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um gereizt zu werden

ダイエットや美容、ニュースや育児等幅広く書いていきます。

友人との会話で、たまたまエヴァンゲリオンの話になった。

エヴァンゲリオンが好きな方は、見ないで下さい。

私は、エヴァンゲリオンが嫌いでした。皆はいいよと勧めるけど、見る気が起きない。

友人が、詳細を語ってくれました。


エヴァンゲリオンって中身が子供のまま社会人になって経験した辛いことや良かったことなんかを中学生に置き換えたみたいなのりじゃないですか? それなら仕事が上手くいったらかなり格好がつくし、出来なくても言い訳がつくみたいな。

中学生に不自然なくらい唐突に役割を突きつけて急かし躊躇すれば他に代わりがきくと冷たくあしらわれるだけっていう厳しさとか。代わりのものが動けないのをみてようやく腹を決めるって社会人なら情けないけど中学生が背負うなら言い訳もつくし、格好もつく。

使徒=社会人の仕事って捉えると、自分をフォローしてくれる綾波レイがクローンで沢山いたり仕事をとちればお母さんが代わりにやってくれたりと根本的な所で情けないマザコン的な願望の正当化を入れ込んでないですか。

そう考えると神様になるのはやり過ぎだし、仕事を全部やりきったらもう仕事が生まれて来ない世界を作り上げ。何もしなくていいやってなったらそれはそれでちょっとってなって戻って来れば戻ってきたで人を憎むみたいなのを見せてなんなんだと。

社会性の無い大人の逃げ場になっているように取れませんか?

シンジが逃げ込んだところが夜の街だったり。綾波の乳を触ったときのシンジのリアクションなんか14才の子供として捉えるより中身が14才のまま大人になってしまった人の描写と捉えたほうが…ガンダムの監督が嫌ってるのも分からんではないような?私小説をアニメ的な都合のいいとこだけを抜き取った展開に接続しちゃってるように感じる面もあるんですがどう思われますか?

嫌いじゃないんですが迂闊に好きになっちゃいかんようにも思うので。

「本作での敵の脅威と、主人公への理不尽な扱いは、思春期目線で『社会人』『世の中』なるモノへ抱く、自己否定と劣等感への怖れの暗喩」という見立ては、最初の放映当時にも既に取り沙汰されていたものでして。

また、劇中のヒロインたちはもう、まさに作り手の童貞臭紛々とした感性で仕立て上げた御都合主義、願望が丸出しだ、という指摘もまた数多くなされて来たかと。

所詮あのテのオタアニメの作り手なんてのは、人生経験も対人関係性も、狭くて偏ったものしか無い人種ばかり。逆に言えば、そういった作り手たちの、ある意味での「内面」だか「実態」だかを、恥も無くさらけ出した…それが意図的だったかどうかはともかく…という面が、似た様な感性や思考や嗜好の客層に向け強力にアピール出来たのだろう、というわけなのです。

本作を最初に熱烈に支持した層は、そういった形での、甘美なある種の「自己 正当化」に惹かれたのでしょう。ウンウン、キミは必ずタダシくてヒガイシャ さまで可哀想で正義なンだヨいい子だねぇヨチヨチ…
そしてそうしたココチヨく甘ったるい「自己正当化」を、オタ発オタ行きの、巨大メカが学園ラブコメのクイ込みコスチュームをエログロバトルといった、お尋ねの「アニメ的な都合のいいとこ」だか「お子様ランチ」だかいう手垢の付いたテンプレに放り込み、さらにそこへ、やれシューキョーだナゾだとか いった、学生映画研風の表面上の小難しさっぽさで「粉飾」してみせた…

こんな商品を、「ブンガク」だ「テツガク」(←笑)だとか称してホンキでのぼせ上がって、外へ向けてこれ見よがしに愛でてみせるファンだか信者さんだかがワラワラ湧いた、これこそが、本作の「大人気」だか「社会現象」だか とやらの真の要因だったかと。

作り手側自身の、身もフタも無い所をひとつご覧下さい。

――「エヴァ」には、現実に背を向けて「エヴァ」という作品に逃避するファンへの批判が込められていました。そうした意識は今も変わら ないのですか。

庵野
旧作の「エヴァ」では、僕が「娯楽」としてつくったものを、その域を越えて「依存の対象」とする人が多かった。そういう人々を増長させたことに、責任を取りたかったんです。作品自体を娯楽の域に戻したかった。
ただ、今はそれをテーマにするのは引っ込めています。そういう人々は言っても変わらない。やっても仕方がないことが、よく分かりました。




