最近興味がそそられる関西方面の私鉄をYoutubeで見ながら勉強していたら・・・画面にチラッと登場したのが山陽電車でした。
そういえば真空装置会社の試験調整をしていた頃に、担当する装置の現地立ち上げで姫路へ出張したことを思い出しました。
山陽新幹線の姫路駅から乗り換えて、飾磨にある製鉄会社に装置を納品した時に乗った電車が山陽電車だったんですよね。
まぁ、いつも出張は1~2週間くらいで、納品した機械の装置仕様をクリアーさせたら終わりになるパターンでした。
たまに出張が長引いて費用が足りなくなると、宿泊しているホテルに現金化書留が届くというとても親切な会社でしたねw
そりゃぁ~辛かった思い出もありますけど、そこはいつも単身の出張なので馴れればマイペ-スで仕事を仕切ってました。
そんな思い出のある山陽電車を検索したら、運よく駿〇屋さんで3000系の旧塗装車と新塗装車を見つけてしまいました。
さっそく、ポチってのんびりと商品の到着を待つことにしましょう。
そしていつものように山陽電車の3000系の勉強をしようと思ったんですが・・・
なにしろ乗った区間が山陽姫路駅と飾磨駅の間だけだったので山陽電気鉄道の車両はおろか会社の事もまったく知りません。
そこで、まず山陽電気鉄道について調べて勉強してみる事にしました。
=山陽電気鉄道について=
山陽電鉄グループは兵庫県神戸市長田区に本社を置いて、兵庫県南部の播磨地域で鉄道、索道、不動産事業を経営しています。
通称は「山陽電鉄」で東京証券取引所のプライム市場に上場しているんですが、地元での通称は「山陽電車」なんですね。
鉄道事業は準大手私鉄に分類されています。準大手私鉄では唯一、大手私鉄グループに属さない独立系の鉄道会社なんですね。
=山陽電気鉄道の鉄道事業=
鉄道事業の沿線はJR神戸線(山陽本線)と並走、舞子公園駅から山陽明石駅間ではJR神戸線の線路と完全に並走しています。
本線の山陽姫路駅はJR姫路駅に隣接していて、準大手私鉄では唯一の新幹線接続駅になっているんですね。
営業キロは全線合計で63.2km。本線(西代~山陽姫路間)が54.7km、網干線(飾磨~山陽網干間)が8.5kmです。
=山陽電気鉄道グループ会社=
姫路駅前の山陽百貨店から須磨浦山上公園、山陽そばも経営しているんですね。
バス・タクシー:山陽バス、大阪山陽タクシー、山陽タクシー
流通部門 :山陽百貨店、山陽フレンズ
不動産部門 :山電不動産
レジャー・サービス部門:山陽レジャーサービス
その他 :須磨浦遊園
=山陽電気鉄道の沿革=
山陽電気鉄道は旧:兵庫電気軌道(兵庫~明石間)の軌道路線と、旧:神戸姫路電気鉄道(明石駅前「現:山陽明石」~姫路駅間)の2つの鉄道会社だった鉄道路線が母体になっています。
1907年(明治40年)旧:兵庫電気軌道が設立。
1910年(明治43年)兵庫~須磨間が開業。
1917年(大正6年)須磨~明石間が開業して、兵庫~明石間が全線開業。
ところが開業以来経営が不安定な面があり、明石以西への延長は別会社の神戸姫路電気鉄道を設立。
1919年(大正8年)明姫電気鉄道を設立。
1921年(大正10年)明姫電気鉄道を神戸姫路電気鉄道に改称。
1923年(大正12年)明石~姫路間が全線開業。
しかし、ここで播州鉄道(現:JR加古川線)の敵対的買収により兵庫電気軌道が傘下になってしまいました。
また、同年に播州鉄道も播丹鉄道に譲渡されています。
1927年(昭和2年)ところが自社の売電先確保を狙っていた宇治川電気(現:関西電力の一部)が両社を併合。
1928年(昭和3年)両社の路線規格を統合して、兵庫~姫路間の直通運転を開始。
1933年(昭和8年)宇治川電気(現:関西電力の一部)から分離・独立して山陽電気鉄道が設立。
1940年(昭和15年)沿線の軍需輸送を目的に支線となる網干線を開通。
その後、戦後まもなく網干線を岡山まで延長する計画があり、とりあえず赤穂町までの延伸計画を発表。
