才能豊かな人であった。申在均先生の教え子であった。夢半ばで潰えたであろう。いま、『開城』を開いて洪南基さんの夢を偲んでいる。
『開城』は文光善の写真が、この千年の都を見事に映している。説明文は洪南基とあり、高麗千年の都を知らせてくれる。大半の日本人は開城工団しか判っていない。
洪南基さんの労作の『高麗人参の世界』はウラジミールの愛読書であった。南牛は舩坂弘氏から「朝鮮人参」について本を書けと勧められていた。会津が舞台であったので、先を越された感があり、挫折している。だが、日本の朝鮮人参栽培の世界を調べ、信州や大根島の島根県まで足を延ばしたものである。故に、洪南基さんの壮大な夢が理解できる。
洪南基さんは開城一帯の広大な空き地、未活用の土地を歩き、そこを高麗人参栽培の土地へ、という夢を抱いていたであろうに、今世紀に入ってからの日朝間の緊張関係が夢の実現を阻んだ。
無念であったろう。