GSX-R125遊び!

GSX-R125遊び!

新型の車体(GSX-R125)と遊ぶことになりました。
バイク遊びは楽しいよぉ~w
鉄道模型はBトレインショーティーで遊んでいます。
ますこっとれいんにもハマってしまいました。

ずっとモータースポーツやレプリカバイクで遊び廻った管理人(1959年生まれ)
定年退職後はなぜか引退したはずの鉄道関係の仕事へ復帰?
老体にムチ打ってバイクに乗りながら復活した鉄道模型を楽しんでいます。
クルマもバイクも鉄道もやっぱり楽しいよ!
まぁ~人生は一回だけ。
後悔しないようにお金を使って楽しみましょう~(笑)
クルマやバイクに乗ると今までと違った景色が見えてくるよ!
模型で遊ぶと技術も知識も広がるよ!

さて、前回に制作した京成電鉄にリースされていた京浜急行の旧1000形。

当時の北総開発鉄道(現:北総鉄道)にも譲渡されていたんですよね。

しかもなんと!16両も譲渡されていました。

ちょうど前回制作した「京成1000形」の内、「1031+1032」の2両が残っていましたのでユニットを組んでもらいましょう。

しかも、前回の「1031+1032」は正規の屋根板がなかったのでパンタグラフの位置が違うのも気になってました。

そこで、今回入手した北総鉄道(7150形)の屋根板を流用して、さらについでにユニットを組んでもらおうという作戦です。

早速、屋根板を交換して前回制作した「1031+1032」を正規の屋根板にしました。

そして今回制作した北総鉄道の7150形は「7154+7153」に付番してこちらも屋根板(パンタグラフ位置)で合わせました。

いやぁ~同じ時代にこの顔の電車が一緒に走っていたかと思うとなんだか感無量ですね。

せっかくカラードアのデカールがあったのでチマチマと貼らせてもらいました。

まだ、この時期の北総鉄道の路線は印西牧の原まで延伸したばかりだったんですよね。

まさか、数年後に成田空港アクセス線として大飛躍するとは思ってもいませんでした。

京成高砂以東の京成本線では残念ながら見かける事が出来なかった顔ぶれですね。

(まぁ、京成1000形は千葉線を走ってましたけど)

京成電鉄・北総鉄道とリース・譲渡された京浜急行の旧1000形はすべてクーラーが後付けされた分散クーラー車だったんですね。

 

=北総鉄道の歴史=

・1972年(昭和47年):北総開発鉄道株式会社設立

・1979年(昭和54年):北初富~小室間が開業。

           新京成線(現:京成松戸線)経由で松戸駅まで乗り入れ。

・1984年(昭和59年):小室~千葉ニュータウン中央間の住宅・都市整備公団千葉ニュータウン線が開業。

           運営を受託。

・1988年(昭和63年):住宅・都市整備公団千葉ニュータウン線の第二種鉄道事業者となる。

           同時に全線を「北総・公団線」と改称。

・1991年(平成3年) :京成高砂~新鎌ヶ谷間が北総・公団線として開業。

           同時に4社による直通運転を開始。

・1992年(平成4年) :新京成線(現:京成松戸線)の新鎌ヶ谷駅が開業。

           同時に連絡線を廃止して新京成線(現:京成松戸線)との直通運転は終了しました。

・1995年(平成7年) :千葉ニュータウン中央~印西牧の原間が開業。

・2000年(平成12年):印西牧の原~印旛日本医大間が開業。印旛車両基地の共用が開始される。

・2004年(平成16年):商号を北総鉄道株式会社へ変更。同時に「北総・公団線」から「北総線」と改称。

・2010年(平成22年):印旛日本医大~成田空港間が開業。北総線全線が成田スカイアクセス線の一部となる。

※太字部分が7150形の活躍期間です。

 

=北総鉄道(7150形)=

1991年(平成3年)に京浜急行より合計16両が譲渡されています。

デハ1005~デハ1008(4両)とデハ1107~デハ1118(12両)になります。

 

←羽田空港・西馬込              千葉ニュータウン中央→

・7158+7157+7156+7155(元:デハ1005+デハ1006+デハ1007+デハ1008)

・7154+7153+7152+7151(元:デハ1107+デハ1108+デハ1117+デハ1118)

・7168+7167+7166+7165+7164+7163+7162+7161

(元:デハ1113+デハ1114+デハ1109+デハ1110+デハ1115+デハ1116+デハ1111+デハ1112)

 