エヴァの中の大人達が子供に全て押し付けて逃げる姿が、視聴者や読者に丸投げして逃げてる庵野監督と被りました。

結局、自分に都合の良い世界を虚構で作り上げただけなんだね。

エヴァ、益々嫌いになりました。









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病気や障害の方は、別にして。

老若問わず、食べない女性を多く見掛けるようになりました。

私自身も病気が原因で食べられなかったり、拒食症が原因で食べられなくなったりしましたが、今の女性は食べない事をダイエットだと勘違いしている人もいるようです。

何故、そんな人が増えたのでしょうか?

原因を究明する前に、食べない事がどういう事かお話ししたいと思います。

食べない事が続くとハイになり、空腹が快感になります。これが、ダイエットハイです。

空腹に耐える事は一見ストイックに見えますが、実はそうではありません。

食べないと、思考がおかしくなります。

生命維持をする上でも、拒食は大変な危機です。

しかし、ピンチなのは体だけでなく、心も同じなのです。

食べる事は、飢えを満たす為だけではありません。

心も、栄養補給しているのです。

友人や家族と食べる食事は、楽しいものです。

食事と共に楽しい時間を過ごす事が、心の栄養になります。

食事の目的は心身の栄養補給ですが、身体のみの栄養補給になってしまうと、食事が作業になってしまいます。

食事って、そんな味気ないものではありません。

食事とは、雰囲気も味わう事です。



それでは何故、食事を味わえなくなったか?

以前も書きましたが、今の市販の食品は素材の味がしないものが多い。

和食には、滋味があります。

例えばゴボウから漂う土の香り等、食材から季節や自然を感じる事が出来ます。

今はハウス栽培等で、季節関係なく手に入れられる食材が沢山あります。

強烈で単一な味の食べ物や、食材に季節感がなくなり、世間には食べ物が溢れているせいで、日本人は食材から自然を味わう事が出来なくなりました。

昔の粗食は、今では高級食です。粗食は日本人にとって、季節を感じる身近なご飯でしたが、今は日本国民全員揃って食べられる食事ではありません。

粗食は、時間や手間が掛かるものが多いです。祖父母と離れて暮らしていて、両親が仕事している家庭も多いです。昔からの和食を作ってくれる人が、少なくなりました。

息子の話を聞くと、今の子供は好き嫌いが多い。息子の世代は洋食を食べ慣れている親を持ち、スイーツを代表とした主食がお菓子の世代です。

野菜を始めとした自然の物ではなく、作られた物を好みます。

理由は簡単です。彼等の味覚は非常に単純で、風味を感じる感覚が乏しい。

オーバーな表現ですが、彼等にとって私達がイメージする普通の食事は、異質なのかもしれません。

そうなると、安いけどカロリーだけ高くて栄養のない食品に手が出ます。

食事を味わえない原因が、今の家庭には揃っています。

そうです。心が栄養不足だから、ご飯が食べられなくなるのです。

実は、食べる事はエネルギーがいるのです。

食事は、愛情を頂く事です。愛情を注ぐ方もエネルギーがいりますが、それは受ける方も同じなのです。

食材に感謝し、ご飯を作ってくれた人や、ご飯を食べさせる為に身を粉にして働いてくれる人に感謝する。

今の日本の家庭で、それが出来るお家はどれくらいあるのでしょうか?

一つの食べ物を家族で分けあって食べる家庭は、どれくらいあるのでしょうか?

私は、わざと子供達のおやつを一つしか買わない事があります。

一つの食べ物を分け合う事は、愛情を分け合う事です。

今は、お金さえ出せばいくらでも食べられます。

お金が、全ての価値観に等しくなっています。

逆にそれが、私達の心を貧しくさせたと思いませんか?

心が貧しくなると、食事も楽しいものではなくなります。

人より良い物を食べる事が目的の食事なんて、食事じゃない。

そんなの、家畜が飼料を食べているのと同じです。

ちゃんと食べられれば、食べないで痩せようとしません。

心身が必要としている食事を摂り、運動で補う健康的な生活をしようとします。

健康な心なくして、真のダイエットはありません。

ダイエットをするなら、食事や環境を見直す事も必要です。




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