがあり詰めれば5名まで着席可能。
なお、非常時用には客室内への昇降口を設けており、折り畳み梯子を使用して車内へ降りられるようになっています。
また、余談ですが乗務員室が2階部分にあるので乗務員交代時にホーム上屋の角に頭部をぶつける恐れがありました。
そこで乗務員が交代する神宮前駅ではわざわざホーム上屋を二重構造として頭部がぶつからないように配慮されています。
=ミュージックホーン=
パノラマカーの特徴といえばやはり警笛ですよね。
この特徴ある警笛は通常の空気笛のほかに補助警報音として電子音楽を流すミュージックホーンを装備しています。
このミュージックホーンはトランジスタを用いた発振回路を使用して波形を生成し、増幅器を通してスピーカーから前方に音を発する仕組みで、すでに補助警報音を装備していた小田急SE車のテープ式と異なり、保守に手間を要さない点が特徴となっています。登場当初は300・450・600Hzの3音階を用いていましたが1963年頃から330・440・555Hzの3音階に変更されています。またビブラートのための変調周波数は6Hzと指定されています。
運転士の足元にある4つのペダルのうち左から2番目のペダルを踏むと鳴動開始、もう一度踏むと停止します。
またこのミュージックホーンの回路を利用した電気笛も装備。こちらは3音を和音として同時に鳴動させるもので
運転士の足元にある4つのペダルのうち右から2番目のペダルを踏むと鳴り続け、ペダルから足を離すと停止します。
運行開始に伴って、まず1961年(昭和36年)4月22日神宮前駅にて報道公開されました。
5月15日には関係者を招待して新名古屋~新岐阜間で試乗会を実施、関係者や沿線住民を招待して積極的に試乗会を開催。
それだけ大きな期待が寄せられていたんですね。しかしその結果、運用開始までに20,000kmも走行しています。
また、この時期に地元名古屋市の出版社である交友社から「鉄道ファン」が創刊されます。
初代編集長にはこの車両デザインを担当した萩原氏が就任します。
創刊号には廣田氏が撮影した7000系パノラマカーが表紙を飾っています。
こうして7000系パノラマカーは無事に1961年6月1日から「新岐阜~新名古屋~豊橋間」で運行が開始されました。
翌1962年(昭和37年)には鉄道友の会より「ブルーリボン賞」を受賞しています。
=高度成長時代の到来=
さて、時代は高度成長時代を迎えることになって沿線の人口も増加傾向して通勤・通学輸送が激しくなります
いかにクルマ社会の中京地区とは言えども沿線住民の増加に伴う朝夕の通勤・通学ラッシュは激しくなります。
すでに1967年(昭和42年)には犬山線でも8両編成の列車が走り始めていました。
当時、名鉄社内からも「通勤輸送にまとまった投資を行い、新型通勤電車の投入を」と意見が出ていました。
しかし当時会長職となっていた土川氏はパノラマカーを列車体系の中心として「クロスシートに座って通勤する」という理想像を変えようとはせず、財政的現状からも輸送力増強には旧型車両の鋼体化が最適であると考えていました。
そこで通勤輸送に対応するべく1973年(昭和48年)から7000系の4両編成7本については連結化改造工事がおこなわれます。
ラッシュ時には4両編成を2本連結して8両編成を組成して運用に充てました。
これにより4両編成のうち6本が6両編成に組成変更され、これが7000系最後の増備となりました。
また、当時の7500系は8両編成で本線の特急運用に就いていました。
この時点で7000系のクロスシート車両は合計116両となり名鉄の車両では最多両数の形式になっています。
=オイルショックの影響=
しかしこの時期に日本を襲ったオイルショックでガソリンが高騰し、鉄道による通勤需要がさらに激増する事となります。
いよいよラッシュ時には社員総出で対応しますが、朝・夕ラッシュ時の列車の遅延が常態化してしまいます。
津島線でもラッシュ時のさらに混雑が激しくなり積み残しが発生、乗客からの苦情も寄せられる状態となりました。
それでも2扉クロスシートの車両増備を進めましたが、それ以上に通勤・通学の需要が増加していきました。
7000系パノラマカーを4+4の8両編成運用に充て、7500系を全編成6両化して普通列車や支線などの運用に充てましたが・・
効果は限定的なうえ、8両編成は名古屋本線以外の特急運用に使用出来ず大きな足かせとなってしまいました。
もはや「クロスシートで座って通勤する」という理想像も限界を迎えて抜本的な見直しに迫られる事となります。
=禁断の譲渡車両を入手=
もはや待ったなしの緊急対策が望まれる中、名鉄に朗報が届きます。