当初の7151~7154と7155~7158の4両編成2本は新鎌ヶ谷~千葉ニュータウン中央間の区間で運用されていました。

1994年(平成6年)7155~7158の4両編成は客室ドアの色が一枚ずつ異なるカラードアが採用されました。

その後、1996年(平成8年)に4+4の8両編成に組成変更して全車にカラードアが施し、都心直通運転として運用されました。

しばらく8両編成2本の体制で7000形・7300形と共に運用されていましたが、7161~7168編成は1995年(平成7年)、7151~7158編成は1998年(平成10年)に廃車され、京成電鉄宗吾車両基地にて解体されてしまいました。

愛好家の方々がクラウドファンディングまで行ったようですが、残念ながら成立しなかったようです。

なお、実車が運行期間中の定期検査は京急の久里浜工場で施工されていました。

 

=北総鉄道(7150形)該当の京急(1000形)諸元=

・デハ1005~デハ1008(製造所:川崎車輛)

 製造年:1959年(昭和34年)~1960年(昭和35年)に製造された京急1000形が該当します。

    48両(4両編成×12本)1000形の試作車と同様に前面が非貫通・2枚窓として製造されました。

 編成:4両編成

・デハ1107~デハ1115(製造所:川崎車輛)

・デハ1116~デハ1118(製造所:東急車輛製造)

 製造年:1961年(昭和36年)~1962年(昭和37年)に製造された京急1000形が該当します。

    60両(2両編成×5本、4両編成×5本、6両編成×5本)前面貫通扉として製造されました。

北総鉄道運行期間:7151~7158は7年間。「1991年(平成3年)~1998年(平成10年)」

         7161~7168は4年間。「1991年(平成3年)~1995年(平成7年)」       

軌間:1,435mm(標準軌)

電気方式:直流1,500V(架空電車線方式)

最高運転速度:110km/h

設計最高速度:120km/h

起動加速度:3.5km/h/s

減速度(常用):4.0km/h/s

減速度(非常):4.5km/h/s

全長:18,000mm

全幅:2,798mm

全高:4,050mm

車体:普通鋼

台車:1005~1008、1107~1114:OK-18系(川崎車輛製)

   1115~1118:TS-310系(東急車輛製造製)

主電動機:補償巻線付き直巻電動機(75kw)

   1005~1008、1107~1114:TDK-810/6H(東洋電機製造)

   1115~1118:MB-3058A(三菱電機)

駆動方式及び歯車比

   1005~1008、1107~1114:中空軸撓み板式軸型継手(5.5)

   1115~1118:撓み歯車型軸継手(4.63)

制御方式:抵抗制御

制御装置:電動カム軸式直並列複式(直列10段、並列6段、弱め界磁5段)弱め界磁率25%

   1005~1008、1107~1114:ACDF-H875-566B(東洋電機製造)

   1115~1118:ABF-108-15-MDHB(三菱電機)

制動装置:発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(応荷重装置付き)

補助電源装置:DC7.0KW(TDK-315:東洋電機製造)またはAC3.0KVA、DC3.5Kw(MG-54D-S:三菱電機)

空気圧縮機:レシプロ式(A-2)

冷房装置:集約分散式(9.8kw 8,500kcal/h)(RPU-2209系:東芝)※登場時は非冷房でした。

保安装置:1号型ATS、C-ATS

 

=まとめ=

こうして見て見ると、リースに譲渡された京浜急行(旧1000形)は財政難の最中での冷房化推進の為に京成電鉄(1000形)して、

また、路線延伸に伴う都心直通運転を補充する車両用として、北総鉄道(7150形)で活躍したんですね。

それぞれ目的こそ違いますが、この京浜急行(旧1000形)が大きく貢献したことは間違いないですね。

残念ながらどちらも短命な繋ぎ車両としての活躍できたが、それぞれ大きな足跡を残してくれました。

最近では成田空港から押上方面への新型スカイライナーの計画も発表されています。

さらに一部情報筋の話では関西の阪急・阪神ホールディングスのような京急・京成ホールディングスのウワサさえあるようです。

これからも羽田空港と成田空港の2大空港を結ぶ鉄道会社としてJR以上に期待していいのではないでしょうか?

益々、これからの両社の車両の動向からも目が離せなくなってきましたね。

あぁ~!やっぱりこの色!この色!

房総半島をツーリングしていると必ず走っているのが、この色のバスなんですよぉ~。

と、いう事でいつもの色のいつものバス「小湊鐡道バス」を入手しました。

特に牛久・長南・大多喜方面からはこの茂原駅行をとてもよく見かけますから。

内房のJR駅と外房のJR駅を繋ぐ路線バスです。

茂原駅行きのバスと言えばやっぱり長南営業所の所属車が多いですよね。

バイクで走っていると、この後ろ姿はとてもよく見かけます。

このカラーリングは小湊鐡道グループの九十九里鐡道バスもまったく同じです。

会社の違いは正面中央のロゴマークで判別できます。

そういえば、どちらの会社名も「鉄道」の文字が「鐡道」なんですよね。

 

