差別の問題(金達壽とは-23) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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在日への差別について、金達壽は明言している。

「戦前はそれほど、差別があった分けではない。日本社会において朝鮮人差別が出てくるのは、日共の武装闘争以後である」

金達壽は日本共産党の武装闘争の最前線で朝鮮人が戦ったことが原因だと説いた。日共の武装闘争を朝鮮人が担ったことで、朝鮮人は怖い、というイメージが日本社会に定着したと述べた。

次に金達壽は、在日朝鮮人でも大阪の在日朝鮮人は嫌いだ、と言った。その意味を理解するには時間が掛かった。

萩原遼は大阪の日朝協会で運動をしている。日共の党員として日朝協会を担っていく。その活動で特筆すべきは、いわゆる「帰国事業」を推進した事であろう。萩原遼の口癖は「共和国には差別が無い」であった。萩原遼の活動地域は済州島出身の在日が多く居住していた。差別のない共和国、北朝鮮は天国に見えたのであろうか。多くの済州島からの在日朝鮮人が「帰国事業」で北朝鮮に渡って行った。

当時の神戸の在日社会では子供に、「大阪に行って言葉が通じるからと言って心を許すな」と教育していた、という話を耳にしている。理由は大阪には済州島人が多いからだと言うのであった。つまり、萩原遼の言葉に涙したのは、大阪に多くいた済州島出身者であった。済州島の人々は二重の差別に呻吟していたのだ。

神戸の在日の話を耳にして、金達壽の「同じ在日でも大阪の・・・」が理解できた。

後に金石範や金時鐘の発言を知ると、二人の金達壽評には厳しいものがある。二人は済州島出身者である。

要は双方が嫌っていたわけだが、根底に差別の問題がある。