それは東京急行電鉄(東急)が3700系電車(全21両)の譲渡先を探しているとの事でした。
そこで名鉄では1975年(昭和50年)に急遽、3扉ロングシートの3700系電車(全21両)を購入。
3880系として3両編成7本を運用を充当することになりました。
さらに翌1976年(昭和51年)には3扉通勤車である6000系を登場させてラッシュ対策が大きく進むことになります。
運用開始後は列車の遅延が大幅に改善され、これまで消極的だった名鉄の方針が大きく変わることになります。
ロングシート3両編成はクロスシート4両編成よりも乗降時間が掛からず、定時運行の確保に大きく貢献することになります。
まぁ、この譲渡にはいろいろな話があったようで大手私鉄同志での譲渡だったので当時はかなり話題になったそうです。
面白いのは東急は5000系の譲渡を薦めたようですが、名鉄は保守管理等も含めて3700系に固辞したようなんです。
是非、興味がある方は調べてみて下さい。とてもおもしろいですよw
さて7000系運用での増解結を容易に行うために1977年(昭和52年)から7000系全編成に「名鉄式自動解結装置」(M式自動解結装置)が設置されています。
1977年(昭和52年)ダイヤ改正で特急はすべて座席指定車両となり座席指定車両のない特急は「高速」という新種別に変更されました。
この特急施策の変更に伴って特急は変則として7000系・7500系・7700系で運用されることになりました。
座席のモケットは赤色に、頭あてカバーは白色に、カーテンは緑色地のものへと変更されています。
=奇跡の脱線?=
全くの余談になりますが、1980年(昭和55年)7月21日河和線を走行中の特急新鵜沼行き(7000系6両編成)が南成岩駅(当時)から成岩駅の間を走行中、折からの猛暑でレールが膨張し後部車両2両が脱線しました。
ところがなんと!300mほど進んだところで踏切の護輪軌条によって線路上に無事復帰するという「珍」事故が発生しています。
=国鉄「東海ライナー」登場に対抗=
1982年(昭和57年)3月、国鉄が東海道本線に117系「東海ライナー」として快速列車の導入を決定。
名鉄では直ちに7000系4両編成のうち5本を特急専用車両に改装しました。
・座席モケットをオレンジとブラウンのツートンカラーに変更。座席の枕カバーを1人分ずつ個別に変更。
・通路にカーペットを設置
・各座席にくず物入を設置
・妻面の戸袋窓を閉鎖して埋め込み
・車体に200mm幅の白帯を配して識別を向上
・前面方向板のデザイン変更
改装された車両は「白帯車」と通称されました。
翌1983年(昭和58年)さらに7000系4両編成4本と7700系2両編成4本を「白帯車」に改装しています。
さらに同年4月からすでに登場後20年を経過した7000系に特別整備が開始されます。
主な改造内容は下記のとおりです。
・正面行先板の電動幕への改造
・妻面の戸袋窓廃止
1984年(昭和59年)には6両編成のうち4本が4両編成へ減車。捻出された8両のうち「モ7062・7064・7161・7163」の4両は8800系「パノラマDX」に機器を流用、台車(FS335形)は製造年式の新しい7000系・7700系に流用して捻出されたS形ミンデンのFS384形台車を8800系に流用しています。
冷房装置は瀬戸線6600系の冷房化改造に使用されています。
残る4両のうち「モ7101・7104」は日本車輛に入場して6000系と同一仕様の運転台が設置して先頭車化。7100系「モ7100形」に形式変更されました。
7100系は中間に「モ7102・7103」を組込んだ4両編成で他のSR車4両編成と共通運用されました。
=国鉄普通列車増発に対抗=
1986年(昭和61年)国鉄が東海道本線の普通列車を増発。
名鉄では特急車両のグレードアップが行われます。
・座席背もたれを独立したヘッドレストに変更
・室内化粧板をクリーム色の模様入りに変更
・車両間の貫通扉を山吹色に変更
・蛍光灯カバーを和紙模様のものに変更
・各座席のくず物入を埋め込み式に変更
・展望室にデジタル式の速度計を新設
・車掌台に仕切りを新設
・豊橋方先頭車に座席1脚を撤去して公衆電話を設置
7000系4両編成のうち11編成「白帯車」として整備されています。
(前回改装された車両6本も含まれています)
同時に7100系の中間に組み込まれていたモ7050形は7000系に組み込まれ、以降7100系は2両編成で他のSR車2両編成と共通運用させることになりました。
1987年(昭和62年)には8800系「パノラマDX」増備車に機器を流用するため「モ7052・7054・7151・7153」の4両が廃車されています。