=バスコレクションの小湊鐡道バス=

千葉県のバス会社として高速バスを含めて多くの車両が製品化されています。

特に一般路線用のバスはこちらの3種類がラインアップされているようです。

・三菱ふそうエアロスター ノンステップバス「白子車庫」   型式:KL-、PJ-MP37JM

・いすゞエルガ      ノンステップバス「八幡宿東口」型式:QDG-LV290N

・富士重工業                  「 茂原駅」    型式:7E(17E)

今回、入手した富士重工業の7Eボディバスは小湊鉄道が自社発注しているんですね。

小湊鐡道は4メーカーに(日産ディ-ゼル・いすゞ・日野・三菱)このボディを乗せているとても貴重な会社のようなんです。

そして、富士重工業は2002年に鉄道車両とバス部門から撤退してしまったので、バス自体も貴重な存在になってしまいました。

多くのバスが15~20年使用。さらに車体更新されて小湊鐡道から九十九里鐡道へ譲渡されています。

 

=会社の概要=

会社名:小湊鐡道株式会社

市場情報:非上場

本社:千葉県市原市五井

設立:1917年(大正6年)

業種:陸運業

事業内容:一般運輸業(鉄道。バス)、土地・建物の売買・賃貸業、旅行・損害保険業

売上高:約54億(2018年3月)

従業員数:約570名

 

=会社の特長=

小湊鐡道は古くから鉄道部門を主体に会社経営していましたが、戦後、バス会社を合併してバス部門になりました。

こちらではそんなバスの事業部門(通称:小湊バス)について記載しています。

バス部門の沿革については1947年(昭和22年)に傘下にあった袖ヶ浦自動車を合併したことからはじまります。

そもそもこの袖ヶ浦自動車は1927年(昭和2年)に市原市周辺の有志によって設立された合資会社です。

当初は大多喜街道周辺で営業している小さなバス会社で、1933年(昭和8年)に小湊鉄道が経営権を得てから内房地域での路線を拡大。その後、株式会社化を経て、戦時下の事業統合により1943年(昭和18年)には外房地域の多くの事業者を合併して、房総半島の中央部を東西に横断する広大な事業エリアを確立しました。

マイカーブームの到来と競合する鉄道の影響・沿線市町村の過疎化で大幅な路線の整理が行われ、営業所も集約されました。

現在では乗合・貸切バス事業を計300両弱の車両で高速バス事業、自社企画のバスツアーも営んでいます。

・車両数:282両、貸切34両、特定1両

・営業キロ:1,537.4キロ

・系統数:292系統

・営業所:「乗合」塩田営業所・長南営業所・東金営業所

     「貸切」姉崎営業所・木更津営業所・長南営業所・貸切塩田営業所

ちなみに九十九里鐡道のバスは下記のとおりになります。

・車両数:22両、貸切6両、管理受託車両6両

・系統数:15系統

・営業所:「乗合」片貝車庫

     「貸切」本社 

 

=京成電鉄との関係について=

京成電鉄の持分法適用関連会社として京成グループに名を連ねてはいますが、事実上は完全に独立した別会社になります。

そもそも小湊鐡道は安田財閥に所属して京成とは無関係でしたが、戦時中の当局による勧奨によって株式の大半を京成電鉄に買収されて京成電鉄の系列会社になった経緯があります。

しかし、1970年代に京成電鉄が経営危機と陥り、資産整理のため持ち株が放出された結果、九十九里鐡道が小湊鐡道の「株」を、また、小湊鐡道が社長名義で九十九里鐡道の「株」を持ち合う形態となって、京成電鉄の出資割合が大幅に下がりました。

その後も九十九里鐡道が京成電鉄の持ち株を取得しており、2017年3月31日時点では九十九里鐡道が63.94%、京成電鉄が19%の株式を保有しています。

現在、小湊鐡道は九十九里鐡道と共に「小湊グループ」を形成しています。

従って、他の京成グループの事業者とは大きく違っているわけです。

*京成グループの統一ロゴ「K'SEI GROUP」を使用していません。

*京成グループのサービス向上運動「BMK推進運動」に参加していません。

*観光・高速バスのカラーリングは「KaNaCカラー」ではない。

*バスツアーは京成トラベルの京成観光バスツアーではなく小湊グループ独自のバスツアーを展開している。

2025年(令和7年)京成グループのバス事業会社は大きく再編されましたが、小湊鐡道のバス事業には変更ありません。

ちなみに小湊鐡道株式会社と九十九里鐡道株式会社の両社はどちらも石川晋平氏が代表取締役社長を務めています。

また、営業規模では小湊鐡道の方がはるかに大きいのですが、社員40名の九十九里鐡道が名目的には小湊鐡道の親会社という形になっているのはとても面白いですね。

 

