とうとう機関車まで手を出しちゃった!(笑) | GSX-R125遊び!

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新型の車体(GSX-R125)と遊ぶことになりました。
バイク遊びは楽しいよぉ~w

あぁ~

もう気動車や電車だけでは飽き足らず・・

とうとう機関車まで手を出してしまいました。

しかも古い電気機関車大好物な方々が歓喜するEF58形青大将なんですわ!(笑)

今回は珍しくYフリマで入手しました。

 

早速、連結器をマグネットからダーミーの自連に交換したら即!終了!
前オーナー様とても綺麗な車体でありがとうございました。
ちなみに車体には57号機と58号機のナンバープレートが貼られていたのでちょっと車歴を調査。
・EF58-57号機
 1953年(昭和28年)東京芝浦電気製(第3次増備車)青大将色→新型直流電機標準色
          前面白Hゴム・水切り位置原型・PS15パンタグラフ
 1979年(昭和54年)廃車(宮原機関区)
・EF58-58号機
 1953年(昭和28年)東京芝浦電気製(第3次増備車)青大将色→新型直流電機標準色
          前面Hゴム変形・前面窓ひさし増備・電気暖房改造車・PS15パンタグラフ
 1982年(昭和57年)廃車(宇都宮運転所)
おぉ!!見事に作り分けていらっしゃる!
やはりこういう商品に手を出す方はかなりのマニアなんでしょうね~
さらにおまけとして2両の未組立な客車が同封されていましたのでちょっと調べてみることに・・・
どうやらコチラのセットからバラされた2両のようですね。
こちらはマイテ39(展望車)ですね。
もう1両の方はスハニ35(特急用座席荷物合造車)でした。
う~ん・・・シールとか付属品は当然無いからなぁ~
まぁ~気が向いたら作る事にしましょう。

ところでこのEF58形青大将はもちろん年代的に実車は見た事はありません。

それでも新鶴見操車場ハンプ時代にはすぐ隣に新鶴見機関区があったのでよくEF58形を眺めていました。

デッキのステップに乗ったり、運転席に座ったり機関室を開けて内部の機関を覗いたりしてましたね~

特に高校時代にEF58が好きな先輩がいたのでこの青大将色が強く印象に残っている機関車なんです。

ところでこのEF58形直流電気機関車ですが、お召機関車としての栄光とはほど遠いデビューを飾っていたんですね。

なにしろ戦後すぐの登場だったので粗悪品そのものだったんですよね。

まぁ~たとえが悪いですけどモハ63の機関車版みたいなもんです(笑)

・EF58形の登場と製造中止について

 1946年(昭和21年)から1948年(昭和23年)の資材・物資不足に31両が製造されました。

 そもそも30両製造してその後20両増産の予定が当初の30両で一旦製造中止。

 なにしろ戦後すぐの準戦時設計のような機関車だったので品質が極めて粗悪で故障や事故が多発しています。

 そこで一時は製造中止措置や使用中止命令があり労働組合による乗務拒否運動まで発生しています。

 さらに戦後の資材不足の中での製造ですから製造会社もかなり苦労しています。

 なんと最初に就役したのが1946年10月で1号機ではなく21号機(川崎電気・川崎車両)でした。

・製造中止措置の影響について

 1948年(昭和23年)増備中断の時点では日立製作所担当の6・7号機、三菱電機担当の14号機が未着手状態。

 逆に東京芝浦電気では31~38号機と見込み1両分を手掛けていたのですでに4両は完成済みの状態なのでした。

 そこで他社の未着手分の3両に割り当てします。残った1両の31号機は増備車として国鉄が引き取りました。

・製造中止の車体について

 デッドストックとなってしまった5両分の車体ですがなんとEF18-32~34号機、EF58-35・36号機に転用されています。

・第一次装備改造工事について

 製造中止措置を受けて1948年(昭和23年)3月から1949年(昭和24年)9月にかけて第一次装備改造(高速度遮断器の装備、 

 高圧回路の引き直し、車体の一部改造)が行われようやく保安度を向上することができました。

・製造再開後の車体の流用について

 EF58形の登場時は流線形の湘南顔ではなくEF56・57のように前面デッキタイプの箱型ボディでした。

 1952年(昭和27年)から1958年(昭和33年)に改良型の増産が行われEF58-35~175まで141両が増産されています。

(EF58-32~34号機が欠番なのは前述のデッドストック分がEF18-32~34号機に転用したためなのです)

 同時に1953年(昭和28年)から1957年(昭和32年)にかけて簡易的だった凸型車体のEF13に箱型車体を機器ごと転用。

 ちょうど同じ31両だったので全車の車体載せ替えが完了しています。

 車体が載せ替えられたのは自動式の蒸気暖房用ボイラーを搭載するスペースを確保する為でした。

 そしてお馴染みの湘南顔の車体になったんですね。

・牽引する客車への対応について

 製造当時は客車による旅客列車が全盛で蒸気機関車による蒸気暖房装置を使用していました。

 全国の電化区間が拡大されつつありましたが電気暖房装置の客車が普及するまでは電気機関車にも蒸気暖房装置が必要だったん

 ですね。

・機関車の性能について

 面白いのはブルートレインの牽引で有名な名機のEF65形と大差のない性能だったんですね。

 ・最高許容速度:EF58形=100km/h、EF65形=110km/h

 ・全界磁定格速度:EF58形=68.0km/h、EF65形=45.0km/h

 とにかく平坦線区間での高速域に限ればその牽引力はEF65形と大差がありません。

 さらに「特急型機関車」とされるEF65形500番台・1000番台にしても一般型とモーター・ギア比が異なる訳でもなく

 20系客車および10000系貨車を牽引するためにブレーキがついているだけのことでした。

 また110km/h運転が可能な区間が少ない路線や急行列車以下で当時主力だった旧型客車の牽引(最高速度95km/h)では

 1970年代に入っても十分可能な実用機だったんですね。

 ちなみに最高速度試験ではこのEF58形機関車で123km/hという記録をマークしています。

 いずれにしても旅客列車の牽引を念頭に高速性能を重視して設計された機関車はEF58形以降量産されていません。

 (貨物列車の牽引を含めてもEF66形のみです)