前回と同様に台車(FS335形)は製造年式の新しい7000系に流用して捻出されたS形ミンデンのFS384形台車を8800系に流用しています。
=7000系の終焉=
1988年(昭和63年)からは新型特急車両として1000系「パノラマSuper」の登場に伴い一般車へ格下げとなります。
ところが1990年(平成2年)に特急施策の変更が行われ名古屋本線の特急については「指定席車両」と「一般席車両(自由席」を
連結することになり指定席車両が不足する事態が発生します。
そのため7700系4両編成の中間車2両を抜いて「白帯車」に改装して7000系4両編成に組み込んで6両編成化。
1000系「パノラマSuper」・7700系「白帯車」に一般席車両として7000系を連結して特急運用に充てました。
ところがこの編成では一般席車両から指定席車両への通り抜けが出来ず誤乗する問題が発生してしまいました。
中部運輸局からの指導もあり、1000系「パノラマSuper」では指定席車両と一般席車両の通り抜ける貫通編成を組成して対応。
1990年(平成2年)以降、指定席車両には1000系・7000系・7700系「白帯車」が限定運用されることになりました。
1991年(平成3年)ダイヤ改正で名古屋本線の特急から一般席車両として7000系を連結した運用は解消されました。
その後、「白帯車」は支線直通の特急に使用されていましたが1999年(平成11年)に1600系「パノラマSuper」が登場して
これに置換えられるかたちで「白帯車」は特急運用から離脱しました。
なお離脱した「白帯車」は白帯だけを撤去した車両とそのまま廃車になった車両があります。
2001年(平成13年)三河線「知立~猿投間」でワンマン運転が実施。7700系と7100系のワンマン化改造が実施されました。
改造内容は自動放送装置設置・足踏み式デッドマン装置設置・対話式非常通報装置の設置です。
この区間では運賃収受は行わないので運賃箱は設置されていません。
7000系は1998年(平成10年)から廃車がはじまり特別整備を施工していない車両を対象に検査期限切れとなった車両から順次廃車されました。
2003年(平成15年)7000系6両編成のうちの2編成について先頭車(展望室側を除いた扉脇)のクロスシートを撤去しています。
2005年(平成17年)空港線開業に合わせて7000系6両編成の前面にある行先板はすべて電動式方向幕に統一するための組成変更が行われました。
2006年(平成18年)名鉄は特急施策の見直しで7000系パノラマカーは2009年度内に全廃することが発表されました。
2008年(平成20年)一般車に格下げされていましたが内装が特急仕様車のままだった7011編成を「白帯車」として再整備します。
そして最後まで残っていた7000系4両編成3本は2008年12月26日をもって定期運用を終了しました。
その後、イベント用として再整備されていた7011編成「白帯車」も2009年8月30日の団体専用列車「ありがとうパノラマカー」の運転をもって運用から離脱。これで7000系の営業運転は終了しました。
同様に7100系は2009年11月29日の「さよなら運転」を最後に運用から離脱し廃車。
7700系も2010年3月21日に「さよなら運転」を最後に運用から離脱し廃車されました。
これで名鉄において7000番台の型式を有する車両は完全な全廃となりました。
=7000系の製造時期と変革=
資料は製造メーカーであるこちらを参照しました:日本車両:名鉄7000系パノラマカー
・1961年(昭和36年)7000系(1次車):6両編成 3本(本線特急用)
7001+7152+7151+7052+7052+7002
7003+7154+7153+7054+7053+7004
7005+7156+7155+7056+7055+7006
・1962年(昭和37年)7000系(2次車):6両編成 4本(支線特急・急行用)
7007+7158+7157+7058+7057+7008
7009+7160+7159+7060+7059+7010
7011+7162+7161+7062+7061+7012
7013+7164+7163+7064+7063+7014
※7011Fは1986年(昭和61年)に白帯車に改装しその後、撤去
しかし2008年(平成20年)7000系引退記念イベントで白帯が復活しています。
・1967年(昭和42年)7000系(3次車):4両編成 5本(支線特急用)
7015+7066+7065+7016
7017+7068+7067+7018
7019+7070+7069+7020
7021+7072+7071+7022
7023+7074+7073+7024