=まとめ=

小湊鐡道のバス事業は千葉県下にあるバス事業者と同様に東京湾アクアラインの開通で高速バスを中心に営業を拡大。

しかし、一般路線バスは日本全国の過疎化による利用客減少にさらされていて路線の再編を行いながら苦戦しています。

また、現在運転を休止している「いすみ鉄道」の株式も5.58%保有しており、これは千葉県の34.2%、大多喜町の15.17%、いすみ市の14.28%に次いで4番目となっています。(2019年3月31日時点)

そうそう!上総鶴舞駅の構内に今でもある鶴舞発電所(文化庁の文化遺産で登録有形文化財)ですが・・

なぜ、鉄道路線が非電化な小湊鐡道に、大きな火力発電所が必要なのか?とても不思議でした。

調べてみると、こちらの発電所は1925年(大正14年)に完成した火力発電所なんですね。

設備は75kwのディーゼル発電機2基(1基は予備)を設置して発電していました。

そもそも、小湊鐡道駅舎の電灯用として建設され、その後、沿線各町村より点灯の要請を受けて、1927年(昭和2年)には市原村ほか5ケ村に供給。次いで高滝村ほか3ケ村にも電力を供給して、最盛期にはなんと10ケ村(4400世帯)に電力を供給していた電力会社だったんですね。

しかし、戦時色が濃くなってきた1942年(昭和17年)には国からの配電統制令により、電力事業の営業を停止。

関東配電(東京電力の前身)へ移管されたという歴史があるんですよね。

そういえば小湊鐡道と九十九里鐡道はどちらも本社の社屋は建て替えず、今でも古くからある建物を大切に使用しています。

そうやっていつまでもしっかり地域に溶け込んだ会社として貢献して欲しいと思いました。

ザ・バスコレクションのミニバス繋がりで今回は京阪バスを入手してしまいました。

入手した京阪バスは「20」系統の(国道大塚)からの「小山」行きです。

こちらの路線は山科・洛南営業所の管内になるんですね。

京都市山科区にある「山科駅」から出発しており、JR西日本・京都市営地下鉄・京阪京津線ととても便利です。

「20」系統が「小山」行きですが、「21」系統の「大宅」行きも「小山」を通りますので、どうそご利用下さいw

ちなみに「小山」というバス停は「おやま」では無く「こやま」ですから読み間違いようにしましょうねwww

さて、こちら商品も繊細な表記が再現されていてとてもいいですね。

ミニバスの魅力はこの側面!

小型バスの技術をギュギュっと濃縮した結晶です。

後ろ姿もとても凛々しいです。

排ガスは浴びないように車間距離は十分空けましょう!w

そして、決して出会うことのない日東交通のバスと京阪バス

まったく違うバスに見えるのが不思議です。

ツーリング先で出会うのも一期一会のお楽しみです。

 

=バスの概要=

そもそも、このミニバスは京王帝都電鉄(現:京王電鉄バスグループ)の要望を受けて開発が始まったバスだったんですね。

全長は7m・全幅は2.3mクラス(現車寸法:全長6.99m、全幅2.32m)の小型ワンステップな路線バスになります。

さらに日産ディーゼルでは初となる小型路線バスで、1996年(平成8年)京王帝都電鉄・日産ディーゼル・富士重工業の共同開発によって誕生しています。

1990年代に全国的な広がりを見せたコミニュティーバスでしたが、当時の小型バスは「標準床」と呼ばれたツーステップバスが主流でした。

しかも、そのツーステップ車に電動リフトを装着したリフトバスだったんですね。

ところが、これでは車椅子の乗降には手間も時間もかかってしまい、高齢者や幼児の乗降りも難しいバスだったんです。

そこで、ワンステップの低床構造で車椅子用スロープ板が装着出来るという日本初の試みで制作されました。

最初に導入された京王バスグループ内ではそのボディの短さから「チョロQ」の愛称で呼ばれて人気になりました。

2012年(平成24年)の全車引退に合わせて「チョロQバスさよなら運転」を行うほど愛されたバスだったんですね。

そうして活躍の場を地方に移したバスですが、同サイズの車両が存在しないことから現在でも地方の事業者へ移籍して使用されている例が多く見られるようです。

共同開発した日産ディーゼルでしたが、2006年(平成18年)には三菱ふそうトラック・バスとバス事業の提携して、完成車およびエンジンのOEM供給について合意したのですが、2010年(平成22年)には合意の打ち切りを発表。

そして、翌2011年(平成23年)にはバス製造事業から撤退してしまったんですね。

 

