鬼灯堂奇譚 魔月の巻 前篇 9 | あべせつの投稿記録

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〈隠れ月〉

 

その日、珍しく家を空ける玄夜を見送るため、皆が総出で屋敷門前に並んでいた。

「では行ってくるよ。輝夜、二、三日留守を頼んだぞ。何かあれば幽玄殿を頼りなさい」

「はい、お父様。こちらはご心配なく。お父様こそつつがなく大役を終えられますように」

「うむ、わかっている」


先祖代々の宝月家と付き合いのある古刹で七十年に一度の秘仏御開帳が行われることになった。本殿お浄めのため、怨霊退散の大蝋燭の依頼を受けた玄夜は、その際の式典の招待も受け、当主直々にお納めに行くこととなったのだ。この大蝋燭作りのために、玄夜は初めて輝夜の前で〈裏の書〉を開いた。


裏の書は〈表〉の白く輝く装丁とは相反する黒くぬめりのある深い闇の様をしており、その表紙を見たとたん、禍々しさに輝夜は背筋がぞくりとした。玄夜は興味津々な輝夜に少しだけ裏技の手ほどきをしてみせた。しかしいよいよ本作業に入ると輝夜を遠ざけ、単身七日七晩、蝋月房に籠りこの大蝋燭を見事仕上げたのであった。

「お父さま、いってらっしゃいませ。早く帰ってきてね」

「ああ、お土産をいっぱい買って帰るからな、影玄、いい子にしてるんだぞ」

「千殿、茜、家のことはよろしく頼む」

「はい、旦那様、お任せください」

「あなた、お気をつけて」

「うむ」

意気揚々と出かける、若く美しい当主の姿。それが輝夜が見た父の最後の姿であった。

「輝夜様、輝夜様、た、大変でございます」

いつもはおしとやかな瑠璃が血相を変えて蝋月房に飛び込んできた。

「どうしたのですか、瑠璃さん」

「だ、旦那様、旦那様が事故にあわれて」

「なに」


輝夜はとるものもとりあえず母屋へと走った。

「茜さん、どういうことですか。父はいったい」

「わたしにも何が何やら」

「輝夜さん、茜、落ち着きなさい。今、幽玄さまがお戻りになりますから」


千の落ち着き払った声に輝夜は妙に苛立ちを感じた

「幽玄様がお戻りになりました」

門番のあわてた声が届いた。

幽玄は、父の亡骸を連れ帰っていた。

「あなた、あなた」

「お父さまぁ」

「お父様」

「旦那さま」


その場にいた者が皆、口々に父の名を呼び、その亡骸に駆け寄った。

玄夜の体にすがりつき、泣くことも忘れて呼び続けていた茜は、もうこの世の人ではないのだと知れるとショックのあまり倒れて、そのまま寝付いてしまった。

突然の当主の訃報にかけつけた親族たちも何が起こったのかを幽玄に尋ねたが、詳しくはその口からは語られず、ただ事故とのみ知らされただけであった。


そして翌日、何か忌むものを遠ざけるように、あわただしく葬儀が営まれた後、玄夜の体は荼毘に付された。親戚たちの間からは〈裏の書〉にまつわる黒いうわさがささやかれた。


さらに七日の後、玄夜を追うように茜も亡くなってしまった。

 茜の葬儀の後、若い当主とその妻を一度に亡くし、子供二人が残された宝月の家の危機に、急遽親族の会議が行われた。

「輝夜、お前が今日から当主だ。心しておきなさい」

「幽玄殿、それはおかしゅうございます。輝夜殿はまだ十八歳。宝月の家法では二十歳になられた者が継ぐということになっているはず。それにまだ輝夜殿は修行中の身ではありませぬか。当主になられるのは時期尚早というもの」


 幽玄の言葉に、千は真っ向から反対した。

「では千殿は明日からのこの宝月をどのようにすればよいとお考えか」


「工房の方は、作業頭にお任せすれば当面の仕事はこなせましょう。表の技ならば多少は輝夜殿も扱えるはず。その技で作業頭のお手伝いをなさればよいことです。どのみち裏の技は玄夜様以外には誰もできないのですから、今、若い輝夜殿に当主のご負担をおかけすることもないでしょう。屋敷と帳場の方はこれまで通り、わたくしが一切をお預かりさせていただきますから、幽玄殿もご安心くださいな」


「それならば、わしが工房に入ると致そう。表の技ならば輝夜に伝授もできる」

「幽玄殿は既にご隠居の身であらせられますもの。そのようなご無理をなさいませんように。どうしてもとおっしゃるのでしたら、ご自分の工房に輝夜殿を預かられてはいかがですか」

「なんと申される。千殿は時期当主をこの宝月から追い出すようなことを申されるのか。そもそもは千殿こそ赤の他人。茜殿が亡くなられた今、宝月から出ていくはそなたのほうではないのか」


「幽玄殿。私は玄夜殿の御子、影玄の祖母にございます。赤の他人ではございません。それに、輝夜殿と茜の葬儀を立派に果たしましたのも私の手配によるもの、さらに申せば冴様亡き後、荒れ放題であったこの家をここまで立て直したのもこの私でございます。あなた方ご親戚が何をなされたというのでしょう。褒められこそすれ、けなされる云われは微塵もございませんわ」

 

ぴしゃりと千に言われ、幽玄は怒りに身を震わせながらも押し黙った。結局は千の言うとおりにしかならないことを知った親族たちは暗い面持ちのまま、宝月の家を後にした。


つづく