※車両直前の安全確認を向上させるために広角レンズ「フロントアイ」を前面に装備。
7017Fは白帯車でしたがその後、撤去。しかし方向板は特急仕様の小型のままでした。
・1968年(昭和43年)7000系(4次車):4両編成 2本(支線特急用)
7025+7052+7151+7026
7027+7054+7153+7028
※先頭車のみ4両を新造、中間ユニットは1次車から組込み
7025Fは1次車の7052+7151中間ユニットを組込みましたがのちに8800系に機器を供出。
その後、8次車の中間ユニットを組込みました。
一時は7700系中間ユニットを組込み6両編成化しましたが4両編成に戻されました。
・1969年(昭和44年)7000系(5次車):4両編成 2本(支線特急用)
7029+7076+7075+7030
7031+7078+7077+7032
※座席指定特急の増強用として製造。側窓上部に座席指定表示器が新設されました。
前面ワイパーが2連式に変更されたがその後、電動式1本式に改造されています。
・1970年(昭和45年)7000系(6次車):4両編成 3本(支線特急用)
7033+7060+7159+7034
7035+7056+7155+7036
7037+7058+7157+7038
※支線特急増強用として先頭車のみ6両を新造。
中間ユニットは1次車・2次車から組込み
・1971年(昭和46年)7000系(7次車):4両編成 3本(支線特急用)
7039+7080+7079+7040
7041+7082+7081+7042
7043+7084+7083+7044
※屋上冷房装置を集約分散型に変更。側窓はHゴム支持の合わせガラスに変更。
7043Fは6両・4両編成を繰り返し、最後は7700系中間車モ7750形を組込んだ4両編成に。
7041Fも6両・4両編成を繰り返し、最後は新造時の組成に戻りました。
・1974年(昭和49年)7000系(8次車):6両編成 2本(知多新線開業用)
7045+7086+7085+7088+7087+7046
7047+7090+7089+7092+7091+7048
※7045Fは中間ユニット2両を7025Fに譲り、7101Fから7102+7103を組込み6両編成化。
・1975年(昭和50年)7000系(9次車):6両編成 6本(ラッシュ対策用)
7033+7060+7101+7102+7159+7034
7035+7056+7103+7104+7155+7036
7037+7058+7105+7106+7157+7038
7039+7080+7107+7108+7079+7040
7041+7082+7109+7110+7081+7042
7043+7084+7111+7112+7083+7044
※ラッシュ対策用に中間車のみ12両が製造されました。
側面扉が1,200mmの両開きドアに変更されています。
7101、7104は1984年(昭和59年)に運転台を取付した改造車です。
=異色だった7000系の7100系について=
7000系から運転台付(展望席の無い貫通形)に改造された車両です。
9次車で製造された12両のうち、7101・7104の2両だけ6000系と同一仕様の運転台を設置して先頭車化されました。
7102・7103と4両編成で他のSR車4両編成と共通運用されていました。
7101+7102+7103+7104
その後、中間車を抜き取って2両編成ワンマン化されています。
「クロスシートで座って通勤する」という理想像も、もはや限界となり抜本的な見直しに迫られる事となります。
=保存車輛=
・舞木検査場(静態保存):「モ7001+モ7002」
※通常非公開、イベント時のみ公開
・中京競馬場(静態保存):「モ7027+モ7092+モ7028」
※競馬開催日に公開
・名鉄資料館(運転台・座席のみ):「モ7019」
※開館日
=後記=
いやぁ~今回は実にいろいろと勉強になりました。
並べて比較したりしてさらに楽しめました。
上:1次車、下:7次車

せっかくなので7500系とも並べて表情の違いを鑑賞します。

さて、ここまで入線した名鉄の車両を並べました。

7500系・7700系に続いて7000系も作る機会を得て、いままでとても縁遠かった名古屋鉄道が身近な鉄道になりました。
社歴とかもより勉強すればまたさらに深く身近に知ることが出来るでしょうけど・・
知れば知るほど車両の改造や運用などでやはり「日本一カオス」な鉄道会社なんですよねw
まぁ~これ以上は勘弁して頂くことにしましょうw
あっ!そうだ!忘れていた6500系も手元に揃ったので・・また「迷鉄沼」にハマりま~すwww