=京阪バスの運用=

京阪バスとそのグループ会社(京都宇治交通・京都宇治バス・京都京阪バス)では1997年(平成9年)から導入されました。

主に京都府南部や滋賀県などの狭隘道路・住宅地路線で短尺ノンステップバスとして活躍しました。

その後、2008年(平成20年)からは順次、方向幕のLED化が進み継続して運行されていました。

しかし、その後、2010年代にかけて車両の老朽化やグループ再編に伴って除籍・売却が進んで約10年程度で姿を消しています。

現在では、新しいノンステップバス(日野リエッセⅡ、いすゞエルガミオなど)に置き換わってしまいました。

 

そして会社についても調べてみました。

当然ですが、あの京阪ホールディングスの傘下ですから、とても大きな規模のバス会社です。

 

=会社の概要=

会社名:京阪バス株式会社

市場情報:非上場

本社:京都府京都市南区東九条南石田町

設立:1922年(大正11年)桃山自動車株式会社

業種:陸運業

事業内容:乗合・貸切バス事業、不動産業他

売上高:約3,135億円(2014年度:京阪グループ全社)

従業員数:約1,070名(京阪バス単独)

 

=会社の特長=

京阪電気鉄道と同様に鉄道の延伸と開発に伴って沿線の関係会社を吸収・合併しながら成長しています。

阪急との新京阪沿線の譲渡契約に基づいてバス関係の事業も譲渡されました。

バス事業は運行する地域に合わせて分社化されましたが、再編が進み現在は京阪ホールディングスの傘下になりました。

 

=会社経緯=

・京阪バス

1922年(大正11年)7月:桃山自動車株式会社(当時はハイヤー輸送のみ)

1924年(大正13年)10月:京阪自動車株式会社に商号変更。

1929年(昭和4年)6月:京津自動車商会と合併。

1930年(昭和5年)4月:京阪運輸自動車を合併。

1934年(昭和9年)12月:河内乗合自動車を合併。

1937年(昭和12年)1月:京都乗合自動車を合併。

1940年(昭和15年)1月:京都聖蹟巡拝自動車を合併。

1950年(昭和25年)7月:阪急バスと新京阪沿線のバス路線、施設を譲渡する契約に調印。

1972年(昭和47年)4月:京阪バス株式会社に商号変更。

2004年(平成16年)4月:京阪バスシステムズが設立され子会社となる。

2006年(平成18年)4月:京都宇治交通と京阪宇治交通田辺を吸収合併。

・京阪シティバス

1998年(平成10年)11月:京阪シティバス設立。

2014年(平成26年)4月:京阪宇治バスが京阪シティバスを合併し、京都京阪バスに改称。

・京阪宇治交通

1922年(大正11年)10月:宇治田原自動車商会として設立。のちに宇治田原自動車株式会社に改組。

1959年(昭和34年)6月:京阪グループに入り、京阪宇治交通株式会社に変更。

1999年(平成11年)1月:宇治営業所の路線バス(関西空港リムジンを除く)、貸切バス、特定バス業務を

            京阪宇治交サービス株式会社へ譲渡する。

2002年(平成14年)5月:田辺営業所の一部系統を新会社「京阪宇治交通田辺株式会社」へ譲渡する。

2003年(平成15年)4月:京阪宇治交サービスのバス事業を京阪宇治交通の系列会社「京阪宇治バス株式会社」へ譲渡する。

2006年(平成18年)3月:京阪宇治交通田辺と共に合併により会社解散。

・京阪宇治交通田辺

2002年(平成14年)2月:旧・京阪宇治交通に子会社として設立。

2006年(平成18年)3月:京阪宇治交通と共に合併により会社解散。

 

=まとめ=

京阪バスでは約600台ものバスを保有しており、そのうち約500台が一般路線バスとして活躍しています。

ちなみに今回の小型ワンステップバスを共同開発した京王帝都電鉄(現:京王電鉄)はなんと!900台のバスを保有しています。

それなら日本全国のバス会社の保有台数はどうかな?と思ってちょっと調べました。

会社単独での保有台数は神奈川中央交通が約2,000台も保有していて日本一でした。

また、グループ会社全体を含めると西日本鉄道がさらに上回り2,500台を超えています。

多くのバスを保有して運行管理はもちろん、車両整備に保守点検。

さらに近年では運転手不足に悩む全国のバス会社は鉄道会社以上に厳しい状況に置かれているのではないでしょうか?

なんとかいつまでも地域の大切な交通機関として活躍できるようにして欲しいものですね。

某SNSをROMっていたら「京成1000形」の事が話題に・・・

えっ?京成じゃなくて京急の間違いじゃないの?

と、調べて見たらなんと!実在していた「京成1000形」!!

しかも京急1000形の赤い電車のままで京成線を走っていたとはまったく知りませんでした?!

こいつはなかなかの異端児なんでこれはとてもレアな車両です!

さぁ!みなさんも絶対作りたくなっちゃうこと間違いない!www

そこで「京急」1000形をポチって入手後の改造!「京成」1000形を目指しましょう!

