日本人はどこからやってきた? 丸木舟が出航 | 親父と息子の口喧嘩

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 謎に包まれている太古の歴史をひもとく挑戦が最終段階を迎えています。3万年前、日本列島に現れた祖先たちは、大陸からどうやって来たのか?その謎にせまるため、研究者たちが古代の航海を再現しようとするものです。6年前に始まったこのプロジェクト、いよいよ、台湾から沖縄・与那国島への航海実験が始まりました。私たちは、この壮大な実験に密着取材を行っています。
(「クローズアップ現代+」ディレクター 今氏源太)

「6年越しのプロジェクト」ラストチャレンジ!
「6年越しのプロジェクト」ラストチャレンジ!
航海実験の出発地・台湾

はるか昔、3万年前と同じ状況を再現して、台湾から沖縄へ舟で向かう。この壮大なプロジェクトが始まったのは2013年のこと。祖先たちは、どうやって日本列島へやって来たのか、その旅を解き明かそうと、国立科学博物館の海部陽介さんを中心に立ち上げられました。

海部陽介さん(国立科学博物館 人類史研究グループ長)(写真:国立科学博物館提供)

人類学者である海部さんにとっても、太古の昔に、人類がどうやって航海を成功させていたのかは、大いなる謎でした。今より、約80m海水面が低かった当時、現在の台湾は大陸とつながっていましたが、それでも沖縄とのあいだには広大な海があったからです。

そこで、海部さんは、自分たちで、当時の航海を実証的に再現しようと決意。人類学者、考古学者、古気候学者などの研究者仲間や、プロのシーカヤックガイドなど、総勢60名ほどのスペシャリストたちに協力を呼びかけ、これまで沖縄や台湾の近海などで航海実験を重ねてきました。

5回目となる今回は、ラストチャレンジとして、台湾から沖縄・与那国島へ、200キロの旅に挑みます。

「祖先たちの海への挑戦を、できるかぎり詳細に解き明かしたい」(海部さん)

大実験!「3万年前の航海」の謎を解く
大実験!「3万年前の航海」の謎を解く
石垣島の遺跡から出てきた人骨

海部さんたちがこのプロジェクトを始めたきっかけは、近年、沖縄で旧石器時代の遺跡が続々と発見されていることです。中には日本列島で最古となる約3万年前の人骨も出土しています。

海で大陸と隔てられていた小さな島に、祖先たちはどうやってたどり着いたのか?しかし、遺跡から発見される限られた証拠では、この謎に答えることができませんでした。

そこで、挑戦したのが、当時の技術で航海を徹底的に再現する「実験考古学」と呼ばれる手法でした。この手法では、当時の航海を再現するにあたり、厳密なルールを設けます。たとえば舟を作るとき、石器のように、当時も確実にあった技術は使いますが、鉄器やマストなど、明らかに新しい時代に生まれたものは用いません。

さらに、利用する素材は、木や草など、周囲の環境に自然にあるものだけにとどめます。再現実験を行ってみて、もし成功すれば、当時も同様の航海を行っていたと考えられます。

逆に失敗すれば、別のやり方で実験を試みます。こうして繰り返して実験を行うことで、過去の謎に迫ろうというわけです。

「わからないことを、わからないままにしておきたくなかった。自分たちで、祖先たちの冒険を体感しながら、謎に迫りたかった」(海部さん)

その理由が、世界最大規模の海流「黒潮」です。3万年前の状況を忠実に再現するために、航海そのものも、厳密なルールのもとで行われます。もちろん、舟を漕ぐのは人力。当時なかった道具、たとえば地図やコンパス、スマホや時計などは、一切使いません。伴走する船は、進路を指示せず、ついて行くだけ。舟を漕ぐ「漕ぎ手」は、進路を太陽や星の位置から判断します。ただし、食料や飲料水、服などは、安全管理の面から認めることにしました。さらに、「漕ぎ手」は男女混合の5人で、途中で交替しないという決まりも作りました。祖先たちは、たどり着いた沖縄で子孫を残したことから、当時の舟には、男性も女性も乗り込んでいたと考えられるためです。

 
世界で最も難しい航海

最も古い時代に、日本列島にやって来た祖先たちが成し遂げたこの航海には、もう一つ大きな意味があります。実は、当時としては「世界で最も難しい航海」だったと考えられるのです。

サンゴやプランクトンから過去の気候を調べる古気候学者の研究や、スーパーコンピューターを使った当時の海流の推定などから、3万年前にも、大陸と沖縄の間には、強い黒潮が流れていたことがわかっています。

それまでの時代にも、ホモ・サピエンスが海を越えた証拠が残っていますが、これほどの海流を越えたのは、人類史上、初めてのことでした。つまり、日本列島に渡ってきた祖先たちは、当時、世界で最も困難だった大冒険を成し遂げた人たちでもあったのです。

「日本列島を舞台に、祖先たちが大冒険を繰り広げていた。こんな事実があったことに、研究者として興奮しました」(海部さん)

