●――手足から動かず、まず丹田から動く。古神道の身体秘伝から身体の使い方の極意とは? | 日光市で肩の痛み解消 下野大沢駅前阿部整骨院

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栃木県日光市JR日光線下野大沢駅徒歩30秒。くびや肩の治療なら柔道整復師の阿部洋志にお任せください!オリジナルの肩関節のストレッチもございますので関心のある方はどうぞお聞きください。

こんにちは、栃木県日光市JR下野大沢駅前30秒の阿部整骨院院長の阿部洋志です。

 

 

●――手足から動かず、まず丹田から動く 

 

 ともあれ

 

気を丹田に置いている人の場合には

 

手足よりも先に丹田が動く。

 

手足よりも丹田が先に動くこと

 

手足を体から離して使用しないことが

 

大切なのである。

 

人間が各種の動作をするときに

 

末端部分にあたる手や足が先に動く人が多い。

 

しかしながら

 

体の末節が先に動作を起こせば

 

全体の平均が破れて重心が傾く。

 

すなわち身体が崩れるのである。

 

体の崩れとは

 

重心が中心から限度を超えて

 

末端に片寄ることである。

 

運動は支点を中心にして

 

正反両作用によって営まれる。

 

その支点が体の中心

 

つまり丹田部に近いほどよいのである。

 

武道の達人とか

 

諸芸の名人といわれるような名人は

 

それを心得た身体の使い方をしているのである。

 

 たとえば

 

武道の動きは

 

至極合理的にできており

 

諸芸にも通じ

 

また日常における一挙手一投足においても

 

それをすみやかに楽になしうる身体操作となっている。

 

剣の名人・山岡鉄舟は

 

「武道においては

 

剣を用いるにあたって

 

手で斬るのではなく

 

身体の中心である

 

肚で斬ることが大切だ」と語っているが

 

柔を用いる場合にも

 

小手先で相手を制するのではなく

 

肚をもって相手を制することが

 

肝要とされた。

 

弓を引くのも

 

良く命中させる術は

 

肩にもなく

 

肘にもなく

 

指頭にもなく

 

そのようなところに

 

少しも力を凝らさず

 

ただ身体の中心である

 

肚から発する一気を貫通させて

 

いまだ矢を放たない前に

 

的を貫くことにある。

 

 また馬に乗る場合にも

 

これまた丹田の気力を十分に充実して

 

体の無駄な力をいっさい抜き

 

手綱と

 

それを取る手とともに忘れて

 

ただ臍下の力だけをもって

 

馬を自在に動かすことを心がければ

 

自分の精神は自然に

 

馬の四足にまで透徹して

 

いわゆる鞍上に人なく

 

鞍下に馬なきところを自得せられるという。

 

 『剣と禅』で有名な大森曹玄師は

 

「肚に集約された求心力が強ければ強いほど

 

そこから

 

適正かつ臨機応変に遠心力を

 

発揮させることができ

 

これが剣の極意にも通じる」と述べているが

 

まさに武道における身体操作の中心となるのは

 

肚である。

 

肚で万事をなすためにはどうしたらよいかといえば

 

その姿勢とか

 

呼吸などがまた肝要である。

 

 上半身の筋肉の緊張を解き

 

腰骨を立て

 

下腹を締め

 

下半身

 

特に臍下丹田に力がこもり

 

臍下丹田に心と体を安定させた

 

正しい姿勢とならなければならない。

 

すると

 

その動作は

 

手、または足だけで動くのではなく

 

人間としてのもつとも自然な動作である。

 

全身が個々の動作に協力するような

 

丹田を中心とした統一体としての動きになる。

 

呼吸はこのような場合の

 

丹田の力を強める働きがある。

 

また正しい姿勢が呼吸をしやすくもさせる。

 

このような丹田を主とした姿勢や呼吸が

 

武道の錬磨によって自然と身についてくるのである。

 

 宮本武蔵は

 

「兵法の理をもってすれば

 

諸芸諸能もみな一道にして

 

通じないものはない」とし

 

事実彼は

 

書画、建築、造園など多くのことに通じていたとされるが

 

これも肚でなすことを武蔵が

 

会得していたからこそと思う。

 

というのは

 

古来

 

鬼神を動かし

 

人を感動せしめるような書画は

 

書家とか画家が筆を揮うにあたって

 

胸や肋骨から手腕に至るまで

 

いっさい無駄な力を抜いて空虚にし

 

ただ臍下の気力を勢いよく筆の先端に貫通させて

 

筆よく手を忘れ

 

手よく筆を忘れて書かれた。

 

 また能楽などで鼓を打つ場合に

 

その真に玄妙な音を発する根元は

 

革にあるのでもなく

 

指にあるのでもなく

 

ただ臍下の一気や胸や肋に滞ることなく通らせ

 

指頭からその一気を

 

鼓の後面へ打ち通すことにある。

 

 歌人が名歌を詠じ

 

詩人が名詩を作り

 

茶人が茶を点じ

 

碁客が碁を囲むなどといつたことも

 

その妙処に至っては

 

もはや思いめぐらすことも忘れ

 

我もなく

 

道具もなく

 

人もいない境涯に至って

 

ただ丹田の一気から発すると

 

されているからだ。

 

 どのようなことにしろ

 

その技がまさに神妙の境地に達し

 

天下にその名を轟かし

 

後世にその名を鳴り響かせている人は.

 

単に肉体的な力とか技術ではなく

 

肚の力

 

すなわち丹田の一気によって

 

その神妙の境地に

 

至れるというわけなのだ。

 

新装版古神道の身体秘伝

「古事記」の密義

 

大宮司朗著

 

ビイング・ネット・プレス刊

 

162ページから

 

165ページ4行目まで。