そして届いた「京急」1000形の4両編成がこちらになります。

あ~やっぱり京急だわとしみじみw

それでは今は地方ローカル線で流行っている上下分離方式で整備しますw

いつものバリ取りと連結器をマグネットからドローバータイプに交換します。

下廻りは重要な走行機器になりますので念入りに!(走らせませんがw)

車体のバリはほとんど無いので、サクッと完成しました。

さぁ!「京急」「京成」へ移籍作業を・・・と!思ったら編成のパンタグラフの位置が実車と異なっていることを発見!

まぁ~、実は事前にわかっていたのですでに購入しておいた未組立車を制作して置き換えを図ります。

4両編成の京急1000形は元々、初期時代にはこのユニット構成だったんですね。

・1001~1048、1049~1068 :Mc+M(P)+M(P)+Mc

・1101以降の4両編成はこちら:Mc(P)+M+M(P)+Mc

今回は実車に合わせて、1037+1038(P)+1039(P)+1040にしました。

せっかくなので編成から外れてしまった2両は1031+1032(P)にしました。

※手持ちの屋根板が無いのでパンタグラフの搭載位置は無視しちゃいましたw

いやぁ~この車両が京成上野や千葉中央・金町にも乗り入れていたのかと思うとなぜかオトコのロマンを感じますw

1988年(昭和63年)から1994年(平成6年)まで運用されていたのですが、まったく記憶にないんですよね。
きっと、いつも普通に乗り入れしていた京急車と思っていたんでしょうねw

ネットの写真を見ると4両編成を2本繋げた8両編成としても運用されていたんですね。

やっぱり車体の横にある「Keisei」マークを見なければ分かりませんよね~w

 

=京成電鉄の冷房化が遅れた理由=

・経営再建と財政難

 1970年代~1980年代にかけて、成田空港関連のアクセス問題や、国鉄(現:JR東日本)総武快速線や営団地下鉄(現:東京メ

 トロ)東西線などの競合路線開業による旅客離れにより、厳しい経営状況に陥り、経営再建中でした。

 この財政難が当時、高価な冷房装置を遅らせる大きな要因になったんですね。

・技術的な適合性の問題

 当時の冷房装置は非常に電力を消費するため、既存の非冷房車両に搭載するには冷房用の電源供給設備(電動発電機、MG)を

 大型化する必要があり、技術的なハードルやコスト面も軽視できませんでした。

 

=登場までの概要=

京成電鉄として全社的に冷房化を開始したのは関東大手私鉄では最も遅く、1988年(昭和63年)から集中的に進められました。

その後、1996年(平成8年)にはようやく保有車両の100%冷房化を達成しました。

このような状況下ですから、冷房化率が遅かった京成電鉄では早急な対策が求められていたわけなんですね。

そこで1988年(昭和63年)、最期の青電(210形)が全廃された直後に京急の子会社である京急車両工業(現:京急ファインテック)を通じて1000形4両×2本がリースされています。

当時は関東大手私鉄である京成電鉄が、同じく関東大手私鉄である京浜急行から車両を融通してもらうのはとても異例な出来事だったんでしょうね。

※京浜急行の1000形(初代)は1959年(昭和34年)から1978年(昭和53年)まで356両も製造された名車中の名車です。 

 1976年(昭和51年)から冷房化工事が開始され、1982年(昭和57年)頃には全車の冷房化が完了しています。

 ちなみに関東大手私鉄で100%冷房化を達成したのは京浜急行が最初でした。

リースされた車両の変更点は下記のとおりになります。

・車両形式称号を「モハ1000形」に変更、車番は変更していません。

 デハ1029~デハ1032 → モハ1029~モハ1032

 デハ1037~デハ1040 → モハ1037~モハ1040

・車体側面の社名表記を「KHK」から「Keisei」に交換。

・表示幕のうち、「種別・行先」は京急1000形用のサイズで京成色(紺色地に白文字)・書体・表示内容のものを新設して交換。

 運行番号は白幕のまま流用。

・運転室に京成式の停車予告装置を設置。

・種別板差しを先頭車前面の貫通扉下部に設置。

・中吊り広告枠を京急サイズから京成サイズに交換。

運用中に以下2点が追加改造されています。

・京成の地上設備に対応するためアーマープレートの一部切除。

・前面貫通扉種別板差しを室内側に移設、貫通扉に窓を設けて室内側から種別板が差し替えられるように改造されました。

 

その後、3700形の増備に伴って1991年(平成3年)に1編成(モハ1037~モハ1040)を返却して除籍・解体されました。

残る1編成(モハ1029~モハ1032)は塗装を青に白帯へ変更し、社名表示も「千葉急行」に変更。

翌1992年(平成4年)からは同年に開業した千葉急行電鉄(千葉中央~大森台間)へ貸出をして、同社唯一の自社保有車となりました。運用は京成4両編成と共通で行われています。