・高速旅客列車牽引用機関車について

 実はEF58形登場以降に高速旅客列車牽引用としてEF61形0番台が18両製造されています。

 しかし駆動機構や車体構造に問題が多かったために製造が中止されEF58形よりも先に運用を終了しているんですね。

・牽引客車用の暖房装置について

 さらに時代は進み直流電気機関車として多数派になったEF60形、EF65形ですが一般形客車牽引に必要な暖房供給装置や

 電気暖房装置用電源を搭載していないのでやはりEF58形を運用に用いる必要性がありました。

・JRへ移行後の活躍について

 JRに引き継がれたあとはEF58形の暖房装置は必要なくなったのですが12系客車・14系客車・24系客車とカヤ21形を使用する

 20系客車の牽引に活躍しています。

 これは長大編成で運転される客車の臨時列車はごく稀でありEF58形で性能的に充分でした。

 やはりファンサービスとしての機関車という位置付けになっていたんですね。

・青大将塗装について

 東海道本線が全線電化に先立ち1954年(昭和29年)から4両(4・16・18・31号機)に塗色試験が行われています。

 そして1956年(昭和31年)東海道本線全線電化が完成。

 特急「つばめ」「はと」の牽引機用として車体が淡緑色(淡緑5号)に下部黄色(黄1号)で台車等の下廻りは暗緑色(緑3号)

 に決定して東京機関区および宮原機関区所属の合計25両にこの青大将色の塗装が施されています。

 さらに牽引する客車も淡緑色単色(屋根部銀色)の青大将塗装だったので当時としてはとても斬新でした。

・特急「つばめ」「はと」について

 ちなみに東海道本線の特急「つばめ」「はと」は戦後に登場した列車です。

 1949年(昭和24年)戦後初の特急列車として東京ー大阪間に特急「へいわ」の運転開始。

 1950年(昭和25年)1月:「へいわ」を「つばめ」に改称。5月「つばめ」の姉妹列車として特急「はと」の運転開始。

 1951年(昭和31年)11月:東海道本線全線電化完成しEF58牽引の青大将が登場。

             東京-大阪間:所要時間は7時間30分。

 1960年(昭和35年)6月:「つばめ」を151系電車化し2往復に増発(1往復は神戸発着)。

             これにより「はと」は「つばめ」に吸収される形で一時消滅。 

             東京ー大阪間:所要時間は6時間30分に短縮。

            (役目を終えたEF58形は順次、元のぶどう2号に塗装変更されました)  

 1961年(昭和36年)10月:「はと」が東京ー大阪間の電車特急として再設定される。

             「つばめ」は2往復とも大阪発着となった。

 1962年(昭和37年)6月:山陽本線広島まで電化完成。「つばめ」の1往復を東京ー広島間の運転に変更。

             前年10月の登場した大阪ー広島間の特急「へいわ」を廃止。

・お召機関車としてのEF58形について

 1953年(昭和28年)に東海道本線東京-名古屋間電化用の増備車として2両(60・61号機)がお召専用機として製造されました。

 60号機は東京芝浦電気(現:東芝インフラシステムズ)製造で浜松機関区に新製配置、61号機は日立製作所製造で東京機関区

 に新製配置されました。

 ちなみにそれまでのお召機関車は1934年(昭和9年)製のEF53形(16・18号機)と1937年(昭和12年)製のEF56形(6・7号機)がそれぞれ重連で用いられていました。

 しかし、どちらも車齢が高い上にEF53形は暖房用ボイラーが未搭載なので冬期は暖房車を連結する必要があったんですね。

 さらに東海道本線の電化延伸で長距離運転では旧式なプレーン・ベアリングでは摩擦で車軸が過熱する恐れがありました。

 お召本機となるEF58形の就役によりEF53形およびEF56形は1954年(昭和29年)にお召列車牽引の任から解かれ他区所に転出 

 して一般列車牽引にあたることとなりました。

 また、お召機関車の発注については製造元に「お召列車牽引専用機関車」としての指名発注だったそうです。

 当然、両社は名誉を懸けて製造・点検・社内試験も入念かつ厳重に行う必要があったんですね。

 もちろん一般機関車以上の厳密な点検・検査が行われて極めて良好な状態で国鉄に納入されています。

 予算についてもEF58形の一般機関車より130万円も高い6,300万円でしたが、お召機関車としての特別仕様や製造工程により

 両社ともに大赤字を覚悟の上で受注・製造したと伝えられています。

 調べてみたら製造に使用した電線関係から絶縁性に優れた製品を使用しているようです。

EF58形直流電機機関車はその独特な車体を輝かせながら鉄路を走る最後の花形な電気機関車だったのかも知れませんね。