鬼灯堂奇譚 魔月の巻 前編 1 | あべせつの投稿記録

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第二夜  魔月の巻 前編

《プロローグ 新月 亥の刻・ 鬼灯堂》

  

 月のない夜。提灯に照らされた鬼灯堂の入り口に人影が現れた。

「こんな時間にだれだろう」

 加代はつい先ほど帰ったばかりであるし、今宵は他に来客の予定もない。神社仏閣が主な顧客である鬼灯堂に一般の客が来ることは珍しい。特殊な和ろうそくを扱っているため、広告などはいっさいしていないからである。出迎えようと立ち上がった矢先にガラリと戸が開いた。見ればそこには白髪に白髭のまるで仙人のようないでたちをした大柄な老人が立っていた。


「これは叔父上。ごぶさたしております。お元気でいらっしゃいましたか」

「うむ、輝夜殿。 そなたも元気そうじゃな」

老人の名は宝月幽玄。輝夜の祖父の弟に当たる人なので正確には大叔父である。

輝夜の父亡き後、月読の技法を伝授してくれた師匠でもあった。


「叔父上、ささどうぞ、奥の間に」

輝夜は幽玄を奥の間へといざなうと薄茶を立て、白い満月が正面に描かれた天目茶碗を前に置いた。

「おお、これは望月の天目茶碗。神月の家宝ではないか。わしごときに、この茶碗を使われるとはもったいない。しかしせっかく輝夜殿が立ててくれたのだから、早速ちょうだいつかまつろう」

「叔父上、その輝夜殿というのをおやめいただけませんか。わたしが一人前の蝋燭師になれましたのは、ひとえに叔父上のご尽力のおかげ。わたしこそ師匠とお呼びせねばなりませぬのに、それを叔父上はお許しにならない。せめてわたしのことは輝夜と呼び捨てにしていただきたいのですが」


「いやいや輝夜殿。いずれ当主になられるお方を呼び捨てには出来ぬよ。わしは叔父とはいえ、分家筋。輝夜殿は歴とした本家直系のご長男、しかも母上様は由緒正しき出自の冴様にあらせられる。血筋といい、蝋燭師としての技量といい、その御器量といい、輝夜殿をおいて次の当主は考えられぬのだ」

「叔父上、その話はもう済んだことなのです。今のわたしは鬼灯輝夜。もう十何年も前に宝月の名も家も捨てたのですから」


「そこなのじゃ。今宵はその話をしに来た。輝夜殿、そろそろ本家に戻って来てはくれまいか。来月にはいよいよ影玄が二十歳を迎える。そうなれば正式に宝月家の当主を決めねばならん」

「当主はもう影夜に決まっておりましょうに。そのために影夜も影玄という幼名から既に改名もしているのです。今更わたしが戻ればいさかいが起こるだけです」


「わしは影夜という名前では絶対に呼んでやらんのじゃ。そもそも影夜と改名させたのは千の策略じゃ。どこかで宝月の当主の名には代々〈夜〉の字が付くと聞き及んだのであろう。玄夜殿が亡くなられてからのドサクサにまぎれて、いつの間にやら勝手に改名をしておったのじゃ。影玄もたしかに玄夜殿の子供にはちがいなかろうが、母親が茜というのがいただけない。あの身分で、その子どもが当主になれるはずもあるまいに。わきまえを知らぬ女じゃ。やはりそのような女の子どもであるせいか、影玄も近頃はさっぱりだめじゃ。あれの性根は腐っておる」

幽玄は顔をしかめて吐き捨てるように言った。


「叔父上、お言葉を返すようですが、茜さんは気立てのよい優しい方でありました。影夜も茜さんに似た素直で利発な男の子であったはずですが」

「あやつはのう、もう輝夜殿が知っていた頃の可愛らしい影玄ではなくなっておるんじゃ。最近ではわしの教えた表技を疎んじ、魔道に走り始めておる。おそらくは玄夜殿の遺品から〈宝月奥義の裏の書〉を見つけ出したのであろう」


「〈裏〉をですか。あれは代々当主にしか引き継がれない一子相伝の技法。わたしも父の生前にほんの一端を習っただけですが、とても危険な技です」

「そうじゃ、心してかからねば使い手にも危害が及ぶ逆打ちの技じゃからな。残念ながら分家筋のわしには裏の書を目にする機会すらなかったが、わしの兄の幽夜、そなたのお祖父さんじゃがな、幽夜ですら恐れて生涯使うことはなかった技なのじゃ。その魔道を使われたらもう、わしには影玄を押さえる力はない。宝月の奥義は表裏一体でこそ正しい力となる。影玄のように魔道にのみ走るものは当主には相応しくないのじゃ」


部屋の四隅に灯された白蝋がため息をつくように黒い煙を吐き出すと、幽玄はがばっと輝夜の前に手をつき土下座をした。

「輝夜殿、このおいぼれの最後の頼みを聞いていただきたい。輝夜殿が家を出られたのちはずっと本家を見守り外から箴言も苦言も呈して参ったが、わしももう歳じゃ。いつお迎えが来るとも限らん。千とてわしと同じように歳をとり、もうかつてのような力はない。このまま影玄が当主になれば、抑える者がなく宝月家の没落を招こうというもの。どうか輝夜殿、来月の新月祭に一度お戻りくださいませ。われら宝月だけではなく、月読の一族全員が輝夜殿のご帰還を心からお待ち申し上げておりますのじゃ。新月祭にて技比べを致し、どちらが当主としてふさわしいか、皆の前で影玄に思い知らせてやっていただきたい。どうか輝夜殿。この通りお願い申し上げまする」

 

 畳に額がめり込むかというくらい頭をすりつけて拝む幽玄の姿に、輝夜は断ることなどできなかった。

「叔父上、わかりました。必ずやお伺いいたしますから、どうか頭をお上げください」

「そうか、おいで下さるか輝夜殿。心から感謝しますぞ」

幽玄は来た時とはうってかわって、小躍りするように帰って行った。その後ろ姿が見えなくなるまで見送った輝夜は、暗い座敷に戻ると、なにやら考え事を始めた。

つづく