しかし、1994年(平成6年)には京成(旧:3050形)からの車両と交換をして、1月16日に営業運転を終了。

久里浜工場へ回送され除籍・解体されてしまったんですね。

当然、保存された車両はありません。

 

それでは短い間ですが活躍した、貴重な2つの編成の車両紹介になります。

=京成電鉄(1000形)該当の京急(1000形)諸元=

製造所:川崎車輛(デハ1029・デハ1030)、東急車輛製造(デハ1031・デハ1032、デハ1037~デハ1040)

製造年:1959年(昭和34年)~1960年(昭和35年)

京成運行期間:モハ1029~モハ1032は6年間。「1988年(昭和63年)~1994年(平成6年)」

       モハ1037~モハ1040は3年間。「1988年(昭和63年)~1991年(平成3年)」       

製造数:1959年~1960年に製造された京急1000形が該当します。

    48両(4両編成×12本)1000形の試作車と同様に前面が非貫通・2枚窓として製造されました。

編成:4両編成

軌間:1,435mm(標準軌)

電気方式:直流1,500V(架空電車線方式)

最高運転速度:110km/h

設計最高速度:120km/h

起動加速度:3.5km/h/s

減速度(常用):4.0km/h/s

減速度(非常):4.5km/h/s

全長:18,000mm

全幅:2,798mm

全高:4,050mm

車体:普通鋼

台車:1029・1030:OK-18系(川崎車輛製)のちにTS-310系(東急車輛製造製)に交換されました。

   1031・1032、1037~1040:TS-310系(東急車輛製造製)

主電動機:補償巻線付き直巻電動機(75kw)

   1029・1030:TDK-810/6H(東洋電機製造)のちにMB-3058A(三菱電機)に交換されました。

   1031・1032、1037~1040:MB-3058A(三菱電機)

駆動方式及び歯車比

   1029・1030:中空軸撓み板式軸型継手(5.5)のちに撓み歯車型軸継手(4.63)に交換されました。

   1031・1032、1037~1040:撓み歯車型軸継手(4.63)

制御方式:抵抗制御

制御装置:電動カム軸式直並列複式(直列10段、並列6段、弱め界磁5段)弱め界磁率25%

 1029・1030:ACDF-H875-566B(東洋電機製造)※変更されたか不明

 1031・1032:ABF-108-15-MDHB(三菱電機)

制動装置:発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(応荷重装置付き)

補助電源装置:DC7.0KW(TDK-315:東洋電機製造)またはAC3.0KVA、DC3.5Kw(MG-54D-S:三菱電機)

空気圧縮機:レシプロ式(A-2)

冷房装置:集約分散式(9.8kw 8,500kcal/h)(RPU-2209系:東芝)※登場時は非冷房でした。

保安装置:1号型ATS、C-ATS

 

=改造=

・1969年(昭和44年)から1972年(昭和47年):正面貫通路付きに改造し、地下鉄乗り入れ対応工事を施工。

・1979年(昭和54年)から1984年(昭和59年):冷房改造工事(集約分散式)が行われました。

 

=台車の交換=

定期検査入場の都度、予備台車を活用した入場期間短縮を行うために頻繁に台車振替が行われています。

川崎車輛で製造されたデハ1029・デハ1030も東洋製電装品のOKー18系でしたが、TS-310系台車に交換されています。

 

=編成表=

←上野    成田・千葉→

・1029+1030+1031+1032:1994年(平成6年)廃車 ※千葉急行へ再リースされました。

・1037+1038+1039+1040:1991年(平成3年)廃車

 

=保存車=

京急1000形としての保存車が存在します。

・1052号車

 栃木県真岡市の喫茶店^赤い電車」にて保存され、群馬県前橋市へ移設。

 現在は千葉県いすみ市のポッポの丘にて保存。

・1185号車

 栃木県小山市の鉄道模型店「電車ごっこ1185」にて保存。

・1351~1356(6両編成)

 京急ファインテック久里浜事業所内にて保管されています。

 

=まとめ=

大所帯の356両も製造された京浜急行の「顔」とも言える1000形です。

全車が冷房化され2・4・6・8両編成の運用で活躍しました。

のちに、高松琴平電鉄(1080形・1300形)に20両、北総開発鉄道(7150形)に16両が譲渡されています。

また、京急自体の事業用車両8両(デト11・12、デチ15・16・17・18、クト1・2)にも部品が再利用されています。

子会社からとは言えリース車両を導入してまで冷房化を急ぐため対応は業界の「ウルトラC」だったんですね。

近年ではサステナ車両の導入で省エネルギー達成率を上げようと頑張っている会社もありますから。

まさに京成電鉄は他社からの調達でとても先見性がある対応を行った画期的な会社だったんですね。

やはり地元は外せない!

