『行基』から(金達壽とは-25) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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金達壽は時代小説『行基の時代』を1978年から書き始める。それは南牛が筑波郡谷田部町松代へ移住する前の年であった。工業技術院傘下の研究機関の筑波移転は1979年からで、南牛はその年の12月に移住している。

金達壽の58歳の時から書き始めた『行基の時代』は『季刊三千里』誌への連載であった。77,78,79の三年間は金達壽の時代小説の資料蒐集に明け暮れる。その為に、南牛の移住は筑波移転のどん尻となっている。早めに移住しておれば新治郡桜村が移住地であったろう。さすれば橘幸三郎門下の右翼農民運動家の渡辺安重県議と知り合う事も無かったろう。行基に関わる資料調査が南牛のその後の人生を大きく狂わせている。

だが、金達壽は『行基の時代』を書いていく中で、むろん資料調査で協力した『落照』とも重なって小説を書く新しい手法を開拓しつつあった。それは国会図書館に依拠していけば『洛東江』も書けるという展望であったろう。むろん、その間に南牛は東京工業試験所の所史編纂員を務めており、総督府中央試験所の歴史の一端にかじりついていた。だから、朝鮮半島の資料は眼前にあった。

金達壽が小説を書けなくなったのは、資料調査が充分に出来なくなったからだろうと、南牛傘寿に達して漸く気付いて来た。