ところが当時は国鉄赤穂線の計画が進んでいたことから赤穂町議会が反対運動を展開します。
これは国鉄の山陽本線から離れていた赤穂町が、町の発展が遅れた苦い経験に基づいたもので官民一体となって反対を表明。
また、山陽電鉄側も無理に敷設しても乗降客の増加が期待できないことから、計画を断念しました。
戦時中は戦災により保有車両88両のうち34両が被災してしまうという多大な損害を受けてしまいます。
さらに終戦直後にやってきた大型台風の上陸で設備も多大な被害を受け、運転再開まで4ケ月という甚大な被害でした。
戦災復興に際しては、運輸省から63形電車を20両の割り当て受けて路線設備も含めて復旧を図ることとなりましたが、当時の山陽電鉄は小型車が主体の設備だったので、従来の路線設備を一気に更新して対応、高速鉄道への脱皮を図ることとなりました。
その後は近隣にある川崎車輛(旧:川崎重工業→現:川崎車両)が協力して、先進的な設計の車両を積極的に導入。
1962年(昭和37年)には高速電車として日本初となるオールアルミニウム車を導入しています。
また、戦後も長年にわたって神戸市内における併用軌道区間(路面走行区間)が残存していて、運行のネックになっていましたが、1968年(昭和43年)地下線となる神戸高速鉄道の東西線へ直通運転を開始して路線を切換えて、併用軌道区間を全廃します。
また、同時に京阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)および阪神電気鉄道との直通運転も開始します。
ところが1970年代に入ると沿線にある播磨臨海工業地帯にある製鉄業の低迷傾向が顕在化して利用客が減少、さらに沿線は郊外地域が多かったのでモータリゼーションの影響も大きく受けてしまいます。
そこで全駅の自動改札化と無人化、網干線のワンマン運転化など徹底的な合理化を実施してなんとか乗り切ります。
そんな中、1995年(平成7年)阪神・淡路大震災が発生。明石以東の全線で甚大な被害が発生。
全社を挙げて復旧作業に従事、6月には全線復旧、8月には神戸高速鉄道が復旧、阪急・阪神との相互直通運転が再開しました。
また、相互直通する特急系統の車両には転換クロスシートの車両を投入して車内の居住性を向上します。
また神戸高速鉄道の開業以降、阪急と阪神がそれぞれ山陽電鉄の発行済み株式総数の5%を保有して関係を深めていました。
1998年(平成10年)阪急が山陽電鉄との乗り入れを休止。保有株式を阪神へ売却したため、阪神が筆頭株主となります。
2006年(平成18年)には阪神は阪急との経営統合により、阪急阪神ホールディングスの100%出資子会社となりましたが、山陽電鉄は現在でも阪急阪神ホールディングスグループには属していないんですね。
※ところで敵対的買収した「播州鉄道」は加古川水系の舟運の代替を目的に設立されたんですね。
しかし、設置した駅が街からは離れていて旅客需要は少なかったようですなんです。
その後は高砂線・三木線・北条線・鍛冶屋線を保有していた「播丹鉄道」に譲渡されてしまいました。
当時、「播丹鉄道」は高砂線を除いた各線でほぼ一体の運行形態を行っていたようです。
ところが、その「播丹鉄道」も戦時下になると、戦時買収で全線が国有化されてしまったんですね。
元々、「播州鉄道」だった路線は国鉄加古川線(現:JR加古川線)になって現在でも存続しています。
しかし、その他の路線は地方交通路線に指定され、高砂線(廃止)・三木線(第三セクター化)・北条線(第三セクター化)・
鍛冶屋線(廃止)になってしまいました。
現在、JR西日本「播但線」の一部を開通させたのが「播但鉄道」ですが、こちらの「播丹鉄道」とは違うんですね。
ちなみに「播但鉄道」は、明治時代に「山陽鉄道」に売却されてその後、国有化されてしまいました。
=山陽電気鉄道の現在の運行状況=
阪神電気鉄道:直通特急が神戸高速線・阪神本線を経由して山陽姫路駅~大阪梅田駅間で相互直通運転を行っています。