と、いう事で地元を走り廻っている「東洋バス」を入手しました。

八千代市を中心に幕張地区では子会社の千葉シーザイドバスが走っています。

さて、バスに貼られているデカールは「(17)米本団地」行き(英和高校前・松陰高校前経由)になっています。

この路線は京成本線・東葉高速鉄道線の勝田台駅(南口)から運行されていてメイン路線になります。

国道16号線を走って「米本団地」を結ぶ最短路線になるんですよね。

所属は東洋バス唯一の新山営業所・車庫の路線になって走行路線上にあります。

デカールに貼ってある路線番号(17ですが、現在は(11)へ変更されています。

ちなみに同じ「米本団地」行きですが、東葉高速鉄道の八千代中央駅から発車する路線もあります。

こちらは通学需要に合わせた(松陰高校経由)と(中央図書館経由)がありますのでご利用の際はご注意下さいwww

 

=バスの概要=

三菱ふそうトラック・バス製の新型エアロスター(ノンステップバス)になります。

全長11.26mと一般路線用としては大型なバスなんですね。

八千代市内の通勤・通学輸送に活躍している路線バスの車両になります。

型式:QKG-MP38FM

年式:2015年式(平成27年)

自動車登録番号標:習志野200か1707

エンジン型式:6M60(T2)

シリンダー配列:水冷4サイクル直列6気筒

吸気方式:インターク-ラーターボチャージャー

総排気量:7,545cc

最大出力:199kw(270PS)/2,700rpm

最大トルク:785N・m(80.0kgf・m)/1,400rpm

 

こちらに実車の写真が掲載されていました。

(とても参考になりました、ありがとうございます)

実車の写真

 

さらに会社についても調べてみました。

=会社の概要=

会社名:東洋バス株式会社

市場情報:未上場

本社:千葉県千葉市花見川区

設立:1948年(昭和23年)

業種:陸運業

事業内容:乗合・特定バス事業

従業員数:約110名

 

=会社の特長=

千葉県出身の参議院議員木島義夫氏によって設立されています。

ちなみに木島氏は大正時代より誉田駅(JR東日本)を中心に「千葉郊外自動車(現:千葉中央バス)」を経営していました。

千葉県北西部の岩戸地域(印西市)は印旛沼よってに南東方面への移動には長らく不便を強いられていました。

そこで岩戸地区の利便性を向上されるために印旛沼を避けて岩戸~大和田間の路線を1948年(昭和23年)に開設しました。

また、大和田新田(八千代市)・長作地区(千葉市花見川区)から幕張駅方面への路線も開設されました。

※八千代台駅は1956年(昭和31年)、勝田台駅は1968年(昭和43年)、ユーカリが丘駅は1982年(昭和57年)開設。

 それまで京成本線に設置されていたのは「京成大久保」・「実籾」・「大和田」・「臼井」・「佐倉」の各駅でした。

千葉県下のバス会社としては珍しく、大手系列に属さない中堅バス専業の事業者なんです。

ちなみに京急グループの東洋観光(神奈川県)と東陽バス(沖縄県)がありますが無関係です。

 

=会社経緯=

1948年(昭和23年)10月:東洋バス株式会社設立、現在に至ります。

2020年(令和2年)にはIC乗車券での利用が可能になりました。

本社は千葉市花見川区「幕張駅(JR東日本)に近接」※千葉シーサイドバスの本社も同様です。

主要子会社:千葉シーサイドバス、東洋観光、東洋モータースクール

 

=使用車両=

開業当初より三菱ふそう製を採用しています。

その後、富士重工製ボディを架装した日野自動車製・日産ディーゼル製の車両も配置されましたがわずかなようです。

近年ではいすゞ自動車製の車両も配置されています。

中型車では前後扉車でしたが、ワンステップバス以降の車両は前中扉車になりました。

モノコック末期頃から角型の後部標識灯を採用しています。

スケルトンボディになってからは、中型車の初期に導入された車両以外はメトロ窓(引き違い窓)が採用されています。

この引き違い式の窓はフランスのメトロが採用した窓方式だそうで日本のメトロとは関係ありませんでしたw

たまに見かける旧塗装の復刻車もあって懐かしいです。

 

=まとめ=

大手私鉄系列にも属さずに頑張っている中堅のバス会社です。

八千代市と千葉市花見川区にエリアを持つバス会社で船橋市で生まれ育った管理人は引っ越すまで知りませんでした。

新規の道路開設や鉄道の開業(東葉高速鉄道)に対応して、地元にきめ細かい路線網を提供しています。

沿線にある多くの団地・学校の通勤通学需要を支えている大切なバス会社ですね。