親父と息子の口喧嘩(大正天皇の直筆画か、侍従武官の子孫宅で発見) | 親父と息子の口喧嘩

親父と息子の口喧嘩

ある親父とある息子が、社会の色々な事柄について論じます。
こんなことを考えている親子もいるのかと、ぜひぜひ少し覗いてくださいな。

親父「大正天皇(1879~1926年)が描いたとみられる絵が、侍従武官として大正天皇に仕えた四竈(しかま)孝輔(1876~1937年)の東京都内の子孫宅から見つかったそうだ(読売新聞1/30(火) 9:32配信)。」

 

親父「大正天皇と四竈は深い信頼関係にあったと考えられ、絵にあった大正天皇の名前『嘉仁(よしひと)』の署名がその特徴を備えていることから、識者は『直筆とみて間違いない』と話す。大正天皇の書は知られるが、絵が見つかるのは極めて珍しいそうだ(同上)。」

 

親父「 絵は四竈家の資料箱に保管されており、整理の過程で見つかった。

縦27・5センチ、横39・5センチの半紙に、墨の濃淡を使って花や葉が描かれていた。日付はないが、大正天皇に詳しい古川隆久・日大教授は『他の筆跡と比較しても、署名は大正天皇の直筆とみて間違いない』と話しているそうだ(同上)。」

 

 

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

四竈孝輔

1876-1937 明治-大正時代の軍人。

明治9年10月生まれ。敷島・肥前・霧島の副艦長,第二戦隊参謀,津軽艦長として日露戦争,第一次大戦に従軍。のち侍従武官,大湊要港部司令官となり,大正14年海軍中将。昭和9年伏見宮付別当となる。昭和12年12月11日死去。62歳。宮城県出身。海軍大学校卒。