普通・S特急は阪神神戸三宮駅まで乗り入れています。
阪急電鉄:1998年(平成10年)まで山陽電鉄の列車は阪急神戸本線六甲駅まで、阪急の列車が神戸本線から須磨浦公園駅まで
直通運転をしていました。
現在は普通・S特急が神戸高速線の阪急神戸三宮駅まで乗り入れています。
近畿日本鉄道:将来は阪神なんば線・阪神本線・神戸高速線を経由して有料特急を乗り入れる構想があります。
※2013年(平成25年)阪神1000系を使用して山陽姫路駅から神戸高速線・阪神本線・阪神なんば線を経由して近鉄奈良線近鉄奈
良駅まで直通の貸切列車が運転されました。
さらに翌2014年(平成26年)には近鉄奈良駅から山陽姫路駅まで直通貸切列車が運転されています。
また、2019年(平成31年)には阪神なんば線開業10周年を記念して近鉄主催で3社直通の貸切列車も運行されました。
しかし、阪神電鉄は有料特急の導入に消極的なため、実現は難しそうです。
=山陽電気鉄道の車両基地=
東二見車両基地を中心に、東須磨車庫・飾磨車庫の他2か所の車庫を保有しています。
3000系・3050系、5000系・5030系、6000系(新型)を中心に207両が活躍しています。
=山陽電気鉄道の車両=
3000系以降の車両は神戸高速鉄道への乗り入れを前提に設計されていて、現有車両は全て阪急・阪神と同じ19m車・3ドアの車両規格で統一されています。(但し、車両幅は阪急神宝線の2,750mmではなく、阪神に合わせて2,800mmになっています)
また、3000系以降の車両は踏切事故対策の一環として高運転台となり、運転席側と助手側で乗務員室の奥行きが異なります。
車両について、820・850形以降はすべて地元の川崎車両(旧:川崎車輌→旧:川崎重工業)で製造。
それ以前には汽車製造(旧:川崎重工業→現:川崎車両)、田中車輌(現:近畿車輛)、帝国車輛工業(旧:東急車輛→現:総合車両製作所)、藤永田造船所(現:三井造船)で製造された車両もありました。
現在、車体の塗装はアルミ・ステンレス車が無塗装に赤帯、鋼製車がアイボリー地に赤と黒の帯で統一されています。
鋼製車は1986年(昭和61年)までは上半分が濃いクリーム色、下半分を濃紺の阪神ジェットカーに似たカラーリングでした。
車両の電装品は1957年(昭和32年)の2000系2次車以降、長らく川崎重工業+富士電機製制御器+三菱電機製モーターという組み合わせでしたが、VVVFインバータ制御車では同じメーカの制御器とモーターを搭載するようになっています。
5030系は富士電機製(制御器+モーター)、6000系は三菱電機製(制御器+モーター)を搭載しています。
なお、戦前の車両はゼネラル・エレクトリック(GE)製およびGE社の日本でのライセンス先であった芝浦製作所製(現:東芝)の電装品が使われていたんですね。
集電装置については富士電機・工進精工所・東洋電機製のものが混在しているようです。
初期に製造された3000系の置換えとして、2015年度より6000系の導入が進んでいます。
また、これに伴って5000系列および3050系アルミ車のリニューアル工事も順次、行われています。
ちなみに3050系アルミ車の設計施工とリニューアル工事等はJR西日本の子会社であるJR西日本テクノスが行っています。
=山陽電気鉄道の型式表記=
型式番号に加えられる製造順位を表す車両の番号は、阪急電鉄と同じで下一桁が「0」番から付番されているんですね。
実車には形式数字のみが表記されていて、書類上にある「クハ」「モハ」「クモハ」「サハ」の型式称号は表記されていません。
さて、山陽電気鉄道の会社は概要がわかったところで肝心の3000系について調べ始めました。
=3000系列の概要について=
1964年(昭和39年)の神戸高速鉄道の開業により、阪急・阪神との相互乗り入れを踏まえて登場した車両になります。
初期車はオールアルミ合金で製造された技術が評価され、1965年(昭和40年)鉄道友の会よりローレル賞を受賞しました。
