朝鮮の鉄道敷設(評伝・鹿島守之助-7) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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朝鮮半島への鉄道敷設に鹿島組は大きく貢献した。京仁線は仁川から京城の南大門に至る区間である。この京仁線の敷設は明治32年から33年に架けてである。朝鮮が大韓帝国の時代であったか、日清戦役と日露戦役の間である。鹿島守之助翁の義父である精一翁が副組長の時代であった。鹿島守之助翁の妻となる卯女刀自の出生は明治36年である。

鹿島精一翁は明治8年7月1日に岩手県盛岡の葛西晴寧の長男として出生している。葛西氏は秀吉の時代に葛西・大崎の乱で知られる葛西党の首領家を継ぐ家系であった。伊達政宗に負われて盛岡の南部氏の庇護を受け、明治を迎えた家系だと推察されている。

精一翁は明治29年に第一高を卒業し、同年に帝大の工学部土木工学科に入学している。そして明治32年卒業し、鉄道院に奉職する。この年、25歳にして(今の年齢だと24歳)鹿島家の糸子刀自と結婚する。鹿島家の養子となり、副組長に就いている。京仁線敷設と精一翁の帝大卒業、そして副組長就任が重なっている。