「舟」の謎をめぐる試行錯誤

祖先たちは、どんな航海を行い、黒潮を乗り越えていたのか?プロジェクトを進める海部さんたちにとって、最大の謎だったのが「舟」でした。石器などと違い、遺跡の証拠に残りにくいため、当時、どんな舟で航海していたのか、全くわからないからです。

2016年に行われた、最初の実験でトライしたのは、「草舟」でした。

海部さんが着目したのは、アジアに広く自生しているヒメガマという草。このヒメガマを、南米・チチカカ湖の先住民族に伝わる伝統的な草舟の製作方法を元に、現代的な技術は一切用いず、ツルだけで束ねて作り上げました。

2016年の「草舟」

しかし、「草舟」を使った航海は途中で断念することになります。進むにしたがい、水が舟に浸透し、重くなりすぎたためでした。

つづく2017年、台湾の研究者と共同で行った実験で用いたのは「竹筏舟」。

台湾の南東部に暮らす先住民族・アミ族に古くから伝わる、竹を使って筏舟を作り上げる技術をいかしたものでした。

今度は、安定性にも耐久性にもすぐれていましたが、速度が上がらず、黒潮を越えるには課題が残りました。

2017年の「竹筏船」
黒潮を越えろ!

いったい、どんな舟ならば航海は可能になるのか。試行錯誤の末に、たどりついたのが、杉の木を使った丸木舟です。全長7.5メートル、重さは350キログラム。「杉の女神」から頭文字を取り「スギメ」と名付けられました。

黒潮を越えろ!
今回の実験で用いる丸木舟「スギメ」

海部さんたちが、丸木舟を試すことにした背景には、最近の新発見があります。同時代の遺跡から、木を切り倒すことができる石斧が発見され、当時の技術でも丸木舟が作ることができた可能性が高いことがわかってきたのです。

海部さんたちは、この「スギメ」を作るにあたり、杉の大木を石斧で切り倒し、くり抜いて作るなど、徹底的に検証を行いました。

丸木舟を磨くのにも石器が使われました

これまでの練習で、「スギメ」は黒潮を横断するのに十分だと考えられるスピードが出ており、期待が高まっています。

“シェア”で支える「クルー」

いよいよ始まる台湾から沖縄へわたる航海実験。海部さんたちのプロジェクトには、メンバー以外にも、たくさんの支援者がいます。

なかでもクラウドファンディングを利用した資金の募集は、日本の国立博物館として初めての試み。これまでに合計7000万円、延べ2000人近くの人から協力を得ることに成功しました。

プロジェクトでは、クラウドファンディングに協力してくれた方を「クルー」と呼んでいます。「クルー」とは、舟の乗組員という意味。つまり、協力してくれた人も、この航海プロジェクトの仲間だ、という感謝と尊敬の意味が込められています。「クルー」たちは、海部さんたちメンバーとの交流会や、最新情報の定期配信などで、この壮大な挑戦を見守ってきました。

なぜわれわれは唯一の「人類」になったのか

海部さんには、この実験を通して迫りたい、より大きな謎があります。なぜ、私たちホモ・サピエンスだけが唯一の「人類」として、生き残ったのか、というものです。

実は近年、人類学の世界では、これまでの常識を覆す発見が相次いでいます。ほんの数万年前まで、地球上には、ネアンデルタール人やホモ・フローレシエンシスなど、ホモ・サピエンス以外にも多様な人類が生きていたことがわかってきただけでなく、そうした絶滅した人類たちが、従来考えられていたより高度な文化を持っていた可能性が高いことが明らかになってきているのです。

しかし、これほどの航海を成し遂げることができたのは、ホモ・サピエンスだけでした。つまり、この航海を成功させることができた秘密を解き明かすことができれば、私たちと、絶滅した人類の仲間たちとを分けたものがわかるのではないか、と海部さんは考えているのです。

それは、「技術の高さ」や、新しいものを生み出す「イノベーション」の力だったのか。あるいは、集団で目標を成し遂げるために不可欠な「協力する性質」だったのか。それとも、未知なるものへ挑戦する「冒険心」だったのか。その答えが、この航海の先にあるかもしれません。

なぜわれわれは唯一の「人類」になったのか
ホモ・サピエンスだけが、生き残ることができた理由とは―
独占密着取材!ディレクターも200キロの旅へ
独占密着取材!ディレクターも200キロの旅へ
ディレクター・今氏(左)も練習の合間に「スギメ」に試乗させていただきました

NHKでは、このプロジェクトを、4年にわたって、継続取材してきました。今回のラストチャレンジにも、密着します。ディレクターの私、今氏をはじめとした3人の取材班は、6月23日にスタート地点となる台湾東部に入り、出航の日を待ってきました。

ところが現地の天候は変わりやすく、出発日は二転三転。最終的に7月7日の船出が決まりました。7日、沖縄・与那国島に向けて、私たち取材班も伴走船で、200キロの航海に出発しました。

7日 午後2時38分に出航(日本時間)

出発からおよそ36時間で、与那国島に到着すると予測されている今回の航海。果たして無事に到着するのか?どんな困難が待ち受けているのか?