大きく分類して下記の3種類に大別されて、合計133両が川崎車輛(現:川崎車両)で製造されました。
・3000系(3000形):3000系の原型車両
・3200系(3200形):2000系の主電動機などを転用した車両
・3050系(3050形):新造時より冷房装置を搭載した車両
かつては2000系や2300系から改造編入した付随車が15両も在籍していましたが廃車されてしまいました。
=車体=
車体は2000系3扉アルミ車を基本としつつ、神戸高速乗り入れ各社に合わせて19mに統一、側扉は山陽電鉄では初となる両開き扉(扉幅1,300mm)を採用しています。
当初の2編成はアルミ合金製でしたが、以後の増備車では普通鋼製車体を採用しています。
さらに1981年(昭和56年)には3050系で新工法のアルミ合金製車体を採用し、以後は新工法のアルミ車が増備されました。
運転室は床面を300mm高めた高運転台式とし、前面両隅に曲面ガラスを使用したパノラミックウィンドウを採用。
灯具類については2000系アルミ車のレイアウトを踏襲してシールドビーム2灯式の前照灯を貫通扉上部に横並びで配置、標識灯を妻面左右窓上部端に配置されています。
=内装=
車内では、座席に270形以来の実績がある低座面のロングシートを採用。
座席端にスタンションポールを設置して特急運用とラッシュ対策の両立を図っているんですね。
乗務員室は運転席部分の奥行きが深くなっていて、先頭車の側面窓配置が左右で異なっています。
運転台側の側面には乗務員室の小窓と客室の戸袋窓が、車掌台側の側面には客室の2段窓が設けられています。
=編成=
基本編成は神戸方からMc-M-T-Tcの4両編成でT車を外した3両編成での運用も可能になっています。
1980年代初頭まではT代用としてTcを挿入した4両編成も存在したようです。
6両編成の場合は3両編成を2本併結して神戸方からMc-M-Tc+Mc-M-Tcで組成。
この6両編成は2001年まで対応していましたが、運用は5000系6両編成の予備編成に限られていました。
なお、電動車ユニットのみ在籍する3200形は姫路方に3600形を連結してMc-M-Tcの3両で1編成を構成しました。
これは主電動機の定格出力が低いためで、全て3両編成で使用されました。
また、3050系のうち3100・3101のユニットは当初、他の3050系4両編成の神戸方に電動車ユニット2両を増結する目的で計画され制作されましたが、営業運転で6両編成での運用実績はありません。
・3000系(3両編成):3000-3000-3600(Mc-M-Tc)
・3000系(4両編成):3000-3000-3500-3600(Mc-M-T-Tc)
・3000系(4両編成):3000-3000-3600-3600(Mc-M-Tc-Tc)「3600形組込」
・3000系(4両編成):3000-3000-3550-3600(Mc-M-T-Tc)「3550形組込」
・3000系(6両編成):3000-3001-3600+3002-3003-3601(Mc-M-Tc+Mc-M-Tc)「3両編成×2」
・3050系(6両編成):3050-3050-3630+3050-3050-3630(Mc-M-Tc+Mc-M-Tc)「3両編成×2」
・3050系(4両編成):3050-3050-3050-3630(Mc-M-T-Tc)「電装解除付随車」
・3050系(6両編成):3050-3050-3050-3050-3500-3630(Mc-M-Mc-M-T-Tc)「増結車2両+4両編成:計画のみ」
・3200系(3両編成):3200-3200-3600(Mc-M-Tc)
いろいろと3000系について調べていくうちに・・・
まさか!3000系列の車両があんなにバリエーションがあろうとは・・・
この時は知る由もありませんでしたwww
次回に続きます、

